歴史警察 vs 織田信長

てこ/ひかり

歴史警察24時

「時任」

「はい」

「G-32地区で”不穏因子”が暴れているらしい。見に行ってくれるか?」


 先輩は俺が「はい」とも「いいえ」ともいう前に、俺にUSBを投げつけてきた。

「……っと。これが、今回の”不穏分子”のデータですか?」

 放り出された小型の記録媒体を危うく落としそうになりながらも、慌てて空中でキャッチする。俺はUSBを耳の横に開いた穴に差し込みながら、電子タバコを咥える先輩に尋ねた。

「ああ。案件は”織田信長”だ」

「織田信長……」

 半分機械化された脳が記録媒体を読み込み、俺の目の前に空中スクリーンを映し出す。ぼんやりと緑色に光る半透明のスクリーンが、今回の”始末対象”になる男の顔写真を浮かび上がらせていた。随分と若く、それにしては腫れぼったい目だ。学生だろうか?

「時任、お前織田信長好きだったろ」

「ええ……まあ」

 何がおかしいのか、ニヤニヤしながら尋ねる先輩に俺はゆっくり頷いた。自慢じゃないが、俺は織田信長には少々詳しい。毎年夏には有給をとって、安土城に”聖地巡礼”をしているくらいだ。もちろん大学でも日本史専攻だ。

「その織田信長が若造に勝手に”歴史改変”されたとあっちゃあ……お前も黙っておけねえだろ」

「そうですね」

 経費削減のために照明も落とされた、顔の輪郭もぼやけるような暗い廊下。その薄明かりの真ん中で、先輩の目の奥がキラリと光った気がした。俺は先輩に感謝した。まだ新米の俺に、事件を回してくれたのだ。

「行って来い」

「はい!」

 灰色のスーツを翻し背中を見せる先輩に、俺は敬礼を返した。

 今日も間違った歴史を修正し、世の中を「正しく」できると思うと、少し胸が震えた。先輩は背中を向けたまま、右手を振って現場に出向く俺を鼓舞した。

 

「歴史警察の一員として、世間知らずの若造に正しい歴史を叩き込んでやれ!」


□□□


 正しい歴史を紡ぐもの。それが俺の所属する、歴史警察だ。

 

 情報過多社会。

 この世界は、間違った情報で溢れかえっている。この世には正しい”戦車”の砲弾の向きや、正しい”自転車”のサドルの動かし方すら知らない者で溢れかえっている。間違った着物の着付けを信じ、それをあたかも正しいかのように報じてしまうのは、それだけで罪である。このままでは”文化”や”マナー”と言った、長年培われてきた伝統が破壊されかねない。三年前、2054年に制定された”歴史認識歪曲禁止法”の名の下、歴史警察はそんな間違った歴史認識をしている者たちを徹底的に取り締まるのが役目であった。


「フン……」


 俺は自動操縦で現場へと走るパトカーの運転席で、なおも空中に表示され続けるスクリーンを眺めていた。

「”織田信長は幼い頃から優秀な英雄だった”だと……? 話にならん」

 俺たち歴史警察官を乗せたパトカーが、法定速度を遵守し角を右に曲がる。俺は若い男のデータを眺めながら、眉をひそめた。俺が織田信長が好きになったのは、何より幼少時代のエピソードだ。


 信長は幼い時”尾張の大うつけ”と呼ばれ、”湯帷子”と呼ばれる、入浴時に着る着物を昼間から着用していた。今の時代でいうと、パジャマで学校に通っているようなものだ。学校では先生の話を全く聞かず、他の生徒から食事を奪い、武士の息子にも関わらず町の若者たちと戯れていた……挙句教育係が責任を感じ切腹したほどだ。信長は元から英雄や成人とは程遠い、悪童だったのだ。もちろんのちに鉄砲隊を組織し天下を統一するなど優秀な英雄であることは間違いないが、この若い頃のエピソードが、実に人間らしくて好きだった。

