第8話 見上げる少年と見下ろす幼女



 ♦♦♦ 8─1 ♦♦♦



 時刻は午前2時を廻り、町は暗闇に包まれ、コンビニや信号や街頭、そして満月の光のみが沈黙した町を照らす唯一の目印になってしまった夜道。

 月ちゃんに上着を貸してしまったせいで長シャツ一枚(近場の買い出し程度の認識だったので)という軽装備になってしまい、本来なら夜風に身を竦ませるところなのだが、今回違った。

 コンビニで買ったカイロだと思うかもしれないがそれも違う。

 

 フニ


 大雑把に言うなら首。

 正確言うならうなじ。

 専門用語で言うなら項部こうぶ


 フニフニ


 たとえるなら、天使に後ろから抱かれているような思わず頬をすり寄せてしまいそうになる柔らかい温かさだ。

 この暖房器具は炬燵、ストーブ、ヒーター、高級羽毛にも負けていないと断言できるほどに凍えた身体の芯まで温めてくれて、中毒性が凄い。

「これを首元に着けるとね、気持ちよくなれるんですよ」

 なんだか薬をやっている危ない奴に聞こえるかもしれないが、安心してほしい。

 俺が現在身に着けているものは決して危険な代物ではないのだから。

 なんなら環境にも優しい便利なエコグッズだと思ってくれてもいいかもしれない。

 電気もガスも温めるための手順も必要ない、ただそれを着けるだけで次第に温まり、その温かさに悦び、歓喜かんきに震え、最後にはもうそれを外すなんて考えられないレベルにまで堕ちてしまう副作用もあるが、なーに、俺が堕ちてしまうなんてことないだろう。

 俺自身はともかくとして、人間として、流石に中毒者などとそこまで堕ちてはいないさ。


 フニフニフニ


 しかしそれはそれとして、このぬくもりはやばいな。

 そこらにいる一般人、いや、俺じゃなきゃに取り込まれていたな。

 ふー、危なか危ない。

 俺が最初に発見しなかったら、今頃、このに一体何人のロリコン共が這い寄ってきたことか。

 想像するだけで恐ろしい。

 の魅了は恐ろしい。

 いっそのこと誰も近寄ってこないようにマーキングしとくべきか否か……。

 悩ましいところだ。


「おい変態。フニフニするのをやめろ」


 ──と、俺にされている月ちゃんが沈黙を破った。


「なんだゆえちゃん?俺の名前は貝塚空だぞ」


「変態さんの名なんて変態で十分だよ。この変態」


「辛辣だな月ちゃんわ。俺は今マーキングするかしないかの究極の二択に脳をフル活用させてる最中なんだから。邪魔しないでくれる?」


「まさかとは思うけど、私の太もものことじゃないよね?」


「そうだけど」


 俺の一言に月ちゃんが固まる。

 幼女が童女になったみたいだ。

 そっちはそっちで可愛らしいけど。


「確認するけれど、幼女の太ももを犬や猫がマーキングする電柱と間違えてないよね?」


愚問ぐもんだな。俺がそんな動物と同じマーキングをする筈がないだろ」


「だよね」


「だが、め回す程度なら」


「おい」


「冗談だよ。1割わな」


「9割本気なんだねこの変態わ」


 そう言って月ちゃんに、ぽか、と頭を小突かれる。

 手、ちっちゃいな。


「それとさ、変態さん」


「なんだい月ちゃん」


「そろそろ私の太ももをサワサワするのをやめてくれないかな?」


「え?」


「私を踏切から肩車してからずっと太ももをサワサワしてるでしょ?こそばゆくて仕方なかったんだよね」


「え?」


「こんな幼女の太ももにご執心な変態さんだということを再確認したよ。YESロリータNOタッチかと思いきや、即座に私の想像を悪い意味で裏切ってくれる変態さんに言葉が上手く出なかったよ」


 見上げる。

 肩車され、正に見下すかのように軽蔑けいべつの眼差しを向けて見下ろして、いかにもふんぞり返った上司がしそうな態度を平然と真似る月ちゃんを無視して俺はこの人類の神秘である太もも触った。

