第16話 善性と悪性

 王城に到着したディア達は、城内をネーマの案内で進んでいく。

 煌びやかな城内につい視線を動かしてしまうディア。だが、ネーヴィス達は、ディアとは違った部分が気になるようだ。


「誰も、いませんね」

「どこかに閉じ込めているのか。それとも……」


 ネーヴィスの呟きに、ユースが努めて冷静に答える。

 言われてみれば、城内には誰一人としていない。レヴォルグの拠点もだが、こういった場所を維持する為には人手がいる。

 ディアにしてみれば複数人で作業するということ事態があまり経験がないため理解し辛いのだが、誰一人としていないという状況が異様であるのは理解できる。

 ディアからすれば静かだとしか感じないが、ネーヴィス達からすれば不気味という印象を持つらしい。


「フランも、気になりますか?」

「ディア様が居て下されば、何も」


 そう言って、笑みを向けて来る。

 フランもネーヴィス達に近い生活をしていたはずだが、どうにも印象というのは人によって変わるらしい。

 彼女達の違いに、ディアが思い耽っていると、ネーマが大きな扉の前で足を止める。


「ここ」


 立ち止まって見上げてみれば、やたら凝った装飾が施された両開きの扉であることが分かる。

 城内のどの扉よりも凝った物であることから、ここは城の中でも優遇された部屋なのだろう。

 辿り着いた場所を見て、ヴェッテが不愉快そうに吐き捨てる。


「自分が王となったとでも言いたいのかね。彼は」


 そこで初めて、ディアはここが王の部屋だと察する。

 国で一番偉い者の部屋だというなら、その扉も大仰な物になるのも頷ける。

 ヴェッテの言葉に、ユースが口を開く。


「さて。どうでしょう。訊いてみるのが早いと思いますが、いかがしますか? ネーヴィス様」

「無論、乗り込みます。ディア、フラン。宜しいでしょうか?」


 決意を宿す青色の瞳を向けてきたネーヴィスに、頷いてみせる。


「構いません」

「ええ。手早く終わらせて、帰らせて頂きます」

「あら?」


 冷めたフランの返答に、ネーヴィスがわざとらしく驚いたような声を発する。


「レヴォルグを倒したなら祝勝会です。主役のディアが参加しないなんてことはさせませんよ?」

「貴女に指図される謂れはありません」


 笑顔のネーヴィスに、冷めた表情のフラン。

 視覚的には二人の間に何もないのだが、ディアには火花を散っているように見えてならない。

 どうあれ、祝勝会とやらに参加するかどうかを決めるのは、ネーヴィスでもフランでもなく、ディアなのだが。

 不毛な争いをしている二人を置いて、ディアは何の躊躇いもなく扉を開ける。

 想像以上に滑らかに扉が開いた先は、綺麗に磨かれた床に、柱や壁にまで細かな細工が施された大きな部屋だ。部屋の奥には、少し高い位置に金の装飾が施された椅子が置かれ、その前には、ディア達が狙う男が不動のまま立っていた。


