第12話 浴場にて

「…………寝そう」


 小さな呟きが浴室内に響く。

 広い風呂で暖かな湯に浸かるロゼは、これまでの疲れを癒すように強張った身体を緩めている。

 身も心も気を抜いているロゼがいるのは、ザンクトゥヘレとの国境沿いにあるアルハイル辺境伯の屋敷だ。

 始めはアルハイル領の砦に泊まる予定だったのだが、ザンクトゥヘレに接する土地故か、軍事力にあまり力を入れておらず、あるのは砦というにはお粗末な小さな石造りの建物だ。

 騎士団を一部野営させたり、空き家を利用するにしても寝床は足りず、だからといって令嬢達を粗末な場所で寝させるわけにもいかず、アルハイル辺境伯の屋敷でお世話になることとなったのだ。

 辺境伯というわりにお金はないのか、屋敷は大分古くなっており、石壁が一部剥がれていたりした。ただ、手入れは行き届いており、王女の目があるとはいえ、突然訪れたロゼ達を快く受け入れてくれたアルハイル辺境伯には感謝しかない。

 元より、昨日までは岩肌に囲まれた洞窟内で寝ていたのだ。敵のいない屋敷で、ベッドがあるだけでもありがたい。

 なにより、広々とした浴場はなかなかのもので、今はこれだけで十分だ。


「今頃ディアは、乗馬の訓練かしら」


 ここにはいない(いたら大問題だ)ディアを思い浮かべ、今日決まったレヴォルグ対策について思案する。

 結果だけ言うのであれば、ディアがレヴォルグを倒す、という単純明快な作戦で決定した。もちろん、これを立案したのはネーヴィスだ。

 当然、ヴェッテ騎士団長を筆頭に反対意見がほとんどで、このまま軍団を引き返して、城を取り返すというのが大半の者の意見であった。

 ただ、それをネーヴィスが却下した。理由は二つ。

 一つ目は、進軍の遅さ。

 一部の部隊ならともかく、今回令嬢救出に出動したのは五百を超える軍だ。それも、補給部隊を差し引いた数だ。実際にはもっと多い。

 馬とて数日掛かる。それが軍ともなれば十数日掛かるのは必定。

 その間に、城だけでなく王都がどのようになるか。

 二つ目は、戦力の問題だ。

 そもそも、貴族令嬢救出の為、王都から戦力を出したとはいえ、王城にも十分な防衛戦力は残していた。それがこうもあっさり破られた時点で、この場にいる騎士団が王城に戻ったからといって、勝てるかは怪しい。

 だからこそ、ネーヴィスは現状唯一レヴォルグに対抗できるディアと数人を先行させて、王城を取り戻す作戦を提案した。

 結局、譲らぬネーヴィスに根負けしたヴェッテが、「私に勝てたら」という条件付きで承諾。騎士団長とディアの一騎打ちが行われたわけだが、結果は言わずもがな。

 当然のようにディアが勝利したが、その後ちょっとした問題が発生した。一騎打ちに勝利したディアが、なんでもないようにネーヴィスに言ったのだ。


『私は、馬という生物を見たことがありません』


 これには、作戦を立案したネーヴィス自身、言葉を失っていた。

 そのため、今は作戦の要たるディアにヴェッテが乗馬訓練をしているはずだ。


「普通なら心配するのでしょうけど、ディアなら一回で乗りこなしても不思議ではないのよね」


 だからこそ、ロゼは安心して身体を温めることができるわけで、誘拐されてからこれまで、ディアには感謝してもしきれない。

 ネーヴィス王女殿下がお礼をすると言っていたけど、私の方でも何かしないといけないわよね。

 とはいえ、貴族間で送り合うような宝石や絵画などを送っても喜ぶはずもない。お礼として何をすれば喜んで貰えるのかなかなか悩みどころだ。

 湯舟に浸かりながら悶々と考えていると、浴室へと誰かが入ってくる。


「むっ。まだ誰か入っていなかったのね」


 一人になって気を休めたいからと、遅めの時間にお風呂へ入っているのだが、まだ残っていたようだ。

 元より、ロゼは複数人でお風呂に入ることを好まず、従者であるリタぐらいとしか一緒に入ったことがない。

 故に、どうにも気恥ずかしさがあり、どうしたものかと小さく唸ってしまう。が、そのようなことを言っていられたのも一瞬であった。

 浴場へ入ってきた者達を見て、頬が引き攣る。対して、入ってきた女性は、にこりと笑ってロゼへと声を掛けてきた。


「こんばんは。ロゼ。ご一緒させて頂きます」

「失礼致します。ベッセンハイト様」


 ネーヴィスとユース。主従コンビは、揃って柔和な微笑みを浮かべてロゼを驚かせた。



 ――王女と入浴って、どういう状況よ。

 逃走を図ろうとしたが「一緒に入りましょう。裸の付き合いというのでしょう?」と、王女に笑顔で誘われては断るに断れない。

 落ち着かない。

 身を竦めながら、ちらりと相手の様子を盗み見る。

 むぅ。大きいわね。二人とも。

 緊張故か、頭があらぬ方向に飛んで行っている気もするが、例え意識がしっかりしていても目から外せそうにない。

 陶磁器のような白い肌に、想像よりも豊な胸元。頬に手を添え、温まるネーヴィスの姿は浴場という場所でありながらも、どこか気品がある。

 そんなネーヴィスの隣で身を湯に鎮めるユースは、圧巻である。大きい。胸の上部が浮かび上がる程に。谷間に湯が溜まるという不可思議な現象に、思わず目を奪われてしまう。なにより、発育の良い身体を濡らした姿は、女性ながらにあてられてしまいそうな色気があった。

