第23話:エルナとジル

「パパからはなれろ! 【ウィンド】!」

『小娘がちょこざいな!』


 再度ルガールに向かって風の魔法を放ったエルナだったが、一瞬早く彼は空高く舞い上がると、そこから同じように風の魔法を放ってくる。

 彼の場合は魔法というよりも、もはや固有スキルに近いものになっているが。


「エルナ!」


 慌ててユクトが彼女のもとに飛び込むと、小脇に抱きかかえてその場から転がるように退避する。

 先ほどまで彼らがいた場所の地面は軽くえぐられ、さらには周囲から小石や小枝などが音を立てて突っ込んでいた。


「アウーーーン!」

『効くか!』


 少しだけ遅れたがウルもユクトとエルナの前に飛び出すと、両手を広げて彼らをかばいハウリングを放つ。

 鬱陶しいとばかりにルガールが手を払ってそれを受け流すが、同時にウルの横を何かが飛び出す。


『まとめて、殺してやろう!』

『エルナちゃんに手を出すな』

『なっ! くうっ!』


 上空からさらに狙いをつけて追撃をしようとしたルガールに、光る球体が向かっていったかと思うと、そのまま彼の体を押し飛ばす。

 ルガールと入れ替わりにその場に浮いていたのは、先ほどまでオーリアのそばにいたジルだ。

 すぐに背を向けて、地面に降り立つ。

 ルガールは光る気に当てられて、胸を押さえて苦しんでいる。


『ジル!』

『エルナちゃん、あれを』


 オーリアが驚いた様子の声を出していたが、彼女を無視するようにエルナに何か指示を出すジル。

 

「うん!」

「あっ、エルナ!」


 エルナはユクトの腕を振りほどくと、テトテトとジルとオーリアの元へと駆け寄っていく。

 そして、彼女は首から下げていた小さな竹の水筒を、蓋を開けて彼に向って差し出す。


『母さん、この水を』

『これは?』

『母さんの病気を治す水だよ』


 そう、彼がエルナを案内したかった場所。

 それは、おとぎ話にもあった聖なる泉。

 この泉の水を汲んでもらいたくて、エルナを夜中に呼び出したのだ。

 森で自分の姿に唯一気づけた彼女に、ジルはすがるしかなかったのだ。


『あんた……バカ』

『酷いなー、でもちゃんと効果はあると思うよ。ごめんエルナちゃん、水を出してもらっていい?』


 ジルもこの水の恩恵をすでに受けたらしい。

 彼の光が心地よくあたたかなものに感じるのは、そのせいもあるかもしれない。

 そして聖なる水によって性質が反転したであろうジルの攻撃によって、ルガールもまたダメージを負ったのだ。


「うん、おばちゃん……これ」

『おばちゃん……か。まあ、そうだね。もう、おばあちゃんかもしれないけど』


 先ほどまでの凶相がうそのように穏やかな表情を浮かべてオーリアが、エルナの手ずから水をかけてもらう。

 見た目には、飲んでいるようにも見えるが。

 

『ルガールさん、なんでこんなことを……』

『なんで? そんなことは忘れてしまったよ。私はただ、お前になって彼女の子供になりたかっただけさ』


 その横で、ようやく落ち着いたらしいルガールに、ジルが話しかけている。

 彼はジルを亡き者にして、彼に取って変わろうとしたのだろうか?

 しかし、相対するジルの表情は、どこか腑に落ちないといった様子だ。

 

「彼は君を殺して、オーリアさんと一緒になりたかったんじゃないのかな?」

『それは、ありえない』


 ユクトは村で集めた情報を元に導き出した考えを、ジルに伝える。

 しかし、ジルはその考えを首を横に振って即座に否定する

 

『ルガールさんは僕に泉のことを教えてくれたし、何があっても絶対に1人で行くなって必死に森の恐ろしさを教えてくれたんだよ?それから、なんとか村の男衆を集めて水を汲んでくることは出来ないか村長に相談してみるって……』

「彼が?」


 彼の口ぶりだと、ルガールはジルが森に入らないように説得していたらしい。

 それどころか彼の母親のために、村の男手を動員できるように働きかけようとしていたと。

 ユクトが聞いたおとぎ話では、彼が森に入るように誘導したことになっていたが。


「確かに、オーリアさんの記憶の中のルガールさんは、とても優しそうな……悲しそうな表情を浮かべる人だったかも」


 ミランも、オーリアが取り憑いているときに頭に流れた映像から、彼のことを知ったみたいだが印象がだいぶ違うとのこと。

 その割には、先ほどまで散々に彼を悪者に仕立て上げて、オーリアを煽っていたのだが。 


『お前たちは何を言っているのだ? 私は何をした……私は……ジルにならないといけない……ワタシはジルニナレナケレバ』


 そこまで黙って聞いていたルガールが、何かを思い出そうとして頭を押さえる……

 苦しそうな表情を浮かべ、ジルとエルナをにらみつける。


『オーリアさんが泣いている……そして笑っている……壊れてしまった。私がジルに余計なことを言ったせいで……死んでなお、泣いている……壊れている……』

『ルガール……』


 顔を両手で覆って泣き出したルガールに、エルナから水をもらったオーリアが声を掛けようとする。


『ひっ』


 そして、後ずさる。

 見ると、彼の体から真っ黒な邪気が立ち上り始める。


『ハハハハハハ! 私ハ、ジルニナラナケレバナラナインダ! 邪魔ヲ、スルナァァァァ!』


 そして一気にその邪気を膨れ上がらせると、無作為に暴風を巻き起こし木々をへし折ってその欠片をまき散らしている。


「エルナ!」


 ウルがエルナを庇って、抱きかかえる。


「くそっ! ミラン!」

「うん!」


 アベルとミランも自分たちの体を使って、意識を失っている子供たちを庇っている。

 