「レヴォルグ……」

「よく来た。ディア。このような場所だが、歓迎しよう」


 敵対しているというには、言葉通り歓迎しているかのようにレヴォルグが出迎える。

 だが、本来この城に住まう者たるネーヴィスにとって、彼の言葉は聞き逃せるものではなかったらしい。

 花咲くような笑顔が似合う少女であるが、レヴォルグに向けるのは氷のように冷たい表情だ。


「このような場所とは。久方ぶりの再会にしては無礼ですね、レヴォルグ・イクザーム」

「これはこれは。フラウノイン王国第二王女ネーヴィス・フラウノイン殿下ではないか。今頃何をしに来られたのかな?」


 挑発するような大仰な態度に、控えていたヴェッテが怒りを露わにする。


「痴れ者め! レヴォルグ! 貴様、無断で消えるだけでは飽き足らず、フラウノイン王国に仇なすなど、無礼にも限度があるぞ!」

「ヴェッテ騎士団長。まさか貴方とも会えるとは。既に現役から退いたとばかり思っていたが」


 二人は知り合いのようだが、旧交を温めるという雰囲気ではない。


「ふん。貴様が抜けたことによって、後釜もいなくなってな。引退する機会を逃したわ。だが、このような事をしでかす馬鹿者に跡を継がせず良かったと、今では思っておるよ」

「ふふ。それは残念――」


 剣呑な雰囲気ながらも、二人は言葉を交わしていたが、気配を殺してレヴォルグの背後に回っていたユースが、彼の首目掛けて剣を振り抜いた。

 しかし、レヴォルグが気付いていないわけもなく、振り向き様に剣を抜き、ユースの剣を弾く。

 ユースも反応されるのは予想の上だったのか、落ち着き払った所作で後退し、剣を構える。


「せっかちだな。王女付きの貴女が不意打ちとは、騎士にあるまじき行為だとは思わないのかね? ユース・ストメート」

「ええ。騎士としての戦いならば無礼者と非難されましょうが、国に弓引く俗物相手ならば、よくやったと褒め称えられましょう」

「相変わらず、君は怖いな」


 優雅に微笑みながらも、レヴォルグの隙を探すユース。

 ああも殺気を隠し、穏やかな態度で剣を振るえるのは凄いなと感心していると、ネーヴィスが凛とした声を発する。


「ユース。下がりなさい」

「かしこまりました」


 ユースとしても深追いする気はなかったのか、主の言葉に従う。

 二人の騎士を連れた王女は、支配者の顔を表に出し、反逆者へと問う。


「レヴォルグ・イクザーム。貴方は何故、我が国に剣を向けるのですか? 一騎士として国に仕えていた頃の貴方は、愛国心もあり、騎士の代名詞と呼ばれる程忠誠心も高かった。その貴方が、何故?」

「その問いに答える前に、私に聞かねばならぬことがある」


 そういうと、レヴォルグは何故かディアへと微笑みを向ける。


「ディア、私達の仲間にならないか?」

「何を……っ!」


 驚きの声を上げるネーヴィスに、レヴォルグは答えない。

 ディアとしてもレヴォルグの勧誘は予想外だ。ザンクトゥヘレという環境故に、争うことはあっても、交友を深めることなかったというのに。


「答えを聞く前に私の考えを話そう。私はね、この国は最低だと思っている。ディア、この街を訪れて、君はどう思ったかな? 綺麗だとは思わなかったか?」


 彼の言葉に矛盾を感じつつも、素直に自身の感じたものを言葉にする。


「ええ。初めて目にする物ばかりで良し悪しの判断は難しいですが、人の住む建物も、街全体も良く考えられ造られているのが分かります。自然とは言い難いですが、美しい街並みでしょう」


 正確には、綺麗というのが正しいかは分からない。

 ディアにとって言葉とは、知識として知ってはいるが、実際に見たことのない物がほとんどだ。それ故に、レヴォルグの言葉に乗っかっただけで、綺麗という定義であっているかは分からない。

 けれども、目を奪われたのは事実であり、色々と見て回りたいという気持ちも本物だ。


「そうだ。民も、貴族も、この国の者ほとんどがそう思っているだろう。それ故か、貴族共は良く回る舌で語っていたものだ。この国は綺麗で、恥ずべきものなどなにもないと」


 ここにきて初めて、レヴォルグの瞳に、明確な怒気が宿る。

 例え戦っていても怒気など微塵も見せなかったレヴォルグが、燃えるような怒りの感情に身を焦がす。


「馬鹿が。そんなことがありえるものか。汚い事を平然と行うその口で、綺麗だなどと宣う愚か者が何よりも許せん。知っているか? この国には死刑がなければ、路上で暮らすような貧困に苦しむ者もいない。何故だか分かるか? 簡単だ。そういった者達全てをザンクトゥヘレに捨てているからだ!」


