第4話 レット・ミー・ヒア

 イクコは昔から優秀だった。無作為に選んだ電話番号が分厚い電話帳の何ページにあるのか即座に言い当て、教科書に書いてあることならまだ習っていない分野でも即答できた。

 先天的な映像記憶と、豊かな感受性は学校生活でも遺憾なく発揮され、体育以外の科目が最高評価から落ちたところをアケビは見た事が無い。

 クラスメイトからも優等生、高嶺の花、常盤姉妹の完璧な方などと一目置かれていたが、私生活では何かと隙の多い普通の女の子であることを双子の姉であるアケビは知っていた。寝坊のツケを取り戻そうと、寝ぐせをつけたまま出発しようとするイクコの髪を梳かす時、自分しか知らない学校生活とのギャップがどうしようもないほど愛おしかった。


「まったくもう、イクコったら」

「……あの?」

 声を返され、はっと我に返る。目の前には受付の女性警察官が怪訝な顔で此方を見ていた。

「あ、いえ、すみません」

 カフェ・マロニエを出た後、アケビはその足で茨城県警察本部のある県庁に訪れていた。

「ええと、交通部の桐生さんにお取次ぎ願えますか?先日事情聴取された事故についてお話したいことがありまして」

「桐生……ですね?承知しました、確認いたしますので少々お待ちください」

 内線を取る警察官を後目に、アケビはこの後の段取りについて再度頭を整理しようとした。全く意図はしていなかったが、あの事故について事情聴取された時、アケビは事故現場での話しか伝えていなかった。実際それで状況の説明は可能だったからだ。つまり、警察側はまだ事故車に乗っていた生き残りがテネシィであるという事を知らない。

 コンビニでも同じ車に乗っていたドライバーとすれ違っていた事を話し、テネシィの外見的特徴だけを伝える。これは、桐生に会いにきた名目であり、通行料のようだものだった。

 問題はその後。イクコの力を借りる事ができない以上、アケビは《レット・ミー・ヒア》のみで『愚者の黄金』について情報を聞き出さねばならない。思念を読み取りながら会話をうまく誘導する必要があった。


「大変お待たせしました」

「あ、いえ」

 だが、その前に問題が発生した。

「申し訳ございません。交通課に桐生という人間は居ないそうですが……」

「……え?」

 アケビは咄嗟に桐生からもらった紙を取り出した。ふたつの連絡先の内、ひとつはこの県庁の番号で間違いない。もうひとつは恐らく個人のものと思しき携帯番号だった。

「あの、四日前の朝にあった交通事故なんです。私、偶然現場に立ち会って……通報したら桐生って警察官が来てくれて……何かあったら連絡するようにって」

「四日前ですか?」

「はい。ガードレールにぶつかって横転しちゃった事故です。運転手は逃げて、助手席の人が亡くなった……」

 警察官はそれを聞くと、手元の端末で何かを調べ始めた。そして再び困ったような訝しむような顔になった。

「確認いたしましたが……四日前の水戸市における交通事故発生件数の内、死亡事故はゼロ件になっております」



 待合室には直近の新聞が配架されており、持ち出しさえしなければ閲覧可能となっていた。アケビは四日前の新聞を取り、立ったまま無心になって記事を探す。

「あった」

 写真もない小さなものだが、内容が合致する記事があった。車種。現場の状況。運転手が逃走中であること。対向車のない物損事故であるため、死傷者はいないということ。

「……こんなことって」

 間違いなくアケビが見た事故だが、最後の一点だけ事実と異なっていた。テネシィの相棒であるイエガーは死亡したと聞いた。だが、新聞の記事ではイエガーの存在自体が抹消されている。最初に疑ったのは、サミュエル達が口裏を合わせている可能性だったが、それは考えにくい。あの事故が起こってから桐生に引き渡すまでアケビはずっと現場に居たが、テネシィが逃げた後は通行人と桐生以外誰とも会っていないのだ。


「桐生という交通部の警察官は居ない……あの現場には、私を除けば桐生しかいなかった」

 桐生は単独だった。桐生が事情聴取している時、レッカー車や救急車は来ていなかった。あの場で隠蔽工作を図れるのは、桐生しかいない。桐生がイエガーの死体を隠したのだ。もしそうだとした場合、もうひとつ問題があった。

