僕も彼女をユリと呼ぼう

花さん――いや、僕も彼女をユリと呼ぼう。

僕が花さんと呼んできた彼女を……眼の前にいる破壊の化身と、同一視したくない。


それは、駄々をこねる子供のような悪あがきかも知れない。それでも、いくらその弱さを糾弾されようとも、僕はこうして大切な記憶を現実から切り離すことでしかリアリティと対峙することが出来ない。


ユリの動作はひどく緩やかで、そこには微塵も敵意や攻撃性といったものを感じ取ることが出来なかった。他人の視線から隠れて生きてきた僕は、いつの間にか敵意というものにある程度敏感な人間になっていたと思う。それでもユリの動作からは、まったくと言っていいほど敵意それに類するものが感じられない。


存在しない敵意から、死の確信が射出される。


ユリの光球はとても綺麗だった。白黒の世界で輝く彼女の力は、放物線を描いて僕の身体へと吸い込まれてゆく。


緩やかな致死性の光弾。


「――っ!?」


ユリの光球は僕の足元に二度三度と着弾して、爆音とともに床を土塊でいっぱいにした。僕がそれを避けることができたのは決して偶然ではない。むしろ、わざと狙いを外したようにすら思えた。ユリは僕へ破壊の手を差し向けておきながら、すこしも本気のようには見えなかった。


「ちぇっ、外れましたねぇ」


その言葉とはうらはらに、ユリはあどけない微小を浮かべる。こうなると僕には、彼女が僕を殺す気なのか、その実力差でいたぶることが目的なのか、それとも遊んでいるつもりなのか、もう判別がつかなかった。


彼女――百合崎ゆりざきはなは、両手から次々と光球を生成して身体を周回させる。フラフープを二本、両肩から斜めにかけているような光景。白い光弾がひとつひとつ必殺の破壊力を持つことを考えたとき、それは悪夢のような光景にすら思えた。


「六郷さん、防御してみてください。ちゃんと【ダウン】も使えるんでしょう?」


彼女はチュートリアルでもやっているつもりなのか。

それでも僕は、悪夢からこの身を守るために、言われたとおりに【ダウン】の盾を展開するしかない。


ユリは楽しそうにその光の弾帯をじゃらじゃらと弄んだかと思うと、と止める。メダカの群れが石を投げ込まれたように、光球群がぱっと散開する。

その光球群は弧を描いて僕を襲う。衝撃。僕は両手で――黒いその盾は物理的な重さを持つわけではないが、気持ち上の問題である――黒壁を支えてやると、すこし壁の厚みが増したように感じる。僕の防御壁はユリの光弾を押さえ込み、食い尽くすように鎮圧する。


いいですね、とユリの言葉。じゃあ、もっと行きますよ。


僕は黒い盾を、より広く展開する。広く、厚く、そして強く。

ユリの光球はその数を増し、まるで星々が煌めいているように感じた。


星が見えない。と僕は思った。この、僕が愛着を持つ並行世界はとても美しい。なかでも好きなのは空だった。白く晴れた夜の空は、そこにぽつりぽつりと金平糖のような星星をまたたかせる。白黒だけで表現された世界。こんな灰色の狭い建物の中では、何ひとつ、心を震わせるものなど見当たらない。


バシュ、バシュ、と断続的に攻撃を加えていたユリの手が緩む。僕は「……?」と、それを訝しむ時間もない。盾の影から彼女の様子を窺い見た時には、既にユリは両手をと広げるように頭上に掲げながら、踊るようにくるりくるりと回転していた。生み出された光球は、あらゆる方向からホーミングミサイルのように僕を狙う。


全方位攻撃。


黒い盾を全面に貼ることを考える。――棄却。黒い盾はその絶対防御の安心と引き換えに、僕自身の視覚を奪う。光が失われてしまう。だから僕に出来ることは、暗闇に閉じこもることではなく――


「……わお」


ユリの瞳が驚きで彩られる。その瞳には、彼女が放った二倍の数の光球が映っている。

半分は、僕が生成した【チャーム】の光球だ。それらを操って、膨大な数のユリの光球群、そのすべてに対して正確な相殺をやってのけたのである。光が弾け、一瞬の後に、静寂が訪れる。