 こんなことは、今時ネットを検索すればいくらでも出てくる。それを、この”不穏分子”は……。


 織田信長に対して、間違った情報を流そうとしている。

 許せなかった。俺は口の中で噛んでいた干し柿を飲み込んだ。

 干し柿は、信長の好物の一つだ。信長好きが高じて、俺も若い頃から干し柿を好んで食べているほどだった。

 それほどまでに、自分の敬愛する織田信長像が、今間違った認識で歪められようとしている。


 一刻も早く、”不穏分子”を排除しなければ。

 俺は自動運転をオフにし、ハンドルを握るとアクセルを最大にまで踏み込んだ。


□□□


「動くな! 歴史警察だ!」

「ひ……ヒィィ……!」


 件の男は、街中のショッピングセンターの駐車場をのん気に歩き回っていたところだった。見た所大学生か、社会人なり立てと言った感じだろうか。突然パトカーに横付けされ、銃を構えた男たちがぞろぞろと降りてきたのだから、よほど驚いたに違いない。腰を抜かしなおも逃げようとする男を、部下の一人が急いで後ろ手で拘束した。そのまま横顔を嫌になる程コンクリートの上に打ち付けられた男は、「ウッ」と小さく呻き声を漏らしやがて動かなくなった。俺はその男の頭に銃口を押し付けた。

「貴様か! 歴史を侮辱するのは!」

「うぅ……!」

「答えろ!」

 俺は彼の胸ぐらを掴んで顔を引き寄せた。右頬に擦り傷を作った彼が、赤い血を垂らしながら怯えた目を俺に向けてきた。


「織田信長は神童だと言い触らしているらしいな!?」

「うぅぅ……だって……!」

「お前に織田信長の何が分かる!? 信長を侮辱するな! 信長は……信長公は……」

 大方ネットで得た知識でも真に受けているのだろう。俺は彼の体を叩きつけるようにして吐き捨てた。

「彼女は歴史上最も優れた武将の一人だぞ!!」

「勘弁してくれ……」

 騒ぎを聞きつけた客たちが、ざわざわと遠巻きにこちらを眺めていた。西陽が男の顔を照らす。その目にはまだ抵抗の意思が残っていて、何か言いたげなことでもあるように俺には見えた。取り押さえられた男が苦しげに呻いた。

「信長が女なワケないだろう……!?」

「なんだと?」

 男の反論を、俺は思わず鼻で笑ってしまった。


「何言ってんだ。お前、ゲームとかやらないのか? 信長公は、どっからどう見ても女性じゃないか」

「だけど……本には」

「本?」

 なおも反抗的な態度を取る男の顳顬に、俺はグリグリと銃口を押し付けた。

「本って、あの紙切れのことか? 本なんて、いつまで前世紀の記録媒体を信じているんだ? さすがに今時小学生でも電子だろうがよ」

 俺は嗤って耳の横にあるキーを叩き、空中にスクリーンを投じて見せた。そこに映った「歴史的に正しい織田信長」のビジュアルは……そのどれもが、伝承により多少姿形は違えども、みな一様に可愛らしい女子だった。


「見ろ! これが正しい歴史だ。今や大手企業の手がけるイラストやゲームにも、信長公は女性の姿で出てきているんだぞ。これを見ても、お前は信長が男だとでも?」

「信長は男だ……なんか禿げてるし」

「貴様!!」

 あろうことか信長公を禿げ呼ばわりするとは、何たる屈辱。俺は怒りで危うく男を撃ち抜きそうになった。

「どこがだ!? 可愛らしい女の子じゃないか! 見ろ、この艶のある長い髪! 小動物のようなつぶらな瞳! 小麦色に焼けた健康的な肌!!」

「お前ら歴史警察は、騙されてるんだ……」

「騙そうとしているのは、お前の方だろう。正しいのは俺たちだ」

「可哀想に……アンタたちは歴史や物事を”正しいか・正しくないか”の物差しでしか、見れなくなってるんだ……」

「こいつを連行しろ」


 俺は部下に顎で指し示した。もはや議論の余地はない。こいつは明らかに「本」とか言う、いくらでも偽装可能な媒体に毒された間違った歴史解釈をしているし、可哀想にそれを信じ切ってしまっている。ネットで真実を知らなかった情報弱者の末路だろう。俺は哀れみを込めてため息を漏らしつつ、部下たちに担がれ、パトカーの中へと押し込まれていく男を眺めた。

