第13話 裸の付き合い

 ぽちゃん、と湯に落ちる水滴の音が響き、静寂が再び訪れる。しかし、漂う空気は一変し、非情に重たい空気が辺りを漂っていた。

 空気に色があったならば黒と断言できるほどの重さだ。


『……』


 ロゼを間に挟み、ネーヴィスとフランは沈黙を貫いている。無論、従者のユースも含めて。そんな中、間に挟まれたロゼはたまったものではない。

 なんで私を間に挟んでるのよ。出るに出れないじゃない!

 空気の悪さもさることながら、元々ネーヴィス達よりも先に湯に浸かっていたのだ。いくら安らぐといっても限度がある。これ以上長引けば間違いなく倒れると判断し、空気を変えようと話題を投げ掛ける。


「ネーヴィス。さっき聞き損ねたのだけど、ディアとはどこで知り合ったの? 王女の貴女とディアがどうやったら出会うのか、想像も付かないわ。そっちの従者も顔見知りのようだし」


 ネーヴィスを飛び越し、ユースへと視線を投げたが、彼女は微笑むばかりで返答はない。

 主人の許可なく話す気はないということだろうか。

 反対側では、湯の跳ねる音が聞こえる。敬愛するディアのことだからか、フランとしても聞き逃せない話題なのだろう。

 振り向けば、興味なさそうな態度を取りつつも、耳に掛かった銀髪をかき上げて聞き取りやすくしている少女が、ちょっと身を寄せてきた。いっそ反応としては可愛らしくすらある。

 そんな愛らしい生き物を見て取ったのか、からかうような声音でネーヴィスが尋ねてくる。


「ふふ。やはり気になりますか?」

「気になるに決まっているでしょう」

「フランもですか?」

「一切気になりませんが?」


 瞼を閉じて背を向ける。全くもって素直じゃない。

 そんな姿を見てネーヴィスは苦笑しつつ、ディアとの馴れ初めを語り始める。


「そうですね。詳しく話すと長くなるので割愛しますが、私は三年前にザンクトゥヘレに訪れたことがあるのです」

「誰もが危険と理解している場所に、王族の貴女が足を踏み入れるなんて、笑えない冗談ね」


 危険過ぎると各国が不干渉領域と定めた地に、王女が足を踏み入れるなど前代未聞だ。通常であれば与太話と捨て去るところだが、ディアと知り合ったという結果があるせいで、そうもいかない。


「ええ。とても危険な行為でしょうね。ただ、当時の私は自身の目で確かめずにはいられなかったのです。――そこに、彼らの言う救いがあるのかどうか」


 その言葉に、無関心を装っていたフランが反応を示し、険しい眼差しをネーヴィスへと向ける。取り繕うこともできなくなるほどに、彼女にとって聞き捨てならない言葉であったのだろう。


「よく周囲の人間が許したわね」

「許可なんて取ってませんよ? 信用にたる側近のみ連れて無断で行きましたから」

「…………言葉もないわ」


 この王女、お転婆にも程がある。

 何人かの首が飛びかねない大事件を平然と実行する恐ろしさ。それを何とも思っていなさそうな態度に、肝を冷やすよりも安堵が心を満たす。

 良かったわ。当時関わっていなくて。

 話を訊いただけでも頭が痛いのだ。当事者であったと考えたら、身が竦む。


「ユースは止めなかったの?」

「止めましたが……ネーヴィス様は言い出したら止まりませんので。私としては、危険な真似は控えて頂きたいのですけど、ね?」

「苦労を掛けます」

「この調子ですので」


 苦笑するユース。

 苦労を忍ばせる笑みだが、仕方ないと諦めているのだろう。

 自身の身を慮らない主人の相手はさぞ大変だろうと、知らずロゼの目尻に光る物が浮かび上がる。

 その点私はマシだろうとロゼは胸を張るが、何故か想像の中のリタが大きなため息を付いていた。解せない。


「そうして辿り着いたザンクトゥヘレに、彼らの言う救いはありませんでした。私が向かった時は、不毛な大地に砂嵐が吹き荒れていて、歩くのすら困難。しかも、巨大な蛇の魔物に襲われて…………あの時は死を覚悟しました」

