第17話 逆鱗

 ディアの感情的な返答に、レヴォルグは何が可笑しいのか大きく口を開けて笑い出す。


「ふふ。ふはははははっ!」


 レヴォルグが心の底から笑うという珍しい光景に、眉をひそめて訝しむ。


「何がおかしいのですか」

「いや……なに。やはり、私は君が嫌いになれない。それだけだ」

「そうですか」


 相手の感情に興味はない。

 好きだろうが、嫌いだろうが、そんな感情を向けられたところでディアの行動は変わらないのだから。


「だが、悲しいな。私は君を斬らねばならない」


 身の丈程もある大剣を、レヴォルグが構える。


「邪魔をするというのなら、君を殺そう。ディア・ファーリエ」

「いえ。私が貴方を殺すのです。レヴォルグ・イクザーム」


 互いに同じ意味の宣言をする。

 けれど、死ぬのはお前だと、求める結果だけは相手の命だ。

 睨み合い、相手の動きを注視する。


『――ッ!』


 ディアは力強く踏み込むと、レヴォルグへと掌底の突きを繰り出す。

 あたかも、放たれた矢の如き速さの突進だ。常人ならば反応すらできない程の速さであったが、相手は最強と謡われた騎士レヴォルグ・イクザーム。並などと比較するのもおこがましい。

 レヴォルグは同時に突撃すると、ディアと衝突する間際、剛腕を持って大剣を一閃。両断する意志を乗せた大剣は、ディアの掌底と正面からぶつかり合う。

 瞬間、まるで空気が爆発したかのように弾け、周囲の物が揺れ動いた。

 一瞬、拮抗したぶつかり合いによって時が止まったように互いが固まるが、長くは続かない。


「ふっ!」


 巨竜を想起させる腕力に物を言わせ、大剣を弾き飛ばす。そうして、開いた懐へと一歩踏み込み、掌底を穿つ。

 空気を切る音を鳴らし、突き出される豪槍。当たれば死は免れぬが、天から地へ落ちる雷の如きレヴォルグの一撃によって阻まれた。振り下ろされた大剣は勢いそのまま、床をも砕き破壊する。

 脆い硝子細工のように砕け散る破片が宙を飛ぶ中、ディアとレヴォルグは視線を交錯させる。

 床にめり込む大剣を片足で踏み付け、レヴォルグの動きを阻害。レヴォルグが大剣に力を込めるが、微塵も動きはしなかった。


「重い、な」


 ディアの武器は、何も両腕だけではない。

 両腕が放つ大砲染みた威力の掌底を支える足腰は、地面に深く根付いた大樹だ。一度絡め捕られれば、そう簡単に動かせるものではない。

 ディアは手首を回し、肘を引く。

 レヴォルグの頭蓋目掛けて放つは、人の腕というにはあまりにも強靭な鋼の如き腕だ。そこに竜を思わせる膂力と合わせれば、それだけで必殺となりえる突き。

 大剣を押さえた今、レヴォルグに躱せる余地はなかったが、絶体絶命の窮地を脱するからこそ英雄と呼ばれるのだ。


「ぬぅうううああああああっ!!」

「むっ!」


 女王の間に轟く程の雄叫びを上げ、レヴォルグは、ディアごと大剣を振り上げたのだ。

 まさか、抜け出されるとは思いもせず、ディアの足は床を離れて宙を浮く。

 足場を失ったディア。当然、その隙を見逃す程甘い相手ではない。

 咄嗟に両腕を十字に構えた時には、銀閃が横切る。


「はあぁぁぁっ!!」


 気合一閃。

 咆哮と共に放たれた横薙ぎは、巨大な魔物の一撃を受け止めたかのように重く、鋭い。まして、空中では踏み止まる足場もなく、ディアは簡単に吹き飛ばされてしまう。


「ディア!」


 背後から悲鳴染みたネーヴィスの声が耳に届く。

 このままではぶつかると判断し、ディアは床を貫くつもりで足を叩きつけた。床が砕け、めり込んだ足で踏ん張りを効かせ、勢いを殺す。

 どうにか踏み止まるも、冷酷なまでに非情な声が降り注ぐ。


「――まさか、これで終わりではあるまい?」


 振り下ろされる鋼鉄。

 避けようにも、背後には護るべきネーヴィスがいる。ここで躱そうものなら、彼女は無事では済むまい。

 ならばと、鋼の腕を再度十字にし、受け止める。

 鋼と鋼がぶつかり合う甲高い音が響き、鍔迫り合いさながら、大剣と腕で激しくせめぎ合う。 


「以前にも言いましたが、お喋りが過ぎれば命を落としますよ」

「ならば私も同じく返そう。少しは付き合ってくれても良いと思うのだがね?」

「お断りします」


 かつて交わした会話を再現しながらも、求める結果は過去とは違い勝利のみ。

 上から叩きつけられる不利な体勢とはいえ、力では有利なディアは両腕を広げる要領で、大剣ごとレヴォルグを吹き飛ばす。


「くっ!」


 体勢を立て直そうと自ら地面を蹴って下がるレヴォルグを襲うは、天上からの一撃。


「死になさい」


 強烈な一撃を、レヴォルグの真上から放つ。

 レヴォルグの一撃も凄まじいが、威力のみで見ればディアの一撃は規格外だ。

 地に叩きつけられた掌底は、床に円形の窪みを作り出し、城を揺るがす程の威力を誇った。人族など容易く肉塊とする破壊力は、正に人の形をした竜と呼ぶに相応しい凶悪さだ。その一撃は、人を大きく上回る魔物であっても、死に至らしめる破壊の剛腕。

