第六話 神は顎髭を湛え
獣人。猫と、ウサギ。
ぼんやりと記憶に残る彼女らの話が出てきて、つい左手の甲をぽりぽりと掻いてしまったアキラが、慎重に訊ねる。この世界であの獣たちが『馴染み深い存在』なのかどうなのか、まだアキラには判断がつかない。
「それは……どうして」
「人間離れした強さだからなあ、あの連中は。さすがに帝国の兵士でも簡単にスラムまで連れて行けるとは思えん。それと単純にヒト扱いしてないんだろう。まあこれは昔からの話なんだが。この大陸では獣を嫌う人間も多いからなあ」
マインストンがぎいっと椅子を後ろに軋ませ腕を組んで天井を見上げる。その言葉と表情に、アキラは少し緊張を解いた。所長の口ぶりから、どうやら獣たちは一般的な存在のようである。
「所長さんは、ヒト扱いしてるんですね。獣人の皆さんを」
「……そういう君も偏見はなさそうだな。私はもともとシュテの出身で、あそこは獣とヒトの仲はいい」
椅子を反らせたまま、マインストンがアキラに目をやって少し笑う。が、視線は少し寂しそうにも見える。
「地域によっては……酷い扱いを受けている獣たちもいるんだ。あれを本気で病気だと思ってる連中もいる。私に言わせればあり得ない話だが」
「病気?」「そうだ。感染症だ」
「——えっと、その」
「うん? どうしたね?」
=気をつけろアキラ。お前が持っているイメージと、齟齬があるようだ=
(感染するって……もともと人間、ってこと?)
声に言われてアキラが考える。
感染症が疑われるということは、つまりあの獣たちが『人間から発生する』ケースがあるということではないか? それはこの世界では常識か? 知識として持っていなくてはおかしいことか?
=世界の様相を探るのは後回しにしろアキラ。どうもボロが出そうで会話が危うい。今は大陸の状況に焦点を当てるべきだ。それならオマエが知っていなくても不思議ではない=
「……帝国は、獣人たちをどう思っているんでしょうね?」
「獣たちの成り立ちをかね? 大戦以降、
=うん、いいんじゃないか?=
「自分その戦争のこと、詳しく知らないんですが。帝国と獣が戦ったんですか? アイルターク国も、ここも元々帝国とは敵対していて——」
「なあ、トーノ君」
マインストンが椅子をぎっと戻したので、アキラが少し焦った。
「は、はい?」
「——君はなぜ、爆縮の件を訊ねないのかね?」
(あっ。)
=ああ。しまったな。それはそうだ=
所長の言葉に上位兵二人も反応してこちらを向く。マインストンはテーブルに身体を乗り出し、アキラにじっと目を向け笑っている。この辺りの切り込みはさすがに、尋問に長けている態度にも見える。
「砂漠で起こった大きな事件に、ずいぶん無関心じゃないか。それより獣に興味があるのかね? そういえば爆縮そのものも知らない風だったな」
「あ、あれはその、記憶がぼんやりしてて、ですねっ」
「じゃあ今は圧縮と爆縮の違い、わかってるのかね?」
(ヘルプっ!)
=……あのな。魔力を閉じ込めるのが圧縮、消えて無くなるのが爆縮だ=
「えっと。閉じ込めるのが圧縮で、消えるのが……消えっ?」
=ちゃんと言えオマエ。そこ突っかかるんじゃない=
「き、消えるのが爆縮ですね」
じいっと。マインストンがアキラの目を
「で、ですよね」
「まあ……そうだ。不思議な現象なんだ爆縮というのは」
所長がアキラへの視線を外し、かちゃりとスプーンを手にとってカップの冷めたスープをくるくると掻き混ぜながら、言葉を続けた。
「とある地域に急激に集まった魔力が忽然と消えてしまう、その原因は何も解明されていない。帝国やらファガンは、最近は相手のゲリラ的な攻撃だと思っているらしいが、私の田舎では別の言い方があってな」
=うん? 割と日常的な現象なのか?=
(なんか話しぶりだとそんな感じだね)
「別の言い方、ですか?」
「そうだ。『神のヒゲ』だ」
「ヒゲ?」「そう。この髭だ」
所長の顎には何も生えていないが、そこを指でとんとんと叩いて笑う。
「神様がな、違う世界に向けて髭を伸ばすのだ。だから魔力が消える。それが戻った時に我々はいろんな恩寵を神から受ける。正確には竜脈から、なんだが」
「……」
「竜脈から魔力を汲み上げた際に、いろんな、なんだろう、新しい魔法式の発想とか、考え方とか、魔導機のアイディアとか、時には思想とか、芸術とか——」
「情報が、手に入るんですね?」
「そう。そうだ。思いもつかないような新しい情報が流れ込んでくる。それはもう昔から言われていることだ、私の田舎ではな。シュテの人間は世界中に散って、竜脈から生まれた技術や発想を財産にして、いろんな場所で雇われているんだ」
=ふーむ。その辺が言語やら科学が紛れ込んでる原因か?=
(そんなに混ざってる?)
