ユーシュはお嬢様にちょっかいを出す

 夕食を終えた後、食後のお茶を配る前に、サンは一抱えの紙袋を抱えて戻ってきた。

 テーブルの上でそれを引っくり返すと、紙袋の中からは、様々な色形の箱がばらばらと流れ出る。

 積み上げられた箱の山を見つめ、タンフウは不思議そうに尋ねる。


「これは?」

「貢ぎ物よ」


 乾いた声でサンが答えた。


「貢ぎ物?」

「セツが街の女の子たちから巻き上げた貢ぎ物。この時期、セツが研究にかかりきりになるのを知ってるから、女の子たちが食料をくれるんだよ。

 うちで消費するには多すぎるから、お裾分けに持ってきたの」

「そういうわけだ。心して食えよ」

「えっらそうに……」


 腕組みして言ったショウセツを、サンはじとりと見やった。

 美しく装丁された箱の一つを手に取り、ユーシュが感嘆の声をあげる。


「すげ。チョコレートがある。高級品をよくもまあ惜しげもなく」

「あ、おいサン、チョコは持ってくるなよ。俺が食べるんだ」

「セイジュ、どうせこっちでも食べるんだから同じでしょう。それに似たようなものが、あと数箱は向こうにあるよ」


 サンはため息混じりにセイジュをたしなめた。

 箱の中身を物色しながら、ユーシュは眉を寄せる。


「食料ったって、菓子ばっかりだな」

「熱量摂取効率が良くて、研究の手を止めずに食べられるものを、ってセツが注文をつけた結果、お菓子類に落ち着いたらしいよ。

 私が来る前はそれで食いつないでたんだって。今までよく生きてたよね」


 サンの口ぶりは、いつになく冷淡だ。

 からかう口調でショウセツが言う。


「どうしたサン。妬いてるのか?」

「まさか。呆れてるのよ」


 ユーシュとセイジュの剥がした包装紙を回収しながら、サンは首を横に振る。


「いくら出会いが少ないからといって、女と見れば出会う度にたらし込むのはどうかと思うわ。キュシャの婚姻が難しいのは知ってる。けど、手当たり次第に口説けばいいってものじゃないでしょう」

「俺は一度たりとて口説いた覚えはない。ただキュシャの苦労やギルド運営の窮状を訴えると、勝手に向こうが援助してくれるだけだ」

「それのたちが悪いって言ってるの」


 大きくサンはため息をつく。


「少し関われば分かりそうなものなのにね。私だったら会長みたいな人、願い下げだけれど」

「じゃあ、史学会と天文連合の連中で言うと誰が好みなんだ? なにせ男ばっかりだ、よりどりみどりだろ」


 チョコレートを口に含みながら横入りした、セイジュのふざけた問いに、サンはさらりと答える。


「そうね。会長以外かな」

「個人をあげつらう誹謗中傷は如何なものかと思うぞ」

「だって事実だもの。日頃の行いを振り返ってみなさいひゃいいひゃい離してよバ会長!」


 頬をつねられ、サンは悲鳴を上げた。ツヅキは据わった目付きで懐に手を差し入れたが、彼が動く前にショウセツは軽く舌を出し、サンをつねる手を引っ込めた。

 脱線した彼らに、口を尖らせてセイジュが文句を言う。

 