『やめて、ルガール!』

『ルガールさん!』


 オーリアとジルが必死で呼びかけるが、今の彼にはゴーストである彼女たちの言葉すら届かないようだった。


 そして……


「エルナ水筒を貸して!」

「ユクト?」

「あれは……もうだめだ」


 ユクトはもはや彼が完全に悪霊に成り下がったのだと、理解した。

 彼の存在意義は、ジルになることだった。

 だが、こうして本物のジルがオーリアさんの元に現れたことで、彼の存在理由が消えかかってしまった。

 ジルになることだけが、彼の執着なのだ。

 その最後の要を守るために、彼はジルを……周囲の存在を消すことを選んだ。


 一つだけ気になるのは、これまでオーリアもルガールもジルもお互いの存在を感知できていなかったこと。

 だが、それもユクトは想像がついていた。

 お互いが執着するものが違うのだ。

 そして、ゴーストは視野が狭く、それ以外のものが見えない。

 

 ジルはウィルオウィスプという、ゴーストになった。

 その存在意義は、聖なる泉を見つけること。

 ゆえに、彼に死んだ母親は見えなかった。


 オーリアはジルを見つけること。

 だが、肝心の彼は聖なる泉を見つけるためだけの、精神体になっていた。

 ゆえに、彼女はその存在を認めることが出来なかった。


 そして……ルガールはジルになってオーリアの子供になるということだけ。

 だから、彼にはジルは見えなくても、オーリアが認知できたのだろう。


 そしてルガールだけが、自身の存在意義を見失いかけている。

 ジルがジルとなって、オーリアの元に現れてしまったことで。

 この先に待っているのは、完全なる悪霊への堕落。

 人に害をなす悪意の塊。


「聖なる水か……頼むよ」


 ユクトはエルナから水筒を受け取ると、その水を自分の持つ剣へと掛ける。

 そして、必死に暴風の中を突っ込んでいって、ルガールに肉薄する。


『オーリアイガイイラヌ! ミンナシネ!』

「そいつは、ごめんだよ。それに、オーリアさんにも攻撃するようになったら、終わりだルガール!」


 ユクトは我を見失ってひたすら風を起こし続けるルガールの胸に、手に持った剣を突き立てる。

 その剣は手応えなく彼の胸を突き抜け……周囲の風がやむ。

 自分の胸を見て、驚愕の表情を浮かべるルガール。


 剣が刺さった場所に罅がが入り、そこから光が漏れ始める。


『ナッ! ナンダコレハ?』


 自分の胸を押さえて光が漏れないように必死でもがくが、それでも指の隙間から……いや、押さえている手にも罅が入るとそこからも光が漏れ始める。


『ナ……ナンデ……』


 そして罅割れた部分がポロポロと崩れ始める。

 罅はだんだんと広がっていき、全身を侵食する。


『ああ……オーリアさん、ジルに会えたんだね……良かった』


 顔が罅割れて表面が崩れ落ちると、ふと優しい表情の壮年の男性の顔が現れる。

 男性は抱き合うように支えあうオーリアとジルに視線を向けると、ふっと優しい笑みを浮かべ……光の粒子となって薄くなっていった。


『本当に良かった……』


 そう呟くと、完全に背後が透け。


『私は……なんで、ジルになりたかったのだろう』


 そう言い残して、光の粉は風に舞いあげられるように上空へと消えていった。

 その光を追って空を見上げると、皮肉にもこの時になってようやく白みがかっていた。


『皆さん』


 不意に背後からオーリアに呼びかけられて、ユクトが後ろを見る。

 見れば、彼女はジルと手を繋いで立っているが、その姿もまた後ろが透けて見え始めていた。


『この度は、ご迷惑をお掛けしました。そちらの、狼人の方には特に、ケガまでさせてしまって』

「ん、もう治った。気にしなくていい。それよりも、子供と会えて良かった」

『はい』


 全員を見渡してお詫びを言ったあとで、ウルの方を見て再度頭を下げる。

 だが、ウルはそんなことよりも、彼女がジルと再会できたことを安心していた。

 ウルの言葉を受けて、オーリアが我が子に視線を移す。

 彼女がお詫びを述べる前に手を離したジルは、エルナの前に立っている。


『エルナちゃんごめんね。そして、ありがとう』

「うん、おにいちゃんも、えがおになってよかった」


 見るとジルがエルナにお礼を言っているところだった。

 そんな彼らの様子を、ウルとオーリアが微笑ましいものを見るように眺めている。


『本当にありがとうございました。こうなっては御恩はお返しできませんが、心から感謝しております』

『ありがとう皆さん』


 オーリアとジルが揃って頭を下げると、彼女たちもまた光の粒子となって徐々に空へと昇っていく。

 最後には完全に光になって消えていったが、その最後までありがとうと繰り返していた。


 全員が揃って空を見上げて、手を振る。

 彼らの目には、手を繋いで空へと向かっていく2人の姿がはっきりと見えていた。


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