 侮蔑と、激情がレヴォルグの言葉に宿る。


「結局、国は自身が汚いと感じたモノを捨て去っているだけ。あまつさえ、それを慈悲などと宣う愚かさは、殺しても飽き足らぬ程だ」


 激しい感情を乗せた瞳は、フランへと向かう。

 予期せず向けられた眼光に、フランがたじろぎ、ディアのコートをぎゅっと掴む。


「君も分かるだろう。フラン・メシュタル。君の父は清廉潔白な人物だった。貴族の中でも数少ない、私の尊敬する人物であったよ。その性格故に贈賄に手を染めることなく、女王からも覚えめでたい高潔な方だ。だが、正しいが故に、他の貴族から忌み嫌われていた。彼を邪魔だと考えた貴族共は、自身の行った罪全てをメシュタル伯爵に押し付け、メシュタル家を没落に追い込んだ」

「……っ」


 フランが、ザンクトゥヘレという地に堕ちた理由。フラウノイン王国への憎しみの原点を語られ、フランは息を飲む。


「憎いはずだ。この国が。何も悪いことなどしていないのに、気に入らぬというだけで悪だと罵る愚か者共の国が」

「それは……」


 レヴォルグの勢いに呑まれ、フランは言葉も出ない。

 助けを求めるように、コートを強く握られるのを感じながら、ディアはフランとの出会いを思い出す。


 ――


 土砂降りの雨の中。身形の良い少女が、打ち捨てられるように倒れていた。

 ザンクトゥヘレは劣悪な環境だ。このような場所で倒れていたら、日が変わる前に死ぬことは間違いないだろう。

 環境によって死ぬか、凶悪な魔物に喰われるか、それとも、下劣な者の慰み者となった後に殺されるか。

 元より、見捨てるつもりもなかった為、彼女を抱き上げて、自身の家へと連れていった。

 だが、まあ。

 目覚めたら目覚めたで大変だった。

 死んだ目をして何も食べようとしない。どうしたいのかも話さない為、帰す場所も分からない。

 どうしたものかと悩みもしたが、ディアの面倒を見ていたクリュスもそうだったのかと思うと、捨てるわけにもいかず、死なないように世話を続けた。

 拾ってから幾日か経った頃。

 相変わらず虚空を見つめていた少女は、掠れた声で呟いた。


『どうして……助けたの?』


 不思議な質問だと思いつつも、ディアは素直に答えた。


『理由はありません。私がそうしたかっただけです』


 この時は、これだけで会話を終えた。

 けれども、翌日から少しずつ、自分から食事も取るようになり、『手伝います』と率先して食事の準備や片付けなどを手伝うようになった。その時は、少しばかり嬉しくなったのを覚えている。

 そうして、少しずつ生気を取り戻していった彼女は、ある日、どうしてザンクトゥヘレに堕ちて来たのかを話し出した。自身の抱える気持ちと共に。

 憎い。復讐したい。そう泣きながらに語ったフランを、ディアは忘れはしない。

 悲しみと憎悪を吐き出す彼女を、ディアは止めなかった。一切の感情を乗せず、好きなようにすればいい、とだけ伝えた。

 それからしばらく経った頃。何を思ったのか、やたらめったら元気になったフランは、ディアのメイド(初めはメイドの意味が分からなかった)を自称し、ディアの身の周りの世話をすると宣言して出ていかなくなってしまったのだ。


 ――


 どういう結論に至ったのか未だに分からず、首を傾げる日々が続ている。

 こうして過去を思い出してしまうのは、レヴォルグがフランの過去を語ったからだけではなく、あの時踏み止まらなかった結果がレヴォルグだと感じたからだ。

 フラン自身、似たような気持ちを感じているからこそ、不安を掻き立てられるのだろう。

 憎悪の道を選び取ったレヴォルグは、吐き出すように語り続ける。 


「私は憎いとも。そんな国の在り方を、私は憎悪する。故に国を抜けた。世界を見、正しい在り方の国を求めた。だが――なかった。人が人である限り、この歪みを正すことはできはしない」


