第31話 Margarita

 私は先生方から言われたことを皆さんに説明した。

 夜はこの店を自由に使ってもよいと。

 何かするにあたり、多少、お金を出す用意もあると。


「どこの馬の骨ともわからない、ふがいない俺たちの為に、マダム達はよくしてくれる。いつかは恩を返したいものだ……」

 隼さんの言葉にみんなは無言でうなずいた。


「そういえば、今日は織音さんはどちらに?」

 聞きにくかったけど、聞かなければならない。


 白鳥さんが答えてくれた。

「どこか食事にでも行っているんじゃない? 今日だって四人で示し合わせて集まったからね。バーのシフトはちゃんと入っているけど、基本、私たちってお互いあまり干渉しないたちだから」


 目黒さんがニヤケながら

「だから織音と真里ちゃんがチチクリあっているのさえ、俺たちはなかなか気がつかなかったからなぁ~」

「……そうですか。え? ち! 乳繰りあってなんかいません!」


「隼の言ったとおり、本当、わかりやすいでやんの!」

「め、目黒さん! からかわないで下さい」


 乾さんが重い声で

「織音には我らから話そう。青田殿とマルゲリータ嬢の問題でもあるが、店の問題でもある。このままではいけないと我ら全員考えておったが、いい機会だ。男同士、いずれ腹を割って話し合おうと思っていたところだ」

「そうですか、よろしくお願い致します。私の名前は出してもかまいません」

「かたじけない」


 目黒さんが親指を立てながら

「安心しな! 悪いようにはしないぜ!」

 こうしてその夜は解散となった。


 数日後、織音さんのシフトの日。私は久しぶりにバーへ足を運んだ。

 もう一人は白鳥さんだった。


「青田さん、いろいろとご心配をおかけしました」

 カウンター越しの織音さんの顔はちょっと憔悴しょうすいしていた。

「大丈夫ですか? 元気がないような?」

「ああ、ご心配なく。皆様が色々とアイデアを出してくれまして、あれこれ検討しているだけですから」


 織音さんは顔を近づけて、そのアイデアってのをささやいてくれた。

 顔をなでる男性の香り。なんか安心する。

 私って匂いフェチだったのかな。


「白鳥さんはエンタメ喫茶って言ってました。ここにはカラオケ用のちょっとした舞台がありますから、僕たちが何か出し物をして、今流行の動画配信をやったらどうかと……」

「へぇ」


「目黒さんはそれこそ『ボイジェンカフェ』に対抗して、ライブハウスみたいに、僕たちみんなが歌や踊りを披露すると……」

「はぁ」


「乾さんはいっそ和風茶屋はどうかと……」

「……はぁ」


「隼さんは……」

「はい」

「『俺は与えられた仕事は精一杯やる』とだけ……」

「そうですか」

 織音さん、別の意味で憔悴しそう。大丈夫かな。


「もし青田さん、そしてマルゲリータさんにも何かアイデアがあれば、ぜひ教えて下さい」

 すがるように尋ねてくる織音さん。


「織音さんの考えていた女性専用のお店はいいと思うんです。私も会社員時代、女性一人が寄れるお店があまりなかったですし。せいぜいチェーン店のコーヒー店とかファーストフードのお店とかファミレスぐらいですかね。あとはどうしても男性のいる居酒屋やバーになりますから」

 だからといって、夜遅くまでやっていた同人誌のお店へ足繁あししげく通っていたことは黙っていよう。


(あらどうして? 大罪の書カフェなんかおもしろそうなのに?)

”著作権の問題もあるし、ああいうのは一人でこっそりとでるものなのよ”

(あらそう? 私は公衆の面前で、《自分の体を愛でても》かまわないのに……フフフ)

”あたしがかまうのよ!”


 おっと危ない。危うく一人で怒鳴りつけるところだった。

 織音さんへ集中しよう。


「最近は一人焼き肉のお店とかも流行っているみたいですし、そちらの方向で何かないかな~とは考えてはいるんですけど……」

「なるほど、『女性のお一人様向け』ですか……。ありがとうございます! やっぱり女性の意見は参考になりますよ」

 役に立つ意見は言っていないのに、織音さんの顔に少し血の気が戻る。

 男性陣からのアイデアが、あれ以上にひどいものなのかな……。


”チリンチリン!”

 珍しい、お客様だ。


「いらっしゃいませ……」

「いらっしゃいま……せ」

 白鳥さんの顔が一瞬曇り、織音さん、私の顔が少し驚く。

 店に入ってきたのは、あの時と同じ紺のスーツを召した、戸辺さんだった。


 戸辺さんは織音さんと私に向かって軽くお辞儀をした。

「織音様、青田様。先日はありがとうございました。平井も口ではああ申しておりましたが、日頃のストレス発散と、織音様の行方の懸念がなくなり、あの日以来、息災に過ごしております」


「そうですか。ご心配をおかけしました。先日の日曜日、戸辺さんは不在でしたが事務所の方へ挨拶に伺いました」

 織音さん、この前の日曜日はお嬢様のいる事務所を訪ねていたのか。


「そうだったんですか? 平井は特になにも……チッ」

 え? え? 今、何か舌打ちが聞こえたよ!


 戸辺さん、今度は白鳥さんへ向き直ってお辞儀をする。

「貴店の身辺を騒がしてしまって、誠に申し訳ありませんでした」

「平井様からお詫びがあったとわたくしどもの店長よりうかがっております。詳しい事情は織音から聞きました。どうぞお気になさらずに」


「ありがとうございます。せっかくですので何か頂きます。あ、今日は仕事も終わり完全にプライベートですので、なにをどうとかはありません」

 戸辺さんの顔が、事務員から女性の顔へと柔らかくなり、私の隣……ではなく一つ椅子を空けて座った。


「ありがとうございます。こちらがメニューとなっております」

 白鳥さんの細い指が、ラミネートされた真新しいメニューを運んでくる。

「そうですね……」

 迷っている戸辺さん。ん? 私をチラッと見た。


「青田様に敬意を表して、『マルガリータ』をお願いします」

 マル”ガ”リータ? お嬢様はマル”ゲ”リータだよね。そういえばここに来るといつもスクリュードライバーしか頼んでいないから、メニューなんてろくに見ていなかったな。


「かしこまりました」

 白鳥さんは胸の手を当て軽く礼をすると、すぐさま準備に取りかかった。

「織音さん、マルガリータってどんなお酒ですか?」

「テキーラベースのカクテルですよ」

「テキーラって、結構きついお酒じゃ? あの戸辺さん、大丈夫ですか?」


「ご安心を。支援者の方々に付き合わされて、それなりの場数は踏んでおります」

 私も前の会社の宴会とかに出席したけど、あれってなにが楽しいんだろうね。

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