 例え、レヴォルグといえど、直撃すれば即死は免れまい。だが、それもまともに受ければの話。


「やはり強いな、君は」

「避けるのは上手いですね」


 手応えがなかった時点で気が付いてはいたが、レヴォルグは更に後退しディアの攻撃を避けていた。

 どうにも、避けられてしまいますね。

 単純な力ではディアが強い為押している印象だが、決定打が当たらない。的確にこちらの動きを見抜き、避けて見せる手腕は最強と謡われるだけはある。

 だが、それだけのこと。

 どうあれ、一撃でも当たれば殺しきれると、ディアは眼光を鋭くし、手に力を込めて関節を鳴らす。

 ――次は、殺します。

 獲物を狙う人の姿をした竜は、獰猛な眼光を隠すことなく、威風堂々と距離を詰めていく。



 ――


 ディアとレヴォルグ、二人の人知を超えた戦い。

 ネーヴィスは、目の前で繰り広げられる壮絶な戦いを、片時も目を離すことなく、不安げに瞳を揺らしながら見つめていた。


「ディア……」


 零れるのは、極致の戦いについてではなく、自身を護ってくれるディアの心配だ。

 信じている。彼が負けるところなど想像もできない。

 けれども、不安になってしまうのを、ネーヴィスはどうしても止めることはできなかった。


「割って入るのは……無理そうですね」

「無理ですな。命を捨てる覚悟を持ってしても、どちらの邪魔になるか分からない横槍では、手の出しようがない」


 ユースとヴェッテは、それぞれ戦いの隙を伺い、いつでもディアの援護に入れるように構えていたが、入り込む余地などない戦いに一歩も踏み出せずにいた。


「レヴォルグと互角以上。ディアは強い」


 何より、未だにこちら側にいるネーマから警戒を解くわけにはいかなかった。


「当然です。ディアは負けません」

「そう」


 言い聞かせるように、ネーヴィスがネーマの独り言に返す。

 ネーマは目深に被っていた帽子を片手で上げると、金色に輝く瞳でネーヴィスを見つめる。およそ、その目には感情と呼ばれるものが宿っていなかった。


「けれど、例え彼が負けなくても、貴女達は死ぬ」

「――何を考えているのかしら?」


 ネーマの発言に、ユースとヴェッテが盾となるように割って入る。

 元より敵なのだ。案内をされたからといって油断などするはずもなく、常に警戒はしていた。

 しかし、例え相手がレヴォルグと同格だったとしても、魔法使いである。魔法の発動には詠唱などの前準備が必要で、剣を振れば届く距離ではこちらに分がある。故に、目の届かない場所で何か準備をされるよりも、近くに置いておいた方が安全だと、ユースは考えていた。この状況で、なにかできるはずがない、と。

 一触即発の空気で、状況的に不利なはずのネーマは淡々と語る。


「貴女達もおかしいと感じたはず。どうして、この城には誰もいないのか」

「ええ。当然です」


 ネーヴィスとて、最初から察している。

 最悪の末路さえも想像しているのだ。例え、これが揺さぶりだったとしても、動じることはない。

 毅然とした態度を示す王女であったが、ネーマはそんな健気な態度を嘲笑うかのように告げる。


「――なら、確かめてみればいい。直接」


 途端、ネーヴィス達の足元に、光を放つ巨大な魔法陣が広がった。


「――ッ! これは……っ」


 一体、いつの間に。詠唱を唱えた隙などなかったというのに。

 ネーヴィス達の常識を打ち砕く魔女は、当然だというように語る。


「魔法使いは戦いには向いていない。魔法を使うのに集中して、隙だらけになるから。けど、準備万端の魔法使いは強い。あらゆることができるから」


 全ては彼女の手の上だったのか。

 レヴォルグが呼んでいるのはディアだけと語っていた。それは嘘ではないのだろう。ただ、ネーマが、ネーヴィス達をこの場所へ案内しようとしていたということを除けば。

 警戒しているつもりで、その実レヴォルグ以外への注意が疎かであったことに今更になって気が付いたが、その理解は既に遅く。

 魔女の策略に、見事嵌められてしまった。

 

