31

「……」


 誰か、尾行て来てる。


 先週、あたし達SHE'S-HE'Sはインストアライヴをした。

 気のせいじゃなければ…その後ぐらいから。

 …だけど、今日のこれは…いつものそれより違う気配を感じる。



 どうしよう。

 この通りは、そんなに危険じゃないんだけど。

 ある一定の時間を過ぎたら、全く人が通らなくなる。



 聖子は期末試験の勉強会で、まこちゃんと一緒に陸ちゃんのとこに行ってる。

 センは確か録りに入ったばかり。

 光史…


 あたしは足早に光史のアパートに向かう。

 腕に華音かのん、背中に咲華さくか

 当然…思ったようには走れない。


「!!」


「声を出すな、子供の命はないぜ」


 ふいに髪の毛をひっぱられて、ナイフをつきつけられた。

 相手は白人。

 声も出せずに震えてると。


「…言う通りにしろ」


 耳元で…低い声。

 あたしは息を飲んでポケットに手を入れて…


「うわっ!!」


「誰か!誰か助けて!」


 ポケットの中の小銭を男の顔に投げつけて、あたしは走り出す。

 ただならぬ気配に、華音と咲華が泣き始めた。

 守らなくちゃ…!!

 あたしが…あたしが子供達を…!!


「ちっくしょお!!」


 どうしよう!

 すぐに追いつかれる!


「きゃ!!」


 肩をつかまれて、振り向かされた。


「ふざけたマネしやがって!!」


「……」


 どうしたら…

 どうしたら逃げられるの…?


