無くすべきは、どれか

ユリは、彼女の足首を弱々しく掴むアザレアを見下ろす。そしてゆっくりと、うつ伏せに倒れ込んだまま動かない妹の前にしゃがみこんだ。その表情は影になっていて、僕の視点から伺い知ることはできない。


アザレアの【ダウン】によって、ユリの【チャーム】の力は封じられている。破壊をもたらしていた彼女の光球は、空間に溶けるように消滅している。


……チャンスだ、と、僕の思考の一部が語る。ユリは無力化されている。いま僕が僕自身の光弾を以て彼女の胸を撃ち抜けば、すべてが終わる。この好機を逃してはならない。


一方で、説明不能の感情がその提案を却下する。殺されかけてるのに? 殺されかけたとしても、だ。


いまの僕は、姉妹ユリとアザレアの間に割って入ることが許されていない傍観者である。


「……小春こはる、痛いの?」


ユリはアザレアの手を撫でながら、僕の知らない名前に問いかける。


その生命の糸をかろうじて繋いでいるらしいアザレアは、うつ伏せたまま、わずかに首を横に振ったような気がした。否定。


ユリは足首にすがりつくアザレアの手をもち、やさしくその小指を外す。


「疲れたの?」


……否定。ユリは、アザレアの薬指を外す。


「悲しいの?」


……少しの後、否定。中指がそっと外される。


「眠いの?」


……首肯。しばらくしてから、それを打ち消すような否定。ユリの手は、慈しみを以てアザレアの人差し指を足首から外す。


「ごめんね……。ごめん」


最後に引っかかっていた親指を外して、ユリは、アザレアの手に口づけをする。

そうして愛しそうに頬擦りしたかと思うと、足首から外されたアザレアの手をそっと地において、土埃と血にまみれた妹の黒髪を撫でる。


そしてユリは、ロングスカートを軽く整えて立ち上がる。


彼女は手を「ピストル」のようにして、うつ伏せに倒れたままのアザレアにその人差し指――を向けた。


アザレアの【ダウン】効果を逃れたユリのフレーバーは、銃口に見立てた彼女の指先に集まり、白く白く輝いてゆく。神々しい光が周囲を照らす。ユリ自身が「レールガン」と呼ぶ、黒盾をも貫通する絶対の殺傷をもたらす光の槍が、姉から妹に向けて放たれようとしていた。


ギリギリまで引き絞られた破壊の前兆に照らされながら、ユリの表情はどこまでも優しい。



――その一瞬で僕の思考は回転する。出来るか出来ないか、ではない。



ひとつ。アザレアを無くす。彼女を消失させることで、ユリの手から放たれる破壊から守る。――却下。ユリの指先から放たれる輝きが、透明になったアザレアの身体を貫かない保証はない。仮に完全に無くすことができたとしても、その後に彼女をもとに戻せるのかどうか、僕には自信がない。


ふたつ。ユリを無くす。僕たちの前に立ちはだかる天才。破壊をもたらす、直接的な脅威である彼女を排除する。――却下。僕には彼女を消し去ることなどできない。それは可能不可能の話ではなく、たとえ可能であったとしても、僕が僕自身の行動を許さないだろうという確信だ。この状況に至ってもなお、僕は彼女に敵意を向けることができない。


(であれば……)


みっつ。ユリからアザレアへ、突きつけられたを無くす。


出来るか出来ないか、ではない。僕が傍観者をやめることが許されるとすれば、それは彼女たちの間を繋ぐ破壊を時だろう。


――ユリの指先から白い光が迸る。


直視することすらままならないその輝きは、もはや彼女の指先から「発射される」という次元の話ではない。指を向けた軌道上に、無限の射程を持つ白い死が顕現するかに見えた。ユリの知る限り、いかに強固な【ダウン】の黒盾を生成しようと、この「レールガン」を防ぐことはできなかった。


(――


僕は手を伸ばして、ユリの指先とアザレアの身体の間の空間に【ボトム】のフレーバーを使う。


初めて使用するその力に迷いはなかった。


空間に、ぽっかりとサッカーボールほどのが空いたように見えた。それは【ダウン】による黒い盾ではなかった。破壊をのではなく、元々存在しなかったように、させるもの。何かがあるのではなく、何もない。その限られた空間においてのみ、完全なるが実現されていた。


ユリの指先から伸びる白い光の槍レールガンは、僕が生み出したに飲み込まれて消失した。


ユリの目は驚きに見開かれ、初めて笑み以外の表情を浮かべて僕を凝視する。


「六郷さん、それ……【ボトム】?」


彼女の疑問など意にも介さず、数瞬の後、黒い穴は跡形もなく消え去った。



◆◆◆◆◆



早すぎる、とユリは考えた。


メルトから六郷夜介に流し込まれた「データ」はある種のだった。ATPI のプロトコルが夜介の神経活動をエミュレートしているが故に可能となる、副次的な効果であった。

一方で、夜介が彼自身の特性フレーバーを習得するために「ズル」はできない。前例があればそこから学ぶことが出来る。しかし前例のないオリジナルを作り上げるためには、それなりの時間を要する。だからこそ、ユリはここまで彼女の優位を疑わずにいたのである。


早すぎる。


「もしかして、あなた――」


ユリの言葉は途切れる。


僕たちの立つ床が、、と音を立てて倒壊したためだ。


……ユリの白い槍をさせたとき、僕は本能的にその破壊のを探した。彼女の放つ目を刺すような輝きは、それを受けた存在に絶対的な死をもたらすものであると僕は理解できた。


まな板から滑り落ちた包丁を何も考えずに空中でキャッチして、偶然刃の方を掴んでしまった時のような。炎に炙られ熱く焼けた石を投げ渡されて、とっさに受け取ってしまった時のような。


だから黒い穴がユリの「レールガン」を飲み込む光景を見た瞬間、僕は「あっ」と思って、破壊をしまったのだ。


先程から僕とユリの光球を受け続けていた建物の強度は、それによって容易に限界を迎える。


「ちょっ――!」


その声は誰のものか。


僕もユリもアザレアも、倒壊する床に巻き込まれて階下へと落ちていった。

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