4.創作活動

 今回のテーマは創作活動。

 カクヨムでは主に文学関係の話になりますね。


 少し話題は変わりますが、自分は基本、ラノベも一般小説も全部丸めて《小説》と呼んでいま―――いました。

 ラノベをわざわざ一般小説と切り離して表現する必要はないと思うからなのですが、最近は表現を変えて《物語》と表することが多いです。

 理由としては2,3で語った最近のラノベが軽くなりすぎるのが原因なのですが、今日の話もその延長線上にあります。


 このとりとめのない話を書き始めてから度々思うことがあります。

 軽くない話を書くにはどうすれば良いのか。

 そして今日、とあるレビューを書いてる時にふと思ったことがあるのでこうやって書き残すことにしました。


 物語だけでなく、何かを作る時に一番最初に来るのはいつも自分自身です。

 ここでは自分以外の要素は存在しない。

 他人からの受け売りも、どっかでみたネタも、この瞬間だけは自分の中にあるただ一つだけのものになります。

 ここで、自分の書きたいものを見つけ出し、表現することで物語が始まります。


 つまり、その瞬間だけは確かな何かがあった。

 確かなものとして、どういうものを作り上げるかの方向性があったと思います。

 それが物語を進ませることによってコメントやレビュー、

 或いは感想、それともストーリーを展開するにあたっての力不足。

 色んな要因によってその方向性がぶれて、初志を失う。


 それが大きいのではないかと思いました。

 今、書籍化されている数々の作品を書いてる作者たち。

 自分が《よくない》と思っている作品を書いた作者たちだって、そう書きたくて書いたわけではないはずです。


 作品は良くないかも知れないけど、書いた作者まで良くないと思うのは早計です。

 自分の子供がよく育つのを望むのが親であり、

 自分の作品がよく評価されるのを望むのが作者であるはずです。


 そのために作者はそれこそ出来うる限りの精一杯を尽くすでしょう。

 それを評価するのは読み手であり、私であり、皆さんであるわけですが、

 結果物として評価はすれどその努力が消えるわけではない。

 なら、相手を尊重した評価をするべきでしょう。

 書籍化するまでの文字数を書くのも並大抵のことではありませんし。


 まあ、色々長くなりましたね。

 いつものことだけど、少し結論だけ書きます。


 私は創作活動というものを「我を通す」活動と思っています。

 読者の反応で少し表現を変えるところはあってもその根本は固く、ぶれてはならない。


 作者、つまり書き手は大樹であるべきだ。

 外から揺らして木の葉とか、枝とかが少し折れたり落ちたりするけど、

 その幹は揺れずブレず、何時か寿命を終えるその日まで伸びていく。

 それが、創作するという行為であると思います。


 おお、最後に纏めただけで大分わかりやすくなりましたね。

 とりとめのない話だけど、これは良いのか。

 まとめてないとは言ってないし良いのか。


 良いということで。

 そもそもこの纏めすら気持ち次第なんだし!

 餓鬼は自由気ままなんです!ということで今回はここまでです!

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文字餓鬼のとりとめのない話 琴張 海 @pocoman

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