ファイナル・ファンタジー

スマブラやるか?

夜の帳が下りた六郷家の廊下は、夕日の熱をわずかに残しながらも、既に冷え冷えとした静寂を放っている。


僕、すなわち六郷夜介は、既に戦闘の行われた並行世界リバースから現実世界に戻っている。色を取り戻した世界は、しかしその代償のように温度を失ってゆく。


僕はユリ――花さんとその妹である小春をおいて、かつて【研究室】として使われていた大部屋の前に立っていた。すべてがあの夏のままである。いや……実際のところ、僕にとって、あの夏はまだ終わっていないのかも知れない。だからこそ僕はこの「ゲーム」を続けて、そして、エンディングを迎えなければならないのだ。


――


現実を面白がる思考のどこかに、その単語がこびり付いて剥がせない。


僕はゆっくりと、ふすまを開く。


当然のように。最初からそう決まっていたように。白衣を纏った細身の男があぐらをかいて、僕に背を向けて座っていた。握ったコントローラの上で、大きく骨ばった指がせわしなく動いている。


比良坂ひらさかさとし――


時代を感じるブラウン管テレビには、スーパーファミコンの画面が映っている。ぷよぷよ通だ。これは確かに、白黒の並行世界では楽しめないゲームに違いない。


先生は振り返りもせず、あの頃のままの不機嫌そうな口調で呟いた。


「……ふん。やっぱりに来たか」

「こっち?」

「お前が自らのエゴを優先するクソ野郎ということだ」


先生はいったい何連鎖になるのか、ブラウン管の中で連呼される「ばよえ~ん」を眺めながら語る。


「メルトは、屋敷の離れ――ゆかりの部屋にいる。お前はメルトを助けるよりも、俺との決着を付ける方を選んだ」

「そ……んなこと、知るわけないじゃないか」

「いや。お前は、どこかでわかっていたはずだ。それに……」


ぷよぷよ戦が一区切り付いたのか、コントローラをぽいと投げ捨て、先生は座布団の上で半身をよじって僕に顔を向ける。


鋭い目。神経質さを際立てる銀縁のメガネ。不機嫌そうに口を歪めて話す癖。


確かに歳を重ねてはいるが、その表情は驚くほどに記憶の中の「先生」そのままだ。


「俺ならそうする。俺とお前は似ているらしい……クソ忌々しいことにな」


先生は立ち上がり、ギシ、と畳を軋ませながら僕の方に向かってくる。片手は自然な動きで白衣の懐に差し込まれ、そこにある何かを握っている。


――決着を付ける。


先生のその言葉を思い出し、僕は身構えた。緊張による汗が背中を垂れ落ちる。死にかけていたために記憶は曖昧だが、昨夜【ハイゼンベルク】の施設で先生が見せた動きは、あの百合崎花ですら捉えきれていなかった。小春の助けを借りて、だまし打ちでなんとかユリの無力化には成功したが、果たして僕が一対一でかなう相手なのか――


「ユリは殺したのか」

「……してない」


ふん、と鼻で笑う。古ぼけた蛍光灯を反射して、先生の銀の眼鏡が禍々しく光った。


「逃げて来た。そうだろう」

「……違う、僕は」

「違わないな」


先生は僕の言葉を言下に否定する。


「ユリは世界の真実とやらを知りたがった。だから並行世界の成り立ちを、すべてを見せてやった。あとは好きにしろ、と言ってな。それに対するユリの回答があの大暴れというわけだ」

「……花さんは、どうでもよくなったと、そう言ってた」


先生は口を歪める。そこにはいつもの不機嫌に加え、何かを哀れんでいる感情が含まれているようにも見えた。それは僕に対してかも知れないし、百合崎花、彼と並ぶもうひとりの天才を想ってのことかも知れなかった。


「六郷夜介。ユリは、お前をなんと評した?」

「……僕が眼を閉じれば、次へ進める、と。世界の――を抜く必要があると」


僕自身、花さんの語るその言葉の意味は理解していない。それでも先生には通じたらしい。ゆっくりと近付いていた先生は、僕から一畳ほどの距離をおいて立ち止まった。畳が鳴る。


「ふん。お前にとっての世界の栓は、俺ということになるな。だから――」


と、先生は、何かをぽんと投げてよこした。並行世界に移動して【フレーバー】による攻撃が行われる、と警戒していた僕は、不意を付かれ思わずそれを受け取ってしまう。


「……これ」


それは、ゲームだった。ニンテンドー64のカートリッジ。マリオやドンキーコング、ピカチュウの描かれたそれは、僕たちがあの夏に狂ったようにやり込んでいた――


「スマブラやるか?」


先生はニコリともせずに、平坦な口調で、あの夜と同じことを僕に尋ねる。


そして僕は。張り詰められた緊張感と手の中にある紛れもないエンターテインメントとのギャップに、どうすればいいのか混乱した思考は、


「…………やる、よ」


僕は……先生からの遊びの誘いを断ったことなんてなくて、だから今この場に至っても、当時と同じ答えを返す以外の選択肢を思い付きもしなかった。

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