第40話

 愛実の家につくと、愛実の母親が寝巻き代わりのスウェットでドアを開けた。まず、美希子なら着ない代物だ。


「ママ、俊君が家にくるって言ったでしょ! 」


 愛実は赤くなって怒った。


「あら、だからいつもつけないサラダまで作って待ってたわよ」

「なんで寝巻きなのよ! 」

「そりゃ、寝るからでしょ? お風呂入ったし、寝巻き着るでしょ? ねえ? 俊ちゃん。ほら、娘の彼氏なんて、息子みたいなもんだし、着飾ってもね」

「だからって、そんな十年以上着てるスウェット……」

「まだまだ着れるからいいじゃない。ほら、ママの寝巻きはいいから、中に入りなさいよ。俊君、カレー温めなおすから、先にお風呂入っちゃえば? 帰ってから沸かすの面倒でしょ? 」


 お風呂って……。


「すみません、夜分遅いのにお邪魔して」


 俊は、愛実の母親の格好を気にすることもなく、すんなりと家に上がると、愛実の母親に通されるままに風呂場へ向かう。


 ってか、入るの?!


 愛実は、玄関先で唖然として、俊と母親の行動を見ていた。

 俊は、躊躇うことなく風呂場に入る。


「愛実、お父さんの部屋着だしてあげな。ご飯食べるとき制服じゃ、落ち着かないでしょ。下着も、新しいのあるから、一緒に持っていって」


 愛実の母親は、キッチンへ向かいながら言う。


「下着……」


 俊君が父親の下着……。


 愛実は頭を振って、変な妄想を追い出す。

 靴を脱いで家に上がると、両親の寝室から部屋着と下着を出して、風呂場へ持っていく。脱衣所をノックしたが、風呂に入っている俊の返事はない。

 恐る恐るドアを開けると、風呂場の扉から、うっすら俊が入っているのが見える。いるのがわかる程度だが、愛実はそれだけで真っ赤になってしまう。

 いきなり出てこられたら困るから、愛実はドア越しに声をかけた。


「俊君、着るもの置いとくから。下着は新しいやつだからね」

「ありがとう。……愛実も入る?」


 笑いを含んだ俊の声。明らかに愛実をからかっているのはわかっているが、どうしても過剰に反応してしまう。


「は……入るわけないでしょ! 」


 愛実は部屋着を脱衣所のかごに置くと、ドアをバタンと大きな音をたてて閉めた。

 心臓が、身体から飛び出すんじゃないかってくらいドキドキしている。


 落ち着けー、落ち着けーっ!


 まるで呪いをかけているように、愛実はブツブツとつぶやく。


「あんた、何やってるの? 覗きはダメよ」


 愛実の母親が、呆れたようにリビングダイニングから顔を出す。


「覗くか! 」


 母親ながら、なんて失礼な!


 愛実は、二階にある自分の部屋に走って上がった。

 落ち着けるはずの自分の家が、全く落ち着かない。

 愛実は、なるべくキレイめに見える部屋着用のシャツと短パンに着替える。

 リビングダイニングへ行くと、すでに父親の部屋着を着た俊が、母親と談笑しながらカレーを食べていた。


「あんたも、先にお風呂入ってらっしゃい。」


 愛実は、回れ右をして風呂場へ向かう。

 風呂上がりの俊は、なんとも色っぽく、父親のつんつるてんの部屋着を着てなお、イケメンぶりが炸裂していた。


 あれはダメだ!

 近寄ったら、確実に心臓に負担が大きすぎる。下手したら、命にかかわる!


 愛実は、なんで母親が普通に喋っていられるのかわからなかった。

 脱衣所に行くと、バサバサと洋服を脱いで、風呂場へ入る。

 湯船に入ろうとして、先に俊が浸かったんだと思うと、身体がカーッと熱くなる。


 無理だーッ! 俊君の入った湯船に浸かるなんて…、無理ーッ!


 愛実は頭と身体を洗い、シャワーで流す。湯船には浸からず、そのまま風呂場から出た。

 長湯したわけでもないのに、というか湯船に浸かってさえいないのに、湯あたりしたかのように身体は熱いし、頭がボーッとする。

 愛実は、身体を拭いてから部屋着を着ると、洗面台の水をひねった。再度顔だけ冷たい水で洗う。

 顔が冷えて、やっと少し落ち着いた気がした。

 リビングダイニングに行くと、俊だけが座っていた。カレーは食べ終わったのか、デザートに柿を食べている。

 愛実は、自分でカレーをよそうと、俊の目の前に座って食べ始めた。


「お風呂上がりって、なんか色っぽいね」


 愛実は、カレーを吹き出しそうになる。


 それはあなただから!


「それに、短パンもいいね」

「エロオヤジ発言! 」


 愛実は、ジャージにすればよかったと後悔しながら、とにかくカレーを口に運ぶ。


「なんかさ、今日、泊まることになっちゃった」


 愛実は、おもいっきり咳き込む。


「大丈夫か? 」


 俊が麦茶をついでくれた。


「うん。泊まるって? 」


 麦茶でカレーを流し込み、思わず声がうわずってしまう。


「お母さんが、遅いから泊まっていけって。美希子さんに電話してくれて、なんかそんな話しになったみたいだ。今、布団を敷きに行ってくれてて……」


 愛実は、残りのカレーをかきこむように食べると、二階への階段を駆け上がった。

 一階は両親の寝室とリビングダイニングキッチン、あとは風呂とトイレだ。今ご飯を食べているここに泊まるのではないとすると、残りは二階の三部屋だ。一部屋は愛実の部屋で、残りの二部屋はあるにはあるが、真ん中は衣装部屋になっていて、布団なんて敷けない。逆端はなにも置いてないけれど、カーテンすらついていない。

 愛実が自分の部屋を開けると、床に布団が敷かれていて、母親がシーツをかけているところだった。


「ホント、バカなの!? 」

「なによー! 親に向かって失礼な子ね」


 愛実は、怒るというより、呆れてしまう。


 年頃の娘と、しかもその恋人を同じ部屋に進んで泊める親って……。


「なにかあったらどうするのよ!」

「やあねえ、俊ちゃんはいい子だし、親がいる家でなにかするような子じゃないわよ」


 愛実の母親は、ケラケラ笑いながら愛実の肩を叩く。


「だとしても、非常識このうえないでしょ! リビングに運ぶわよ! ほら、手伝うから! 」


 愛実は布団を折り畳むと、部屋から運びだそうとした。


「あ、俺運ぶよ」


 俊が階段を上がってきて、愛実から布団を受け取った。


「さっきのとこでいい? 」

「うん。テーブルずらすから」


 愛実は、先に階段を下りると、リビングダイニングに行き、リビングの方にある低いテーブルをダイニングの方にずらした。ソファーはあるが、これで布団一枚なら敷けるはず。

 俊は、空いたスペースに布団を敷き、愛実の母親が上掛けや枕を持ってきた。


「まだ毛布はいらないかしら? 」

「大丈夫だと思います。」

「そう? じゃあ、私はお先に寝るわね。愛実、洗い物だけよろしく。おやすみ」


 愛実の母親は、欠伸をしながらリビングダイニングを出て行った。

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