第54話日本ワインの評価を粉砕! 玉砕! 大喝采!! ついでに、サバの缶詰のお話も。
「甲州は日本に自生していた醸造用にも、生食用にも使えるブドウのことだよ。他の醸造用品種に比べて、顆粒が大きくて、薄いピンク色をしているんだ!」
沙都子はテキスト上のブドウの房を指しつつ、そう語る。
白ワイン用のブドウは緑色をしているのが大半だが、甲州は紫色がかった綺麗なピンクである。
「甲州の発祥には昔から大善寺説と
*コーカサス地方……カスピ海と黒海に挟まれたロシア・トルコ・イランに接する地方を指します。
主にアゼルバイジャン、ジョージア(グルジア)、アルメニアという国が存在しています。
「へぇー。じゃあ、前の説はどんな説なんですか?」
寧子の疑問に、沙都子はにっこりスマイルを浮かべて、ページをめくった。
「まずは大善寺説! これは奈良時代の
「なんか伝説めいてるネ? by the way……Mr.雨宮説は?」
「雨宮勘解由って人が山道を歩いていた時、珍しい蔓草を見つけて、それを植えてみたら甲州が実ったって説だよ!」
「こっちも伝説の剣を拾っちゃった勇者みたいです!」
ともあれ、その伝説めいた説はすでに否定されているらしい。
もっとも寧子的には、前の説の方が色々とくすぐられる内容だったのは確かだ。
「日本のワインはね、昔は甘口ばっかりだったみたいなの。だけど2000年代あたりから、山梨を中心とした沢山の造り手さんたちが甲州を原料とした本格的な辛口白ワインの醸造を開始したんだ!」
沙都子は鼻息荒く、大きなお胸をぽいんぽんとさせながら熱弁を振るう。
「そして! ついに2010年に甲州が正式な葡萄品種としてOIV《オーアイブイ》――国際ブドウ・ワイン機構――に登録されたの! これによって“甲州"とラベルに書いて、輸出ができるようになったの! これは日本固有のワイン醸造用ぶどう品種が初めて世界に認められた瞬間なんだよ!」
「へ、へぇ……それは凄そうですね……?」
「そして同じ年に甲州ワインが初めて輸出されたの! 輸出先は世界のワインの中心地ロンドン! 世界中のワインが集まるっていう、あのロンドンにだよ!?」
ロンドンが世界のワインの中心地……イギリスにはたくさんウィスキーがあるとPUB:Loyidのマスターに教えてもらった寧子さん。
(イギリスの人はお酒が好きなんですかねぇ?)
そう思う寧子の目の前で、沙都子は今まで以上に胸を激しく揺らしていた。
「これまで甲州ワインは、ううん日本のワインは薄くて不味いとか、梅酒みたいだとか散々海外で酷評されていたの! でもそんな評価を粉砕! 玉砕! そして、大喝采へ! 甲州が、世界の扉を叩いて、日本ワインを更なる高みへ……アルティメット・バーストした瞬間なのぉぉぉ!!」
一瞬沙都子の背後に、青い目をした白い三つ首龍をみた気がした寧子さんだった。
「OH……サッちゃん、ノリノリネ……」
クロエに指摘されて、沙都子は初めて自分が叫んでいたのだと気づいたらしい。
「こほん……あ、えっと……そんな甲州は、棚仕立ての他に、垣根仕立てもやってるんだよ……? 更に仕込みの時は、炭酸ガスやアルゴンガスを使って、極力空気と触れないように……」
「ちょっと、タンマ! 森さん!」
「はぇっ!?」
「石黒さんと、田崎さんが付いてけてない……」
佐藤の指摘で、沙都子はようやく寧子とクロエが全然話について行けず、頭を抱えていることに気がついた。
「ケミストリーは苦手ネ……」
「棚仕立て……棚仕立て……ほう、こういうのですか……初めてみたのです」
「ごめんね、甲州のことになるとつい……」
寧子は申し訳なさそうな沙都子へ「気にしなくても大丈夫です!」と声をかけた。
地元で作られたワインが高く評価されているのだから、興奮するのもわからなくはない。
「気を取り直して……みんなで早速飲もうなのです! なんかおつまみあったですかねー」
寧子はひょいと立ち上がって台所へかけてゆく。
きっとなんか美味しいものがあるはずだと信じていたのだが……
「うわぁーん。みんなごめんですぅ。生臭そうなものしか無かったですぅ……」
テーブルの上にごろりと転がっているのは、サバの水煮缶。
実家から非常食として送られたものである。
ご飯のおかずには最高だが、ワインのつまみにするのはいかがなものか。
「白ワインにはお魚料理と言われてるネ? だから大丈夫ネ!」
「それは外国のお魚料理だったらなのですよ、クロエ……」
先日、スーパーで売っていたサーモンのお刺し身と白ワインを合わせて散々な目にあった寧子さん。
口の中でお魚の生臭みがワインによって増幅されて、もの凄く不味かったのだ。
あとで調べてみたところ、白ワインに合わせるお魚料理とは、マリネやソテーといった油で調理をしたものを指すらしい。
寧子ががっくり肩を落としていると、目の前の沙都子はにっこり笑顔を浮かべてくれた。
「寧子ちゃん、落ち込まないで。むしろこれは甲州のすばらしさを体感するのにとっても良いシチュエーションなんだよ? ねっ、佐藤くん?」
「おう! 甲州は生っぽい魚との相性が最も良いワインになるんだぜ!」
「マジですか……?」
寧子の言葉に、佐藤は得意げそうに口角をあげた。
「生っぽい魚を食べながら白ワインを飲むと生臭く感じる原因なんだけど、魚が含む不飽和脂肪酸が、調理や保存の過程で脂質過酸化物に変化するためなんだ。これとワインが含んでいる鉄分が結合すると、とても臭い成分が発生しちゃう」
「サバ缶は開けたてじゃ脂質過酸化物になっていないから臭みは感じないよ。だけど時間の経過で感じるようになってくる……だけどね!」
沙都子は胸をポインと揺らした。
その迫力に、一同目を奪われ動くことができない!