「真面目に答えろよサン。今後の参考にするんだ」

「私以外の女とろくに話ができないのに、なにが参考よ」

「だから参考にするんだろ。永遠に野郎共とだけ顔を突き合わせてるのは御免だ」


 もう一度ため息をついてから、サンは投げやりに告げる。


「そうね。女癖が悪くなくて、家の近所で迷子にならない人かな」

「おい。さりげなく史学会を全否定しただろう」

「よりどりみどりが聞いて呆れるわ。良識と倫理とをもっと身につけてから言ってよ」


 ひらひらと手を振り、サンはセイジュの不満をあしらった。そのまま彼女は炊事場に戻り、今度こそ紅茶の準備を始める。


「しょうがないでしょう。どうせ私は政略結婚の道具に使われるんだから。自分の好みを考えたって仕方ないわ」


 手を止めずに淡々と答えたサンの言葉に、ごねていたセイジュは真顔になった。

 喉に何かを詰まらせたように黙り込んだ彼に替わり、おずおずとタンフウが尋ねる。


「……随分とあっさり言うんだな」

「だって、事実だもの」


 トレイに載せて紅茶のカップを運びながら、またもやサンはあっさりと言った。いの一番に注いでもらった紅茶を口に流し込んで、セイジュはようやく息をつく。


「お前、それでいいのかよ」

「いいも何も、選択肢がないからね。その時は、事実を事実として粛々と受け入れるだけだから」

「……けど。そうしたら、お前は」

「私だって、いつまでも今が続くなんて夢は見ていないもの」


 サンはセイジュの言葉を遮るように答えた。紅茶を配りながら、伏し目がちに言った彼女の声は、どこか硬い。

 五人分の紅茶を淹れ終えると、サンは顔を上げ、切り替えるように明るい声を出す。


「でも、そうね。未来の夫がバ会長みたいな人だっていう可能性はあり得るから、今の内からどんな生態か予行練習をさせてくれたって点において、会長には感謝しておくわ」

「ほほう。言うようになったな小動物。帰ったら覚えておけ」


 一瞬またショウセツはサンに手が伸びかけたが、ツヅキが睨みをきかせているからか、今度はそう告げるのみで留まった。

 だがショウセツの言葉に、ツヅキはぴくりと反応する。


「……まさかとは思いますけど」


 恐る恐るといった様子で、ツヅキは横目でショウセツとセイジュをちらと見る。


「お嬢様。今、どこで寝泊まりしているんです?」

「史学会だけど?」

「駄目です!」


 ばんとテーブルと叩きながら、ツヅキは立ち上がった。


「駄目です。男所帯に混じって寝泊まりなど、何を考えてるんですか!」

「お前こそ、何を今更なことを言ってるんだよ」

「まさかそこに考えが思い至っていないとは、夢にも思わなかったな」


 呆れて言うセイジュとショウセツを一睨みしてツヅキは凄んだ。

 サンは気負わぬ口調で答える。


「大丈夫よ。セツもセイジュも、私を一切、女として見ていないから」

「当然だろう。内部での厄介ごとは願い下げだ」

「女というより小動物だしな」

「そういう問題ではありません」


 二人の言は無視し、ツヅキはサンに詰め寄る。


「今すぐ史学会を引き払ってください。麓の街で家を探しましょう」

「街から通うには遠いでしょう。それに、こんな小娘が部屋なんて借りられやしないわ」

「なら。まだ私の目が行き届く天文連合の方がましです。ここからなら史学会の仕事は問題なくできるでしょう」

「絶対嫌よ」

「どうして」

「あなたの立場がないじゃない」


 きっぱりとサンは告げる。


「もし私が見つかったとしても、史学会なら『知らなかった』が通用する。

 けど、あなたがいる天文連合は、どうしたって言い逃れできないでしょう」


 ツヅキは黙り込んだ。彼女の言い分は、正しい。

 しばらくツヅキは思案したように立ち尽くしていたが、やがて苦渋の表情を浮かべながらも、諦めたように椅子に座り込んだ。


「もう少し、自覚をお持ちください。だからお嬢様のことを、じゃじゃ馬娘などとのたまう輩が出るのです」

「事実だもの」

「いいえ。お嬢様はもっと気高く素晴らしいお方です」


 流れるように告げた賛美に、セイジュが思わず吹き出す。

 途端にツヅキに睨まれ、彼は怯えて身をすくめた。


「おいセイジュとセツ。もしお嬢様に手を出してみろ。原型が分からなくなるくらいまで切り刻んでやるからな」

「お前のそれは、やっぱり騎士じゃなく暗殺者のそれだろ」

「お望みとあらば、暗殺者らしく得物は暗器を使ってやろうか。剣だけじゃなく僕にはそっちの心得もある」

「よし。やめておこう。サンカお嬢さまは大変スバラシイお方です」


 両手を上げてセイジュは降伏した。


 話を聞きながらカップを手にとると、視界の隅にユーシュの姿が映り、タンフウはふと彼を窺った。

 先ほどから黙り込んだままの彼は、一つ一つ丁寧に紙に包まれた砂糖菓子を、取り出しては並べ、取り出しては積み、黙々と塔のように重ねていく。

 やがて取り出した全ての砂糖菓子を並べ終えてしまうと、ユーシュはぴん、と指で弾いて崩した。

 見咎めたサンが注意する。


「こら。食べ物で遊ばないの」

「へいへい。……そいつは悪かったね」


 ユーシュはいつもと変わらない、へらりとした口調で受け答える。だがサンから視線を反らした先、長い前髪の下から覗いた鋭い眼差しは、ひどく冷たい。

 妙な汗が滲み、タンフウは慌ててそれを誤魔化すように紅茶を飲み込んだ。






******



「バッカじゃないの!?」


 夜更けにサンの高い声が聞こえ、驚いてタンフウはペンを取り落とした。インクの付いたペン先が、年季の入った机に黒い雫を垂らす。

 続けて聞こえた、叩きつけるように扉を閉める音に、二滴目の雫もぽたりと落ちる。


 今夜も史学会の三人は天文連合に残っていた。けれども先日のように、さぼっている訳ではない。セイジュの研究に関係する論文が天文連合にあることを見つけたため、関連する資料をショウセツと手分けして探しているのだ。サンが彼らを叱る理由はないはずだ。


