第3話 タランドス

「ボスゥ、人払いは粗方終わりましたぜ」

「キミの名前を知っている理由は……言わなくてもわかるね?」

『お、おねえちゃん……!』

 アケビは自らの迂闊さを呪った。イクコの声で硬直していた身体が和らぎ、即座に周囲を見渡す。元々少なかったということもあるが、気が付けばアケビ達以外の客はひとりも居なくなっていた。


「こないだは世話になったなアケビィ。よっこらしょっと」

 テネシィがアケビの隣に座り、勝手に白桃サンデーを食べ始めた。音を立てて咀嚼しながら、アケビの顔を覗き込んでくる。

「あんたたちは……」

「申し遅れた。私の名前はサミュエル・ロウ。『タランドス』の元締めといえば分かるだろうか」

『タ、タランドス……!なんで、そんな……』

 イクコだけでなく、アケビもその名前は知っていた。メキシコ系マフィア『タランドス』。セラヤから発足した麻薬カルテルのひとつとして表向きには公表されているが、これには誤りがある。それは彼らが独占しているのは麻薬ではなく、ネクタイトであるという点だった。

「そう緊張する事は無い。この状況は、アケビくんが望んで招いた事だ。テネシィから聞いたときは実に奇妙な話だと訝しんだものだったが……」

 言葉を止めたサミュエルは、ストロー越しにシロップまみれのアイスコーヒーをずるずる啜った。

「……もうその謎も解けた。キミは我々の客になりたかった能力者だね?アケビくん。我々の車を襲撃しながらも略奪はせず、テネシィを助けたあげくに名前まで名乗った。この一見ちぐはぐに見える行動を説明付けるにはそうとしか考えられない」

「…………期待してなかったといえば、うそになります」

『ちょっと何言ってるの!』

 イクコが怒鳴るのも無理はなかった。能力者である事は、決して他人に暴露しないよう父親から厳しく言いつけられていたし、アケビ自身も経験則からそうした方が良いと納得していた。しかしこの期に及んで、全てを見透かすサミュエルの言葉を否定する事には何の意味もないように思えた。

 恐怖が無いと言えばうそになる。これから自分の身に何が起こるのか想像しただけで身震いする。だが、アケビの口元には自然と笑みが浮かんでいた。見え透いた虚勢だったが、それとはまた異質の昂ぶりがそうさせていた。


「あたし、これからどうなるんですか?殺すならなるべく痛くないようにして欲しい……んですけど」

「ん?何を言っている?……ああ、キミに殺されたイエガーくんの事を言っているのか。確かに彼の事は残念だったが、我々はもっと建設的な話をするために来たのだよ」

 サミュエルがそう言うと、白桃サンデーを食べ終わったテネシィがスプーンを嘗めながら引き継いだ。

「ケースから飛び出たネクタイトを拾おうとしてたよな?テメエがアレ欲しさに俺達相手にナメた真似仕掛けたのは初めから知ってたんだぜ」

 スプーンを鼻先に突き付けられる。

「でもテメエの欲しい種類が積み荷にあるかは分からねえ。しかも俺という邪魔者が生きてやがった。ブッ殺すのは簡単だがもしそれで目当てのもんが無かったら無駄殺しにしかなんねえ。だからリスク承知で逃がしたんだろ。要はアレだ……欲しい石を言ってみろっつってんだよボスはよォ!」

 実際はそこまで狡猾な理由ではなかったが、彼らからすればそう捉えられても仕方のないことだった。


「──治癒のネクタイト。脳のダメージというか……心因性の昏睡にも効くようなやつがいいです」

「ほう」

 サミュエルとテネシィがお互いの顔を見合わせた。そしてすぐにテネシィが意地の悪い笑みを浮かべて向き直った。

「アケビィ~、テメエ、俺をブッ殺さなくて大正解だったぜ。あいにく治癒のは扱ってねえ。品薄続きですぐ買い手が付いちまうからなあアレは」と、テネシィが肩を組んできた。きつい香水の匂いで頭が痛くなる。

