第47話お酒のある家庭


「わたしが二十歳です! こっちが未成年、高校生! これが証拠ですっ!!」


 そう叫んだようじょな成人、石黒 寧子は免許証をやや上向きに、そして印籠のように突きつける。

 そうされたレジの店員さんは、突きつけられた免許証と寧子の顔を何度か往復させて、なんとか納得できた様子だった。


「姉貴、くくっ……やっぱそうだよなぁ、でも俺じゃなくて、姉貴が年齢確認だなんて、くくっ……!」


 寧子の遥か頭上から、クスクスと彼女を笑う声が降り注ぐ。

さすがに頭にきた寧子は、目の前に見えたスニーカーのつま先を思いきり踏んづけてやった。


「うぎゃ! な、なにすんだよ!」

「どーしたですか? なんかあったでぇすかぁ?」


 大人げもなく腰を折って寧子を睨みつけたのは、黒髪の端正な顔立ちの、背が高く、目元が寧子に良く似た男の子。そう彼の名は――


仁矢夫にやお 買い物かごお願いするです」

「わかってるつーの」


 と、つんけんした態度を取りつつも、食材がぎっしり入った買い物かごを、寧子の弟:石黒仁矢夫くん(高校二年生)は持って行く。

 全くもってずいぶん頼もしい背中付きになったと寧子は思った。ついこの間まで中学生のちんちくりんだったのが、今では立派な一人の男性である。


「さっきはつま先ふんずけてごめんです」

「謝るならやるなっての……まぁ、俺も悪かった」


 なんだかんだで寧子と仁矢夫の姉弟は仲が良かった。さっきのやり取りも、二人にとってはじゃれあいのようなものなで、ちゃんとお互いに謝れば遺恨は全く生まれない。


「やっぱり持つべきものは頼りがいがある弟ですね」

「な、なんだよ、急に」

「ちっちゃいお姉ちゃんのために重そうな荷物は持ってくれるし、こうして一緒にお買い物にも付き合ってくれる優しい仁矢夫が大好きですよ?」

「なっ――! べ、別に男として当然だろうが!」

「いやぁ、今時なかなか仁矢夫みたいな男らしい男の子いないですよ? 背も高いし、顔もそこそこ良い男なのです。カッコいいのですよ? 結構モテるんじゃないですか?」

「モテねーよ! つか女になんて興味ねぇーよ! それ貸せ!」


 仁矢夫くんは寧子が抱えていた白菜のハーフカットと奪うように、しかし決して寧子を突き飛ばさないだろう力で手に取った。


「姉貴みたいな女なんていないっつーの……」


レジ袋へ食材を詰めている横顔は真っ赤っかで、なにかぶつぶつ言っている。こういうところは体が大きくなっても、昔のままだと寧子は思い、笑みがこぼれ出る。


「おっし! 帰ろうぜ」

「はいでーす!」


 仁矢夫くんは重そうな買い物袋を自分から持った。そして寧子が並んでくるのを待って、二人はスーパーから夕暮れの街へ出て行ったのだった。

 寧子が地元に居た頃は、仁矢夫もまだ中学生で、こうして二人で買い物に行ったことを思い出す。あの時はまだ仁矢夫の方が、ほんの少し大きかった。でも、今は仁矢夫の頭は寧子の頭よりはるかに上にある。

 弟の成長は嬉しい。だけど目線が並んでいないことに、寂しさを感じるのは傲慢だろうか。


「どうかしたか?」

「ホント、仁矢夫大きくなったですねぇーって。昔は同じ目線だったのに、今は全然違うなぁーって」

「じゃあしゃがんでやろうか?」

「そんなんで歩けるですか?」

「やればできる。舐めんな」

「レジ袋引きずって破れたら食材が台無しになるのです。却下です」

「なら、姉貴をおんぶしてやろうか? 肩車でもいいぜ? そうすりゃ目線は一緒になるぜ?」

「ぬぅー! そんなの屈辱です! お姉ちゃんをからかうんじゃないです!!」


 しかし会話は今も昔もこんな感じ。たとえお互いに成長をして、離れて暮らすようになっても、こうして顔を合わせれば、姉弟のいつもの会話が始まりだす。これから先も、何があっても、いつまでも、こうしてバカを言い合える姉弟でありたいと、寧子は思う。