「ディア――」


 助けを求め、ネーヴィスはディアへと手を伸ばすが、叶うことはなく。

 彼女の視界は光に包まれ、その場から光の粒子と共に淡く消え去った。


 ――


「ネーヴィスッ!」


 王女の儚い声に導かれ、目前の脅威など意識の外に追いやり、必死になって手を伸ばす。

 だが、悲しくも少女が伸ばした指先に触れそうになった瞬間、彼女は掻き消えてしまった。

 残されたディアは、彼らが居た場所に立ち尽くすと、無防備にレヴォルグへと背を晒す。


「……まさか、ネーマがこのようなことを考えていたとは予想外だが、悪く思うな。これは、我らにとって戦争だ。なにより、ネーヴィス王女殿下もまた、悪しき国の代表者。この国から消え去るべき一人に違いない。彼女の護衛も、君の従者も私達の邪魔をするならすべからく敵だとも」


 まるで、言い訳のように語るレヴォルグの言葉は、ディアの耳には届いていなかった。

 ただ、護るべきはずの少女達が、自身の目の前から消えてしまったことで、頭の中は真っ白だ。

 ディアにとって、フラウノイン王国の人族は、自身とは住む世界の違う者達だ。ザンクトゥヘレを裏とするなら、フラウノイン王国は表の世界。煌びやかで、平和で、眩しい世界。戦わず、隣人と協力して生きていける。そんな場所があると知ったのは、ネーヴィスと出会った時だ。

 助けた彼女は、良く笑い、ディアを疑うことなく信頼を寄せてきた。ネーヴィスの語る世界は、ディアにとって正に夢のような出来事であり、国の話をする彼女の笑顔はあまりにも眩しかった。

 羨ましい。素直にそう思ったのは、生まれて初めての経験だった。平穏の中、穏やかに暮らすことなど、ディアの生ではありえない。だからといって、ディアは自身が不幸だと感じたことがなければ、ディア・ファーリエという個としてザンクトゥヘレに生まれたことを良しとしている。故に、羨ましいと思いはしても、自身が平穏に生きようなどと考えもしない。

 それでも、フラウノイン王国という世界で平穏に生きる彼女達に、ザンクトゥヘレという世界における暴力で全てを解決するという常識を当てはめるのは許せなかった。

 なにより、平穏という価値観を教えてくれたネーヴィスは、彼にとって平穏の象徴なのだ。

 だから、本当は、約束なんてなくても、ディアは彼女を助けた。それは、フランやユース、ヴェッテもそうだ。表に生きる優しい者達は、彼にとって護るべき人達なのだ。

 それなのに、ディア自身の油断によって、護るべき人達は連れていかれてしまった。

 護らなければならない者達が死んでしまう。これまで、人と接する機会の少なかったディアにとって、自身に近しい者が死ぬかもしれないという体験は初めてのことであった。

 心の奥底から溢れ出て、暴れ狂う感情をなんというのか、ディアは理解できない。何故なら、これ程までに大きく感情を揺さぶられるような出来事は、これまで経験したことがなかったから。だから、ディアは感情によって動く身体を止めることができなかった。


「――――――ッ!」


 振り返り、レヴォルグへ突撃すると、暴風のように激しい掌底の連打を浴びせる。

 先程までの力任せながらも、どこか理性を感じさせる動きとは違う、獣のように激しく、苛烈な攻撃。なにより、速さも威力も、比較にならない程上昇している。


「ぐ……っ!? これ程とは――ッ!!」


 攻撃に回す余力などないのか、防御するのもやっとというレヴォルグは、苦悶の表情を浮かべながら剣でいなし、もしくは避けてやり過ごしていく。

 だが、躱しきれずに剣で防御してしまったのは悪手であった。


「う、らぁあああああああああああああああああああああああああっ!!」


 竜の如き咆哮を上げたディアは、防御などお構いなしに人外なる膂力に任せてレヴォルグを吹き飛ばす。

 勢いのままに、レヴォルグは壁に激突し、意識を失ったかのように力が抜けて、口の端からは血が流れ落ちる。

 だが、相手の状態など関係ないとばかりに、ディアは突き進み、巨竜の腕を彷彿とさせる腕を振るう。

 激しい衝撃と共に、女王の間の壁は呆気なく砕け散った。だが、ディアの手に人を殺した感触はない。壁が崩れる音を聞きながら、瞳を左へと動かす。

 そこには、窮地を脱したレヴォルグが口元の血を拭い去る姿があった。白の軍服が、所々赤く染まりながら、彼は失態だと呟く。 


「どうやら、意図せず触れてしまったようだ。――竜の逆鱗に」


 今更理解したところで遅く、ディアの耳にレヴォルグの言葉は届かない。

 今のディアは、ただただ怒りのままに自身を怒らせた愚か者を殺そうとする竜である。その暴威を持って、敵対者を圧し潰す。

 竜の怒りに触れた者がどうなるのか。レヴォルグは身を持って味わうこととなる。

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