――おかしい。


疑問。それでも、百合崎花は焦らない。彼女の頭脳は想定外の現実を目にして、速やかに状況分析を開始する。


六郷夜介はつい数時間前に、新しい力フレーバーをまともに使い始めたばかりのはずだ。六郷の血がもたらす恩恵は、あくまで全フレーバーに対する潜在的な適性であり、将来の伸びしろに過ぎない。いくら水の中を泳ぐことに関する天賦の才があったとしても、それこそユリのようなでもなければ、山奥で生まれ育った人間が海を眼にした瞬間に魚のように泳ぎ回れるはずがないのだ。


。時間がかかるはずだからこそ、六郷夜介が力の使い方に習熟していない、今晩の襲撃を強行したというのに。第一世代である【アップ】と【ダウン】の基礎ならまだしも、突然ユリと同等の精度で第二世代【チャーム】のフレーバーをコントロールできるようになる道理はどこにもないはずなのだ。


。まさか。


「それ……の?」

「……」


六郷夜介は冷や汗を浮かべて、存在しない神に突貫工事の成功を感謝した。



◆◆◆◆◆



時は数十分ほど前に遡る。


水仙とアザレアが走り去り、残された僕は一人でただ部屋に佇んでいた。惨めであり、情けなくもあり、悔しかった。この期に及んでも、僕は誰かに守ってもらうしか出来ないのかと。


「……くそ」


その呟きは誰にも聞き届けられないはずであった。


『六郷、夜介さん』

「……!」


突然の声に驚く。宙空から響いたのは、監視システム【メルト】の発する少女のような声であった。

彼女はいつでもそこにいて、すべてを見ている。


『お願いがあります。アザレアを助けて欲しいんです』

「アザレア……さんを?」

『アザレアは、ユリのところへ向かいました。説得を目的とはしていますが、仮にそれが通じなかった場合――アザレアは、殺されてしまうでしょう』

「……」


彼女は僕よりも強いはずだ。現に今日、戦い方を教えてもらっていた。そこに僕が飛び込んだところで、足手まといになるだけではないか。

メルトは、それは違うと否定した。


『私たちはこれまで、ATPI を利用して様々な能力を使い、敵と戦って、勝ったり、負けたりしてきました。私は監視システムとして、ATPI を通じて記録されたデータを保持しています。それをあなたに流し込むことで……強制的に学習させます』


そんな反則技みたいなことが可能なのであれば、最初からそうすればよかったのではないか。


『説明は省きますが、この方法が可能なのはあなただけ、のはずです。当然ながら前例はありませんが』


未だ顔も見たことがないメルトは、真摯そのものの声で僕に懇願する。すべてを見通すシステムである彼女の声色からは、声のトーンから想像する年齢相応の、儚さのようなものも感じられる。純粋に友達アザレアを心配する女の子のような、弱い響き。


「……」

『お願いします。少しでも、彼女の力になってあげてくれませんか』


僕が沈黙していたのは、彼女の懇願に迷いがあったためではない。それ以前の違和感、拭い去りようのない記憶が僕を絡め取っていた。世界から頭の中に直接鳴り響くようなその声は、僕に、ある人のことを想起させていた。


(声が……)


声が、とても似ているんだ。18 年前の夏に消えて、死んだものとして葬式が行われた、僕の従姉妹に。


(……ゆかり姉ちゃんに)


と、言われているような気分になる。自己満足であり自己憐憫であり自己陶酔であることは理解している。それでも、僕はどうしてもその魅惑的な妄想に逆らう事ができない。


「わかった。――やってください」


誰を助けようとしているのか曖昧なまま、半分夢を見るような気分のままに、僕はそう答えていた。


『……ありがとうございます。ちょっと処理が重いので痛みがありますが……、耐えて』

「――っ!?」


メルトの言葉とともに、偏頭痛をさらに鋭くしたような重い衝撃が僕の頭を襲う。

――痛い。

脳自体には、痛覚神経が通っていないという。だから頭痛というのは脳が痛みを感じているのではなく、拡張した脳の血管が周辺の神経を圧迫しているのだと、聞いたことがある。……そうした豆知識を思い浮かべないといけない程度には、なかなかに辛い。


そしてばらばらと脳裏に浮かぶのは、誰のものともつかぬ断片的な記憶。いや、記憶としてすら成立しない、極々瞬間的な感情や思考、思いだけ。それらが走馬灯のように頭を流れ去る。