 そんなことを考えつつ道を行けば、周りの風景はビルや商店が立ち並ぶ駅前から、閑静な住宅街に代わっていた。

 地元に住んでいたことは、飽きるほど歩いた、今では懐かしい通学路。

その果てから夕陽を背景に、靴音が響いて来ている。


「お帰りなさいです、お母さん!」


 寧子は自分に良く似た“お母さんの真央”と丁度石黒家の門の前で鉢合わせする。

並んで歩くと、たびたび姉妹と間違われる、自慢の美魔女な母である。


「お帰り。お買い物すんだ?」

「はいです!」

「仁矢夫もありがとうね。いつもは頼んでもお使いしてくれないのに。やっぱり大好きなお姉ちゃんがいるからかな?」

「べ、別にんなんじゃねぇーよ! 今日は部活も無くて、暇だったんだよ!」


 仁矢夫は夕日の中で分かるくらいに顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。

そんな彼を見て寧子と真央は、揃ってくすくすと笑う。口は悪くなったけども、お姉ちゃん子なのは今でも変わらないらしい。


「そういえば、なんで今日は急に“すき焼き”するですか?」

「それはねぇーお父さんがねぇ、ふふ」


 雑談を交えつつ家へ上がり、早速買い物袋の中から、色とりどりの野菜や、真っ赤で良い霜の入った鮮やかな牛肉が封じられしパックを取り出す。


 まさか明日帰るので壮行会か? 帰省はそんなに大げさなことなのか? これは仁矢夫と同じく寧子大好きな、お父さんの計らいか?


(まぁ、良いです。美味しいものが食べれられれば、それで)


 案外ドライなところのある寧子は、他の家事をし始めたお母さんの代わりすきやきの食材へ向かった。できる時は手が空いた寧子が家事をする。昔からの習慣である。

 

 一人暮らし歴約二年。特にワインにはまってからはあれやこれやとお金がかかるようになったので、自炊をする頻度が今までよりも高まっている寧子は、慣れた手つきで白菜を刻み、人参を切り分けてゆく。


「鍋、ここで良いか?」


 背後に微笑ましい気配を感じた。帰宅後は部屋に引きこもっていることが多い仁矢夫が、珍しく自分から進んで寧子の手伝いを始めていたのである。


「良いですよー」

「おう。ほかになんかやることあるか?」

「じゃあ食器食出しといてです」

「わかった!」


 幾つになっても、成長してどんなにイケメンになっても、仁矢夫は寧子にとって可愛くて頼りになる弟であった。もしかすると寧子が男性の想いに鈍いのは、仁矢夫くんの存在があるからなのかもしれない。


「ただいまー」


 と、すき焼きをの支度をしている寧子の耳へ、帰宅したお父さんの声が響き渡る。


「お帰りですー」


 刃物を使っているときによそ見は厳禁。寧子は白菜を包丁で刻みながら応答する。

すると背中に感じた、なんとも緊張感溢れる雰囲気。たぶんこの気配はお父さん。


「どうしたですか?」

「ね、寧子! ワイン、買ってきたぞ! 一緒に飲もうっ!」

「ワイン!?」


 父親からパワーワードが出た途端、寧子は思わず振り返った。


 確かにお父さんの手には、ワインが一本入りそうな紙袋が握られていた。その袋には“OSIRO”と信頼の証たる良い酒屋のロゴが刻まれていたのだった。


「寧子ちゃん、刃物を持ったままよそ見しないの。それじゃまるで人食い山姥よ?」


 着替えを終えて台所へやってきた母親は、相変わらずの独特な感性で注意を促した。


「ごめんです……」

「お父さんも、仁矢夫くんと同じく寧子ちゃんが大好きでも刃物を持っているときにあんまり声かけないでいてあげてねー」

「すまん……」

「だ、だから! 別に俺は姉貴のことなんて好きじゃねーっつの!!」


 なんだかんだで仲良しな石黒一家であった。


 久方ぶりに一家が集結し、すき焼きの準備は滞りなく進んでゆく。

 やがて食卓には香ばしい醤油たれの匂いが立ち昇り始めた。本当に久しぶりの四人での夕食風景である。

そして父親は寧子待望の“赤ワイン”を冷蔵庫から取り出した。


「ますかっと・ベーリーA(エース)ですか?」

「エーで良いんだぞ、寧子。日本の、山梨の赤ワインだ!」


 ちょっと自慢気なお父さんに寧子は、ほんの少しムッとした。でもここで怒っちゃ、お子様というもの。二十歳の淑女は慎ましく、である。


「あら? そのワイン、コルクでしょ? 栓抜きなんてあったかしら?」


 と、お母さんの言葉を聞き、お父さんは顔を引きつらせる。たしかに石黒家でコルク栓抜きなどみたことはない。


「ちょっと待ってるです!」


 寧子は弾んだ声を上げて食卓を飛び出した。同級生でソムリエを目指している同級生の沙都子に倣って、彼女もまたなるべくソムリエナイフを携帯するようにしていた。まさか、実家で役立つ日がくるとは!


