012 『黒犬ナインテール』

「遅い」


 教室に入るなり『のわりん』こと、ノ割のいちにLINEと同じ文面の言葉を、口頭でも言われてしまった。


「姫先輩がマヨネーズ買ってこいって」


「あなたは、マヨネーズと学校どっちが大事なのよ」


 そんな事は言われなくても分かっている。


「学校だ」


「なのに、姫先輩が可愛いからって尻尾をふってマヨネーズを買いに行っちゃったわけね。本当に子犬ね」


 尻尾はふっていないけれど、違うと言いたいのだけれど––––事実だから言い返せない。

 ノ割は周りを見渡してから、俺に顔を近づけて小さな声で耳打ちをしてきた。


「いい、前も言ったけど、YouTuberだからって学業を疎かにするのは––––」


「分かってるよ」


 言われなくてもそんな事は分かってると、俺は話を遮る。

 ノ割は「ならいいわ」と、俺の眼前にルーズリーフを置いた。

 やたらと綺麗な文字で授業の内容がまとめられており、おまけに『いちの』と思われるキャラクターの挿絵まで書かれている。ご丁寧にも吹き出しまで付けて、「ここ大事!」と書いてある。


「なんだこれは」


「貸してあげるわ、写したらちゃんと返しなさいよ」


「いや、お前は自分を挿絵としてノートに書い––––」


 俺は言いかけた言葉を飲み込んだ。眼鏡の奥から、レーザビームが照射されそうになったからだ。




 *




 放課後、今日も俺はノ割に続いて部室を目指す。

 ここで俺とノ割の教室での振る舞い––––というか、立ち位置的な話をしようと思う。


 まずは俺の話、春日千草の話。

 俺はすんなりと受け入れられていた。意外に思うかもしれないが、自分のクラスにYouTuberが居たらどう思うだろうか?

 少しは興味が湧くのでなないだろうか。

 もちろん、アホ面の山口やら郷水畑が口添えしてくれたのも大きいのだが、俺はYouTubeやってるちょっと面白いやつみたいな立ち位置を手に入れていた。

 ギャグ要員の亜種みたいなものだと個人的には思っている。


 反対にノ割の話、ノ割のいちの話。

 なんか、クラス委員長になっていた。今朝のホームルーム––––つまり、俺が遅刻して居ない間にサッと決まったらしい。

 話によると満場一致で「ノ割さん」になったらしい。いつのまにか、クラスで一番の人気者になっていたノ割さんであった。

 まぁ、それもそのはずで女子からはオシャレなノ割さんと思われ(家が美容室だから、そう思われてるらしい)、反対に男子からは眼鏡の優等生と認識されており、それで容姿もいいとなれば人気も出るだろう。

 いや、決して人気=委員長という図式が出来上がるわけではないのだけれど、出来たばかりのクラスをまとめるには、そういう人物が案外適任だとみんな思ったらしい。

 入学三日目にして、クラスを掌握している。最初は強引でちょっとキツい奴って印象であったが、そっちはいわゆる裏の顔で(裏の顔って言うほど悪い事をしているわけではないが)、本来の姿は前も言ったが、真面目な奴だったようだ––––眼鏡かけてるしね。