 揉んだ。

 摘んだ。

 摩った。

 叩いた。


「痛いよ」


「痛ッ!?」


 太ももを堪能する俺は月ちゃんにグーパンチで頭を殴られる。

 思いのほか威力があったことに衝撃だったが、幼女に殴られるのもそれはそれでいい経験になるかもしれない。

 今後、誰かに殴られる際に今日のこの幼女パンチの威力と比較して、殴った相手がどれだけ男子である俺より筋力の高いゴリラ女かを突き付けることができる。

 ……俺の生死と引き換えに、だが。


「空ってホントに女心が分かってないよね」


「そうか?これでも女性経験は一般の人よりも豊富なつもりだけど」


 ドラマチックな恋愛小説参照の恋愛や性行為みたいないやらしい体験もしたことはないし、彼女がいる今でも以前として童貞のまま。

 花々しい青春の日常を過ごしていないぼっちで説得力がないと思うかもしれない。

 ところがどうだろう、奈落の依頼の手伝い兼借金返済のため働いている中で幾度も出会ってきた彼ら、彼女らとの物理的にも精神的にも刺激的な体験をした俺は女性相手のプロフェッショナルになったつもりだ。

 多種多様・千変万化・志操堅固・百戦錬磨・自由奔放な彼ら、彼女らを知っている身としては、教科書にも載っているような普通の女の子は普通じゃない女の子と比べると楽なものに感じる。

 時には魑魅魍魎・悪鬼羅刹類いの奴らとも過ごしたことがあるので滅多なことじゃ驚かないと自負している。

 そもそも彼ら、彼女らのような存在がそこらじゅうにいると考えると猛烈に胃が痛くなるし、俺の心身共によろしくないので勘弁願いたい。


「なるほど。空が訳ありな少女たちを見つけてはたぶらかしている最低の屑野郎なのはよく分かったよ。重々承知したよ」


「誑かすって、俺の話を聞いてたか?どいつもこいつも一癖二癖もある変わった奴らなのにそんな生か死かのギャンブルを毎度毎度オールインしてたら人生という名のチップが瞬く間に吹っ飛んじゃうよ。俺は命知らずじゃないし、それをする勇気も器量も持ち合わせていないからな」


「だけど口説いているんだよね?鈍感難聴の補正のついた目に映る美少女を自分の嫁!と錯覚して口説きまくって、惚れられるラノベ主人公みたいにさ。流石だね。無意識にそこまできる屑男くずおを私は知らないよ」


「……確かに、俺は鈍感かもな」


 多分、月ちゃんは本当に傷付けようとして言っているんじゃないことぐらいは誰にでも、鈍感の俺でも察しが付くし、俺のことをよく知らない月ちゃんが憶測で友人である彼らをどうこう言おうと仕方ないことだし、悪気があるわけでもない。


「でも、鈍感なりにことはやり切れた筈だよ。偉そぶるつもりはないけど、月ちゃんの言うように俺の愚行の結果、惚れられてしまってもそれは貝塚空本人じゃなくて貝塚空の愚行にだけなんだ」


 ぺらぺらと自分にとって都合の良い言葉は出てくるな。

 さながら必死に母親に自分に非はないと恥ずかしげもなく声を大にして口にする子供の言い訳だ。

 つい必死に自分を肯定しようと口走るこの口と喉が偶に嫌になる。

 そんな時、ふと奈落の言葉がよぎる。


『人にとっての"幸せ"という行為は自分自身の肯定に他ならないんだよ、貝塚』


 昔、誰かを助けて『ありがとう』と言ってもらえることが幸せなことだと"誤認"していた貝塚空に奈落叶が突き付けた後日談──その言葉。

 誰かを救うことは決して喜ばれることはあっても褒められることではないのだと知った、という話。

 だから、俺は言える。


れられてなんかいないよ。かれているだけだ」


 やっぱり誰かに否定されるのは──語られるのは好きじゃない。







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