 だからこそ、とレヴォルグは続ける。


「我々アポステルは、人が人を管理するシステムそのものを否定し、その全てを壊す」


 初めて聞く名称だ。

 恐らく、レヴォルグが所属する組織名なのだろう。

 ディアからすれば気にかかる部分はなかったが、ネーヴィスにとっては聞き捨てならなかったらしい。


「ま、まさか。貴方は、国そのものを破壊しようとしているのですか!?」

「当然だ。そもそも、人が人を導くなんてものは、元よりできようはずもなかった。だからこそ、歪みが生じ、無意味な血が流れ、悪辣な者が益を得る」

「そのような事が、人の身でできると本当に思っているのですか?」

「やるとも。王女ネーヴィス。私はね、人という種に不信感しか抱いていないのだよ」


 言葉を失うネーヴィス。

 敵意に満ちた感情をネーヴィスへと向けていたレヴォルグだが、ディアに向き直る時には悪意の感情を一切見せはしない。


「だがな、ディア。君だけは、違う」


 滔々と、どこか嬉しそうにレヴォルグが語る。


「ザンクトゥヘレという環境に生まれながらも、助けを求める者に手を伸ばせる優しさを知っている。それが誰にもできないとは言わない。だが、劣悪な環境で生まれ育ち、生きながらも、そうした善性を持つのは稀だ。私は未だに人への不信感を持っているが、君との出会いで小さな希望を見出せた。どのような生まれであれ、人という種は善性を持つことができるのだと」


 ようやくディアは、レヴォルグが何故好意的なのか理解した。

 そして、本当にレヴォルグとフランはよく似ていると思った。

 結局のところ、二人がディアに感じているものは似通っており、だからこそ、向ける感情も似る。

 レヴォルグやフランにとって、ディアは悪意に囲まれながらも善性を保つことができるという生きた証拠なのだ。

 自身の求めた善性を持った者がいれば、信頼して傍に居てほしいと願うのかもしれない。


「ディア・ファーリエ。私は、確かな善性を持つ君と、共に歩み、世界を正しき姿に導きたい」


 まるで、ディアの考えが正しいと証拠付けるように、迎え入れるように手を伸ばすレヴォルグ。

 他人と接する機会が極端に少ないディアの考えが正しいかは分からない。もしかすると、全く違う感情によってディアを求めている可能性もある。

 ただ、相手の感情がどうであれ、ディアの答えが変わることはない。 


「興味はありません」


 感慨も、迷いもなく、ただ断る。そこに感情などという不安定な要素は皆無だ。


「それは、何故だ?」


 レヴォルグもこの答えは予想していたようで、ショックを受けた様子もなく、苦笑を浮かべて理由を尋ねてくる。

 ディアからすれば当然の返答であり、なにより、レヴォルグもフランも勘違いをしている。


「私にはそもそも、貴方のいう善悪というものが理解できない。言葉の上で理解はしていますが、意味を実感したこともありません。ネーヴィス王女殿下達を護るのは私がそうしたかったからでしかない。そこに善悪という曖昧で不確定な要素はなく、あるのはディア・ファーリエという個人の意志のみです」


 善悪なんてものは知らない。そもそも、何が正しく、間違っているかなど、人と関わって生きて来なかったディアに理解できるはずもない。

 だいたいからして、もし悪というモノが存在しえるなら、ザンクトゥヘレに生まれ、容赦なく人を殺めるディアは、悪そのものだ。


「私はただ、気に入らない者を殺す。そこに貴方の語る善も悪もありはしない。――故に、貴方を殺しましょう。レヴォルグ・イクザーム」

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