太陽の沈まない街

朝百合

流星の子守唄


 人は言う、この街において「時間」なんてあってないようなものなんだ、と。



 街は歯車の軋む音と蒸気機関のうめく音、人々の喧騒に溢れている。ところが太陽は、四六時中、街の真上から一歩たりとも動きやしないのだ。街の少し外れには時計塔があり、針の音を街中に木霊させるが、いくら時計が動けど風が吹けどお天道様は止まったまんま。道沿いには仕事を放棄した街灯が新品同然で佇み、陽が沈むことを待ち望んでいるが、その日は一向に来ない。

 ともかく、ルエラニはそういう街だった。小さな歯車の街はここ十年ほどで、新たな領主さまによってずいぶんと様変わりし大きくなった。微動だにせず街を見守る太陽を知らんぷりするかのように、街は色とりどりな音にまみれ廻り続けている。



 ルエラニの二番街は、中央の広場を囲んで時計の文字盤の様に配された十二個ある区画の一つで、俗にいう職人街だ。街の中央近辺では、宝石店や仕立て屋だったり、料理道具などと言った民衆に馴染みの深いお店がある。だが、奥の方の職人はとにかく曲者が多く、一般人が立ち寄る所ではないとのもっぱらの評判だ。


 そんな二番街の大通りを奥へ奥へと進む少女がいた。編み込んだ銀髪に汗を伝わせながら、両手で持ったかごにいっぱいの食料と仕事道具を入れて石畳を行く。彼女は名をメルと言った。見た目は年頃の女の子と言った感じだが、ブティックやアクセサリーのお店には目もくれずに奥へ進んで行く。

 仕事帰りだった。単純な修理ですぐに終わったので、その帰りに商店街に寄り食料を買い貯めて今に至る。籠の中はただでさえ重い仕事道具に加えて、食料まで入ってかなりずっしり来ている。次の馬車までだいぶ時間が空くから、と歩き出したことを軽く後悔していた。


 人が片側に寄ればギリギリ馬車が通れるくらいの道。腐っても二番街の大通りなのだが、人通りはだいぶまばらだった。日向の中を、身体に汗に濡れた白いワンピースを張り付かせ、裾を揺らしながら歩き続ける。だが、とうとう疲れが回ってきたのか、道の脇にある馬車の停車場のベンチへと目的地を変えた。


「ちょっ、と、きゅう、けいっ……」


 図々しいな、と思いながらもベンチの左側に籠を下し、ふぅ、と息を吐いてぺたんと座る。


 相変わらずの暑さだった。目の前の運河を通る船が波をしぶき、風が少し撫でる。その流れの向こうには工場の赤い煙突が何本も見えた。

 ふぅ、と溜息一つつく。物心付いたころには孤児であったメルは、母親の顔を知らない。それからこの街をどのように生きていたのか、今となっては、自分のことながらまるで想像できなかった。確かなのは、数え年で7歳の年に物好きなお姉さんに拾われ、色々仕込まれて今に至るということだけだ。その人とよくここに二人並んで、時間を無為に過ごしたなぁ、なんて事をふと思い出した。


 それからメルは、しばらく揺れる水面と時たま走る船をぼんやり眺めていた。ゆっくりと時が流れていく……










「生きてる?」


 どれくらい経ったろうか。突然横から声をかけられて、メルはようやく自分を覗き込む少女がいることに気付いた。はたと視線を上げると、まじまじとメルを見る黄金色の瞳と目が合った。栗色の髪をウェーブさせて、茜色のチェック柄のロングスカートを風のイタズラに揺らしている。同い年くらいの少女だった。

 そこでメルは、はたと我に返って自分が停車場のベンチを占領していたことを思い出した。


「あ、あのっ!!ぁ……すみません」


 メルが席を立とうとするとその少女は、「やーいいよー」と疲れたように微笑んだ。立ち上がろうとするメルを手で制し、代わりに「隣座ってもいい?」と聞く。メルが思わず「はぃっ!?」と慌てて籠を自分の方に寄せると、少女ははぅぅと大きく息を吐いてベンチに腰を掛けた。メルの隣に座ってからは物珍しそうにゆっくりと周りを見渡しては、その景色一つ一つを確かめるかのようにじっと見る。