『時間がないので……流してる間に移動してください』

「……移動? って、この、状態で……」


頭をもたげる圧迫感と痛み、そして思考する暇すらない怒涛の他人の感情に耐えながら、僕は聞き返す。


『アザレアが、ユリと戦闘に入ってしまいました。危険です』

「わかった、行けばいいんだろ行けば……!」


そしてメルトの誘導に従い、敵がいないルートを通って移動している途中で、

――壁を突き破って現れたアザレアとユリに出会ったのであった。



◆◆◆◆◆



つまり僕の「スピードラーニング」はぶっつけ本番であった。メルトが僕の頭に流し込んだ情報が果たしていかなる効果をもたらしたものか確認する間もなく、何がどうなっているかわからないままに、僕は状況に巻き込まれていた。


(それでも……)


それでも、最初に対峙した能力がユリのものであったことは幸運であったと思う。かつてユリは【ハイゼンベルク】に属していたために、メルトがその活動の記録を保持していた。頭に流し込まれた情報を、具体的な形でいま目にすることが出来た。そして、僕は彼女と――百合崎ゆりざきはなと、ずっと一緒に仕事をしてきた。その思考をトレースすることは、初めてではなかった。


破裂音。


僕とユリの【チャーム】フレーバーは、正確に等しい数、均等な破壊力で衝突する。何度目かの相殺。それは、あたりを白い光で満たしながら弾け飛んだ。


「六郷さん、素敵ですね」


最初の驚きを乗り越えた今、彼女はすこぶる上機嫌であった。のだろう。


「……」


実のところ、僕はこれを仕事上のコラボレーションと何も変わらない、と考えていた。そうして既知の経験に紐付けることで、ギリギリのところで集中力を保ちながら、僕の付け焼き刃を以てして彼女に食い下がることを可能にしていた。


花さんは、いや、ユリはその仕事において美しさを重視する。彼女自身は自覚していないかも知れないが、彼女の仕上げる仕事プログラムは、いつも特定の美的センスを守っていることに、僕は気が付いていた。光球による攻撃もその例外ではなかった。彼女の攻撃は完全にバランスが取れて、論理的で、美しかった。それに圧倒されて、憧れて、僕はこの数年間、自分自身の中に同等の美的感覚を構築しようとしてきたのだ。


僕がやるべきことは、彼女の仕事こうげきを反対側から再現してやるだけだ。


「妹が【ダウン】で防御するだけだったのと比べると、バリエーションの面白さが段違いです」


――妹。


僕は、床に崩れ落ちたまま動かないアザレアの身体を見る。ユリ、花さんの妹であるという、セーラー服の少女。その身を刻まれながら彼女は姉と何を話したのか。天使のように笑いながら、ユリは僕に破壊の光を差し向ける。ああ、あれは天使なのかも知れない。


僕とユリの光球の激突は、その速度を増してゆく。

何かに追い駆けられるように、あるいは、何かを追い求めるように。


「ねえ六郷さん! 六郷であるということは、どんな気持ちなの?」


ユリは、山の頂上からやまびこに語りかけるように、大声を張り上げて僕に尋ねる。

天才の彼女は、頂から僕たちを見下ろして語りかける。――という、心理的な話ではない。大声で叫ばないと、そうしないと、ユリと僕の打ち出す光弾がぶつかり弾け飛ぶ音で、何も聞こえなくなるからだ。


「――知るかよ!」


中学生のような反発のセリフを吐き捨てながら、僕は【チャーム】を生成し続ける。

それと同時に【ダウン】の盾を張り、死角を守らせる。当初は攻撃を相殺するためだけにその 100% を注ぎ込んでいた僕の光弾は、一部の防御を黒い盾に委譲することで余剰の確保を可能とし、徐々に、ユリの身体をその射程に捉えようとしていた。


僕とユリの違いは、使用可能な能力の並列性concurrencyにある。【ダウン】で防御をある程度自動化しながら射撃戦を行える僕は、すべてをコントロールしなければならないユリよりも有利に思える。


しかしながら、相手は天才である。彼女は穏やかな表情を崩さないまま、膨大な数の光球を、完全を越えた完全なる精度でコントロールし続ける。僕の攻撃を撃ち落とし、黒盾のない箇所を的確に狙って来る。


攻防の速度は徐々に上がり、今では、肉眼で確認する以前に何らかの直感に基づいてフレーバーを操っているような気さえしてくる。


「技術のいしずえとなれて幸せ?」


再びユリは大声で問いかける。


「ねぇ、知ってる? ATPI はって!」


何を言ってるんだ? ユリの叫ぶ言葉に僕は当惑する。神経活動をエミュレート?