「ましてや外傷ではなく心因的な問題となると、かなり限定的なレアケースだ。切迫した事情がある事は予測できていたが、キミのその判断は結果的にお互いにとっての不利益を回避したことになるな」とサミュエルが補足する。

 彼はコーヒーを飲みながら続けた。

「ネクタイトはないが、その手の能力者には心当たりがある。私が声をかければ来日させる事ができるかもしれない」

「ほ……ほんとですか!」

 半ばテネシィの腕を振り払うように立ち上がった。イクコを目覚めさせる事ができるかもしれなかった。

「座りたまえ。ここからは商談になる」

 やはりタダというわけではなさそうだった。気の昂ぶりを静め、座り直す。


「来日させる事はできる。だが、偽造ビザの費用が必要だ。それに彼女も相応のリスクを冒す事になる。大義名分というわけではないが、手土産が必要であることは分かっていただけるね?」

「……お金なら少しは貯えがあります」

 小声でそう返すと、テネシィが鼻で嗤った。

「バカかテメエは。未成年から搾り取ってる暇があったら、同じ時間でネクタイト捌いた方がよっぽど儲かるんだぜ」

「テネシィではないが、実際我々が期待しているのは金銭ではない」

「でもあたし、他に払えるものなんて……」

 テネシィの指がアケビの頭を数回小突いてきた。

「あ・る・だ・ろ・が!わざとか?天然なのか?いやむしろわざとであってくれブッ殺してやるから」

「アケビくん。我々がこうして対等に時間を共有できているのは、キミの能力の優秀さにある事をまずは自覚したまえ。キミがそうであるように、我々もまたキミの力には強い期待と恐れを抱いているのだ」

 そこまで言われてようやく理解した。彼らはアケビの事を誤解しているのだと。恐らく、彼らはイクコの《ジェミナイ・シーカー》がアケビの能力だと思い込んでいる。


「ジッサイシビれたぜ久々によぉ。分かるか?俺達からはテメエが見えてねえのに、いつの間にか一方的に相棒の目が盗まれていたんだぜ……秒で潰してやったが、タッチの差で俺の目まで盗まれちまった俺の気持ちが分かるか?」

 テネシィは真顔になり、アケビの耳元に顔を近づけた。

「クソブッ殺してやりたくなるくれえムカつくが、認めてやるよ。俺はあの時、マジでブルってた。いつテメエにブッ殺されてもおかしくねえってな……生きた心地がしなかったぜマジで」

「規格外の射程範囲に、対象の即時変更。質の悪いウィルスのようだが、最も厄介なのはテネシィでもなければ感染された事実にすら気づけないという点だろう。アケビくん、我々はキミを高く評価している。だから私が直々に足を運んだのだよ」

 アケビは確信した。彼らは大きな勘違いをしており、そのお陰で今のところはこうして無事でいられるのだと。

「……それで、あたしは何をすればいいんですか」

 最早その体で話に乗るしかなかった。事実はどうであれ、彼らの要望を満たす事ができれば、イクコを助ける事ができる。状況的に引き下がることはできないし、引き下がる気もなかった。


「茨城県警はとある事件をもみ消している。多数の死傷者が出たが、能力者が絡んでいるため表沙汰にできない案件だ」

「ま、理由はそれだけじゃないんだがな。詳細は長くなるから伏せるが、そのヤマの犯人が持ってる『愚者の黄金』てのはでけえビジネス……つまり金になるような代物なんだ。ボスと俺らがわざわざ日本くんだりまで来たのも、こいつが目的でね」

 サミュエルとテネシィが交互に説明する。

「犯人はまだ始末されていないようだが、それ以降事件が再発していない。恐らくはその一件で県警が何らかの重大な手掛かりや情報を握っており、それが原因で膠着状態になっているのではないかと私は睨んでいる」