「甲州ワインは含有している鉄分が他の白ワインと比べて少ないの! だからお刺し身との相性も良し! もちろんサバ缶だって! むしろ甲州ワインがレモンのようなアクセントになるよ! だからおつまみはサバ缶で全然OK! ターンエンド!」
思わず拍手をしてしまう寧子たちだった。
沙都子は顔を真っ赤にしながら、恥ずかしさのあまり俯いてしまうのだった。
「と、とりあえず飲みはじめようネ……?」
「そですね。じゃあ、みんなプローストですっ!」
寧子は無理やりドイツ語で乾杯を叫んで、場の空気を変えようと試みた。
するとクロエと佐藤も乗って、最後に沙都子もグラスを掲げる。
どうやら事なきを得たらしい。
「森さん凄いね? まさかあんなにワインのこと知ってるだなんて」
「さ、佐藤君ほどじゃないよ! 付け焼き刃です……でも、ありがと! うふふ……」
沙都子は上機嫌そうに佐藤の隣でワインを飲んでいた。
(なんだか微笑ましいですねぇ。相性も良さそうだし、ご成婚を応援しちゃいましょうかね!)
寧子はそんなことを考えつつ、サバを食べ、甲州ワインを流し込む。
レモンのようなワインの風味がサバの旨味を増長させた。
これは確かに旨い! そして生臭くもない!!
「寧子ちゃん、クロエちゃんっ!!」
その時、突然、沙都子が声を張り上げた。
そうしただけで、胸がポインと弾むものだから、正直羨ましさを覚える寧子であった。
「実は、明日、山梨の実家に帰省するの! だから、一緒に行きませんか! 生で葡萄園をみてみませんか!?」
「い、いきなり大胆ですね……どしたのですか?」
「やっぱり本で読んだり、人に聞いたりするより実際に見た方がいい経験になるよ! もしかしたらお父さん、近くのワイナリーを紹介してくれるかもしれないし!! 宿も安心して! うちすっごく古い家で、余計な部屋がたくさんあるから、全然泊まれるよ!! どうしますかっ!?」
たぶん沙都子はちょっと酔っ払っているのだろう。
しかし、そうだったとしてもこの提案は、甲州ブドウとワインを探究している寧子にとって当に暁光である!
「なら……喜んでお世話になるのです、沙都子ちゃん!」
「ありがとう! 寧子ちゃんならそう言ってくれると思ってたよ!!」
「ネコちゃんとワタシは一蓮托生! 死なば諸共! モチ、ワタシも参加するネ! ドライバーは任せるね!」
不穏な言葉を言ってクロエはドライバーを買って出ているが……実は無茶苦茶安全運転なので、とても安心である。
「佐藤さんはどうするですか?」
「はぁ!?」
「はぇっ!?」
佐藤は良いとして、どうして沙都子も驚きの声をあげているのか。
「いや、こんな機会滅多にないですし、醸造学科の佐藤さんにも良い体験になると思うのです。なにか問題でもあるのですか?」
こんな沙都子と佐藤をくっつけられる絶好の機会を見逃す者か! と寧子は佐藤へ睨みを利かせる。
「あ、あの、えっとぉ……そ、そだよね、佐藤くんも……ど、どうかな? 部屋はもしかしたら、居間で雑魚寝になっちゃうかもだけど……?」
「えっと……」
「あーんもうっ! ちゃっちゃと決めるです! 来るですか、来ないですか! どっちでぇすかぁ!?」
寧子は酔った勢いで佐藤へ迫った。
「わ、わかった! わかったよ……お、お供させていただきます」
「うっし! これでうんちく要員は確保完了です! じゃあ、今夜はここで解散! 沙都子ちゃん、明日は何時出ですか?」
「あ、えっと、9時の電車で帰ろうかと……」
「オーケー! クロエ、8時半に車をここへ持ってくるです!」
「イエッスマム!」
かくしてノリと勢いで、沙都子の実家、山梨県へゆくことになった寧子達。
はたして初めての山梨体験は、沙都子と佐藤の運命はいかに!?
*続きは近日中に掲載予定!
少々お待ちくださーい。
ようじょ、お酒にはまる ~ワインに出会って、色々な人と交流し、少しずつ成長してゆく物語~ シトラス=ライス @STR
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