図書館暮らし

芝樹 享

大長老メールンの継承式

 現実とは違う世界。

 現実世界では『異世界』と呼んでいる。しかし、違う呼び方をする者もいる。

 『ワールズリブレ』

 と、そう呼んでいる。

 ワールズリブレという名の世界は、動物種が暮らす世界である。彼らは動物でありながら人間のように、二足歩行であるき、人間のように食べ、人間のように会話する。

 世界の広大な国の中に、太古から栄えているひとつの都市があった。名前は『アニュールの都』と呼ばれている。王政国家だった。

 都市の中心地には、書物を保管する地上5階建ての図書館があった。荘厳なまでの建物は、アニュールの人々に広く知れ渡っている。

 その建物の館長を務めてきた羊種ヤギ族の大長老が、長年にわたり居住した思い出の地を離れることになる。立ち振る舞いは紳士であった。立派な顎鬚あごひげを生やし、貫禄のある紺色のマントを身につけていた。大長老だけに、小石ほどの大きさのある、虫眼鏡を首から提げている。

 これは、その館長の継承式典の一幕である。


 その日は晴れて、式には申し分のない日和になった。アニュールの中心地、中心街ということもあり、朝から図書館の敷地内には、大勢の動物たちで賑わっていた。館長の引継ぎ式がメインというよりも、フェスティバルにその引継ぎ式があるサブイベントになっているほどだった。

 大長老本人たっての希望であった。長年、勤め過ごしてきた安住の図書館から去りぎわに、せめて最後は楽しく華々しく、締めくくりたいと願った。

 敷地内にはステージが設けられ、プログラムが始まった。

 ステージではいろいろな動物種族の出し物が始まる。最初に登場したのは猿族による傘回しだった。

 出し物は次々にはじまった。ハツカネズミ族による運動会やサーカス芸。虎族と牛族による格闘相撲。馬族によるダンスパフォーマンス。ネコ族、鳥族、狗種いぬ族の小劇場。亀族とウサギ族によるコント劇などなど。

 フェスティバルは大いに盛り上がり、大長老も満足な表情を浮かべている。そして、最後の締めくくりとして館長の引継ぎ式のときがやってきた。


 司会進行役である熊族が、マイクに向かって、会場内にいる観客席に声をかける。

「ご来場のみなさま、長らくお待たせをいたしました。本日をもってこのアニュール図書館の館長を、引退される山羊族の御年おんとし350歳になられた、大長老メールンよりお言葉を頂きたいと思います。みなさま盛大な拍手でお迎えください」

 会場からは、割れんばかりの拍手がおこる。

 中央に立った大長老メールン館長は、会場内を見渡した。

 少々、緊張した面持ちでメールン館長が、最後の挨拶にのぞむ。

「本日は、私の館長としての引退式に盛大な催しを開いていただき、アニュールの方々、ならびにここまで、この図書館を愛してくださった方々に厚く御礼申し上げます。次期図書館の館長も300年間、このアニュールに骨を埋める覚悟で臨まれるでしょう。次の世代に図書館として親しまれるために、また、アニュールの愛される施設として、貢献して欲しい所存でございます。これからもこの図書館を、もっとよりよい形で利用していただきたいと、心より思っております。本日はまことにありがとうございました」

 司会者が手早く次の進行に移る。

「それでは、ここで新しい館長を紹介いたします。猪族であられるイノーギです。どうぞ」

 舞台袖から、恰幅かっぷくのいい体格で、常に鼻からものすごい音を立て、呼吸をする猪族のオスが壇上に上がってくる。身長はメールン大長老の3倍はあるだろうか。足の開き方も豪快で、歩き方にも乱暴さがみえる。かわいらしく蝶ネクタイを首元に身につけていた。

 極度に緊張しているためか、ぎこちない歩き方で固まっていたため、マイクの前で止まることなく通り過ぎそうになった。あわてて、司会者がマイクの場所まで連れ戻すハプニングが起こる。

 その行動に、会場からはどっと笑い声があがり、雰囲気が和んだ。イノーギも照れ笑いしていた。

「ほ、本日はお、お日柄もよく……」

 新館長の挨拶は、メールン大長老と違いつまづきのおおい文章で、会場にいた観客からは野次が飛ぶほどだった。


 なんとか挨拶を終えたものの、メールン大長老には不安感が過ぎる。


―――本当に任せて大丈夫だろうか。


「それでは、前館長から新館長への証明式の抱擁ほうようわしてください!」

 儀式とはいえ、自分の3倍はある体格の持ち主と抱擁をするのか、とメールン大長老は、期待よりもすこしおそろしさを感じざるを得ない。

 大長老はイノーギを正面から見上げた。意外にも優しい顔をしていることに安堵あんどを浮かべる。彼から近づき大きいからだのふところに入るように、体格のいい身体を触った。身を包まれ大長老の体が、イノーギの身体で隠れてしまう。大勢の前での発表に慣れていないのか、イノーギの身体は、震えていた。

