平常任務

 未知の機巧の設計者と思しき、村田晋作なる人物について進展があった。黒猫が作成した似顔絵をスキャンし、政府が持つあらゆるデータと照合したのだ。結果、その名と似顔絵の顔を持つ者は存在しなかった。

 すなわち、全国民の中に村田晋作は存在しないということになる。この時代は全ての国民はデータによって管理されており、顔写真まで戸籍に登録されている。整形手術も現代よりも遥かに簡単になっており利用者も多いが、整形手術後は顔写真の再登録が義務付けられている。その登録無しに手術を受けることは出来ない。可能性があるとすれば、平賀博士が着想した、

「サクマミレニアムの社内で手術を行ったのではないだろうか」

 ということであろう。なるほど、サクマミレニアムは医療系生体機巧が本来の専門であるから、それに社内で手術を行わせるというのも不可能ではないであろう。つまり、

「村田は、緒方である可能性がある」

 ということである。特公行としても、機密を持ち逃げした緒方を見逃しておくわけにはいかない。未知の機巧の出現を受けて組織内に設置された対策委員会でも、その可能性についての検証が始まった。


 始まったところで、平賀博士は、部長室に呼び出された。部長、すなわちこの特公行の最高責任者である。

「平賀です」

 断ってから、入室した。六十前の部長が、革張りの椅子に腰掛けている。

「平賀君。済まないね、忙しいのに」

「いえ。それで、ご用件は?」

 部長は、ため息をひとつついた。

「村田という男についての調査が、始まった」

「ええ、聞いています。黒猫も、引き続きサクマの斎藤と接触をしています」

「そのことなんだがね」

 平賀博士は、部長の顔色から、これから言おうとしていることを察した。

「君は、この件から、手を引きたまえ」

「なぜです」

「対策委員会が、一括して引き受ける。君も、君のも、今後この件には立ち入らなくてもよい」

「その理由を、お教えください」

「落ち着け。気持ちは、分かる」

 平賀博士は、黙った。

「君の気持ちは、分かる。君が、特公行の職員として以上の気持ちで緒方を追っているのも、分かっている。だからこそだ」

 黒猫を呼びたまえ、と部長は言った。二度目で、平賀博士は従った。しばらくして、黒猫が入室してきた。

「黒猫。指令の更新がある」

「承ります、部長」

 部長指令というのは、あらゆる指令の中で最高の効力を発揮する。それを更新するためには、部長自身が行うか、初期化リセットするしかない。

「君は今後、サクマミレニアム社が製造したと思われる新型機巧と、その設計者についてのことを詮索することはない」

「承知致しました。サクマミレニアム社が製造したと思われる新型機巧と、その設計者についての追求を中止します」

 平賀博士は、肩を落とした。黒猫が、それをじっと見ている。

「いいな、平賀君。今後、勝手な動きは許さん。君個人の問題ではないのだ。君個人の感情を満たすために機巧を使うことも許さん。は、家でやってくれ」

「──ご用件は、それだけでしょうか」

「ああ、以上だ」

「失礼します」

 退室してからドックと呼ぶヴォストークの待機所に戻る間も、平賀博士はずっと黙っている。


「博士」

 黒猫が、声をかけてきた。

「なんだ」

「沈黙しておられます。何か、ありましたか」

「いいや、なんでもない」

「そうですか」

「なあ、黒猫」

 平賀博士は、立ち止まった。黒猫も、同じようにした。

「はい、博士」

「考えてくれたか。お前にとって大切なものとは、何かということを」

「回答することが、出来ません。わたしには、人間のような感情はありませんので」

「そうか。いつか分かったら、教えてくれ」

「それが実行できる可能性は、極めて低いと考えます」


 その日、また指令が入った。

 サクマミレニアムとはまた違う企業のマーケティングディレクターを暗殺せよというものである。出動は、黒猫と、火鼠。この二体は特に優秀であった。部長司令は黒猫以外のヴォストークにも下され、それらはまた、平常通りの殺人機械になった。

 ヴォストークは、学習する。触れたもの、関わった事象全ての意味を考え、膨らませ、想像することが出来る。それはプロトコルやアルゴリズムなどという旧世代の言葉では表現出来ないものであった。それゆえ、成長には個体差が出る。


 優秀という意味では、黒猫も火鼠もさほど変わりはない。しかし、黒猫は、火鼠よりも、より思考が複雑で、言葉もより多くの語彙や言い回しを用いることが出来る。二体の差は、おそらく、どれだけ多く人間と関わったかということであろう。

 黒猫は、現在活動しているヴォストークの中で、製造されてから最も古い。単に経験の差ということもあるだろうが、火鼠は、平賀博士とこういう会話をしたり、自由時間を共に過ごしたりしたことはない。おそらく、人間でいうところの感情のようなものを黒猫が火鼠よりも複雑に持つのは、そのためであろう。部長がまずはじめに黒猫にサクマの追求中止の司令を与えたのは、黒猫という機巧の思考が、このところ爆発的に複雑化しているためである。