「わたしが開けるですっ! 任せるですっ!」


 寧子は意気揚々とお父さんからワインボトルをぶんどった。


 かつて紆余曲折、死闘を演じたワインのコルク抜栓。しかし相手はかなり新しい収穫年(ヴィンテージ)であって、以前対峙した“かなり古いワイン”とは違って、コルクがもろくなってはいないはず。


 するりとナイフをキャップシールに走らせてあっさりと向き、コルクを露わにする。スクリューを立てて、コルクへねじ込む。刃とは反対方向にある金具を瓶口へ押し当て、てこの原理で力をかければ、瓶口から真新しいコルクが抜け始めた。

 最後は八分目まで抜けたコルクを握り、音もなく引き抜く。かつての死闘がまるで阿呆の所業と思えるほど、今回のコルク抜栓はあっさりと済んだのだった。


「お父さん、ホストティスティングしますですか?」

「ん?」

「ワインを買った人や、注文した人が一番最初に試すことです」

「なるほど。じゃあよろしく」

「はいです!」


 寧子は意気揚々とお父さんのグラスへルビー色をしたワインを注ぐ。

お父さんはワインを少し口に含んで、


「で、何を言えば?」

「あー、それは、えっとぉ……」


 と、形だけは覚えていたが、実際何を応えて良いのかは良くわかってなかった。自分もやったことがあるが、緊張のあまり適当に答えていたと思う。


「あんまり難しく考えなくていいんじゃないかなぁ? お父さんが予想通りの美味しいワインだと思ったら、そのことを伝えるだけで良いんじゃないかしら?」


 お母さんのごもっともな意見にお父さんは「じゃあ、美味い!」と答えて済ませた。

 もっとちゃんと勉強しないとダメダメだと寧子は思って、大人しく引き下がる。


「寧子ちゃん凄いわね。まるでソムリエさんみたいね」

「あ、ありがとです!」


 やはり母は優しい。寧子の気持ちを汲んでくれたようだった。


 そうして寧子は父母のグラスへルビー色をしたワインを注いだ。なんだか仁矢夫は一人だけのけ者にされて少しつまらなそうだったので、グラスへお茶を注いであげた。


「「「「いっただきまーす!」」」」


 そうして始まったすき焼きの夕食。


 と、その前に寧子は待望の“マスカット・ベーリーA”のワインを一口含む。


 グラスから立ち昇ってきたのは、芳醇な果物のような香り。例えていうならば、イチゴのような。ジャムのような甘ったるいものではなく、生のイチゴのような、フレッシュさ。そこへ絶妙にバニラのような香りが混じっている。

 これは樽を使った証か。

 ほんのわずかな、アクセント程度の心地よい甘みを感じる。しかし酸味もあって程よいバランスを取っている。渋みも少なく、ボルドーの赤ワインとは全く方向性が違う。


 飲みやすい。だからといって甘い訳ではない。端的に今の思いを言葉で表現するならば――


「美味しいです……!」


 寧子の正直な感想に父親の頬が明らかに緩んだ。


「そ、そうか! よかった! このマスカット・ベーリーAはだな、昭和初期に、新潟県で川上さんという人が、日本の気候に合わせてベーリーというブドウと、マスカットハンブルクというブドウを交配させてだな……」

「うふふ、この色合いまるでピノノワールみたいね」

「お母さん、ピノしってるですか!?」

「ええ。昔、ちょっとね」


 お母さんに話題を取られてしまったお父さんはしょんぼり肩を落とす。やはり同性の親には敵わないのか。


 そんな中、仁矢夫はこっそりワインボトルへ手を伸ばすが、にっこり笑顔の母親にはたきとされた。


「仁矢夫くんは未成年だからだーめ」

「ちょっとぐらいいいじゃん!」


 やっぱり一人だけのけ者が嫌だったらしいが、未成年だから仕方がない。お酒は二十歳になってから。これ絶対!


「やーいやーい未成年。早く大人になってお酒飲めるようになるですぅ」

「ちっ……姉貴に言われたかねぇよ。さっき未成年に間違われた癖に!」

「そ、それは仁矢夫が老け顏だからじゃないですか?」

「んだと?」

「ほほやるでーすかぁ? 姉に敵うとおもってるでーすかぁ?」

「バカにすんな。俺だって以前の俺じゃねえ!」


 互いにスマホを取出し突き合わせる。対戦アプリは今のところ勝率五分五分なパズルゲーム:ウルトラブヨブヨ。


「寧子ちゃん、仁矢夫くん、ご飯の時にスマホださないの!」

「ごめんなさいです……」

「ごめん……母さん……」


 と、今度は寧子ともども叱られてしまったのだった。


「お父さんも、いくら子供が好きでもちゃんと注意しましょうねー?」

「うっ……わかった、ごめん」

「さぁ、飲んで食べましょう!」


 石黒家の実質的な支配権は母親:真央さんにあるのだった。


 女は強し。母は強し。円満家庭の秘訣はそこにあるのやもしれない。


「お父さん、このワイン本当に美味しいですね! すき焼きにぴったりなのです!」

「そうか! それは良かった!! イチゴとの相性もいいらしいからケーキも買ってあるぞ!」

「あらあら、お父さん大盤振る舞い。お使い大丈夫? ……だから仁矢夫くん、ダメ!」

「ちょっとぐらい良いじゃん!! なぁ、今日ぐらい良いだろ母さん!!」


 いつも以上に石黒家家の食卓は賑わっている。

お酒の酔いは潤滑油となって、場を盛り上げているのだろう。


 お酒のある生活――これもまた一興。


 一人で飲むよりも、みんなで楽しく。人生の潤滑油。お酒はそのためにあるのかもしれない。

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