「茨城県警はほんとうに知らないの?」

 桐生という謎の人物単独の工作活動であればまだ探りようはあるが、警察ぐるみで桐生という人間を隠している場合は手に負えない。下手に踏み込めば泥沼になることは容易に想像できた。

「…………」

 だがアケビは躊躇しなかった。『タランドス』との商談にまで踏み込んだアケビにとって、この程度のリスクは最早リスクですらなかった。それに今更失うものもない。一度外に出て、携帯番号の方に通話をかけてみる。


『はぁい、もしもぉ~し』

「えっ、あっ、すみません間違えました!」

 甘ったるいハスキーボイスに驚き、慌てて通話を切ってしまった。この状況でこの携帯番号が桐生に繋がるわけが無いとは分かっていたはずだったが、温度差が激しすぎて反射的に行動してしまったのだ。というのも、電話の先から聞こえてきた声は紛れもなく男性特有の低さがあったが、そこから醸し出される雰囲気はどちらかといえば逆の性質を持っていた。

「……いやいや、切っちゃダメじゃん」

 番号は間違えていない。あまり気は進まなかったが、通話履歴からもう一度かけなおす事にした。

『なぁによう!イタズラ電話ってんなら承知しないわよ!』

 やはりいわゆるオネエ系という類の口調だった。今度は物怖じせずに切り出す。

「すみません。もしあなたが茨城県警の関係者なら、お伝えしなければならない事があります」

『……ていうかあんた誰なのよ』

 声のトーンがワンオクターブ下がった。アケビは、この電話にかけるまでの顛末を話した。事故現場に立ち会った事。桐生という警察官にこの連絡先を渡された事。桐生という警察官は交通部に存在しないと言われた事。新聞の記事にはなかったが、本当は死亡者がいる事。取り分け、彼の携帯番号が桐生によって漏洩されている事を強く取り上げた。彼が何者なのかまだ分からなかったが、万が一桐生の協力者でない場合でも、当事者であるという意識を持ってほしかったからだ。

『ふぅん。桐生って男がねえ。アテクシのファンかしら?で、その男のコは若かったの』

「え?えーと、ええ、そうですね。あたしよりは年上っぽかったけど……なんていうか、さわやかな二十代って感じでした」

『ムフ。あらそう、アテクシにも春が来たって事かしらねえ』

 何故か彼は上機嫌で、ひとまず話は聞いてもらえそうな雰囲気だった。

『事情は分かったわ。お察しの通りアテクシも警察官よ。まだ近くにいるんでしょう?五分後にあがってらっしゃい』

「え、あの、なんて言えば」

『刑事部捜査第一課の高良警部補って言えば通じるわ。資料揃えていくから五分後に来るのよ。良い?』

 返事をする前に通話が切れてしまった。しかし電話ではなく直接会えるのはアケビにとっても僥倖だった。視界に入っていない相手の思念を《レット・ミー・ヒア》で読み取る事はできない。最終的には『愚者の黄金』を持っている犯人と警察の趨勢を掴まなければならないこの状況において、この最初のステップをクリアする事は必須だった。


 五分後、言われたとおりにアケビは再び受付に行き、高良の名前を出した。話は既に通っていたのか受付はスムーズに終わり、まもなく応接室へ通された。

「遅かったわね、一分の遅刻よ」

「え、あ……すみません」

 室内の上座には既に高良が座って紅茶を飲んでいた。派手な黄色のスーツを着た、陰のある男性といった風貌だが、声は電話で聞いたそのままのものだった。向かいの席には恐らくアケビのものであろうティーカップも置かれている。

「まあいいわ、座ってちょうだい。改めまして、アテクシは高良カイリ。早速だけどもう少し詳しくお話を聞かせてもらっていいかしら?」

 彼はアケビの顔を見ず、持参した資料に目を通しながらそう言った。

『メンドクサイわね。でも死体がひとつ消えてるのがマジなら放置はできないし……どちらにせよ聞く事聞いたらこの子は帰しましょう』

 だがアケビからはカイリの顔がしっかり視えていた。《レット・ミー・ヒア》はカイリの思念を精密に読み取る。案の定、アケビの事など見てはおらず、その後の処理や仕事の事に思考の大多数を占めているようだった。まずはここをどうにかしなければならなかった。