「俺らにとってみりゃ掠め取るチャンスってわけだ。つーわけでアケビィ、テメエにはポリ公共の目を盗んで、その手がかりを暴いてほしいってワケだ。なぁに、テメエにとっちゃ朝飯前だろ?」

 確かに、イクコの《ジェミナイ・シーカー》ならほぼノーリスクで出来そうなことだった。その手がかりというものがぼんやりしているが、根気よく視界を盗み続ければこれまでに出たいくつかのキーワードをもとに辿り着くのは、時間の問題のように感じられた。

「……その情報を持って来れば、あなた方の治癒能力者に協力していただけるんですね」

「約束する。彼女は多くのエビデンスを持っている。必ずキミの大切な人を目覚めさせてみせよう」

「へへっ、テメエの立派なモンを知った上で約束反故にしようなんて考える命知らずは居ねえよアケビィ。自信持てって」

 どこかで聞いたような憎まれ口を叩かれる。


「わかりました。やります、やらせてください」

「グラシアス。私が思うに、キミの最も恐ろしいところは目的の為なら手段を択ばないところだ。キミなら確実に成し遂げてくれるだろう……だが恥ずかしながら我々は、様々な制約に縛られこの法治国家日本で息を潜めているアウェイな存在でね」

 サミュエルが紙ナプキンを一枚取る。それを見たテネシィがすかざす差し出したペンを受け取れば、ナプキンの上に何かを書き始めた。

「あらゆるリスクを考慮して必要最小限の人員しか入国させていないし、キミとこうして会うのも正直かなり危険な賭けだった。この携帯番号は三日後の正午までなら繋がるが、それ以降は不通になる。三日以内に結果を報せる連絡が無ければ、残念ながらこの商談は白紙になると思ってくれたまえ」

 携帯番号を記されたナプキンを受け取る。

「分かってると思うが、番号を暗記したらすぐ処分しろよ。テメエの携帯に番号登録するなんてマヌケな真似もナシだ。誰にも言うな。今日あったことは忘れろ。成功した時の礼は必ずする。みっつだ。今度こそみっつで終わりだ」

 話は終わったとばかりに、サミュエルとテネシィは荷物をまとめて立ち上がり、伝票を取った。

「ここの支払いは済ませておくよ。キミの精神の旅に善き極点があらんことを。チャオ ムヘル・ボニータ」


 彼らが完全に店から出るのを見て、アケビは深く息を落とした。ワイヤレスイヤホンを着けようとした手が、震えている事にようやく気付く。

 運が良かった。『愚者の黄金』が何なのかはまるで分からないが、彼らはこれをかなり重要に考えているようだった。アケビの本当の能力が《レット・ミー・ヒア》であると悟られていたら、その情報を得るにあたって有効な人材であると見做されなかったかもしれない。そうであれば自分の安全を担保するものは何もなくなる。何をされてもおかしくはなかった。強運と僅かな機転とハッタリで、何とかこの場を生き延びたようなものだった。