=英語もあっただろう? 魔法の式には楔形文字らしき記述もある。詠唱の中にはワブミに似ているものもあるな=
(ワブミって……和文?)
=ああ、和文と読むのか。
頭の中で会話するアキラを
「ただ、今回の爆縮はあまりにも『でか過ぎる』んだ、それが問題視されている」
=そこは放っといてくれたらいいんだがな=
(……)
「田舎の言い方に習うなら、ヒゲではなくて——腕でも伸ばしたんじゃないかなあ。何かを、鷲掴みで持ってきたんじゃないかと」
マインストンがアキラを見る。
「——そう、思ってるんだが、どうかね?」
=コイツ小さいくせに鋭いな。そのシュテの出身と言うだけあるのか=
(どどどど、どうなのバレてるのバレてないの大丈夫なの?)
=落ち着け。顔に出るぞ=
「ど、どうなんでしょうね? わかんないです。ははは」
アキラの返答に、なにを納得したのか。所長が視線を緩めて言葉を締めた。
「まあ。穏便に。国に帰りたまえ、トーノ君。キミはやっぱり人狩りに、帝国に捕まっちゃいけない。かなり関心を持たれそうだ」
「は、はあ」
◆◇◆
兵士達を乗せた四台のビークルは、そろそろ荒野を抜けて帝国領からカーン領界に差し掛かる付近まで来ていた。この辺りから地形は山陵地に入り、周囲に針葉樹の高木が増えてくる。
運転する兵士は長旅で疲れたのか首をこきこきと鳴らせながら、少しアクセルを緩めて、隣の兵士に声をかける。
「そろそろだ。到着確認4。権限移譲申請。ガニオン辺境防衛中隊18の小隊2。」
「あいよ」
ややスピードを上げた車の助手席で、もう一人の兵士が面倒そうに答えて、目の前のフレームにぶら下がっている有線の通信機を外して声をあげた。
「到着確認4。権限移譲申請。ガニオン辺境防衛中隊18の小隊2。
到着確認4。権限移譲申請。ガニオン辺境防衛中隊18の小隊2。」
◆◇◆
=アキラ、通信を傍受した=
食事を終えたアキラ達は、兵士の入れてくれた茶を飲みながら、食後の雑談をしていた。
兵士の話では、砂漠の東部はアイルタークに一部が差し掛かっているので、その辺りで拉致されたのではないかということ、ここアーダンまでは魔導系の乗り物でも三日ほどかかるということ、しかし東からアイルタークに戻っても山ばかりなので、やや遠回りになるが南のイルケア領を海まで下った方が町も多く安全であることが分かった。
さすがに領内で殺人等の重犯罪があれば、カーン兵も徹底して動くので、わざと巡回に見つかりそうな場所に放置したのでは、というのが上位兵二人の見解であった。マインストンは特に意見せずに茶をすすっている。
アキラはもちろん、それが正しくないことを知っている。聞いていて少し気まずい彼であったが、話の途中で声が割り込んできた。
(どしたの?)