「はい……えっと、うーん」

「……」

「いいのかな……」

「あのねえ、何を悩んでいるのよ。アテクシも暇じゃないのだけれど?」

 なかなか切り出さないアケビに対してカイリは焦れを隠さなかった。

「いや、だってこれ、もしかすると警察が死体を隠してるかもしれないってことですよね?軽率に呼ばれて来ちゃいましたけど、マスコミとか違うところに相談した方が良かったのかなって……」

 カイリから怒りの思念が噴出した。しかし表情は口の端が引き攣った程度で、態度には出さないように堪えているようだった。

「あのねえ、滅多な事言うもんじゃあないわよ。アテクシ達が死体隠して何の得があるっていうのよ。その桐生って男を洗った方がよっぽどイイ線が出るって、素人目にもわからないものかしら」

「でも、証明できないですよね?」

『……メンドクサイ子ね』

 思念と表情が少しずつ符号していく。カイリはあまり我慢強い方ではない人間のようだった。アケビの前に写真と書類が出される。

「ほんとは見せちゃいけないんだけど、アナタが来る前に取り寄せた資料よ。ほら、現場写真にも死体なんて映ってないでしょ」

「回収した後に撮影したんじゃないですか……?高良さんが知らないだけで交通部の方が」

 机に拳が打ち落とされた。激突音が響き、ティーカップが跳ねる。

「いい加減になさいよこのブス!そういうのはアテクシ達のシゴトなの!素人が推理ごっこするもんじゃないわよ!」

「……素人目にもわかるって言ったじゃないですか」

 わざとらしく口を尖らせてみせる。カイリのアケビに対する嫌悪感は、発言すればするほど増していった。


『何なのこの子~超ムカつく!もしかして狂言?アテクシ達をからかって遊んでる?このクソ忙しい時に~!』

「コンビニで確かに見たんです。あのバンには二人男の人が居ました」

 だがそれもそろそろ潮時だった。カイリが業を煮やして追いだしてしまう前に口火を切る。

「……交通部の聴取にはなかった内容ね、ソレ」

「あの時は思い出せなくて……それでふと思い出して、桐生さんに連絡を取ろうと思ってたんですけど」

「いいわ。続けてちょうだい」

「二十代後半くらいの外国人で、運転手は蜂蜜色の髪でした。穴だらけの奇抜な服を着てて……事故が起こった後、その人が這いだして逃げたんです。でももう一人は出てきませんでした」

「助手席にもう一人居たというのは間違いないのね?」

「はい、桐生さんとも確認しました。あと……綺麗な石が落ちてました」

 メモを取っていたカイリの手が止まる。流れてきていた思念も一瞬ではあるが完全に停止した。


「……石?」

「はい。宝石だったのかな……運転手の人が逃げる時、その石と、ケースを回収して持って行ったんです。中身も確認してたけど……同じような宝石がたくさんあったから、宝石屋さんなのかなって思ったんですけど」

『ネクタイトかしら……いや、まだ断定するには早いわね。ただの宝石商かもしれないし』

「でも……」

 ネクタイトという単語を引き出す事に成功した。これで高良カイリは少なからずとも能力の存在を知っている人物ということが確定する。ここでアケビはもう一度勿体つける事にした。

「なによう。まだアテクシ達を信用できないってわけ?」

「あの、ひとつ良いですか?」

 憮然としているカイリに向けて、純粋な問いを投げかける。


「聴取にないって仰いましたけど、それ、"誰が"聴取した内容なんです?」


 カイリの目が見開かれる。うっかり口を滑らせたのは彼の方だ。アケビはあの事故のついて、桐生にしか話していなかった。今の今までは。

「あたし、桐生さんにしか話してないんですけど……それが手元にあるってことは、少なくとも駆けつけた応援と桐生さんの引継ぎが行われてますよね……?ほんとうに、桐生って警察官は存在しないんですか?」