 メルの方はというと、どうすればいいか分からず少女の顔を横から青い瞳で覗き込むばかりだった。それにはたと気づいた栗毛の少女が思い出したかのように声を出した。


「わたし?わたしねー、夜宵やよいって言うの」

「やよい……さん?」

「そっ」


 夜宵、と名乗る少女は、ずいぶんと間延びした声で疲れたように笑ってメルに答えた。メルは隣に座る少女を改めてまじまじ見る。


「……どう、したんですか?」

「分かんないねー、なんもわかんない」


 夜宵はどこか遠い目をして、運河の向こうの工場を漠然と見ながら言った。笑顔を張り付けているが、憔悴しきっているのが容易に目に取れた。夜宵はそれからしばらく、焦点が合っていないかのように景色のどこかをを見ていた。沈黙に波風が茶々を入れてもどかしい時間が過ぎていき、それから絞り出すように声を出した。


「……ホントは日が沈むまでは歩こーって思ったんだけどさー」


 夜宵が力無さげに笑って言う。

 その言葉にメルはこてんと首をかしげて、「えっと……」と言い淀んでしまった。


「……太陽は、沈みませんよ?」


 夜宵は飄々とした顔を固まらせ、頭でその言葉を反芻する。だが、結果「……と、言うと?」と次の言葉を求めるのが精いっぱいだった。


「あの太陽は三十年前に昇りきった後、沈んでいない、と聞いてます……」


 わたしも見た訳じゃないですけど、と付け加えて若干戸惑いながら黄金色の瞳を覗き込んだ。だが、普通知っているはずの事実であった。

 夜宵は腕を組んで虚空を見つめながら「なるほどねー」としみじみ言ったあと、ふらふらと頭を揺らしてメルの膝の上にぺたんと倒してしまった。栗毛をメルの白いスカートにぶわさぁと広げ、体重をそっと預ける。いきなりのことにメルは声も出せず戸惑うばかりだったが、それを感じたのか夜宵は申し訳なさそうに一言だけ呟いた。


「ごめん、ねむい」

「……え?」


 メルが思わず声を上げたのもつかの間、次の瞬間に夜宵は、すぅ、すぅと息を立てながら夢の世界へと飛び立っていってしまっていた。

 どうしよう。心で呟く。よほど疲れていたのか、意識を縒り戻す気配は無かった。こうなると、メル自身もどうにも夜宵をこのままベンチに置いていくのも忍びなかった。

 はぅうと息を吐いて馬車の時刻表と時計塔の文字盤を確認する。そう遠くない内に次の馬車が来るはずだ。仕方なく膝の上で眠る少女を撫でながら馬車を待つことにした。







―――――






となりのほしのカミさまへ




わたしのこえがとどくなら




ほしふるよぞらのうたごえを




「あなたのもとへ、とどけましょ……」

「……んぁ?」


 心地よい旋律に身を預けていた夜宵は目を覚まし、がたがたと体が揺られていることに気づいた。空席の目立つ馬車で、肩をメルに預け二人並んで揺られている。車輪の音に交じって、目をこする夜宵の「おはよー」という声が寂しく響いた。存外早いお目覚めだったが、メルには好都合だった。


「あ、えっと……もうすぐ、着きます」


 夜宵があくびをしながら「……どこに?」と尋ねる。それに、視界に入った目的地の最寄りの停車場を横目に応えた。

 

「一応、わたしのお店です」






 メルの店は、その停車場を降り、少し先を左に曲がって建物の密集地を進むとすぐのところにあった。レンガ造りで木の扉があり、そこには小さく『アイヴィー灯籠ランプ店』という看板が掛けられていた。夜宵は暫くその看板を見つめていたが、メルに急かされて中に入る。

 中は真っ暗だったが、メルがぱちんと指を鳴らすとがらりと雰囲気が変わる。


「うわぁ、すごーい……」


 暗い空間にたくさんの灯籠ランプが一斉に灯った。店の壁にはそこかしこに明かりが溢れ、その一つ一つに意匠が施されている。真ん中の机にも所狭しと灯籠ランプがある。ここに並ぶ、二、三百もの灯籠ランプはすべてメルの作ったものだそうだ。


「へぇー、なんだか星空みたいできれい」

「……星空、ですか?」


 夜宵は正直に言ったのだが、驚きの表情を浮かべるメルを見て感づいた。そういえば、この街は太陽が沈まないのだった。つまり、もしかするとメルは星空を見たことがないのかもしれない、と。

 そして、灯籠の道の奥に埋もれている扉を開くと、景色は再び一変する。そこは工房やお店とは違って、少し生活感のある部屋だった。今度は天井にたくさんの小窓があり、そこからいくつもの光の筋が床へと差し込む。この街の周辺では太陽が動かない。それを生かして陽の光を程よく部屋に取り込む構造になっているのだ。陽に照らされている室内は思いの他明るく、夜宵は一瞬目がくらんでしまった。