=面倒な客が来たぞ=
声がそう答えた時に、ノックとほぼ同時に扉が開いてヘルメットの一般兵が入ってきた。
「失礼します。権限移譲申請です」
「何?」
アキラを除く全員が顔を見合わせる。マインストンが兵士に訊く。
「確かか? 全然時期が合っていないじゃないか」
「間違いありません。もう樹林帯の中に入っているようです」
「昨日の爆縮に調査隊が出たのでは……」
隣から上位兵が囁いた。マインストンは頷くが、一瞬だけアキラをちらりと見て、すぐ兵士に向き直って命令する。
「今の時間は、全員まだ食堂かね?」
「はい」
「ではそこから動かさないように。収容区の接続門は全閉鎖。逆に防衛区の探知能をレベル3に緩和。閉鎖後の歩哨は二名が食堂前で待機、残りは正門格納庫に集合」
「返信はどうしますか?」
「受け入れ許可だけ返しておけ」
「了解です」
兵士が答えてすぐ部屋を退出した。
◆◇◆
助手席の兵士が鼻で笑って通信機を戻すのを、訝しげに運転手が見て問いかける。
「なんだ、気持ち悪いな」
「受け入れは許可するとよ」
「? 権限は?」
「返答なしだねえ」
答えを聞いて運転手がため息をついた。
「大人しくしときゃ、怪我もないのになあ、お互い」
隣の兵士がまた「へっ」と笑って、もう一度かちゃりと通信機を取り、コードを指先でくるくる振り回しながら別のチャンネルで話す。
「到着指示。1班点検。2班、
『1班了解』
『2班了解』
『3班了解。障壁上げ』
『4班了解。障壁上げ』
「自分ら掃除ですか?」
どうやら1班らしい後ろの荷台から声がかかる。振り向いて兵士が答えた。
「荷台きれいにしとけ。念のためだ。
◆◇◆
急に食堂の向こうが慌ただしい。廊下側の石壁に嵌っている格子窓の向こうを兵士たちが正門の方にバタバタと駆けていくのが見える。収監者がひとり気付き二人気付き、やがて口々に騒ぎ始めた。
「おいおい、何があったんだ?」
「まさか帝国か?」
「いや、それはもっと先だろ?」
髭の大男も食堂の門を見て、すぐ医師の姿を探す。医師は小柄な老人の脈を計っていたのを途中で止めて、同じように顔を上げて辺りを伺っていた。そこで目が合ったので、医師の方に小走りで駆けつけて声をかける。
「どうしたんだ? 先生」
「いや……わからん。帝国の巡回は数ヶ月後のはずだが」
(俺たちの件じゃないだろうな)
(それはないだろう、ひょっとしたら爆縮絡みか)
小声で答える医師に、男がまた問いかけた。
「うん? 爆縮? 爆縮って、なんだ?」
「ああ、中に居たら知らないか。砂漠で大規模な爆縮があったんだ。昨日だ」
「大規模って、偵察隊が出るくらいなのか?」
「それが……26億ジュールって聞いたんだが」
「にじゅ——!」
絶句する男に医師が言う。
「言っとくが、私も今朝、聞いたんだ。詳しい内容は知らん」
「先生! 先生もこのまま避難しておいてくださいとのことです!」
話す二人に門の外から兵士が声を放った。それと同時に。ワアアンと短い警報が回廊に響き、食堂の門の輝きが青から赤に変わる。次の瞬間、分厚い塊の魔力の壁がどおん! と音を立てて落ちて門を閉ざした。
食堂の床がびりびりと揺れるほどの重量のあるそれは、透明だがぎっしりと厚く存在感があり、表面がぼうっと鈍く光っている。
「障壁?!」
誰かが叫んだ。
「おい! どうなってんだ!」
「障壁だと!」
「出せよ! 何しやがる!」
収監者たちが一斉にわあっと門に群がるが、兵士は背を向けたまま取り合わない。何人かは壁に取り付きがんがんと拳で叩くが、透明の壁は硬質でびくともしない。あちらこちらで怒号が上がる中、二人は冷静である。
「こりゃ本当に帝国でも来たか」
男が髭をかりかりと掻いた。医師が言う。
「どう動く?」
「カーンの兵隊には手を出す気はなかったが、帝国なら話は別だな」
当たり前のように男が答えた。
◆◇◆
回廊をかつかつと四人が歩き、やがて見覚えのある通路に出た。ここから奥に戻れば昨晩の独居房があるはずである。
癖毛で金髪の若い上位兵がアキラに声をかける。が、
「どうするね、トーノ君」
「では君は部屋に避難して——え?」
金髪の声に被せるようにマインストンが聞いたので思わず振り返る。アキラも「えっ?」っと驚いて所長を凝視したまま固まってしまった。
所長が、アキラの顔をじっと見る。隣の強面が小声で話す。
「所長、戦闘になるかも知れません」
「そうだな。——どうする? トーノ君。どちらでもいいぞ」
=『君は一般人か? それとも何か違うのか?』と彼は聞いているんだ=
声が思考を助ける。
(でも。食事の時は。穏便に国へ帰れって)
=それは帝国兵と会わないうちに、という前提だ。もはや彼らは来てしまった。どうやら捕まればロクな目には逢わないようだ。戦いをプロに任せるか? それとも、自分でやれるアテがあるのか? と所長は聞いているのだ=
(いや自分でって、俺も戦うってこと?)