 警察の言い分が真実ならば、カイリの手元にある資料は存在しないはずだった。この時点で少なくとも警察はひとつうそをついている。この事実を突きつけた時、カイリが最初にどんな感情をぶつけてくるかが正念場だった。もしも害意だったら、その時は覚悟しなければならない。


「……言われてみればそのとおりね。おかしいわこの資料」

 カイリの感情は、疑念だった。彼は今全てを疑っている。アケビの事は勿論、仲間であるはずの交通部でさえも。

「…………本当にあなたは桐生って男にしか話してないのね?」

「はい。その時に渡されたのがこの連絡先ですから」

「……」

 沈黙したカイリの思念を読む。

『どういうこと?アテクシの番号を握らせて、この子を帰して、死体を隠して、応援に引き継いだ?それとも応援に引き継いでから死体を処理した?それとも全部この子のでっち上げ?どこかでボタンを掛け違えているわ。もし前者だった場合、なんで桐生はわざわざアテクシの番号を……』

 疑念の思念は、当惑に変わっていた。どうやら彼は本当に何も知らないようだった。警察が桐生という人物を隠している可能性は高いが、少なくともカイリはその件に関わっていない。一枚岩ではない事が窺えた。

「あの、すみません」

「なにようアテクシ今考え事してんだけど」

「いや、参考になるか分からないんですけど、その運転手の人、逃げる時に言ってたんです。ネクタイトが割れてなくてよかったって」

 これはハッタリだった。テネシィが割れていない事に安堵していたのは事実だが、ネクタイトという固有名詞はその時点で出していない。

「……ネクタイトですって?確かにそう言ったのね?」

「え、ええ。あたしの聞き間違いじゃなければ」

『じゃあもうタランドスで確定じゃない!来日してるって情報はあったけど、もうこんな近くまで……?え、じゃあナニ、もしかして桐生ってのは"東京"の……?』

 堰を切ったように様々な思念が漏れ出てくる。《レット・ミー・ヒア》は万能ではない。ヒトが記憶している事を常時思考しているわけではない事と同じように、意識して引き出された思念でないと精確に読み取る事はできない。

 だが、言葉で誘導し、溜まった水袋にひとたび針を通してやれば、本人が望まなくても濁流のようにあふれる。カイリは完全に《レット・ミー・ヒア》の術中に嵌っていた。


「高良さん。本当は桐生さんの事をご存知なんじゃないですか?」

 タイミングとしては完璧だった。アケビが聴取の矛盾を指摘してから、まだその答えをもらっていない。このタイミングでの追及はごく自然であり、不信感を装うには絶好だった。ひとつ瑕疵があるとすれば、それはカイリに逃げ道を一切与えなかった事だった。

「……もう結構よ。聞きたい事は聞かせてもらったわ。あとはアテクシ達のシゴトだから、この件はまかせてちょうだい」

 いやな汗が滲み出る。アケビは猛省した。ばつの悪さからかカイリはアケビの目を直視できていない。追い詰めすぎてしまったのだ。今の今まで潤沢に流れてきていた思念は、質問をはぐらかしている罪悪感や、想像を超えた深刻な事態への整理に覆われ、言語化された情報が視えなくなっている。冷え固まり膠着したこの状態は、追い詰められた人間特有の防衛本能だった。

 カイリは今、一人になり情報を整理する時間を心の底から欲している。無関係者のアケビをこれ以上危険な領域に踏み込ませるわけにはいかないという、善良な意思も見える。逃げ道を与えなかったせいで、彼はアケビを一刻も早くこの場から排除するしかなくなっていた。


「待ってください!」

 席を立とうとするカイリを呼び止める。こうなれば最早リスクを冒すしかなかった。自分のミスは自分で濯ぐしかない。アウトレンジからの牽制はこれ以上何の意味も持たなくなってしまった。

「ごめんなさい、高良さん!」

 アケビは立ち上がり、深々と頭を下げた。彼は困惑したようにアケビを見下ろしていた。

「な、なによいきなり。別にアテクシ、アナタに謝られることなんて……」

「高良さんが信用できる人なのか分からなくて、あたし、言うべきことを小出しにしていたんです──本当は知ってるんです、逃げたドライバーが『タランドス』の人間なんだってこと」

