第10話 抗体
夏見は再会の挨拶の後に、俺の後ろで呆然としている
「案内ご苦労だった、北条君。遠征で帰ってきてすぐで、疲れているだろう」
「いえ……」
「もう帰っても構わんぞ。
博孝は軽く敬礼して、エレベーターに引き返した。
一方、俺を襲撃してきた女忍者は不満そうである。
「夏見さま。その人からは
「!」
「昔のご友人と聞きましたが、イービルウイルスに感染しているのでは?」
希と呼ばれた女忍者は、性懲りもなくボールペンサイズの尖った両刃の武器――クナイを俺に向ける。
夏見は彼女を制止する。
「止めなさい」
「悪魔は人を襲います」
「神崎君は襲わないよ。何故なら……イズモで開発されたイービルウイルス感染者の治療薬、抗EVEL鎮静剤は、神崎君の血液サンプルから作られたものだから」
「?!」
希のクナイの切っ先が揺れた。
驚いたのは俺も同じだ。
そんな話、聞いてないぞ。
「夏見さん、いったいどういう」
「すまない、神崎。事後承諾になってしまったが……新京都侵攻事件の最中に、私の実家の研究施設で診察を受けてくれただろう。あの時のサンプルだ」
夏見さんの実家は大手製薬会社だ。
確か戦闘の後に、怪我の手当ても兼ねて寄らせてもらった。検査だとかで、血も抜かれていた覚えもあるが、まさか利用されていたとは。
「君の体内でイービルウイルスは無害化する。人体のモンスター化はおさまり、破壊や殺戮の衝動も消える。君の血液から採取した抗EVEL鎮静物質を使い、我々は多くの感染者を救うことができた」
「……よくそんな……危険なことをしましたね。下手をすれば、俺のような
勝手に自分の血液から薬を作ったと言われて、俺は嘆息した。
実に複雑な心境だ。
人助けに使われていたから良いものの。
「他にもいくつか謝らないといけない事がある。だが、勝手に出ていった君の所業と相殺できるかと思っていたところだ」
「冗談がきついですよ、夏見さん。まだ何かあるんですか」
「うむ。時間を掛けてゆっくり話したいところだが、帰ってきたばかりで長時間の立ち話もなんだろう」
車椅子でゆっくり近付いてきた夏見は、俺を見上げて苦笑した。
「時に神崎。イズモに長期間、滞在してくれる気持ちはあるかな」
「俺は
それはかつて新京都を出る前に、仲間と別れの挨拶がわりに告げた言葉だった。人間とは違うものになってしまった俺は、自分から出て行ったのだ。
あの時、夏見は痛みを耐えるような目をして、俺を見送った。
しかし今、初老の夏見は穏やかな表情で、あの時と同じ言葉を受け取っている。
予想と違う反応に、俺は嫌な予感がした。
「まあ、そう言うな神崎。お前に見せたいものがある。明日、それを見てから、どうするか決めればいい」
「見せたいもの……?」
「すぐに出ていくことはない。明日にしよう」
夏見は静かだが有無を言わさない様子で押しきった。
反論を許さない雰囲気に俺は諦める。
確かに今すぐに飛び出ていく理由もない。
「……自分を悪魔だと言う人を、信頼できません」
女忍者の希は不機嫌そうに言ったが、武器は降ろした。
主君の言葉は絶対なのだろう。
「明日、用が終わったら出ていくからな」
「君に任せるよ。だが、できればイズモでゆっくりしていって欲しい」
頑なな俺の言葉をいなすと、夏見は銀色の薄いカードを押し付けてくる。
それはホテルの鍵だった。
このビルの十階から十五階は宿泊施設になっているらしい。
「実に良い眺めだぞ。堪能したまえ」
「はあ」
ちなみに九階まではショッピングモールになっているそうだ。
すごいビルだな。ビル内で暮らしていけそうだ……って、考えてみれば、それが目的のビルか。軍事施設としても、非常時の市民の退避場所としても使えるように一ヶ所でまとめられているのだ。
夏見や女忍者と別れて、十階に降りた。
用意された部屋は、高級ホテルの一室のような、広くて調度品の整った空間だった。やたらでかくてスプリングのきいたベッドの感触を確かめると、俺はカーテンを引き開ける。
ずっと忘れていた、人の営みを示す星の群れがそこにあった。
「すげえ夜景……」
見晴らしの良い窓からは、色とりどりの明かりのついた都市が一望できた。ちかちか、きらきら光って、生き生きと輝いている。人の命、人の生活そのものを表すような光景だ。
真っ暗な放棄都市・東京との落差に、俺は言葉を失った。
ただ美しい姿を立ち尽くして眺める。
この光に消えて欲しくないと願った。
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