「その時、助けてくれたのがディアだった、ということね」

「ええ。それから、数日程彼の家でお世話になり、色々話しました」

「家……未だに不思議なのだけど、ザンクトゥヘレで生活できるの?」


 ディアがザンクトゥヘレに住んでいると言った時から気になっていた疑問をぶつける。

 環境そのものが変化する苛烈な土地で、生身の人間が生活できるはずもない。けれど、ディアが嘘を付いているとは思えないので、何かしらの抜け道があるとロゼは考えていた。

 それに対する回答が、ネーヴィスの口から明かされる。


「私もディアに連れられて知ったのですが、僅かながらザンクトゥヘレには環境の変化しない安全な領域があるのです。ディアが拠点としている場所は緑豊かな、神聖さすら感じられる神秘的な場所でした」

「そういうこと、ね」


 深く納得する。

 いくらディアが化物染みた力を持っているとはいえ、やはり人として生活できる領域がなくては生きていけまい。なにより、常人であろうフランも一緒なのだ。安全圏があるのは、当然の帰結であった。


「別れる際、少しでも彼と縁を残そうと、一方的に『また助けて下さい』と約束したのですが、まさか覚えていてくれているとは思いませんでした」


 その時のことを思い出しているのか、頬を染め、とても大切な宝物を扱うように、優しく胸元へと手を添える。まるで惚れた男に想いを馳せる健気な姿に、反対側から露骨な舌打ちが響く。

 ディアとネーヴィスが再会した折、ディアが語っていた『約定』というのが、このことだったのだと理解する。

 もう少し確固たるものだと思っていただけに、一方的な約束だったのは予想外だ。そんな約束とも言えない言葉を忘れずに果たそうとするのだから、律儀というかなんというか。

 本当に、どうやったらあんなのがザンクトゥヘレで育つのかしらね。

 呆れつつも、どこか嬉しくなってしまうのは、ロゼもまた彼に毒された証拠なのだろうか。


「ディアとの馴れ初めはこれでお終いです。ご満足頂けましたか?」


 その問いに答えたのは、ロゼではなく、興味がないと言っていたフランであった。

 彼女は、どこか拗ねた子供のようにそっぽを向いて、ぽつりと呟く。


「……ディア様はお優しいから、貴女のような方でも手を差し伸べてしまうのですよ」

「ええ。とてもお優しい方です」


 それだけ言葉を交わして、二人はこれ以上話すことはなかった。

 だが、初めの頃とは違い、三度目の静寂に重苦しさはない。

 肩の荷が下りたロゼは熱のこもった息を吐き出し、限界だと大きくお湯をかき分け飛び出した。

 茹で上がるは馬鹿共がー!

 心の中で悪態を付きつつ、ふらふらな足取りで冷たい空気を求めて歩いた。 



 どうにかこうに浴場から脱出できたロゼは、借り受けた寝間着姿で、綺麗に磨かれた石造りの廊下を歩いていた。

 顔は赤く、のぼせ気味の身体には、少々冷たく感じる廊下の空気が心地良い。

 夢心地のような気分で覚束ない足取りのままゆっくり歩いていると、向かい側からロゼとは対象的にしっかりとした足取りのディアが近付いてくる。


「ディア」

「ロゼですか。顔が赤いようですが、体調を崩しましたか?」

「違うわよ。少し長湯し過ぎてしまっただけ」


 ぱたぱたと手で風を送り、火照った身体を少しでも冷ます。


「長湯……ああ、風呂というものですか。暖かい湯で身体を清めるという習慣がなかったので分かりませんでした」


 馬を見たことがないと口にした時にも感じたが、ディアは教養があるようで、どこか一般的な常識に疎い。ただ、単語と意味は知識として把握している。

 野生児というには理性的であり、常識人とするにはズレがある。

 なんとも不思議な生き物だと、虚ろな瞳でディアを見る。


「普段は水?」

「ええ。温める意味もありませんので。ただ、少し楽しみではあります」


 その声音には言葉の通り期待が含まれており、おもちゃを与えられた子供のようでもあった。

 そんな一面もあるのだと目を丸くし、思わず頬が緩んでしまう。


「ふふ。そう。貴方の価値観が変わるかもしれないわね」

「そうあることを期待します」


 足早に去っていくディアとすれ違い、ぼーっとしながら数歩足を進めてはたと止まる。

 お風呂……楽しみ…………期待…………男女共用…………………………今から?

 のぼせた頭で繋ぎ合わせ、状況と照らし合わせる。

 嫌な予感がして振り返るも、ディアの姿は既になく。


「…………あー」


 色々と察して声を漏らすと、


『――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!?』



 浴場から声になっていない女性達の甲高い悲鳴が響き渡った。

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