 あ、ちなみに副委員長は俺らしい。ノ割のご指名らしく、強制的に俺は副委員長になった事になる。

 まぁ、そのことに文句を言う俺ではない。ノ割には世話になっているし(さっきもノート貸してもらったしね)、少しでも助けになるなら協力するさ。


 さて、話を戻そう。

 俺は現在文芸部とは仮の姿––––我らがユーチュー部なる、なんともダサいネーミングセンスの部室に向かって行進中である。

 そういえば、部室といえば、


「姫先輩帰っちゃったぞ」


「あの人は、基本自由だから」


「そんなので大丈夫なのか?」


「あなたはまず自分の心配をしなさい、チャンネル登録者は増えたのかしら?」


「……順調だ」


 嘘だ。相変わらず三本の指で数えられる。三本の指に入ると言えば、聞こえはいいかも知れない。

 妹と、ノ割と、誰かだけど。


「いつになったら、四人になるのかしらねー?」


「知ってるなら聞くなよ!」


 俺が反論すると、ノ割はからかうように微笑んだ。絶対にバカにしている。

 その後、弾むような足取りで廊下を闊歩する。スキップと、早歩きの中間みたいな足取りだ。

 俺はノ割に歩幅を合わせることもなく、ゆっくりとその背中を眺める。

 スカートを見ずに上半身だけ見れば、なんかイケメンに見える––––後ろ姿イケメンだ。

 それもそのはずで、今日のノ割の髪型はイケメンなのだ。

 このノ割のいちという女生徒は、毎日髪型が違う。初日は前髪を流していて、二日目は全体的にふんわりとしていて、今日はホストみたいな髪型だ。

 前髪とフェイスラインの髪は攻撃的と言っても良いほど真っ直ぐに顔を覆っており、トップは軽く跳ねていて、襟足は遊んでいる。

 自分の家が美容室だと言ってはいたが、それが外見的によく分かるやつだと思った。


「その髪の毛、自分でセットしてるのか?」


 俺がそう尋ねると、ノ割は跳ねるように振り向いた。


「当たり前じゃない、ハルのもやってあげてもいいわよ」


「絶対、変なのにするだろ」


「ナインテールとか」


「造形が想像つかない!」


「男は黙ってナインテールよ」


 黙ってというか、髪型がうるさそうである。

 そんな無駄話をしているうちに、部室に着いた。

 姫先輩が居ないからだろうか、ノ割はカバンから鍵を取り出して部室の鍵を開けた。

 それを見ていると、


「あぁ、鍵ね。今度ハルのも作ってもらうわ」


 とチャラチャラと鍵を振られた。髪型がホストなため、チャラく見える。


「職員室で借りたんじゃないのか?」


「ここの鍵は基本部員管理なの。一人一本持ってるわ」


 理由は? 姫先輩。そんな所だろう。そういえばノ割は先日言っていた「今の話は全て嘘だ」は絶対に姫先輩の真似だ。

 あのセリフのせいで、俺は色々疑問符が浮かんだものだが、実際の用途としては––––つまり姫先輩の使い方としては、「知識が足りないと嘘をつかれても分からないぞ」って感じの使い方だった。

 しかし、ノ割の場合は面白半分に真似したって感じであった。あの話の内容も今にして思えば、話し方から察するに全部本当の話っぽいし。


「なぁノ割、この前の『今の話は全て嘘だ』って、姫先輩の真似か?」


 と、部室の椅子に腰掛けながら聞いた。


「そうよ、さては言われたわね」


「……って事は、ノ割も言われたことがあるのか?」


「何回もね––––まぁ、そのおかげで少しは賢くなったと思ってるわ」


 嫌でも人を賢くする。というか、頭を使わなきゃ分からないような、そんな話し方をする人である。

 現に姫先輩と話してから授業を受けたわけだが、スラスラと内容が頭に入って来る気がした。

 少し話しただけで目が覚めた、脳が冴えた––––そんな感じだ。


「まぁ、あの思っている事を言い当てられる感覚は未だになれないけどね」


「姫先輩はなんであんなことが出来るんだ?」


「軽いものならあたしでも出来るわよ」


「へぇ、やってみろよ」


「あなた、お姉さんか妹がいるでしょ」


 いる、妹が。

 だがなんで分かった?

 どうして分かった?