技術の、いしずえ


光球を正確にコントロールしながら相殺することが煩雑になり、僕は【アップ】を使って光のを生成する。グレースーツの男が【アップ】でありながら、紐を生成していたことの応用である。紐は縦横に編み上げることで網となる。網の目は、ユリの光球よりもやや狭いものを。


それをばっと空に広げると、ユリの光球は網の目にぶつかって弾け飛ぶ。光の破裂は、花火のように白黒の空間を照らした。


僕は彼女の言葉を聞くために、彼女の方へと距離を詰めていく。遠距離を得意とするであろうユリは、それを嫌がるでもない。ただし彼女の方から、歩み寄ってくることもない。ただそこに微動だにせず立ちつくし、徐々に歩み寄る僕を待つ。僕が、白い矛と黒い盾を駆使して雨あられと降り注ぐ彼女の攻撃に対処している様子を、目を細めて嬉しそうに見つめている。


「子供のころ、比良坂先生とゲームをしてたでしょう?」

「ゲーム……? ああ、したな」

「妙なヘッドセットを付けなかった?」

「……つけた」

「あれが、あなたの脳の神経活動を記録していたの」


ユリはまるで見てきたように語る。18 年前、閉鎖的な田舎の屋敷で畳にアイスをこぼしながら、銀メガネの口の悪い白衣とゲームに興じていた暑い夏。


「――神経活動?」

「どうやら最初、あなたはだったらしいけど。結果的に実用化に至ったのは、あなたのデータだけだったみたい」

「……」

「どんな刺激に何を返すのか。嬉しい時、悔しい時、興奮した時、落ち着いている時にどんな活動をしているのか。六郷さん、今になっても ATPI の理論はあなたたち六郷の【神隠し】の真似事でしかないの。わたしがこうして並行世界リバースに入って好き勝手やっているのも、銀のリングがあってこそ。発明したのは比良坂てんさいでも、根っこにあるのはあなたが子供の頃にゲームに夢中になっている時にその頭から馬鹿みたいに振り撒いていた神経の作用なの。神秘的だと思わない?」

「何を……。思わない、な!」


僕は光の網を仕舞い込み、その残骸を、ゴミを捨てるようにと丸めてデコボコした光球をこしらえる。乱暴にそいつをユリの方に投げつけて少し満足した。もちろん、その攻撃もどきは彼女の光球によって弾け飛んでいる。


「だからあなただけは、メルトが蓄積してきた【ハイゼンベルク】の記録をフルに活用できる。ATPI は元々あなたの脳から生まれた技術だから――が一緒だから、本来は自分自身で習得しなければならないところを、他人の到達点をそのまま脳にできる」

「……だから、何を」


理解不明という反応を返しながらも僕は、彼女の言葉が、先程から僕の身に起こっていることを完全に説明していることに気付いていた。メルトが流し込んできた膨大な誰かの記憶。記憶と呼ぶにはあまりに断片的、あまりに記号的なその情報は、ひとたび僕の脳を通り抜けると、確かにそこにを作り出したような感覚があった。


「高等生物の脳において、何かを想起する時の神経活動は、実際にそれを経験する時と完全に等価だという説があるわ。ミラーニューロンの作用? ミームの水平伝播?」

「……かよ」

「本来は個人の中で閉じているはずの他人のクオリアを、ファーストフードを注文するみたいにちょっと印をつけるリバース・ティックだけで習得できる人間。……とてもおもしろいですよ、六郷さん!」



高揚するユリのに反比例するように、僕の思考は冷えていく。


ユリがただ生きているだけというのであれば、僕だってそうだ。ただ生きている――誰かが僕を、僕たちの血筋を道具として使おうが、そんなことに生存を左右されてなるものか。


そのまま僕は、光球をユリの足元や彼女の横の壁に叩きつけて破壊する。【ハイゼンベルク】の施設は崩壊していく。さっきまで一歩も動かなかったユリは、僕の叩きつける攻撃に踊らされてあちこちへ飛び回っている。


百合埼花は楽しそうに笑い、踊っている。



◆◆◆◆◆



――僕の思考が途切れたのは、突然ユリが驚愕の表情を浮かべて、彼女の光球を消し去ったからだ。


何が起こったのかと訝しむ僕は、ユリが「驚いて光球を消した」のではなく「光球が消えて驚いた」のだと気が付く。


【ダウン】による、フレーバー能力の「弱化」。ユリは彼女の足元を見る。


「……小春こはる?」


アザレアが、既にと思われたその残った片腕が、弱々しくユリの足首を掴んでいる。

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