第34話 Nikolaschka

 戸辺さんはいつもどおり紺のスーツ姿だけど、平井お嬢様は萌え、燃えるような真っ赤なドレスに真っ赤なリボンだ。女の私でさえちょっと見とれてしまう

 カウンター席から立ち上がった平井お嬢様と戸辺さんは、私に向かってお辞儀をする。


「先日はうちの戸辺が青田様にご迷惑おかけしましたことをお詫び申し上げます」

「あ、大丈夫です。気にしていませんから」

 平井お嬢様がチラッと戸辺さんを見ると、戸辺さんは紙袋を差し出してきた。

 手に持つと、おっと、ちょっと重いな。


「クリーニングしたウェイトレスの衣装とお詫びの品です。どうぞお受け取り下さい」

 中をのぞくとビニールに包まれた衣装の他に、菓子折みたいなものが入っている。

 まさか上げ底の下は『黄金色こがねいろのモナカ』じゃないでしょうね? もしそうならうれしいな。

 

 戸辺さんが残念そうに

「織音様のシフトを確認して本日お伺いしようとルンルン気分で事務所を出たところ、不覚にもお嬢様に見つかってしまい、問い詰められてこのような事態になってしまいました」


「瑠夏がこのアパートに住んでいるのは聞いていたけど、まさかその下のバーで働いているとは聞いていなかったわ。全く、油断も隙もない」


「お嬢様が知りたがっていたのは『織音様の居場所』であって、『勤務地』ではなかったのでご報告しなかっただけです」

 この二人、どう見てもお嬢様と秘書の関係には思えないんだけど……。  


 織音さんが冷や汗を垂らすように

「ま、まぁまぁ、立ち話も何ですのでお二人ともおかけになって下さい。あ、青田さんもどうぞ」

「戸辺の不始末のお詫びにご馳走致しますわ」

「ありがとうございます。頂きます」


 カウンターの一番奥から平井お嬢様、戸辺さん、空けるのは失礼だから戸辺さんの隣に座った。

 う~ん、あんな事があったから、戸辺さんの体を妙に意識してしまう。

 今日は平井お嬢様がいらっしゃるから、ウチのお嬢様マルゲリータが暴走しなければいいけど……。


 今日のシフトは織音さんと、厨房の奥に隼さんか。ここへ来た当初は三人でやっていたけど、織音さんが慣れてきたから二人で回しているのかな?

 それとも……あまり売り上げがかんばしくないからかな……。

 この前、戸辺さんがグデングデンになった日は、過去最高の売り上げだって白鳥さんが喜んでいたし……。


「まぁいいわ。せっかくだから瑠夏。”私の為に”何か作ってちょうだい」

「かしこまりました。こちらがメニューとなっております」

 接客モードのちょっと渋めの声に、平井お嬢様の目がちょっと見開いた。いいぞいいぞ、織音さん!


「ふん! 格好だけはさまになっているわね。そうねぇ……『ニコラシカ』を頂けるかしら?」

「ニコ……ラシカですか? 申し訳ありません。当店にはそのようなお酒は……」


「瑠夏、お酒じゃなくて『カクテル』よ」

「カ……カクテル、ですか?」

 織音さんがオロオロしている。さては平井お嬢様、無理難題を押しつけたな。


 奥から隼さんが出てきた。

「失礼しましたお客様。ニコラシカでございますね。当店はブランデーにレ○ー、ヘ○シー、カ○ュと取りそろえておりますが、いかが致しますか?」

「そうねぇ、せっかく来たからヘ○シーベースでお願いできる? 三人……いや四人分ね」

「かしこまりました。少々お待ち下さい」

 四人分? 私たち以外にお客さんはいないし、お嬢様が二杯飲むのかな?


 隼さんは小ぶりのグラスを四つ並べると、ブランデーを注ぎ始めた。注ぎ方が綺麗だ。ワインを注ぐレストランのウェイターさんみたい。

 そんな隼さんの仕草を、平井お嬢様は妖しい笑みを浮かべながら眺めている。

 あれ? そういえばカクテルならシャカシャカしないのかな?


 そのあと冷蔵庫からレモンを取り出すと輪切りにして……グラスの上にフタをするように置いたぁ?

 その上から砂糖を公園の砂場みたいに山にして、私たちの前へ置いたよ。

 え? え? どうやって飲むぉこれぇ!? 小皿も一緒に置かれたけど、これを使うのかな?


「最後の一つは瑠夏に渡してちょうだい」

「かしこまりました。カルラ、お客様からだ。ありがたく頂けよ」

「は、はい。平井様、ありがとうございます」

 グラスを渡された織音さん、すごいオロオロしている。


「さぁ瑠夏。青田さんがどうやって飲むか困っていらっしゃるわ。まず貴方がお手本で飲んでみせてちょうだい」

「カルラ、お客様のご要望にお応えしろ」

 隼さんの唇がちょっとつり上がっている。い、いじわるだなぁ。


「は、はい、い、頂きます」

 織音さんは砂糖の山を包むようにレモンを持つと丸呑みして、そのあとお酒を一気に流し込んでレモンごと食べるように飲みこんだ。

「……ふぅ。平井様。ごちそうさまでした」

「上出来よ瑠夏。初めてなのによくできたわねぇ、エライエライ」

 平井お嬢様は子供をめるように織音さんに向かって拍手している。

 あ、アレでいいのかぁ?  

「カルラ、よくやったな。お客様もお喜びだ」

「は、はい、ありがとうございます。これでよかったんでしょうか?」


 戸辺さんはグラスをじっと眺めたあと、隼さんの名札をチラッと見た。

「ハヤブサ様、織音様のあんな飲み方でよろしいんでしょうか?」

 平井お嬢様に聞かず隼さんに尋ねるとは。この前も白鳥さんと談笑していたし、戸辺さん、結構面食いなんだな。


「ハイ、ニコラシカは『お客様のお口の中で作るカクテル』です」

「「へぇ~」」

 戸辺さんと私が同時にハモった。


「カルラみたいに皮ごと食べると渋味がありますので、半分に折り曲げて果肉だけ食べる方法もあります。砂糖が多すぎるとお思いでしたら、そちらの小皿へ落として下さい。食べ終わった皮もそちらへどうぞ」 

「「へぇ~」」

 またまたハモってしまった。


 私たちがハモっている横で平井お嬢様は半分に折ったレモンを口に含むと、一気にブランデーを流し込んで、頬を動かしながらゆっくりと飲み込んだ。


「ふぅ、これはグラニュー糖ね」

「左様でございます。日本では上白糖が一般的ですが、当店では欧州にならいましてグラニュー糖を使っております」

「素敵だったわ」

「ありがとうございます」

 はぁ~。なんか大人の会話。これがお嬢様なのかぁ~。


 戸辺さんもレモンに手を掛けた。わ、私だって大人の女だからぁ~。

 折り曲げたレモンにかぶりついて、すっぱい! ブランデーを一気に……モキュモキュ……ゴックン!

「「ンッ! ゴホン! ゴホン!」」

 せきまで戸辺さんとハモっちゃったよ。


「青田様、戸辺様、お水チェイサーをどうぞ」

 まるで準備していたかのように、隼さんが水だけのグラスを置いてくれた。ううぅ~意地悪だぁ。


『あらあらはしたない。マリーはともかく、下賤の女マルゲリータには背伸びが過ぎたかしらねぇ』


 でたよマティルデお嬢様。お願いだからお店の中で暴れないでね。

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