「イクコ、聞いた?何とかなるかもしれない!三日以内に何とかすれば、元の生活に戻れるかもしれないよ!」

 だが返事はなかった。そういえば先ほどからやけにイクコが静かだった。

「……イクコ?ねえ、寝てるの?聞いてるんでしょ?」

 耳を澄ませていると、微かな音だったが、舌打ちが聞こえてきた。

「…………イクコ?」

『なに?』

「な、なんだ、おどかさないでよね。聞いてるなら聞いてるって言ってくれないと、わかんないんだからあたしは」

『……』

 様子がおかしかった。アケビの心中がにわかにざわめき始める。

「お、怒ってるの?ねえ、イクコ」

『……怒ってるって?"あなた"、そんなこともわからないの?自分が何しでかしたか、何の実感もないの?』

 生半可ではなかった。洒落やジョークでは済まされない程に激昂しているようだった。

『マフィアの犯罪に加担してんだよ!何ばかみたいにヘラヘラしてんの?しかも何、ぼくの《ジェミナイ・シーカー》を使うって?誰がいつそんなことを許可したの?ねえ!』

「ご、ごめん。それは悪かったよ。で、でもあたしは、イクコとの日常を取り戻したくて」

『それで、仲間が殺されても平然としてるような連中に協力するの?なりゆきで人を殺せって言われたらそうするの?』

「そ、そんなことしないよお!」

『うそつき。アケビはする。テネシィの時みたいに助ける理由がなければ必ずそうする』

「そ、それならイクコはずっと今のままでもいいっていうの?」

『いいよ。身内を犯罪者にしてまで身体を取り戻したいとは、ぼくは思わない』

「ダメだよそんなこと!お父さんだってきっとそんなこと望んで──」


『ふざけないで』


 静かな一言だったが、それまでのどの言葉よりも強い拒絶と軽蔑が含まれていた。氷水の中に墜とされたような感覚に襲われ、アケビは言葉を失ってしまう。

『ばかみたいだよね……アケビがそう言うのはさ、ぼくの事を想ってくれての事だと信じてた。でも、さっきので、それはぼくの都合の良い妄想だったんだって思い知らされたよ』

「妄想なんかじゃない!あたしは実際にイクコの事を想って!」

『うそつき』

 食い下がれば食い下がる程、イクコの声は冷ややかになっていった。生まれた時からずっと傍に居れば、喧嘩の一回や二回することは勿論あった。だがそれらとは違う。イクコがアケビに今向けている感情は、とても家族に向けるそれではなかった。


『アケビは、ぼくの事を見ているようで、自分の事しか……ううん、自分の事すら見ていない。"誰も見ていない"の。ぼくはアケビのことが……こわいよ』

「……イ、クコ」

『愚者の黄金だっけ?見つかるかもね。あの人たち、ぼくの《ジェミナイ・シーカー》をすごく怖がってたから、約束も守ってくれると思うよ』

 イクコの声は優しくなっていた。いつもの温もりのある、少し甘えたような声。だが、アケビの胸中に伝わってくる思念は深い落胆と失望、憤りと自責とが、混ぜこぜになったヘドロだった。

『でもそれでぼくが目覚めたとしても……アケビが望んでいる日常は戻ってこない。ぼくはもう二度とアケビの事をおねえちゃんと思わないし、居ないものとして生活していくから』

 《レット・ミー・ヒア》を使うまでもなかった。イクコは今、心からの本音で話していた。自然とアケビの目元に涙が浮かんできた。事実として、アケビはイクコを置いてけぼりにしていた。あの夜の結論を出さないまま、勝手に話を進めていた。ここまで拒絶されるのも無理からぬことであり、当然の報いであると受け入れる他なかった。


「お……お、おねえちゃんね?イクコのこと、だいすきなんだよ」

 平静を装うとすればするほど、涙はあふれ出てくる。それでも言葉をつづけた。

「さ、寂しくてさ……ずっと、会いたくて……それだけだったのに……でも、ごめんね?ばかなおねえちゃんで」

 イクコは沈黙していたが、その間も思念は流れ込んできていた。彼女も泣いているのが分かった。あの夜の涙と似ていたが、決定的に違うものがあった。

「イクコのきもち、全然考えてあげられなくて……」

『……おねえ──』


「──イクコがおねえちゃんのこときらいになっても、居ないものとして扱っても、あたしはイクコのこと、だいすきだから……だからおねえちゃん、ひとりでもがんばるよ。ほんとうに、ごめん」


 それが決定打だった。僅かに揺らいでいるように思えたイクコの感情が一気に冷え込み、凝固した。


『さよなら』


 それが最後だった。ひどく冷たい一言を最後に、それ以降、イクコの声は聞こえなくなった。

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