15

 水田に挟まれた真夏日の畦道には、色んな生き物がいた。


 アリにバッタにミミズ。カエルなんかは、兄弟2匹でのんびりと日を浴びていたけれど、小さい弟蛙の方が先に水へ飛び込んでしまった。


「いらっしゃい」


 祖母は、こないだのことなど忘れたように圭司を出迎えてくれた。ヘルパーの礼子さんと一緒に、祖母と3人で机を囲む。今日もお菓子やジュースがたくさんだ。

 

「サッカーの方はどう?」

「うん。明日が練習試合で、次の土曜日が本番なんだ」

「あら、圭司くんはサッカーもするのね」


 イケメンでスポーツ万能ならモテモテね、と礼子さんが囃し立てる。嫌味のない彼女の言葉は、素直に圭司の心をくすぐった。


 礼子さんはいつ来ても祖母の側にいた。それでいて家中がいつも綺麗なのだから、いつ働いているのか。まるでもうひとりの礼子さんがいるみたいだ、と圭司は思うのだ。


 祖母は、いつもと同じ専用のチェアに座っていた。

 一度だけ中規模の改装をしたこの実家は、ひさしも長く、窓から心地よい風が入ってくるから、夏でも冷房無しで十分に涼しい。それでいて聞こえてくるのは蝉の声と、時たま風に揺られる風鈴の音くらい。


――お祖母ちゃんの家に預けようと思ってるんだ。


 智則の言葉をふいに思い出した圭司は、快適な我が家でも別に良いと考えるようになっていた。学校も近いし友人もいる。なによりこの家には笑顔があったから。


 しかし、今夜も事件は起きた。


 礼子さんが作ってくれたカレーライスを食べ終え、二人分の食器を圭司が洗っている最中のこと。

 日も落ちた。

 流し場の小窓から、濃いオレンジ色に染まった山際を眺めていたから気づかなかったのかもしれない。背中に祖母の気配を感じていたのだけれど、洗い物も終えて振り向くと、専用チェアに座っていたはずの祖母が


 つけっぱなしのテレビと、まだ揺れているチェア。圭司は手を拭くことも忘れてしまい、しばらく祖母のいないリビングに釘付けになっていた。


「お祖母ちゃん?」


――どこに行った?

 トイレかもしれない。もしかしたら、お風呂を洗ってくれているのかも。


――でも、いつも声をかけてくれるよね?

 洗い物の音で聞こえなかったのかも。


 リビングのドアが開いたままなのも、妙に気になる。

 悪魔の声をひとつひとつ否定しながらも、圭司の足はようやく動いてくれた。リビングを飛び出し、御手洗いと脱衣場へ続く廊下に足を向けたものの、開かれた玄関のドアに目が行く。


 圭司は急いで靴を履いた。外はもう真っ暗で、ポツリポツリと雨が降っていた。


 どこにいるの? どうして外に出たの?

 チェアはさっきまで揺れていた。なら、まだ遠くには行っていないはず。そうして小さな庭を見渡すと、物置小屋の前でうずくまる祖母を見つけた。


「お祖母ちゃん!?」

「うう……うう……」


 祖母は力いっぱい目を閉じたまま、雨で湿った土の地面に倒れていた。よく見ると靴も履いていないではないか。


「どうしたの!? 大丈夫?」


 具合でも悪いのか、もしくは倒れた拍子にどこか打ち付けたのか。孫の呼び掛けにも「うう……」と唸るばかり。


 このままではダメだ。

 圭司は急いで家に戻ると、スマホから父に電話をした。


 次第に雨は強くなってきた。ツン粘り気のある、生暖かい土の臭い。


 父はすぐに来てくれると言った。救急車も呼ぶ、と。


 電話を切った後、父の到着まで、圭司は祖母の背中を擦ってやることしか出来なかった。

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