 メルは、慣れっこなのか部屋の明るいのをものともせず、籠を木の机の上に下ろしながら汗を拭った。レンガ調の壁には細い配管がめぐらされ、その隙間に明かりのついていない灯籠が吊るされている。「散らかっててごめんなさい」なんてメルが言うが、夜宵は、たぶん自分の部屋の方が散らかってるよ、と目を擦りながらぼやいた。


 「少し待っててください」とメルが部屋を出ていく。程なくして戻ってくると、手にバケットを持ち、そこに掌より一回り大きいパンらしきものを載せていた。一つ一つ色が違い、テーブルに一気に色が宿る。お皿やジャムっぽいものもいつの間にか用意されていた。ランチなのかディナーなのかは分からなかったが、夜宵はありがたく頂戴することにした。

 メルはパンの山から緑色のパンを、夜宵はなんとなく赤色をとる。食べ始めると、夜宵の口にも合っていたようで、手にしたパンが小さくなっていく速度もだんだん早くなっていった。


 メルはパンを食べながら、聞きたいことが多すぎて何から問いかけようか迷っていた。何があったのですか?どこから来たのですか?思考が回り回った末に、メルは一番気になっていることから聞くことにした。


「あの……その……夜宵、さんは……」


 ごにょごにょと口籠り、最後は夜宵の目から少しだけ目を逸らしながら言った。


「星空、について知ってるんでしょうか?」


 夜宵は虚を突かれた様に一瞬固まった。とりあえず口では「ん?あー、さっきいってたやつね」と軽い調子で応えたが、どう答えたものかと思案する。星空を知らない人に、星空を伝えるには——夜宵は言葉を選びながら口を開く。


「私がもといた国……世界?……って言い方が合ってるかどーかはわかんないけど、とりあえずそっちには『夜』ってのがあってねー」

「夜……」


 世界、夜、よくわからない単語だらけだった。メルが三つ目に青いパンを手に取り、瓶からブルーベリーのような藍色の果実のペーストを取り出して乗せる。


「見たことはないです……でも、こういう色の空、ということは聞いたことが……」


 そのペーストを片目に入れ「そうそう」と夜宵が言う。「あっ、どうぞ」と瓶を差し出されたので、ほんの少しだけ赤いパンの欠片に乗せる。口に放ると、酸味が口に広がり、後から申し訳程度の甘みが来た。このパンに合う。

 夜宵はペーストをさっきよりも多めにパンに塗り足して、ペーストの入った瓶をメルに返しながら言った。


「こんな感じの色になった空に、光がたくさんあるんだけど……」


 こればっかりは見てもらわないとなー、と続けた。「そうですか……」とメルは少ししゅんとした様子で再びパンを食べ始めた。そこで、夜宵はふと気になってメルに言った。


「でも、星空、のことは知ってるの?」

「え、あ、はい……」


 メルは少し伏し目がちに視線をそらして、白いパンを握る。四つ目だった。


「お母さんが、歌ってくれた唄なんですけど……」


 少しだけ表情を沈ませて語り出した。

 自分は産みの親のことをほとんど覚えていない。顔も、名前も、共に過ごした時間も。それでも、どうしてか子守唄と歌声だけははっきりと覚えていた。




  となりのほしのカミさまへ


  わたしのこえがとどくなら


  ほしふるよぞらのうたごえを


  あなたのもとへ、とどけましょ

 



 その子守唄と優しい声だけは脳裏にこびりついていたのか、16か17歳になる今もまるで頭から離れようとしなかった。ことばにすれば数行で終わるような歌だったが、メルはどうもこの歌をよく口ずさんでしまっていた。


「でも、その”ほしふるよぞら”、見たことなくて……」


 メルは少し寂しげな顔をして笑った。それを聞いた夜宵は、「……そっか」と一言だけ呟いた。それから、しばらく「まぁ、こんなこと言えた口じゃないけど」と窓の外に目を向けて言った。