「どうなるか、わかってんだろうな」


「お願い、子供たちだけは…」


 あたしが震える声でそう言うと。


「ふん、じゃあ、子供をその脇に置きな」


 って、男は吐き捨てるように言った。


「……」


「置けっつってんだろ!」


 あたしは言われる通り、泣きじゃくる子供たちを木の下に置く。


「やっ…!!!」


 いきなり押し倒されて、服を引きちぎられた。

 あたし…どうなるの…


「おとなしくしな!」


「誰か…!!」


「がっ!!」


「……?」


 突然男が頭を押さえて倒れた。

 男の背後には、角材を持った光史。


「光史…」


「逃げろ!!知花!!」


 光史はあたしの手を引いて起き上がらせると、子供たちを抱えた。


「……」


 二人を抱えて…?と後ろを振り返る。


「いいから走れ!!」


 光史の声に、とにかく走るしかないと思った。


 怖くて足が震えたまま…何とか光史のアパートに辿り着いた。



「平気か?」


「……」


 光史はあたしを部屋に入れると、頭からすっぽりとブランケットをかけて。


「あ、陸?ちょっと頼みがあるんだけどさ」


 陸ちゃんに電話してる。

 あたしは子供たちを抱きしめて…一度に来た恐怖と安堵に…震えるばかり。



「知花」


 光史の声に驚いて振り向くと。


「さっきの奴、知ってるのか?」


 って、険しい声。


「……」


 無言で首を横に振る。


「全然?」


「…最近…誰かに尾行られてるみたいな感じはあったんだけど…」


 あたしが小さくそう言うと、光史はまた電話で陸ちゃんと話してるようだった。


 泣き止んだけど、機嫌の悪そうな二人の頬に触れる。

 ああ…

 怖い思いをさせてしまった…



「シャワー浴びて来いよ」


 ふいに、光史がタオルと着替えを出してくれた。

 よく見ると、あたし…ひどい格好。

 あちこち擦りむいて、服も…


「ノンくんとサクちゃんは俺が見てるから」


「…ありがと…」


 言われるがまま、シャワーを浴びる。


 あそこで、光史が来てくれなかったら…

 あたし…


 あらためて恐怖を思い出してしまうと、一人じゃ何も出来ない自分に涙が出た。

 守りたいものすら守れない…

 あたしは、なんて無力なの…


 …ダメ。

 もっと強くならなくちゃ。

 頬をパンパンと叩いて気合を入れる。



 光史の出してくれたスウェットの上下は、当然だけど裾も袖も長くて。

 鏡に映った自分は…何だかとてもみすぼらしく見える気がした。



「おっ、母さん来たぞ」


 部屋に戻ると、光史に抱えられてる華音は笑顔。

 光史は華音を抱えたまま、ホットミルクをあたしに差し出した。

 咲華は…寝てる。


「…ありがと」


「傷、手当するから、こっち来いよ」


 そう言われて、あたしはソファーに座る。

 咲華の隣に寝かされた華音は、天井を見たまま手足をバタバタさせてたけど…それもすぐにおとなしくなった。


「ふっ…悪かったな。こんな服しかなくて」


 光史はあたしが捲り上げてる袖を見て笑う。


「…ううん…ありがと…」


「…今、陸から連絡あったよ。捕まったってさ」


「…捕まった…?」


 首を傾げて光史を見る。


「陸には強い味方が方々にいるから、頼んだんだ。とりあえず別件逮捕してもらったら、すっげー悪い奴だったらしいぜ」


「…光史、腕…」


「あ?ああ」


 光史の右腕…もう手当済みだけど…傷がある…


「角材で引っ掛けたのかな。あいにく陸のようにケンカに自信がないから、角材で思いきりだったからな」


「…ごめん…」


「たいした傷じゃないさ。それよか、おまえー…一人暮しやめろよ」


「……」


「今度こんなことあってみろ。俺が通りかかったからいいようなものの」


「でも…」


「ま、知花のことだから、プライベートでまで子供の面倒をみんなにみさせたくないってんだろうけど、今日みたいなのが、もうないとは限らないんだぜ?」


「……」


 ふいに、さっきの男の剣幕を思いだして涙ぐむ。


「知花?」


「…怖かった…」


「……」


 光史はあたしを優しく抱きしめると。


「もう大丈夫だから」


 頭を撫でてくれた。


「……」



 渡米して…

 ううん…離婚してからずっと…気が張り詰めてた。

 色んな人を巻き込んで、色んな人を傷付けて。

 そのうえで、あたしはここに居るんだ…って。


 しっかりしなくちゃいけない。

 一人で立ってなきゃいけない。


 そう…言い聞かせて…



「…もっとみんなに頼れよ。しっかり甘えていいんだぜ?」


 光史の声が、弱いあたしの隙間に入り込む。


「…そんな事…」


 あたしが光史の胸で小さく首を振ると。


「ったく…おまえは」


 光史は小さく溜息を吐きながら…あたしの額に唇を落とした。


「っ……」


 驚いて、泣き顔のまま光史を見上げると…


「…マジで。大丈夫だから」


 光史は…そう言って、あたしにキスをした。



 * * *



「ああ、ここにいるよ。いや、もう事務所には連絡入れた。ああ…じゃあな。サンキュ」


 誰かと喋ってる光史の声で目が覚めた。


「おう、おはよ」


 あたしに気付いた光史は、咲華にミルクを飲ませてる。


「あたし…」


 ベッドの中から申し訳なさそうに声をかけると。


「何、具合いでも悪いのか?」


