町に二人の男が現れた

町に二人の男が現れた。


僕がゆかり姉ちゃんと神社のベンチでアイスを食べる、数日前のことである。


彼らは一見して妙な組み合わせだった。


まるで「子供を連れて休日のフードコートにいる父親」のイデアのような、普通以外の何者でもない中肉中背の中年男。


そして、細身の長身を折り曲げた若い男。


親子というほど歳が離れてはおらず、兄弟でもなく、そもそも彼らの姿と立ち振る舞いから、血縁関係は微塵も感じ取れない。それ以前に、どうしても好き好んで行動をともにしているようには見えない。


若い方の男の歳は二十代後半といったところだろうか。銀色の眼鏡の奥から眼光を走らせて、猛暑の夏にも関わらず、室内でも屋外でも常に白衣を着ていた。白衣のボタンは留められておらず、その下からは着古したTシャツとジーンズが覗いている。



田舎の情報網は高性能である。さらにたちの悪いことに、いつでも暇を持て余している。


したがって、彼らが駅に降り立ったころから田舎町はその余所者の話題で持ちきりだった。町に知らない人間が入ってくることは珍しいうえに、目的も素性もわからない二人組という絶好のネタであるから仕方がないだろう。


その情報網によれば、町での彼らの会話はこんな調子だった。


「先生、どこに行くつもりですか」


ポロシャツの中年男はハンカチで汗を拭き、白衣の男を「先生」と読んだ。

白衣は、不機嫌そうな眼を向けて中年男に答える。


「お前は何か?俺が目的もなくうろついているとでも?このクソ暑い中を」

「単に、目的地の方角をご存知なのかと思いまして」

「俺が知るわけないだろ?少しは考えて喋れ」


年若い白衣の男は横柄で、中年男を苛立たしいものとして扱っているように見えた。

その反対に中年男は白衣に敬意を持ち丁寧な言葉で接しているようで、始終、穏やかな姿勢を崩すことがなかった。



固唾を飲んで、あるいは好奇の目で動向を見守られたまま彼らは町をうろつき回り、

そして―にたどり着いた。すなわち、僕の家、六郷の門を叩いたのである。



◆◆◆◆◆



六郷の家を訪れた彼らは、部屋の中で家主である父と何かを話しているようだった。


僕はその会話を聞くことはできなかったが、漂う空気から、何か重要なものごとであるように思われた。


実際のところ、白衣たちが父と何を話していたのか、僕にはわからない。

数日後に僕が知ることになるのは、彼らが六郷の家に滞在するという結果だけであった。過程は不可知で、結果だけがそこにある。六郷の家はいつもそんな調子であった。

母屋には使われていない部屋がたくさんあり、そのいくつかを、寝床および「研究室」として利用するということだった。


という表現は、ゆかり姉ちゃんを通して聞かされたものだ。

それを聞かされた僕は、少しのわくわく感と共に、えも言われぬ落ち着かなさを感じた。


「けんきゅうしつ?」

「そ。わかんないけど、なんか東京の大学から来てるんだって。このへんの調査とか」

「何の研究してるのかな」

「さぁね。やっくんも近付いちゃ怒られるよ」

「えー、やだ」

「大事ななんじゃない?やっくんのお父さんが決めたんだし」


ゆかり姉ちゃんは少し首を傾げてかわいらしく笑った。僕が「やだ」と言うと彼女はこうしてちょっと困ったように笑うことがあり、彼女を笑わせる方法をほとんど知らない僕は、意味もなく彼女に反抗した。

彼女の笑顔からはいつも、柑橘系の香りがするような気がした。


ゆかり姉ちゃんはその余所者よそものを独自のセンスで「お客様」と呼んだ。彼らの存在は、その夏に六郷の家へと差し込まれた異質さ、つまり、であった。


結局のところ彼らが何を調査しに来たのか、僕は覚えていない。

子供相手には伝えられなかったのか、聞かされたけれど興味を持たず忘れてしまったか。そのどちらかだと思う。


彼らは夏の間じゅう六郷家に滞在した。僕はその決定について、母に説明を求めたことがあった。


「さぁ、お父さんの決めたことじゃけん」


母親はいつもそう言って、六郷の家の意思決定に関わろうとはしなかった。母親は父親の傀儡であった。

僕は、食卓に並ぶ父に視線を送る。


「……」


僕の父親は、無表情と沈黙の仮面を被った暴君であった。

尊大なる父親は、恐怖でもってその仮面の下から世界を支配していた。


父親の決定は、すべてに優先する。それは何であろうと例外はない。

僕はそうした六郷の家のにも、すっかり慣れきっていた。この世界の神は父さんで、母さんはそれを僕たちにわかるように翻訳する巫女で、その他はすべて、僕自身も含めて父の思うように動かされるだけの駒なのだ、と。



の食事を運ぶのは、僕ら子供達、つまり僕かゆかり姉ちゃんの仕事であった。食事は朝と夜だけで十分であるらしかった。僕たちは彼らが「研究室」兼寝室として利用している部屋の前に、学校に行く前と、家族の夕食のあとに、食事を運ぶことになっていた。その時、空になった前の食事の膳を下げる。


その日も僕は、彼らの部屋に夕食を運びに来ただけだった。


(やっぱり…機械の音がする)


僕はいつものように、二人分の夕食を廊下に置く。そうして部屋の中に耳を澄ませて、低く響く重低音が一体から発せられているものか、想像するのが僕の日課であった。


ところがその日はいつもとは少し違っていた。特に腹でも減っていたのか、僕が食事を置くとすぐに、とつ、とつ、という足音が、部屋の中から――こちらに近付いて来る音が聞こえるのである。


彼らの「研究室」に近付かないように釘を刺されていたとはいえ、猫を二、三匹殺せる程度の少年らしい好奇心を持ち合わせていた僕にとって、彼らとの接触は不可避のイベントであったと言えよう。

そこで僕の心に浮かび上がったのは、彼らの姿を間近で見てみたいという好奇心であった。遠目には見たことがあっても、いつも部屋の中に引きこもっている彼らの姿を見ることは稀である。僕はそうした、非日常的な刺激に飢えていたのかも知れない。


ガラ、と音を立ててふすまが開かれる。と顔を出したのは若い男、中年に「先生」と呼ばれる白衣の青年であった。


白衣は食事を一瞥したあと、視線を僕の方に向ける。銀の眼鏡の奥から覗くその瞳は無表情で、何の感情も読み取ることができない。その非人間的な視線に、あたかも僕が夕食の一部と見られているような気分を覚える。夜に部屋の前に置いたものはお召し上がり頂いて結構ですよ――と。


生命の危機を覚え、ごくりと喉を鳴らす僕に、白衣はこう言い放った。


「スマブラやるか?」


僕は一瞬も思考することなく「白衣」に答えていた。


「やる」


好奇心は猫を殺すかもしれないが、ゲーマー魂は恐怖をも殺すらしい。僕はそうして、その夏の異常事態に急速に溶け込んでしまった。

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