「星空よりもっとキレイな景色なんて、人それぞれいっぱいあるもんさー」


 誤魔化す笑みしか浮かべられない自分がどうももどかしかった。

 その時、店舗側の扉の向こうで物音がしたかと思うと、すぐにシャラランと鈴の音が響いた。


「あ……ごめんなさい、お客さん……」

「ぜんぜんまってるよー、行っといでー」


 メルは少し申し訳そうな顔をしてから、手にしていた五つ目のパンを口に詰め込んで椅子から立ち上がった。夜宵は「よくそんなに食べれるなー」とメルに聞こえない程度に小さく呟いて、ちぎったパンを口に放り込む。こちらはまだ二つ目のパンの折り返し地点であった。

 扉がぱたんと閉められると、部屋は一気にうんと静かになる。だが、そう思ったのもつかの間、夜宵が二つ目のパンを食べ切ろうとしたその時、バンと扉が開け放たれた。


「あら、可愛いじゃないの」


 そこには、黄金色の髪を靡かせる女性がいた。その後ろをメルがおどおどと付いてきて、困ったように言う。


「えっと……一応、私の、師匠にあたる人です」

「ほう」

「はぁい、これでもこの街の領主よ」

「……ほう?」


 夜宵が戸惑いの表情を見せると、その女性は悪戯に成功した子供のように笑った。





—————






 その女性はアゲハと名乗った。どうやらメルの灯籠の師匠で、このルエラニの領主。聞くところによると十年ほど前にお忍び外出中にメルを見かけ、それ以来の関係らしい。机の上を片づけ、三人でコの字に座る。「それにしてもメルが人を家に上げるなんて……」と感慨深くアゲハが言った。だが、メルがその経緯を話すと、アゲハの目の色が変わる。

 夜宵は自分の状況を語った。自分はおそらく遠くの違う星か、よくわかんないけど別世界の人間だ、根拠は、私の世界には星空があることだと。それを聞いて、「星空……」と呟いてと赤い瞳で天井の一点を見つめた。


「ごめんなさい、これだけじゃ何とも……」


 申し訳なさそうに眉を下げて言う。夜宵は、まあそうかー、と飄々として気にしてない旨を伝えた。

 それからもアゲハは、星空、星空……と小さく呟き続けた。そして、突然何かを思いついたかのように、あっ、と声を出して、今度は懐から封筒のようなものを取り出しメルに渡した。


「これ、依頼書」

「依頼……?アゲハお姉さん経由で?」

「そう、依頼主は時計塔の管理人」


 行ってきなさい、と言うアゲハに、メルも夜宵も「え、今?」と驚く。メルは「そりゃあ、行きますけど……」とは言うものの、青い瞳で夜宵を心配そうに見つめていた。夜宵さんはどうすればいいの、と。

 それに感づいたアゲハが優しく笑ってメルに言った。


「この娘なら何とかするから、お仕事行ってきなさい」










 メルが「夜宵さんを、お願いします」と言って部屋を出ていく。アゲハはメルを見送ってからすぐに居直して、「頼みがある」と夜宵の正面の椅子に座った。それから、懐から多面体の灯籠を取り出した。


「これがルエラニ全域に配されている街灯なの」


 夜宵は、そういえば太陽が沈まないくせに街灯は多いな、と感じたことを思い出した。あれは使われなくなったものではなく、ルエラニの領主であるアゲハ主導で新たに設置したものだと言う。そして、この街灯の設計者は——メルだ、と。


「かなり難しい注文したのよ?量産するから煩雑なデザインはダメ。でも街中に飾るし私の威厳も関わるからチャチになっちゃダメ、あと遠隔で点灯できる様にーとか」

「なるほど」


 夜宵は、素直に感心しながら聞いていた。だが、少しだけ違和感を感じた。


「でも、この街って太陽が沈まないんですよね?」 


 陽が沈まないのになぜ街灯を新設したのか。夜宵は言外にそう問うた。まさか弟子に仕事をやるためではあるまい、と。

 だが、にやりと口角を上げて放ったアゲハの次の言葉は夜宵の想像を上回るものだった。 


「……止まった時を動かす準備ができたのよ」





―――――





 メルは時計塔を上へ上へと昇って行った。中は歯車が噛み合ってぐるぐる回り騒々しく、暗かった。どうもうまく光を取り入れれていないようで、ここに灯籠を設置したいらしい。歯車の隙間を縫うようにして、手に持った携帯用の灯籠の灯りを頼りに周りの景色を目に焼き付けていく。

 屋上の扉まで来た。その扉の前が少し広くなっていたので、メモを取り出し灯りを頼りに情報を書き込む。どの程度の数造るのか。光度は。意匠はどの程度入れようか、それなら……思い付いたことペンで綴っていく。