 って、光史は普通に言った。


「あたし…夕べ…」


「何だよ」


「……」


 シーツで体を隠したままモジモジしてると。


「ああ……何だ。気にすんなよ。人肌が恋しいなんてこと、あるだろ?俺と陸なんかしょっちゅうだぜ」


 光史は目を細めて笑いながら言った。


「でも…」


「知花」


「え…?」


 ふいにキスをされて、あたしは目を見開く。


「軽蔑するかもしれないけど、俺はわりと平気でこういうことができる人間なんだ。」


「…け…軽蔑だなんて…」


「じゃ、気にすんなよ。俺は全然気にしないから」


「……」


 …驚いた。

 あたしの中では、光史ってこういうことに関しては潔癖かな…なんて思ってたから。

 陸ちゃんは、いろんな女の人を連れて歩いてるとこを目撃しちゃってたから、頷けるけど…



「今日はここにいていいから、一日ゆっくり休みな。聖子に言って何か持ってこさせるから」


「そんな、いいよ」


「まだ遠慮すんのか?」


「……」


 あたしは光史の右腕の傷を見て、少しだけ黙ったあと。


「ありがと…」


 少しだけ笑ってみせた。



 光史のお言葉に甘えて…部屋でのんびりさせてもらうことにした。


 聖子とまこちゃんは学校の寮で、センはお父様のおうち。

 陸ちゃんは、身内が使ってたっていうアパートらしくて…

 あたしと光史は、少し離れてるけど…事務所が用意してくれたアパート。


「……」


 部屋の中を見渡す。


 光史って、不思議な空気の持ち主。

 何か特別なインテリアがあるわけじゃないんだけど…家具の配置や壁にかけてあるコート一つで、家主の存在感を確固たるものにしてるって言うか…


 …よく分かんないけど、ここは安心出来る。




「いいじゃない、ここに住めば」


 夕方やって来た聖子が、何て事ない。って顔で言った。


「…そんな、ダメだよ」


「どうして」


「そこまで甘えられない」


「ええええ?だって、あたしとまこちゃんは学生寮だし、陸ちゃんは狭くて汚いとこにいるし、センは親子住いだし。ここなら広いしきれいだし光史は人一倍治安を気にする奴だから、安全じゃない?」


「でも…」


「男と住むことに抵抗あり?」


「……」


「…もしかして、光史と寝た?」


「ど…」


 どうして分かるの!?

 あたしの眉間のしわが返事になったのか、聖子はそれを見て。


「いいじゃない。光史なら」


 普通に、本当に普通に言った。


 い…いいじゃない?

 あたしは、夕べの事…襲われた事もだけど…

 光史との事も、あまり考えないようにしてると言うのに…!!



「大丈夫。光史は、女に興味ないから」


 あたしが悶々としてると、聖子があっけらかんとして言った。


「………え?」


「昔からなの。本気で好きになるのは男ばかり。あ、でも男とは寝ないよ」


「……」


 口を開けたまま、話に聞き入る。


「なんて言うのかな…本気で好きになる人とは体を重ねられないから?だから、その分女と寝る寝る。あいつ、百戦錬磨よ」


 聖子は笑ってみせるけど。


「…光史の好きな人って、陸ちゃん?」


 あたしは、凍ったような唇で問いかける。


「ああ、前は好きだったみたいだけどね。フラれたって言ってたし」


「……」


「おまえ、余計なことしゃべりやがって…」


 あたしと聖子がギョッとしてドアを見ると、光史がドアに寄り掛かって苦笑いしてる。


「いいじゃん、本当のことだもん」


「ま、そうだけどな」


「……」


 あまりにも二人があっさりし過ぎてて。

 あたしは、本当の話なの…?って…


「聖子が言ったことは本当だよ。俺は男にしか惚れない」


「……」


「陸にもさ、高校の時に打ち明けたよ。だけど、フラれた。それでもこうして一緒にいてくれるんだから、あいつはまさに親友だよ」


「…今も好き?」


「ああ。だけど、それは本当に親友としてね」


 なんだか、泣きたくなってしまった。

 光史の恋愛対象が男の人…って事に対してじゃなくて。


 …陸ちゃんと光史の関係は…本当に良好で。

 それが光史の失恋を越えての事だと思うと…



「何涙目になってんだよ」


「だって…」


「別に、一生こうだとは限らないさ。いつかは俺を変えてくれる女が出て来るかもしれないし」


「いいじゃない、一生そうでも」


 聖子が、そう言って笑う。


「聖子は…理解があるんだね」


 あたしが小さくつぶやくと。


「理解があるって言うかさー。人それぞれじゃない。それに、男が女を、女が男をってなんだか規則みたいでうんざりしちゃうこともあるし。光史の気持ち、わかる気もするし」


 偏見はないつもりでいても…あたしが光史だったら、そういう部分は人に恥じるかもしれない。なんて…思ってしまって。

 あたしは…自分の小ささこそを恥じた。



「みんな…強いな…」


「どうして、そうなるんだよ。別に強かないさ」


 光史が笑いながらキッチンに立つ。


「聖子も飯食ってけよ」


「あ、ラッキー」


「光史」


「ん?」


 あたしは、光史を真っ直ぐに見て言う。


「あたし、ここにいていいかな…」


「……」


 その言葉に、光史は少しだけ間を開けて。


「仕方ないな。面倒見てやるよ」


 って、笑った。

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