第6話


 アパートの鍵は開いているのを確認したけれど、ドアを開く気にはなれなかった。


「はぁ・・・・・・・・・」


 先程から何度目かの溜息が思わず零れ落ちる。どうしたら良いのだろうか。スマホを取り出してメールアプリを見ても、その文字は変わらない。

 というよりも、この言葉が真実かを確認する術も無い。

 とりあえず。


「彼女が服を着ていると良いんですけどね・・・・・・・」


 そう願って、一歩を踏み出した。

 カチャリ、とドアノブは簡単に回り、引けばドアが開いた。玄関が見え、そこには女性物の靴が綺麗に並べられている。

 やっぱり・・・・・・・・・なんて内心で呟いてから、僕は入った。


「・・・・・・・・・ただいま」


 何て言うのが良いか分からないけれど、僕は想ったことを口にしてみた。何と無く、そう何と無く、その言葉が合っている気がしたから。


「あ!お帰りなさい」


 僕の声に反応したのか、彼女は奥の扉を開けて出てきた。制服を着ている。

 「ああ・・・・・・・・・・・」と。それは僕が発した声なのか、それとも頭の中で呟かれたのかは分からない。

 けれど、そうだった。今日は平日であり、勿論僕も学校に通う一生徒であり、そして彼女も同じ生徒。


 なら、なぜ風呂に入ったのだろうか?

 それは、彼女の方から答えてくれた。


「朝ごはんの味噌汁が、少しだけ服にかかっちゃったから、お風呂借りたよ」


 それだけの理由で風呂に入る必要は無いと思う。けれどそれを口にすれば、目の前の上機嫌な彼女の可愛らしい顔は変わってしまうだろう。

 彼女については困っているけれど、僕も男子だ。可愛い子の笑顔は見たい。


「・・・・・・・・・・あ、そうだ」


 っと。何かを思い出した様子の彼女を見ると、先程よりも少しだけ笑みを強くした彼女が、微笑んでいた。

 その唇が綺麗に動き――


「お帰りなさい!」


―――花が咲いたように見えた。


 それが比喩なのは確かだけれど、僕が見た花のような何かも確かなこと。きっと幻覚でも見たのかもしれない。彼女を熱愛する男は彼女の背中に翼が見えると言っていたことがあった。


 すると、僕も彼女を熱愛しているのだろうか?――それは無い。


 自分の考えを自分で否定して、僕は苦笑した。そんな僕を見て、彼女は不思議そうに首を傾げる。

 何処と無くその顔が、嬉しそうなのは僕の見間違いだと思う。


「時間も無いから、すぐに食べさせてくれるかい?それと、君は朝から男の家に1人で来るという社会的に危険な行為に気付いてほしいかな」

「私馬鹿だから分からないなぁ」

「僕のすぐ下に居る君が分からないなら、君よりも下の人たちが報われないかな。これは一般常識だよ」

「君は何時でも常識を持ち出すね」


 彼女はつまらなそうにそう言いながらも、机の上に料理を並べてくれる。靴を脱いだ僕はただ椅子に座り、その様子を眺めるだけ。

 前に一度だけ何か手伝おうとしたところ、泣きそうな顔で拒否された。なんでかは未だに分からないけど、それ以来僕はただ傍観するだけになっている。


「さ、召し上がれ」


 机の上に置かれたのは、白い白米と卵焼き、そして味噌汁。和を重きとする僕にとっては素晴らしい献立で、こんなにもシンプルなのに鮮やかに映る。

 

「ふふっ。やっぱり君は和食が大好きなのね」

「当然だよ。日本人である僕は日本で育まれてきた和という食を好きになるのは運命だと思っているよ」


 僕の意見に「ええー、そうかなぁ?私はパンとかも好きだけど」なんて意見を漏らす彼女。けれど、僕もそれを否定しようとは思わない。


「人の好みはそれぞれだからね。その中で、僕は和が好きになったんだよ」

「知ってる」


 嬉しそうにその言葉を告げる彼女。彼女にとって、僕が何かを言った時にそれが2度目だったりすると、必ずそう言う。

 僕に「知ってる」と言うときの彼女は、何処か幸せそうに見えるのはなぜだろうか。


 卵焼きを口に含み、白米と一緒に咀嚼していく。この純然たる不動の味は、僕にとっての至高だと思っている。


「ご馳走様でした」

「お粗末様でした」


 気付けば無くなっていた白米と卵焼きのコンビに時が経つのは早いんだな、なんて思いながら味噌汁を飲み干し、僕はそう呟いた。

 何処からともなく彼女はそう答えて、僕の食べ終えた皿を片付けていく。


 洗うのならば僕がやろうとは思うのだが、彼女はこれも譲らない。僕の使った食器を洗う時に楽しそうにしているのを見ると、僕は強くは言えないのだ。


 気付けば、登校の時間が差し迫っていた。僕はキッチンに立つ彼女を横目で見てから、自分の部屋へと向かった。

 急いで準備を終えると、偶然か必然か、彼女も荒い終わったのか玄関に立っていた。


 制服姿のままで居ることに、それで洗ったのか心配になったけれど、見る限り問題はなさそうだった。

 時間も無いので、僕は何も言わずに靴を履いて家の外に出る。彼女もそれに続き、鍵を閉めて――


「・・・・・・・・・・・行きますか?」

「うんっ」


―――僕は彼女と学校へと向かった。

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