「へぇ、こうやって仕事してるんだー」

「ふぇぁっ!?」


 突然の声にメルは変な声が出たが、すぐに夜宵だと気づいた。


「どうして、ここに?」

「やー、アゲハさんがここに行けってさ」


 そしてすぐさま夜宵はメルの手を絡め取り、屋上へと飛び出す。

 

「えっ!?」

「おお、すごい」


 夜宵はその景色に軽く感動を覚える。絶景と言って申し分なかった。屋上からはルエラニの街を一望でき、視界を遮るものは一つもなかった。だが、メルは景色は凄いと思いつつも、突然自分を連れ出した夜宵に不安を隠せなかった。


「あの歌、聞きたいなー」

「え?」

「ほしふるよぞらのーって」


 夜宵は悪戯気に笑う。

 メルは戸惑うばかりだった。だが、それでも静かに歌い出す。








  となりのほしのカミさまへ




『今日星空を知る貴方が現れたのも運命かもしれない。だから、貴方にメルのそばにいてほしいの』


 夜宵はアゲハにそう頼まれた。自分はメルに付いてあげられないから、と。




  わたしのこえがとどくなら




『時計塔に仕掛けをした。その引き金はメルの子守唄』


 それが、アゲハが長年積み上げた研究の成果だった。

 夜宵は問うた。じゃあ何で最後をメルに託すんですか?と。




  ほしふるよぞらのうたごえを




『星空を特等席で見せてあげたかったから、それだけよ』




  あなたのもとへ、とどけましょ











(メル、あなた、愛されてるねぇ……)


 声が街中に響くような感覚だった。

 歌い終わると時計塔が小刻みに揺れだした。内部で歯車があらぬ方向に回りだしたのだ。メルは思わずへたり込み怯える。それに気づいた夜宵がしゃがみ、手を取り笑う。

 夜宵は震えるメルの手を握りしめその時を待った。



 

 刹那、時計塔は大きく揺れ、街に時間を知らせるはずの時計の針はめちゃくちゃに回りだした。
























「あ、起きたー」


 夜宵の声が聞こえる。

 視界は真っ暗だった。揺れを感じて、気を失った所までは覚えていた。明かりを求めて手探りで灯籠を探すが、夜宵の手に遮られる。夜宵は「ちょっと待ってー」とそのまま指を絡めて手を握りメルを立たせる。


「明かりが無い方キレイだからさー」


 メルの視界が空の全容を捉えた。いや、漸くそれを空ととらえることができた。そして――




 青い瞳を、見張った。




 真っ暗だった。青い空はどこにもなく、深く吸い込まれそうな黒が天井一面に広ががる。先程までと同じ世界とは思えないほど暗い。太陽がなかった。そして、元々太陽があった場所には、代わりに一回り小さな白い光がある。優しく街を照らすそれは、メルが生まれて初めて見る月だった。


 きれい。そんな言葉が勝手に口から零れた。



 一方その頃街は大混乱に陥っていた。ずっと陽の下で暮らしていた人々は、突然の暗闇に視界を奪われてしまっていた。ところが、メルは灯籠を片手に人一倍暗闇にいた。だから、夜目に慣れるにもそう時間はかからなかった。




 メルは月の横に一つ、きらりと星が光ったのを見つけた。それから瞬く間に一つ二つ三つと星が増えていく。瞬くたびに星が増えていく。いつしか、天井すべてを所狭しと星が埋め尽くし、景色が白く染まっていった。



「こんな空、見たこと、ない、です……」

「私も、ここまでのはないかも」



 銘々光る星々を眺めてメルが呟く。空に敷き詰められた星々が、それぞれが自らの輝きを誇るかのように光を放っている。絵本でしか見たことないような、絵画でしか見たことないような、そんな世界。太陽が数十年もの間、ひた隠しにし続けてきた星屑の雨がそこにはあった。

 太陽が常に差し込んでいたため、街灯がほとんど機能しないルエラニだからこその美しさだった。


 思わず、溜息が零れた。幾度も星を見てきた夜宵も舌を巻く。時計塔の上に視界を遮るものは何も無い。まさに特等席だった。

 夜宵は星を見上げたまま悪戯げに笑った。メルもつられて笑った。久々にすごく上手に笑えた気がした。



 