 俺の記憶が正しければ、こいつに妹の話をした覚えはない。

 動画とかでも、俺の記憶が正しければそんな話をした覚えはない。


「……なんで分かったんだ」


「女の子はね、そのくらい分かるものなのよ」


 問題に対する回答が曖昧過ぎる。数学で例えるなら、途中式を書かずに答えだけ書き込んでる感じだ。

 まぁ、女の勘と言えばそれまでなのだが。

 そういえば、うちの母親も妙に勘のいい所がある。

 この前の休みの日に、ノ割からLINEで俺の動画に対するダメ出しを食らっていた際に、「女の子からでしょ?」とからかわれたもんだ。


「あなた姫先輩に気に入られてるわよ」


「はぁ? どういう意味だよ」


 そう尋ねると、ノ割は俺の鼻の下をジーと見てからニヤっと笑った。


「……鼻血を出すと期待されてる?」


「正解」


「あのな、言っておくけどな、俺はしょっちゅう鼻血出すタイプじゃないからな」


「そんなの当たり前じゃない、医学的に出ないって話ならあたしも知ってるわよ」


 姫先輩に教わったことあるし、とノ割。

 じゃあ当然姫先輩もそんな事を知っていて、俺をからかっている事になる––––というか、俺の知っている程度の事なら、なんでも知ってそうである。


「多分、話しやすいんだと思うわ。会話に付いて行けるし」


「会話飛ぶもんな」


「今日だって、ハルが部室に来ると踏んだ上でのマヨネーズお使いだったはずよ」


「そんなバカな、俺は自分の意思で部室に行ったんだぞ」


「そのくらいできるわ、あの人なら」


 心を読まれていたではなく––––心を操られていた。

 いや、それは後からならなんとでも言えるだろう。たまたま俺が部室に行こうと思って、それでたまたま姫先輩も部室にいたに過ぎない。

 それにあの人はこう言っていた、「遅刻はダメだぞ」と。

 遅刻がダメと言っておきながら、遅刻をするように仕向けるほど、悪い人には思えない。

 結局遅刻したのも、遅刻して部室に行ったのも俺の意思で、俺の判断なのだ。


「人が犬の行動を読むようなものかもしれないわね」


「俺は飼い犬かよ」


 いぬのき〜もちかよ。


「いいじゃない、いい子にしてたらご褒美に、頭を撫でて貰えるかもしれないわよ」


「………………」


 抱っこしながら撫でてくれたりするのかな。胸とか押し当てて。


「想像したわね」


「してない」


 とりあえず否定はしておいた。


「あなたは黒髪だから、黒犬ね」


「毛並みかよ」


「あら、大人しいからいいじゃない黒犬」


「そんな話は聞いた事ないな」


「黙るという漢字を知らないのかしら? 黒い犬と書いて、黙るよ」


「脳トレかよ!」


「今のちょっと姫先輩っぽかったでしょ?」


 確かにそうだ。そんなことを言いそうではある。


「ノ割はなんで姫先輩の真似をするんだ?」


「あたしは姫先輩に憧れてるのよ––––ほら、そういう人の真似ってしたくならない?」


 気持ちは分かる。俺だってそうだ。俺も憧れてYouTuberになったんだ––––除毛剤はまだ早いと思うけど。


「あたしは姫先輩を尊敬してるの」


「すごい人なのはなんとなく分かるよ」


「ちなみにVtuberを勧めてくれた––––というか、ヒントをくれたのも姫先輩なのよ」


 ノ割は思い出すようにそう言った。


「あたしもね、昔はあんたみたいに視聴者が少なかったのよ」


「意外だな––––可愛くて、ゲームも上手ければ視聴者は何もしなくても増えそうなのに」


「あたしは顔出しじゃなかったのよ、声もゆっくりボイスだったしね」


「コンナカンジ?」


「ソウ、ソンナカンジ」


 俺とノ割は顔を見合わせて、笑った。お互い結構似ていたのである。


「でも、ゲーム上手ければ見てもらえそうだけどな、ゆっくりボイスでも」


「それが全然! 今のあなたに毛が生えた程度の再生数だったわ」


 こいつ、軽く俺をバカにしてるな。まぁ、再生数が少ないのは本当だけど。


「なんで顔出しでやらなかったんだ?」


「前も言ったでしょ、街を歩けなくなる。有名人は有名税を払う必要があるのよ」


 姫先輩のシジミ目も案外有名税回避だったりするのだろうか。


「姫先輩はやっぱり街を歩けないのか?」


「そうね。でも姫先輩は移動は車だし、そもそも自宅と学校しか行かないから」


 たまにしか学校には来ないけどね、とノ割は付け加えた。


「とにかく、Vtuberになった途端、再生数は伸びたし、登録者も増えたわ––––それに街も歩けるしね」


 なんか悪い広告のような謳い文句だ。そんないい話があるはずない––––みたいな。

 しかし、全て本当のことなのだろう。

 ノ割の可愛い声と、卓越したゲームセンスを生かしつつ、その可愛い顔まで上手く使い、それでいて、街を歩ける。有名税を払わないで済んでいる。

 前も言ったが、Vtuberが街を歩いているだなんて––––現実世界に存在しているだなんて、誰が想像しただろうか?

 全てが出来過ぎなくらいに噛み合っている。


「ところで、ハル」


「なんだ、ノ割」


「昨日の動画なんだけど––––」


 来た、本日のノ割先生のダメ出しのお時間である。毎日ノ割先生は、ご丁寧にも俺の動画を添削し、採点してくださる。

 有り難いのだが––––いや、有り難いのだが、なんていうか、心にグサっと来る。

 読んで字の如く難が有るから有り難い。

 出来ればもうちょっと言い方を、やんわりとして欲しい。


「まず、タイトルとサムネイルがダメよ。あんなのじゃ、視界にも入らないわ」


 ちなみにタイトルは「エナジードリンク混ぜて飲んでみた」である。


「タイトルだけでどんな内容の動画か想像出来るわ」


「ダメなのか? 分かりやすくていいだろう?」


「どんな内容なのかをタイトルで判断出来る動画を誰が見たいと思うかしら? それに、内容も在り来たり、全然ダメ」


「えっと、いやまぁ、その有名YouTuberもやってるし」


「なら、一度は見たことのある動画ってことになるわ。尚更見る気がなくなるわよ」


 言ってる事は正しいと思うし、有り難いアドバイスだと思う。でも言い方はかなりキツい。


「それからね、編集がダメダメよ。今時ノー編集なんてありえないわ––––テロップやBGMくらい入れなさい」


「入れ方分からない」


 ノ割は呆れた顔を見せると思ったが、


「……だと思ったわ」


 とため息を吐いた。呆れてはいないが、予想通りって感じだ。


「だから、ちゃんと考えておいたわ」


「何をだよ?」


「あたしの動画の編集、どう思うかしら?」


 ノ割の動画、『VTuberいちの』の動画。なんか、普通である。いや、無難というべきか。

 だが、よくは知らないのだがVTuberって、結構そういう編集技術が必要なんじゃないか? だって、なんか3Dのキャラがすごい動くし。顔というか、表情とか凄い動くし。


「すごいと思う」


「でしょ」


 と、ノ割は得意げな表情をしてみせた。


「あれね、あたしがやってるんじゃないのよ」


「他の人に編集してもらってるってことか?」


「その通りよ」


 聞いた話では、YouTuberの中にはそういう人もいるらしい。あんまり知らないのだけれど。


「じゃあ、俺もその人に編集して貰えばいいのか?」


「本人に聞いてみたら?」


 ノ割はそう言うと、パソコンの前に置いてある一つの椅子をくるっと回した。


 その椅子には人が座っていた。まるでずっとソコに居たかのように。

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