 会場から盛大な拍手が沸き起こり、取材陣へのカメラのフラッシュがたかれるほどになった。

 ふと耳元に大長老が小声でささやく。優しく手でたたいた。

「イノーギとやら、式のあとで話がある。大事な話だ。図書館入り口で待っている」

 大長老の気になる内容に、イノーギはいぶかしく首を傾げた。


 抱擁も終わり、無事に継承式を済ませた大長老は、猪族イノーギを図書館の入り口で待っていた。体格に似合わず彼が小走りにやってくる。

「大長老! 遅くなって申し訳ないです。お話というのは?」

 大長老はイノーギの姿を見ると、図書館の屋内へスタスタ歩き出す。

「ついて参れ!」

 怪訝な顔を浮かべるも、イノーギが大長老の後ろからついてくる。

「おまえさんに本当の儀式で数百年間、この図書館を警備してもらいたい!」

「警備、ですか?」

 イノーギがさらに不思議そうに首を傾けている。

「あの、大長老、私には何を言っているのかが……」

「あの舞台でやった抱擁は、図書館を利用する人に向けての、表向きの儀式だ!」

「表向き?」

 地下に降りるエレベータまで来ると、軽い口調でイノーギに話し出す。

「なあに、儀式といっても簡単なことだ! おまえさんも知ってのとおり、アニュールは歴史が古い。古いが故に、図書館の地下には迷宮が広がっておる。図書館の地下深くにある神殿に行き、そこで湧き出る水を飲むことだ! 私はこれを300年間続けてきた。今日は私と一緒に地下深くまでの道のりを案内する。1ヵ月後には自力で湧き水を飲むのだ。いいな!」

「はぁ……」

 イノーギには、気のない返事で理由わけがわからないらしく、呆けている。


 地下階層へ向かう専用のエレベータに乗り込んだ。中には、さやに納められた剣が立てかけてあった。

 大長老は軽々と鞘ごと剣をイノーギに、手渡そうとした。しかし、イノーギには重すぎて両手で持ち上げることすら出来ずにいる。

「なんぢゃ、持つことも出来んのか?」

 大長老は軽々と鞘から取り出し、イノーギに剣を渡した。彼は手渡された剣を重たそうに引きずっている。渾身こんしんの力をこめて剣を持ち上げようとした。だが、ほんの数センチ持ち上がったぐらいで、掲げることすら到底できそうにない。

 大長老はその光景にやれやれ、とばかりに深く大きいため息をもらす。しかしながら、彼は思い出した。自分もここに入りたての頃に、先代に教えられた。イノーギも自身で体験していくしかないと。


 エレベータが最下層の地下20階に到達し、扉が開く。

「いいか、ここから10キロ先に、泉がく場所がある。途中はこの剣がないと通れない場所もあるのだ」

「10キロですか……?」

「なあに、心配はするでないぞ。ここは一本道だ! それに今回からすこしの間は、お前さんに稽古けいこをつけてやろう! これは特別ぢゃぞ!」

「なにか、はばむものが出てくるんですか?」

「心配はない! お主でもこの階層のモンスターは倒せるはずだ!」

 イノーギは不思議そうに考えているようだ。

「今日は私が手本を見せる。後に続くんだ! いいな!」

「そうは言っても、大長老は素手で立ち向かうんですか?」

 いつの間にか、手にはグローブのようなものを大長老は装着している。

「長年の習慣でな。もう剣などで攻撃しても時間の無駄になるんだ! 私にはその剣が合わないのだ! 剣があるとかえって邪魔に感じてしまう」

 イノーギがよくみるとたしかに、大長老には剣自体が大きい所為せいか、懐に入られたら大ダメージを受けやすいほどに、リーチが長かった。剣の方が大長老の身長を上回っていたからだ。その点、イノーギには丁度良かった。ただ、重いこともあり小さいダメージも与えるのが難しそうである。

「イノーギ! いくぞ! 遅くてもついてこい!」

 大長老の大声が地下に反響する。




 数時間後、ようやく湧き水のところまでやってくることができた。

 大長老には、イノーギの戦いの勘のよさがあることを、このとき知った。この若者なら、300年は無理かもしれないが、せめて100年ぐらい続けられそうだ、と期待感が膨らむ。

 イノーギは、大の字に倒れこみ息を切らしている。酷い顔がそこにあった。

 大長老には、10キロなどウォーミングアップ程度に習慣化しているのか、息切れひとつしていない。

「イノーギ! すこし休んだら、湧き水を飲んでみよ! これを飲むことで正式な継承になる」

 大長老にとって、この日が来ることをどんなにか待ち望んでいたか。イノーギに引き継がれることで、この役目からは退くことが出来る。そう感じた。

 イノーギは立ち上がり、手ですくい、大長老を見つめながら水を飲む。

「どうだ! ここの泉の水はミネラルが豊富なのだ! 私も初めて先代に連れてこられ、お前さんと同じように水を掬って飲んだ! その時ほど、うまかったものはない」

 イノーギは黙って大長老の話を聴いているようだ。

「10キロという道のりではあるが、何かを成し遂げるには、困難な道はつきものなんだ! お前さんは、これから険しくも長い道のりを歩かなければいけない。だが、険しい道のりも、やっていてよかったと思えるいしずえになりえる。そのことを心に刻むんだ!」

 しおらしくイノーギは聞き入っていた。

「うむ、今日からアニュール図書館の館長を頼んだぞ!」

 大長老は、満足そうに頷く。



 数週間があっという間に経ち、大長老の旅立つときが来た。

 図書館の入り口で、大長老は、向かい合わせにイノーギを見上げる。数週間前に比べ、彼の腕や脚、頬にいたるまでたくましくなった。

「大長老、数週間のご指導ありがとうございました」

「もう、お前さんひとりでも、あの地下通路は踏破できそうだな!」

「はい、のおかげです」

「私をとは呼ぶな! あくまでも私は先代の跡を引き継いだだけだ!」

「はい、大長老。改めて館長のお仕事、ならびに都市への防衛、お疲れ様でした!」

「うむ、アニュールをたのんだぞ!」

 大長老の姿が消えるまでイノーギは、お辞儀をしたままだった。

 

 こののち、アニュールの図書館での、大長老メールン館長の継承記録書が作られることとなった。


 そして、月日は流れる……。







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図書館暮らし 芝樹 享 @sibaki2017

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