アンゼリカは懺悔する

有澤いつき

天啓

 美しきシスター・アンゼリカに出会ったのは、まさに天啓と言っていい。僕はとても幸運だった。おお神よ、我らが神よ、あなたの巡り合わせに感謝します。今なら床に這いつくばって靴底を舐めたっていい。僕はそれくらい幸せな出会いを果たしたのだ。


 教会、なんて。無宗教がデフォルトの日本においてなかなか足が遠い場所ではなかろうか。僕はクリスチャンではないし、ついでに言うと実家は山奥の寺だ。精進料理と坊主に囲まれた生活が保証されているお家はしかし、僕には関係のないこと。寺は長男である兄貴が継ぐ。僕はお家に縛られることを嫌って高校から一人暮らしを始めた。シスター・アンゼリカに出会えたのも、こうした小さな選択の積み重ねにあると思う。


 ガタゴトと眠気を誘う音に揺られて、僕は毎日通学をする。大学一年生となった僕は朝夕の通勤・帰宅ラッシュにもみくちゃにされながらも、電光掲示板の表示を無心で見つめながらやりすごす。

「有名女優Kの禁断二股デート!」――吊り下げのゴシップ記事から目をそらす。「アメリカの株暴落を受けて国内株価急降下」「都内でまた惨殺 連続殺人事件」「イギリスの女スパイ 国内に潜伏の可能性」電光掲示板は十秒単位でトピックを提示していく。二駅越えるとまた株価のトピックに戻った。


 毎週月・木の二日、僕は教会に通うことにしている。回数や曜日は単純に僕の都合だ。大学の講義が早く終わる日を選んだだけ。本当ならシスターに毎日でも会いに行きたいが、下心丸出しなのもよくないだろう。


 自宅の最寄り駅ではない。その二駅前で僕はホームに降り立つ。利用者はそこそこ、人波に逆らわずに階段を下っていく。定期券で行ける距離にあるのがありがたいシスター・アンゼリカのいる教会は、駅から徒歩五分の好立地だ。

 僕も通うようになって気づいたのだが、教会というのは意外と寛容だ。敬虔なクリスチャンだけが通い詰めて、静謐な空間でひたすら祈りを捧げるものだとばかり思っていた。しかし僕のような一般人かつ無神論者でも(都合のいいときだけ神様は現れるのが僕の信条だ)、教会は黙して受け入れてくれる。そして何回か通うと、独特の空気に居心地のよささえ感じるのだ。


 白い両扉に手を当て、ぐっと力を込めて押せばそこは聖なる空間だ。ざっと教会内を見回す。最前列で背中を丸めているのはいつもいる婆さんだ。あとは前から三列目に読書に耽る気難しそうな中年男性。読んでいるのは聖書だったりビジネス書だったりする。

 そして、懺悔室の隣で優美に佇んでいるのがシスター・アンゼリカだ。


「シスター」


 いつもいるメンツとはいえ、大声を出して迷惑をかけてはならない。彼らは彼らの時間を有意義に過ごしたいだけなのだから。小声でもしかし、沈黙のおりていた教会ではしっかり届く。入り口に立っていた僕に気づいたシスター・アンゼリカは、ふわりと微笑んだ。まるで彼女の周りにだけ花が咲いているかのように。


「レージさん」


 シスターの発音は美しい。英語圏の出身らしく、時折出てくる流暢すぎる発音混じりの日本語がまたいい。僕の名前も「レ」が巻き舌ぽくなっていて、そんなもので異国情緒を感じられるわけではないけれど、僕は癖になっていた。


 シスター・アンゼリカは美しい女性だ。端的に言って。

 惚れた弱み、というのもあるかもしれない。しかし僕の色眼鏡を抜きにしてもやっぱり美しい。外国人は皆目鼻立ちがスッキリしているからそう思えるだけだという人間もいるがとんでもない。シスター・アンゼリカは天使のような神秘性と妖艶さが同居した女性なのだ。その翡翠の瞳に見つめられるだけで天にも昇る思いになれる。


 無宗教の僕がこの教会に通うのも、無論、シスター・アンゼリカに会うためである。もっとも、シスターには直接的な言い方はできないので「大学でキリスト教の勉強をしている」と嘘を言っているが。ちなみに僕は経済学部だ。


「こんにちは、シスター。今日、お時間はありますか?」

「もちろん。教会は何者も拒みはしません」


 週二回教会に来て、シスターとなんてことない会話をすること。これが大学生となった僕の新しい習慣になっていた。

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