 世の中には正しい武将の性別すら知らない、こんな無知な人間で溢れかえっている。俺たち歴史警察がしっかりしなくては、いずれ日本から「正しい歴史」は失われてしまうだろう。決意を新たに、西陽に目を細めた、その時だった。


「う……うわあああッ!?」

「なんだ!?」

 突然パトカーの方から部下の悲鳴が聞こえ、俺は驚いて振り返った。そこには、パトカーの上によじ登った、幼い少年の姿があった。俺は目を見開いた。いつの間にか現れた少年は、まだ夕方だというのにパジャマ姿をしていた。病弱そうな色白の肌。長い髪を結うこともなく、前髪は目元付近にまで垂らしていてその表情はよく読めない。そして少年は、先ほど現行犯逮捕したばかりの若い男を、一体どうやってか知らないが部下たちから解放し、その脇に携えていた。驚いていたのは、歴史警察ばかりではない。連行されかけていた若い男も、道行く通行人たちも、みな目を丸くして突如現れた少年を見つめていた。


「何やってるんだ、貴様……ッ!」

 俺は拳銃に手をかけた。だが俺の動作に一切躊躇することなく、少年は軽々とパトカーの上からジャンプすると、そのまま細い体を捻り空中で俺の右手を蹴り上げた。

「ぐあ……!」

 俺の右手から、拳銃が弾かれた。転がったそれを、地面に器用に着地した少年が拾い上げ、そして……。

「ワシに鉄砲で勝負しようなどと、いい度胸よ」

 パン!!

 …と乾いた発砲音が大気を震わせた。俺は咄嗟にコンクリートの地面に身を伏せた。静寂を切り裂き、人の集まった駐車場に悲鳴があちらこちらから爆発する。あたりは途端に大混乱に陥った。やがて恐る恐る目を開けると、パトカーの後輪が撃ち抜かれパンクしているのが目に飛び込んできた。

「一体……?」

「警部! あの男がいません!!」

 ふと横を見ると、部下が慌てたようにパトカーの辺りを歩き回っていた。俺は辺りを見回した。悲鳴を上げ逃げ惑う人々の中に、”不穏分子”の男の手を取ってビルの向こうへと消えていこうとする少年の後ろ姿が見えた。

「待て!」

 だが少年は(もしかしたら、少女かもしれない)、振り返ると俺たちに向かって真っ赤な舌を出して見せ、そのままビルの影へと消えていった。振り返って、初めて見せたその瞳は、今まで見たこともないような綺麗な色をしていた。

「警部……あの子は?」

 思わず呆然と立ち尽くす俺に、横にいた部下が恐々と顔を覗き込んできた。俺は我に返り、急いで首を振った。

「……分からん。だが”不穏分子”を手助け、歴史を歪曲しようとする輩には違いない。手の空いている者でけが人の救助を。そして今すぐ応援を呼べ!」

「はっ!」




 歴史警官たちが踵を返し、急いで脳内無線で本部と連絡を取り始めた。駐車場はまだ騒然としていた。俺はパンクしたパトカーに寄りかかりながら、苦々しげに”不穏分子”と少年が消えていった方角を見つめた。

「どこのドイツか知らんが……」

 俺は胸ポケットから取り出した干し柿を口の中に放り込んだ。

「織田信長の名にかけて……必ずや貴様らをとっ捕まえてみせるからな!!」

 全ては正しい歴史のため、正しい織田信長像のために。周囲に鳴り響くサイレンの下、俺は誓いを新たに現場を後にするのだった。

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