恋路

 僕がシスター・アンゼリカを知ったのは大学生になった春のこと。高校では使わなかった路線を利用することで電車から流れる街の景色は変わり、聞く噂話もトピックが異なっていた。

 絶賛彼女募集中であった僕は、そういった方面へのアンテナをとにかく張っていた。文学部に才女がいるとか、ミス大学はモデル体型でなかなかの逸材だとか、コンビニバイトにアイドル似の美少女がいるとか。そういったものを風の便りで得てはアタックしに行く。「お前のその行動力だけは褒めてやりたい」と友人に言わしめたほどだ。僕はどうやらアクティブな人間に分類されるらしい、こと恋愛において。


「沿線の教会に外国人美女のシスターがいる」というのも、情報網に引っ掛かったひとつだ。美女ならばこの目で確かめるほかない。友人に称賛されたこの両足を使って、春先に僕はこの教会に来たわけだ。美しいと噂のシスターに会うために。


 会った瞬間、電流が迸った。そう思えた。運命にも天啓にも近い出会いだった。この世のものとは思えない完成度だった。

 外国人であるがゆえのはっきりした目鼻立ち、陶器のように白い肌、ゆったりとした衣服の上からも主張するプロポーション。文句なしの美人だった。


 欲しい、と思った。


 以来僕は、この獣のような本心をひた隠しにしながら、少しずつシスター・アンゼリカとお近づきになっている。シスターは僕の心など露知らず、一人の迷える子羊として接してくれる。それは嬉しくもあり悔しくもあるが、今はまだそれでいい。僕がシスターを物にするまで、ゆっくりと距離をつめていくと決めた。シスターとの話は自分を見つめ直すかのようで、とても興味深い。


「シスターは恋をしていますか?」

「私は神に身を委ね、愛することを使命としています。故に、常に隣人たるあなたを愛していますよ」


 シスターは僕を愛しているという。キリスト教の隣人愛であり、人類愛に近い部類だろう。僕がシスターに抱くのは恋心だ。エロスもアガペーも無視したような、ただ彼女が欲しいという情念とも言える。

 それを僕はおくびにも出さない。シスターとの談笑を楽しむ。話題がちぐはぐで噛み合っていないとしても、僕にとっては至福のひとときだった。


 シスターが僕を誘ったのは、五月の終わりのことだった。電車の広告から大物女優Kの名前は消え失せ、電光掲示板は続く株価の低迷を報じている。電車内はむせかえる汗の臭いで吐きそうだった。


「レージさん、今度お時間があるときに、懺悔室に来てくれませんか」


 懺悔室。その名に僕は一瞬尻込みした。なんと言えばいいかわからず、僕は曖昧に言葉を濁す。


「懺悔室、っていうと……あれですか。僕の罪を告白なさい、みたいな」

「ああ、言葉足らずでした。すみません」


 懺悔するのはレージさんではないのです、とシスター・アンゼリカは言った。


「私の罪を聞いて欲しいのです」

「……え」


 静寂、水を打ったような――確かそんな言葉があっただろう。僕とシスターしかいない木曜日。痛いほどの静けさに何故か耳鳴りを覚えた。


「罪……ですか? シスターの?」

「はい。一月、私と話をしてくれたレージさんに頼みたいのです」


 躊躇う。確かにシスター・アンゼリカにあんなに話しかける人間は、教会に通う人間でもそう見かけない。会釈や挨拶こそすれど、雑談目当てに来るわけではないから。それこそお悩み相談や懺悔を聞くことはあるはず、だけれども。

 シスター・アンゼリカには「罪」がある?


「どうして、僕なんですか」


 僕はシスター・アンゼリカに問いかける。それを聞いたらもうイエスと言うようなものだ。

 シスター・アンゼリカは天使のような笑みを浮かべたまま、教会には似つかわしくない言葉を口にした。


「駅前のコンビニで働いていた、アイドルみたいに可愛い女の子」

「!」


 僕が狙っていた女の子だ。茶髪でツインテールの女子高生。今年受験生だからコンビニバイトは近々やめるかもしれないと見込んでいた。そして、今年の四月に姿を見なくなった。

 それをどうして、シスター・アンゼリカが知っている?

 息がうまくできない。呼吸がもつれてしまいそうだ。肺に空気を送るのはこんなに難しいことだっけ?


「私の話を聞いてくださいますか、神の仔よ」


 シスター・アンゼリカに導かれた懺悔室。そうして僕とシスターの、長い夜が始まった。

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