 カイリの目の色が変わった。

「……どういうことかしら?」

「…………あたし、脅されてるんです。知られたからには始末しなきゃならないって。それがイヤなら茨城県警で『桐生という男の正体』の情報について探ってこいって」

 即席の作り話だった。要求されている情報の内容を変えたのは、目当ての情報よりも先に『高良カイリ』という男の立場をはっきりさせる必要があったからだった。

「ちょっとちょっと!唐突すぎて何がなんだか……それおかしくないかしら?知られたからってアナタのような女の子に、『タランドス』がそんなこと任せるとはとても思えないのだけれど」

 カイリは冷静だった。勢いと演技だけでは到底騙せそうになかった。信用を得るためにはバックボーンを切る必要があった。


「彼らはあたしの『父親』の事を知ってたんです。あたしの……能力の事も」

 できればこの手は使いたくなかったが、背に腹は代えられなかった。

「ちょっと待って。アナタの名前は確か……常盤……常盤ってもしかして、殉職された常盤ショウマ警部の娘さん?」

 頷く。カイリは最早頭を抱えていた。このわずかな時間で飛び出た情報の濃密さに面食らっているようだった。

「じゃ、じゃあアナタも能力者ってコト……?いったい何の」

「……千里眼です。あたし、お父さんがネクタイトに関する仕事をしていたのは知ってたから、石を拾う運転手の前で『ネクタイト』の名前を漏らしちゃって……それで能力者だってバレて……」

「たしかに千里眼なら、情報収集には向いているわね。それで脅されたのね」

 半信半疑ではあるが、ひとまずは納得してくれているようだった。

「状況は分かったわ。まだ聞かせてもらいたい事はあるけれど、ひとまずアナタを保護するように手配するわ。だからこの件は任せてちょうだい。悪いようにはしないから」

「ダメです!三日後の正午までに情報を渡さないと、にゅ、入院してる妹を殺すって……!」

 カイリの思念から、微かな正義感に火が点いたのを感じた。

「……そう、彼ら、そこまで調べ上げてるのね。それが本当ならアナタが事故に立ち会ったのもあながち偶然じゃないのかもしれないわ。一課総動員で警備網を張らないとダメね」

 まだ。まだだった。まだ彼は、高良カイリは警部補のままでいる。あくまで組織として『タランドス』に立ち向かおうとしている。それでは駄目だった。組織同士をぶつけるわけにはいかなかった。

「高良さんは信用できます……でも、他の人は大丈夫なんですか?『タランドス』の死体を隠した桐生って警察官と、内通してる人が居るかもしれないんですよね?」

「他はどうか知らないけど、少なくともうちの課は大丈夫よ。安心してちょうだい」

 最早切り札を切る必要があった。


「──お父さんが死んだ事件は隠したのに?」

 テネシィが言っていた、茨城県警が隠している事件。それがこれに該当するのかは確信できなかったが、これもまた確かに隠蔽された事件のひとつであることに違いはなかった。その一言はカイリの急所を深く貫き、とうとう表情に狼狽の色を引きずり出すまで至った。