=わかってると思うが。帝国が来たのは私たちが起こした爆縮のせいだ=
(私たちって、お前が—— いや、もう分かった。それはもう言わない)
=いい心がけだ。戦えばもう、いろいろと隠せないかもな=
(だろうね。勝てるの? 俺たち)
=知らん。ただ新しい情報は私も歓迎だ=
(コイツは、ほんっとに……)
「きっと邪魔になりますけど。一緒に行きます。いいですか?」
好奇心に勝てず言い切ったアキラに、所長の目が少し見開く。上位兵の二人の目はもっと見開いた。ただマインストンだけは、驚いた眼はそのままにだんだん口元が緩んでくる。やはり、この青年はよく分からない。面白い。
「無理はしないようにな。——二人とも。保護は彼を優先するように。障壁上げ!」
「了解」「了解です」
所長の判断に、上位兵は即答する。次の瞬間。
彼らの両袖から、ざりっ! と金属の機械が飛び出して袖の上にZ状に折れて戻りざりざりと音を立てて変形し、上腕を隠す籠手になった。右と左で形が違う。
右の籠手は細い笹の葉のような流線型を二重にした型で、輪郭に沿って重なった隙間から青い光を発している。左は先の尖った鉄の杭が二本、手の甲まで突き出した型である。
どちらの手甲にも魔術的な文様が彫り込まれ、二人が同時に「ふっ。」と右腕をわずかに揺らすと、笹葉の機械の両側面から。
半月の光がぶわっと発し肩際までざあああっと伸びて一つになって、右上半身を隠す中型の、木の葉の形をした青い光の盾ができた。
「どぉおお……」
=ふむ、綺麗な
(……ちょっとだけ)
=変なところで意地を張るのだな。まだ序の口だと思うぞ=
◆◇◆
断崖前面を覆う鋼鉄の正門が、ごうんごうんと音を立てて、左右に開いていく。
昔は車庫だったのだろうか、内部は高い天井のがらんとした広間には十数名の制服が既に待機し、中央の回廊奥から早足で歩いて来たアキラたち四人を迎える。整列した制服たちも、すでに皆、光の盾を装備している。
開く門から差し込む昼の陽射しがアキラの目を眩ませたが、やがて慣れると森へと繋がる正面の道から、数台の車輌が向かってくるのが確認できた。
土煙は上げているが相変わらず音は静かで、遠目に見ても車体が大きい。広場に停まっている車の倍ほどに見える。マインストンと上位兵が話す。
「四台と言っていたな」
「はい、小隊です。四十名程度でしょうか」
「公務だと思うか?」
「まさか。おそらく調査ついでの点数稼ぎでしょう。応じる必要はないと考えます」
やがて広場にビークルが到着した。
車体後方のダクトが徐々に勢いを落としながら回転し、向きを変えつつある車から次々に兵士が外套をなびかせて降車する。
一台目二台目の乗員はすぐさま分散して各車に走り、着地した車のダクト側面にある引き手を両手で回し、白い冷気を上げる円筒状の霜のついた機械を取り出す。
それを兵士が広場の常夜灯まで運ぶと、自動で常夜灯の下部が羽のように開いた。二本ずつ円筒を兵士が嵌め込んでいく。鈍い音がして円筒が輝く。
三台目四台目の兵士を二十名ほど引き連れて、無線で喋っていた二人が先頭に立ち、格納庫の方に入って来た。どうもこの二人が隊長格らしい。
集団が格納庫で対峙する。
先に声を出したのはマインストンである、が、
「補給は構わんが、時期がおかしいんじゃ——」
「権限渡せよ所長。」
があんっ! と、右方向の床面で音がしたので思わずアキラが見る。
白煙と、ばりばりと周囲に電撃が走っている。
何が起こったのか。
=素手で光弾を曲げたぞ。この所長=
(えっ?……)
話も聞かずに帝国兵が撃った。
それをマインストンが右腕で払った。その弾着が右の床なのだ。
周囲は平然としている。撃った隊長の後方広場では、まだ車の整備ががしゃがしゃと続いていた。撃たれた要塞側の兵士も、何ひとつ動揺していない。
敵の発砲も。マインストンの防御も。アキラは、すべてが目で追えなかった。
「話す気もないなら仕方ない! 構え!」
所長が叫ぶ。
「おーし、攻撃よし!」
帝国兵も答えて、双方が構える。
これがアキラの初戦である。
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