「気を付けてな」

 平賀博士は、そう言って二体の機巧を見送った。黒猫は、黙って頷き、ケプラー繊維のベストとハンドガン、コンバットナイフと前腕ほどの長さの剣二本を装備し、出動していった。



 標的は、繁華街の飲食店にいる。着飾った女性に囲まれながら、上機嫌で酒を飲んでいる。極端な経済格差のために、低所得者層はこういう場で飲食をすることは出来ない。彼らの収入の半月分か下手をすれば一ヶ月分くらいの金額を一回の飲食で支払うことになるのだ。黒猫と火鼠は、白々しい明かりのともり続ける夜の中、路地の影に潜み、標的をじっと待っている。

 待機モードでは消費する酸素も排出する熱も極めて少なくなるが、それでも吐く息は白い。それが何度生まれ、何度消えたが分からないが、深夜零時を回ってから、標的は飲食店から出てきた。


 戦闘モードに入った黒猫と火鼠が、音もなく動き始める。標的以外にも、二人の女が一緒である。

 生体反応なし。機巧である。九ミリハンドガン、コンバットナイフで武装。

 護衛として付けられた、ヴォストークである可能性が高い。

 一定の距離を保ちながら尾行し、やがて人気のない路地にさしかかったとき、一気に、間を詰めた。

 二体の機巧が、振り返る。

 黒猫と火鼠が、揃って発砲する。敵の機巧は標的の前に出てその弾丸を受け、守った。

 標的はあっと声を上げ、路地の奥へと駆け去って行った。

 逃すわけにはいかない。黒猫と火鼠が、弾丸を防御しながら道を塞ぐ機巧を排除しようとする。

 十六発の九ミリ弾を撃ち尽くし、太腿のホルダーから剣を抜いた。地すれすれに姿勢を低くしたまま駆け、接近戦に持ち込む。

 二体が応じようと、守りの構えを解いた。

 路地は、狭い。黒猫と火鼠が揃って敵に近付いては、剣を振るうことが出来ない。

 黒猫。

 地を蹴り、そのまま、両手の剣を放り上げた。

 建物の外壁を蹴り、そのまま姿勢を逆さにし、舞い上がる。敵の機巧は、一瞬、前方から突進を続ける火鼠と、武器を捨てて飛び上がった黒猫への対処についての判断をしたことであろう。

 黒猫は空中でハンドガンを再びホルスターから抜き、弾倉を捨て、再装填マガジンチェンジをした。一瞬のことである。

 逆さになったまま、眼下には、敵の機巧。

 それに、照準を合わせる。

 発砲。

 脳天から弾丸を受けた一体が、沈黙した。もう一体には、火鼠が襲いかかっている。コンバットナイフ一本で、火鼠の振るう二本の戦闘用短剣を辛うじて凌いでいる。

 火鼠が、にわかに姿勢を低くした。黒猫が、同時に敵の背後に着地する。

 握ったハンドガンを、敵の後頭部に向ける。戦闘訓練の内容を、また再生する。

「──終わりだ」

 発砲。マガジンを外し、排莢。それぞれ、ホルスターとベストのマガジンホルダーへ。落下してきた二本の剣を両手で受け取り、それも太腿へ。崩れ落ちる敵の向こうの火鼠と目を合わせ、互いに頷いた。


 標的は逃げた。沈黙した敵の機巧は、やむを得ず放置した。 戦闘訓練を積んでいた。紛れもなく、強襲型ヴォストークである。その技術を持つのはサクマミレニアムと政府のみであるはずであるが、最近は、その二者以外でもヴォストークを保有していることがある。おそらく、サクマミレニアムが秘密裏に販売しているのであろう。ヴォストークを相手にするようになってから、政府側のそれの損害は圧倒的に増えた。やはり、凄まじい戦闘力を持っているのだ。今回は、たまたま黒猫も火鼠も無事であったが。


 しかし、この任務の標的は、人間である。すぐに黒猫と火鼠に発見され、殺害された。死ぬ前に、標的は、黒猫に言った。

「助けてくれ。俺には、家族がいる。三歳になる娘も。今俺が死んだら、あいつらは、どうやって──」

 黒猫の瞳が、それを見下ろした。見下ろしながら黙って剣を抜き、喉を素早く斬り払った。

 赤い水溜りを踏みながら、黒猫は帰還すべく来た道を戻った。



 ──家族?

 人間にとって、たいせつなもの。

 それがあれば、どうなるの?

 それを失えば、どうなるの?

 博士は、悲しそうだった。

 では、この標的の家族は?

 わからない。わからないけれど、この標的には、家族がいた。

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