 そっと扉を押し開けて外の様子を窺うと、廊下ではサンが肩を怒らせて立ち尽くしていた。

 タンフウに気付き、サンは身をすくめる。


「ごめんなさい。大きい声を出して」


 言いながら、サンは夜食の載ったトレイを彼に渡す。今日も彼女は部屋まで夜食を届けに来てくれたらしかった。

 笑顔を浮かべながらも、やや強張ったサンの表情に、タンフウは首を傾げる。


「別に、それは大丈夫だけど。……何があったの?」

「なっ」


 途端にサンは赤面して、一歩、後ずさった。


「なんでもない!」


 再び大きな声を上げると、彼女は身を翻し、逃げるように下へ走り去っていった。

 嫌な予感がして、タンフウは廊下を見つめる。

 受け取った夜食を机の上に置くと、彼は元凶と思われる人物の部屋の前に立った。申し訳程度に扉をノックし、中からの返事を待たずして押し開ける。


「ユーシュ。お前、何したんだ」

「べっつにー?」


 焦ったタンフウの来訪を驚くでもなく、ユーシュは悠然と椅子ごと振り返った。肘置きに頬杖を付き、彼は間延びした口調で答える。


「ただ、お嬢様を少しからかってやっただけだよ。色事にあまりにも消極的なようだから、ちょっとつついてやっただけだ」

「お前な……」


 嫌な予感が的中し、タンフウは頭を抱えた。

 話を聞かれてはまずいと、彼は後ろ手で扉を閉め、抑えた声量で言う。


「何かやりそうな気はしてた。……立場は分かってるだろ」

「大丈夫。手は出してないよ。まだね」

「まだってお前」

「あいつが悪い」


 ぴしゃりとタンフウの小言を断ち切り、ユーシュは唇に一見、人の良さそうな笑みを浮かべてみせる。だが、それは見かけばかりの笑みだということを、タンフウは知っていた。

 久々に見たその表情に、彼はその場へ縫い留められたように身動きが取れない。

 ユーシュは笑みのままで流暢に告げる。


「だってそうだろう。仕事と私事にきっちりすぎるくらい線引きするセツと、そもそも女に耐性がないセイジュじゃなかったら、あいつはとっくに食われてる。認識が甘いんだ。

 身近なところに、どんな狼や蛇が隠れているか分からないって、ボクが教えてやったのさ。親切にね」

「……それにしたって、やり方があるだろう」


 かろうじてそう告げ、深く息をつく。


「ユーシュ。もしかして、妬いてるのか?」

「あれれ。俺に対してはタンフウもわりと言うようになったよね」

「はぐらかすなよ」

「そうだな。ある意味じゃ、そうなのかもしれないな」


 ユーシュはすっと目を細める。


の俺とのサンとでは、相容れないからな」


 彼の言葉に、タンフウは押し黙った。

 しばらく部屋の中に沈黙が流れるが、やがて静かにタンフウは言う。


「僕がユーシュのことに口出しできる権利はない。けど、できれば。

 ……サンとの色恋沙汰だけはやめてくれよ」

「色も恋もあるもんかよ。むしろ真逆だ。これで、あいつは不用意に俺に近付かないだろ」


 ユーシュは手に握っていたペンをくるりと回し、舌を出した。


「ツヅキには言うなよ。八つ裂きにされる」

「言わないよ。あの調子なら、サンも他の奴らに言うことはないだろ」


 踵を返そうとしたタンフウに、ユーシュは気楽な声音で付け加える。


「安心しろよ。俺はただ、お嬢様をからかっただけ。それで終わりだ。お前が気にするようなことは何もない」

「……それならいいんだけどな」

「あれ。もしかして、お前の方が妬いてる?」

「バカ言えよ。確かに胸は苦しいが、恋煩いじゃなく心労だ」

「そりゃ悪いな」


 けらけらと、今度こそユーシュは、いつもと同じような調子で笑った。

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