16

 智則が到着すると同時に、救急車のサイレンも聞こえてきた。


 雨はすでに本降りとなっていた。

 駆けつけた救急隊員たちが、祖母を担架で運び、救急車に乗せる。圭司たちは、智則の車で後を追った。


 搬送先は母の順子がいる病院だった。

 幸い、命に別状は無いものの、軽い脳震盪のうしんとうを起こしていたから、経過観察と称して、祖母もしばらく入院することとなった。もともと痴呆も現れていたから、医者はそっちの方を心配した。


「痴呆症は一気に加速するものです」


 しかし、このことに対して一番文句を言ったのは母の順子だった。


「病院じゃなくて施設に入れるべきよ」


 もともと順子は個室だったけれど、祖母も入院するとなるとなれば、二人揃って同じ部屋に入った方が良いのだと、智則が説得した時だった。


「あの人と同じ部屋で寝るなんて絶対に嫌よ」

「そんな子どもみたいなこと言うなよ」

「そもそも、私はただの過労でもう元気になったのだから、明日には退院します」

「予定は明後日だろ?」

「1日だってあの人と一緒に寝るもんですか!」


 こうして、息子である圭司の目の前でも、二人は躊躇いもなく喧嘩を始める。

 確かに順子の顔色は良くなった。1日くらい早めても問題はないだろう。


「もういい。明日も仕事なんだ」


 帰ろう。

 父がそう言って、圭司の肩を叩く。


――明日は仕事。

 圭司は病室の窓に打ち付けられた雨粒を見て、明日の練習試合はあるのかしら、とふと思った。


 祖母はどうして外に出たのか? どうして物置小屋の前にいたのか?


 痴呆は一気に加速する。

 帰りの車内で、医者の言葉を反芻しながらも、圭司は「本当にボケのせいなのか」とずっと考えていた。

 それから、数学の宿題のノートを祖母の家に置いてきたことにも気がついたのだった。



 結局、練習試合は中止になった。


 雨は上がったものの、夜通し降ったせいでグラウンドが使えなかったからだ。代わりにその日は体育館での練習となった。


 中川は練習に来なかった。

 しょうちゃんに聞いてみると、なんでも通っている塾の模試結果が良くなくて、家庭内でもイライラしていたらしい。


「志望校の判定がEなんだってさ」


 しょうちゃんは笑っていたけど、圭司は笑えなかった。受験勉強らしいことは全くしていない。部活に勤しみ、今ではお化けに


「そう言えば、お化けからの返事があったよ」

「うそ! なんて来たの?」


 圭司は説明した。

 自分が「誰に殺されたのか?」とノートに書いたこと。そして、夜中にお化けから「お父さんとお母さん」と返事があったこと。


 興味津々で食い入るように聞いていたしょうちゃんも、「お父さんとお母さん」のところで、急に目の輝きを失わせた。


「それから?」

「今はそこまで。また質問しようと思ったんだけど……ちょっと忙しくて」


 妙に弁解口調になったのは、昨夜の祖母のことを言って良いのか分からなかったからだ。数学の宿題は、まだ実家に置いたままだ。


「なんか悲しいね」

「うん」


 しょうちゃんの声には影があった。もしかしたら、しょうちゃん家庭内で何かトラブルがあるのかもしれない。圭司にだって、中川にだってある。

 中学生とは、気持ちだけは大人の階段を登っている微妙な時期なのだ。本当は子ども用の小さな滑り台なのに、立派な階段だと思い込んでいるから、いざ滑る際には、落ちた先に何があるのか分からなくて怖くなる。

 

「見たの?」

「何が?」

「お化けがノートに書くところ」


 ううん、と圭司は首を振る。しょうちゃんもそれ以上何も聞いてこなかった。


 圭司は、この一連の「お化け騒動」に、しょうちゃんや中川と何か関係があるのか考えてみた。それから、ふと自分の両親を思い浮かべる。


 一寸先は闇。しかし、そうさせているのは実は本人だったりする。

 案ずるが産むが易し。目を細めて、注意深く観察すれば、闇が薄れて十寸も百寸も先が見えてくるとは知らずに。

 

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