「あれは……!」

 反論しようとしたカイリは大きく息を吸いこみ、諦めたように肩の力を抜いた。

「……そうね。アナタ達遺族からすれば決して許されない事ね。いつかこんな日が来るとは思っていたけれど、まさかこんな厄介事まで連れてくるなんて……」

「ごめんなさい。責めてるつもりはないんです。でもやっぱり、あたしは警察の事を信用できません。ここで警察に任せてしまったら……今度はあたしのイクコまで……」

 自然と涙が流れ出たが、うそ泣きではなかった。胸の内につっかえている複雑な感情は、イクコの笑顔を思い出すだけで簡単に涙腺を緩める事ができるまでに煮詰まっていた。

「弱ったわね。アテクシは最大限協力したい気持ちでいっぱいよ。でもアナタは、警察の力を借りたくはないのでしょう?いったいどうすればいいのかしら」

 涙をぬぐい、口元を手で覆う。

「無茶なお願いかもしれませんけど、あたしは高良さんになら力を貸してもらえると心強いです」

「だから、一課を動かさずにどうやって──」

「──高良さん"に"なら、協力してほしいです」

 カイリの表情が冷え込んだ。アケビの意図を汲み取ったようだった。

「……常盤警部に似て強かな子ね。出会って十五分も経ってないアテクシに、共犯者になれって言いたいの?」

 警察という組織が動いてしまうのは都合が悪い。最終的には『愚者の黄金』持ちの犯人と警察の関係についてを引き出さねばならないが、『桐生』という存在や過去の事件を隠蔽している者が潜んでいる以上、ここに頼ると十中八九情報は握りつぶされてしまうからだ。

 『タランドス』には生き延びてもらわなければ困るし、『茨城県警』はこの事について無知でいてほしかった。それらを両立するためには、『高良カイリ』という一個人を抱き込む他なかった。


「悪いけどそれはできないわ。情が無いと言えばうそになるけど、それとこれとは話が別よ。アテクシは公私混同しないタイプなの」

「でも、高良さんも疑問を抱いてますよね?どこまで組織を信用できるのか……本当は自信が持てないんじゃないですか?」

 カイリはアケビの目を真っ向から睨み、語気を強めた。

「ナメないでちょうだい!それくらい管理できずにこのシゴトは務まらないわ」

「本当は桐生さんが何者か知っていて、どうして高良さんの番号をあたしに渡したのか、心当たりがあるんじゃないですか?」

「言えないわ。アナタに言える事はもうない」

 《レット・ミー・ヒア》で読み取ろうとしても、強い拒絶の念と正義感しか得られなかった。意識している事を意志力だけで封じ込めている状態。彼は意固地になっていた。

「あたし、共犯者になってほしいなんて大それた事言わないです。ただ、高良さんが知っている事があるなら、それを教えてくれるだけでいいんです……そうすれば、あとはあたしが自分で責任持ちますから」

「ダメよ!アナタをこれ以上『タランドス』に会わせるわけにはいかないわ!」

「じゃああたしを拘留しますか?いいですよ。それでイクコが死んでも、高良さんを恨んだりはしません。此処に来たのも、賭けのようなものでしたから……」

 諦めたように目を閉じる。実際にはこれは祈りだった。打てる手は打った。これ以上の追求は再び彼の逃げ道を奪うだけだ。ここ一番というところで詰めきらず、彼に選択させる必要があった。

「…………」

 案の定、カイリは長考しているようだった。『桐生からの聴取』をまとめた資料が手元にある以上、彼もまた組織に、とりわけ交通部に強い疑念が芽吹いている。そして過去の負い目が、自身の課にすら確信を持てなくなっているようだった。もしも切り札を切らなければ、彼は絶対の自信を以てアケビを追い返し、捜査第一課を動かしていただろう。


「…………今日は帰りなさい」

「良いんですか?あたし、鎖で繋ぎでもしないと自分で会いに行きますよ」

「帰れって言ってんのよブス!……一日。一日だけ時間をちょうだい。その間は絶対に自宅から出ないこと。それだけは約束してちょうだい」

 即決させるのが最良だったが、ここで手を打つのが現実的だった。少なくともこれで明日には、『高良カイリ』という人物の立場がはっきりする。同時に、そこでイクコを助けられるかどうかが事実上決定する事になる。

 もし彼が警察官としての立場を優先してしまえば、全てが終わるだろう。うそを見破られた場合、アケビの立場も悪くなるばかりか、最悪の場合『タランドス』への裏切りと見なされてテネシィかサミュエルに殺されてしまうだろう。


「分かりました、今日は帰ります……これ、あたしの携帯番号です」

 スマートフォンを開き、赤外線通信でカイリに連絡先を送った。

「……明日の正午までには必ず連絡するわ。だから良い?決して無茶はしないこと。相手は女子供でも簡単に命を奪う下衆の集まりなんだからね」

「はい……よろしくおねがいします、高良さん」

 一礼して、アケビは応接室をあとにした。

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