 そうして、仲良き主従の艶姿を盗み見た後に、ロゼは自身のなだらかな胸元へと視線を落とす。負けたとは思わない。美しさというのは、その部分で決まるわけではない。

 だが、無作法だとは分かっていても、ロゼは口元を湯につけぶくぶくと湯舟を泡立たせた。

 それからしばらくして、ロゼの気持ちも穏やかになり、静かな時間が流れた。どこからか、水滴の落ちる音が響く。

 先に静寂を打ち破ったのは、ネーヴィスだった。彼女は、ロゼへと真剣な眼差しを向けた。


「ロゼ。ありがとうございました」

「どういった意味でしょうか。ネーヴィス王女殿下」


 突然のお礼に困惑していると、ネーヴィスは優しく微笑む。


「ネーヴィスで構いません。言葉遣いも、普段通りにして下さい」

「ですが……」


 公爵家は王家に次ぐ権力者だ。なにより、互いに家督を継いでいない今、立場としては対等であるともいえる。だからといて、そんな建前を前提に王家の者に対して気軽に接することができるわけもない。

 けれども、王女に懇願と期待が入り混じった眼差しを向けられては、ロゼに否という選択肢は選べない。


「公の場以外、という条件付きなら了承するわ」

「もちろん。それで構いません!」


 どこか素っ気なさすらあったロゼの返答にも、それは嬉しそうに無垢な笑顔を咲かせるネーヴィス。

 同性ながらも、思わずロゼが照れてしまう程に可憐である。

 そんな自身の気持ちを誤魔化すように、ロゼは話を戻す。


「それで、ありがとうというのはどういう意味かしら?」

「捕らわれた皆を導いてくれたことです。他の令嬢達が口を揃えて言っていましたよ? フラウノイン様のおかげで、助かることができた、と」


 ああ、と納得する一方、そのお礼を受け取るわけにはいかないと否定する。


「……助かったのは私ではなく、ディアのお陰よ」


 事実、ロゼがやったことなど高が知れている。今こうして、無事に皆が帰ってこれたのはディアのおかげだ。その功績を無視して、自身が称賛されるなどあってはならない。

 そんなロゼの気持ちを知ってか、ネーヴィスは言葉を重ねた。


「それでも、心の支えとなったのはロゼでしょう? だからこそ、私は王女としてお礼を言い、称えもします。よく皆をまとめてくれました。誰一人欠けることなく助かったのは、貴女の頑張りがあったからです」

「……………………そう」


 これ以上否定するのはそれこそ無粋と判断し、お礼を受け取ったと短く返答する。

 王女に対して無礼な態度であろうが、ネーヴィスはロゼへと顔を向けてにこにこしている。完全に相手のペースに飲まれていた。

 この空気は良くないと、公爵家令嬢として培われた判断力で、話題を切り替えていく。


「そんなことよりも――」


 話だそうとしたところで、新たな人影が浴室に入ってくる。

 今度は誰かと視線を向ければ、ロゼ達を見て心底嫌そうに顔を歪めるフランと目があった。


「――ちっ」


 彼女はこちらを一目確認し、はっきりと舌打ちをして立ち去ろうとする。

 失礼千万。目に余る態度に、虐めてやろうとロゼが決意するも、ネーヴィスの一言によって止められる。


「待ってください。フラン・メシュタル」


 その呼び掛けに足を止めたフランは振り返り、剣呑な色を瞳に宿す。


「メシュタルなどと呼ばないで頂けますか? 私はもう貴族ではありません。ただのフランです。その意味を貴女が理解していないとは言わせませんよ? ネーヴィス・フラウノイン第二王女」


 フランの言葉を受け、ロゼは一つ納得する。

 フラウノイン王国の姓は、基本的に貴族しか持たない。また、貴族の姓は治める領に由来し、ロゼであれば、ベッセンハイト領を治める家故に、ロゼ・ベッセンハイトとなる。

 フランが元伯爵家令嬢というのであれば、貴族でない彼女に姓はない。

 ネーヴィスもそれを察したのであろう。素直に謝罪を口にする。


「そうですね。申し訳ありません。確かに失礼でした。ですが、フラン。直ぐに出ていくこともないでしょう?」

「貴女と入浴なんて虫唾が走ります」

「そう言わず。それに、汚れた身体のまま、再びディアの前に立つのですか?」

「…………ふん」


 ディアを出されては引き下がれないのか、不機嫌そうに鼻を鳴らしながらもフランは出ていくことを止めた。

 ディアの時といい、フランの時といい。この王女は相手を丸め込むのが上手い。相手の性質を知る故なのかはロゼには分からないが、そこに王女らしさを感じた。

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