第29話 生気漲らぬ場に邪気はなし


「冥極流道場」で俺を出迎えたのは、福の神のような顔をした中年男性だった。


「興梠先生は冥想中ですが、ご用件を伺ってもよろしいですか?」


 俺が手帳を見せつつ、明石という男のことで聞きたいことがあると告げると男性は意外そうに眉を寄せた。


「明石さん?あの人がどうかしましたか?」


「とある事件の被害者と親しいんですよ。彼が疑われているわけじゃない」


「そうですか。あの人はそれは熱心な方でねえ。先生からも可愛がられていますから」


 男性は親しみのこもった口調で言うと、こちらでお待ちくださいと言い置いて道場の奥にいったん姿を消した。やがて長い白髪を後ろで縛った壮年男性が、俺の前に姿を現した。


「お待たせしました。明石君のことで聞きたいことがあるとか」


「ええ、実は今、彼が属している集団が面倒なことになっていましてね。彼はある厄介な勢力に利用されているふしがあるのです」


「……冥界の亡者たちのことかな」


「なぜそれを」


「先日、訪ねてきた折に背後を覗いたら、奴らの監視がついていました。本人には言わなんだが、心を読まれぬよう分厚い「気」を纏わせて帰しましたよ。彼は素直なのでね」


「あなたの道場は亡者と戦うための場所なのですか」


「それもあります。特に亡者たちがこちらの悪とつるんで勢力を広げつつある昨今では」


「俺にもその技を少し、手ほどきしてもらえませんか」


「あなたが?……なぜですか」


「俺は今「生きている死体」を殺さずに成仏させる必要に迫られてるからです」


 俺が苦しい事情を打ち明けると、なぜか興梠は口元をゆるめた。


「……死神とつるみましたね。彼らのやり方は大体そうです」


 俺は驚きのあまり、取り繕うことも忘れ頷いていた。


「わかりました。そういうことならごく簡単な戦法を伝授いたしましょう。あくまでも敵の動きを封じるための技ですが」


 興梠はそう言うと、俺を道場の奥の小部屋へと誘った。十畳ほどのその部屋には窓も装飾もなく、立っているだけで息苦しくなりそうな緊張感があった。


「申し訳ないのですが、あなたの「相方」を呼びだして頂けますか」


 いきなり意表をつく注文を出され、俺は面食らった。「相方」とはすなわち死神のことに他ならない。俺は一瞬、躊躇した後、うなずいた。


「少し待ってもらえますか」


 俺は興梠に断りを入れると、死神に呼びかけた。


 ――悪いが出番だ。本番じゃないから怪我をさせることは避けてくれ。


 ――ふむ。わかった。あまり気が進まないが、出て行くとするか。


 俺の身体を寒気に似た異物感が貫き、死神が現れた。俺にしてみれば相方にバトンタッチした感覚なのだが、目の前の興梠はそんな俺の変化をどうとも感じていないようだった。


「ほう、なかなかいい相方ですね。……では、いきますよ」


 興梠はそう言うと、床を蹴った。次の瞬間、興梠の身体は俺の正面に移動していた。


 ――……うっ?


 興梠の手が俺の顔を掠めたと思った次の瞬間、死神の奇妙な呻きがこだまし、瞬時にして気配が消え去った。


 ――どうした、死神。どこに行った?


 俺が間合いを取るのも忘れ、死神に問いかけたその時だった。俺の身体を高密度の「何か」が強く後方に突き飛ばした。俺は数メートル吹っ飛ばされ、壁に激突して悶絶した。


「い……今のは?」


 息を吸うのも困難なほどの打撃にたじろぎながら立ちあがると、興梠が最初に対峙した位置のまま、不敵な笑みを浮かべていた。


「どうです?亡者の「邪気」を封じられた気分は」


「封じた?……「邪気」を?」


「ええ。「邪気」を攻撃力に変えるには生者の息吹が不可欠です。ならば「邪気」そのものが消えるよう生気を薄めてやればいい。敵を「攻撃」するのではなく「中和」するのです」


「なるほど、それで「死神」が消えたわけか」


「あとは通常の戦闘ですよ。弱った相手を倒すにはほんの少し「押して」やるだけでいい」


「そうすれば相手を「殺さずに済む」というわけですね」


「まあ、実戦で役に立つかどうかまでは保証できませんがね」


 俺は負けを認めると同時に、技を快く伝授してくれた興梠に丁重に礼を述べた。


「ありがとうございます。これでなんとか「被害者」を成仏させられそうです」


「それはなにより。まあ、死神の中には楽をして魂を得ようとする者も少なくないですからね。ご自分が痛い目を見ないよう、ほどほどになさってください」


 興梠はまるで俺の中にいる死神の姿が見えているかのように、鋭い口調で言った。俺は道場を出ると、死神に問いかけた。


 ――さて、帰ったら「邪気を封じる」術の練習でもするか。つき合ってくれるだろう?


 俺の呼びかけに、身体の奥底で「ああ」といかにも気乗りしていなさそうな声が響いた。


             〈第三十回に続く〉

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