—————






「やっぱりたまの夜はいいよねぇ」


 天変地異に騒ぎ立てる周りの住民や、星空に感動する人々。それらとは対照的に、随分と呑気に星空を見つめる人影があった。ルエラニの領主で、メルの師匠、アゲハその人だ。

 運河越しに工場が見える停車場のベンチに座り、空と時計塔を眺め思いを馳せた。あの高さからみたらさぞ美しい空だろう。


「あの娘、星空見られたかしらねぇ」


 ……だが、これ以上暗闇が長引くと民衆がどうなるか分からない。星空を見にくくなるのは限りなく惜しいが、そろそろ街灯に明かりを灯さなくては。メルになるだけ長くたくさん星を見せてあげたかったが、もう限界だった。

 従者への合図代わりに、彼女はどこからともなく取り出した灯籠に火を落とし、傍らに置いた。それは、星空の舞台の終焉を表しているはずだった。


 はずだったのだが——

 





—————







「……ん?」


 夜宵が何かに気づいた。

 ふと薄らぼんやりな街を見下ろして、あー、この道を歩いてきたのか、なんて考えていた夜宵が、あることに思い至ったのだ。


 それから、「そっか……」と言って少し黙り込む。メルの視線は星空に奪われて、刻一刻と変わる空を焼き付けているが、夜宵は俯いて何かを探し続けた.

 そして——を見つけて、にやりと笑った。


「……前言撤回」


 夜宵がそう呟いて、メルの肩をぽんぽんと叩く。


「空もいいけどさー、下も見てみなよ」

「……下?」


 夜宵に言われて下を見ると、薄らぼんやり街の輪郭が見える。整然とした街並みは月明かりに照らされて、微かに道を浮かび上がらせた。




 そこの中に、ひとつ。ふらりと蛍のような小さな光がともった。




「……えっ?」


 星に埋め尽くされた天井とは対照的に、暗闇に包まれたルエラニの街。そこに、光が見えた。


 それからはすぐだった。

 また、瞬く間に光は増えていった。今度はそのどれもが暖かい色をしていて、優しく人々を包む。天に浮かぶ星と違って、その存在を誇るでなく、人々の道標となるべく光輝いていた。それはやがて街の輪郭を縁取り、ルエラニの数多の道、建物、向上を浮かび上がらせる。光は、街の中央から放射状に広がるルエラニの道に沿い、花火のように広がっていく。それから、あらゆる場所で、揺れ動く光がぽつぽつと現れた。



 メルはすぐに分かった。

 これ全部、灯籠ランプなんだ、と。そして——


 この中に、私の、メルの作った明かりがあるんだ、と。



 いつしか街の輪郭が解るくらいに街に灯りが灯った。まず街の境界線。街中の街灯。一番街の工場や十番街のお城。メルが必死で設計した灯り。そして……人々が、お客様が買ってくれた、メルの手で造った灯り。

 星空にも負けないくらい、それこそ星の輝きを掻き消すくらいに街は光で満ちていた。


「……すごい仕事じゃん」


 夜宵はニヤニヤとメルの方をみた。当のメルはというと、呆然と街を見渡している。そして、自分の両の手をまじまじと見つめた。この手で、あれだけの光を作り上げた、それが今人々の道標になっている。そう思うとわなわなと手が震えて仕方なかった。その手で星の映り込んだ銀髪をくしゃくしゃに掻き乱すと、青い瞳から泪が零れた。それが、上下からの光に乱反射して、妙にはっきりと見えた。



 それは、宇宙の歴史が積み上げた天空の星々。そして、メルが自ら造り上げた人々を照らす明かりたち。双方とも共存できるものではない。それでも、メルにとってそれらは、まさしく星空よりも美しい星空で——




「——ほしふるよぞらのうたごえを、あなたのもとへとどけましょ」

「その唄、やっぱなんか温かいよねー、もう覚えちゃったかも」


 夜宵が笑う。今度は、天球と街灯りに照らされてはっきりと表情が見えた。そして、メルは星空の魔力に掛けられてか、自分でも驚くぐらいの笑顔をできた。そして、青い瞳に二つの星空を映しながら夜宵に言った。



「じゃあ、一緒に歌いませんか?」




 とても短い唄だけど、その分想い出が詰まっている。

 きっと届け。そう願って二人で何度も繰り返した。






—————






 そのころ、工場を運河越しに望むベンチでは、アゲハがその役目をしっかり果たしてくれている街灯をどこか温かい気持ちで眺めていた。そして、傍らの先程灯した灯籠を手で撫でながら時計塔を見て目を細めた。


 ちなみに、その灯籠ランプ愛弟子メルの作品であった。


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太陽の沈まない街 朝百合 @asayuli

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