第一章 Les Femme fatale(運命の令嬢)

第6話 Fan Non-Fiction Novels

『女性向け同人誌即売会』


 それは生まれも育ちも、社会的立場から年齢まで、すべての壁を取り払った淑女のつどい。


 参加者は互いに絶対不可侵の淑女協定を結び、オフィス長机という舞台の上で繰り広げられる怠惰で淫猥、背徳で倒錯的な同人誌という名の歌劇に熱狂する、唯一無二の憩いの場所。

 推し作者様である堕天使から授けられる、禁断の果実の味付けがされた

”推しキャラ”

”推しシチュ”

”推し組み合わせ”

を堪能する為、淑女達はさながら雌豹めひょうのように、その眼を輝かせる。


 今宵こよい、”自らの指”や、神からの掟注意事項を破り、”ふしだらなマッサージ”で呼び込むであろう体の火照り、淫らな快感を妄想し、その唇と舌を今から湿らせる、淫欲に取りかれた雌達。


 《青田真里奈あおたまりな》。

 そう、この私もふしだらな淫欲に取り憑かれた女の一人。

 ある土曜日に行われた、市中心部から南方の、埋め立て地に存在する多目的ホールに入場した私。

 ドーム上の建物の中で行われる、淑女の為の舞踏会。


 この建物とは別にコスプレエリアが存在しており、コスプレイヤーと呼ばれる道化師による、乙女達の”現実リアル”が存在している。

 しかし、淑女が求めうる”モノ”は、妄想でのみたわむれることを目的に造られ描かれた、自分だけのホムンクルス魔法生物


 ここはすべてを忘れることができる。

 過去のトラウマから、現在のストレス、そして、未来への不安に対して……。


 ここはすべてをさらけ出すことができる。

 両親も、姉妹も、友人にさえ口に出すことが許されない、私の性癖を……。


 ここは、すべてを得ることができる。

 この世にはびこる、あらゆる快楽、悦楽、そして、愉悦を……。


 そんな淑女の園即売会舞台裏オフィス机に、一人座る彼。

 見た目はアラサー、もしかしたらアラフォーなのか、決めかねないおもむき。


 くしを入れただけの黒髪に、やや痩せこけた顔。色白に分類されるその顔は、年齢を通り越してギムナジウムで日々勉学に励む、はかないい青年をも感じさせた。


 彼の前を通り過ぎる幾人かの乙女や淑女は、ギムナジウムの寮の部屋からリネン室、屋根裏から校舎裏の木の下で、彼と上級生、下級生、同級生、そして教職員と戯れる痴態を妄想したのだろう。


 彼が劣情を”もよおす”のか?

 そして、いつの間にか”組み伏せられる”のか?


 彼が痴情を”受け入れる”のか?

 それとも仮面をはぎ、”堕天使の本性”をせるのか?


 でも、結末はすべて同じ。

 神の命令、種の存続、そして、女達の願いをも逆らって放たれる、自らの生きる意味と、相手へのやるせない想いへのあかし


 自分の劣情を、キャンパスである相手の肉体めがけてき殴る、情熱の証。

 もちろんそれは”複数へ”も”複数から”でもかまわない。


 そんな禁断の果実を食す淑女を咎める権利は、神ですら持っていない。

 だって、ここではあらゆる妄想が許されている地獄ゲヘナなのだから。


 彼が座る長机には拡大コピーしたポスターやきらびやかなPOPもなく、ただコピー本と呼ばれる、コピーした紙を折り、ホチキスで留めただけの簡素な舞台装置が鎮座していた。


 たとえ淑女の園であろうが、男は珍しくない。

 真っ先に思いつくのが、この宴になくてはならない作者様。

 淑女からの欲望を満足させるキャラを、自らの妄想力と画力で”調教”し、淑女達にお披露目して下さる、淫魔に取り憑かれた堕天使達。


 もう一つは、作者様の元で働くアシスタントさん。

 これには売り子という商人をも含まれる。


 中には作者様の友人、知人、恋人、夫の可能性も捨てきれないが、ここは淑女の宴。

 作者様の身辺を詮索せんさくしプライベートを侵すことは最大の禁忌タブーである。


 そう、作者様はとても儚く、デリケートな存在。

 ほんの少し触れただけでも、原稿という花びらが散ってしまう。

 ゆえに遠くから愛でる御方。


 でも淑女達の嗅覚は、彼をそのどちらでもないと結論づける。

 まず最初に、その出で立ち。

 彼は舞台衣装のような漆黒の貴族服を身にまとっていた。

 売り子でコスプレも珍しくない。売り子として、少しでも売る努力は惜しまないのである。


 しかし、彼の衣装についても、淑女達はどちらでもないと認識する。

 まるで今まで博物館に飾ってあったような、古ぼけた、それでいて、きちんと手入れはされている、そんなおもむきのあるたたずまい。

 淑女と名乗っているが、しょせん、一般人パンピーに淑女の仮面を被っただけの女達。


 ”本物”を漂わせる彼には両隣のブースの参加者どころか古参の《貴腐人きふじん》、いや、淑女の女王的な存在である《御超腐人おちょうふじん》ですら、彼には近づけないでいた。


 でも私は違った。

 彼に近づきたい。彼と話したい。

 彼と……触れあいたい。

 そんな欲望が、もう一人の自分、いいえ、


”もう一人の、別の魂”


から、まるで間欠泉のように心の奥底から噴き上がってくる。

 私の体は彼の元へ歩んだ。そう、誰かに操られるように……。


せてもらってもよろしいかしら?』


 生まれて初めて話す自分でない口調が、私の体内から、そして耳から聞こえてきた。

 眠そうな眼で顔を上げた彼は、限界までまぶたを開き、まるで熱湯に突っ込んだ温度計のように、その顔を紅く染め上げていた。


 初心うぶと呼ぶには違う、使い古された表現で例えると、ようやく巡り会った、運命の令嬢ひと

「あ、どうぞ」

 顔とは裏腹な、わずかに微笑みのハーブを含んだ声で、彼は私に手の平を向けた。


『ありがとう』

 一昔前の少女漫画に出てくるご令嬢が表紙の冊子。

 彼が書いたのだろうか? 彫刻刀で彫ったような線だが、どことなく暖かみを感じるイラスト。 


 付箋紙に『みほん』とひらがなで書かれた表紙をゆっくりと開く。

 まだ暖かい。彼のぬくもりか、コピー機の熱か、そんなことはどうでもよかった。  


(小説?)


 ぱらぱらめくると思いの外、イラストがふんだんに使われていた。

 左ページに小説。右ページにイラストと。

 文章も縦書きで、それこそ石版に刻み込むような、拙くも想いを込めた感がある。


 しかし、この文章が一時的に私が私を取り戻すきっかけとなる。

 もっと読みたいと願う”別の魂”を組み伏せ、私は冊子を机に叩きつけると、大声で怒鳴りつけた!


『なんで台詞セリフも地の文も! エセ名古屋弁なのよぉ!!』 

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