第40話 雨山土丸城
天授六年(一三八〇)春、南河内は
親王は、河内国山田に
少し薄暗い
その正顕が外の気配に気づく。
「宮様(
「
北朝から与えられた官職は名乗らなかった。頭を低くする正儀に、座敷の上から長親がうむと頷く。
「ほんに久しぶりじゃな。さ、宮様がお待ちかねじゃ」
待ちわびたように長親は、正儀を座敷に招き入れ、親王の前に座らせた。
「そなたが正儀か。無理を言って来てもらい、すまなかった。
「いえ、光栄なことにございます」
親王と中納言を前に、正儀は改めて深く頭を下げる。
「して、敵方のそれがしに何用でございましょうや」
「敵方か……さりながら、幕府の側から南北合一を進めようとしてくれたのであろう。ここにいるそなたの弟より、本心は聞いておる。やはり、楠木正成の息子よのう」
「されど、それがしの力不足で、いまだに実現しておりませぬ。このままでは先帝(後村上天皇)に会わせる顔がありませぬ」
「無理もなかろう。
その洞察に正儀は小さく頷いた。
「……
正儀は目頭に熱いものを感じる。ここに父を理解してくれる御方が居ることが嬉しかった。
「されど、正成の死を持ってしても、和睦の道は開かれなかった。今の
「もったいのうございます。頭をお上げください。それがしは幕府に身を置いておりますが、元より南の者。今でも変わるものではありませぬ。それがしは、父や兄から朝廷のゆく末を……後醍醐帝の血脈を御護りするように託されております。たとえこの身が滅びようとも、君臣和睦、南北合一を成す所存にございます」
「正儀、よう申してくれた」
長親は大きく頷き、
「ふふ、正儀、やはりそなたは正成の子よ。藤房が言うておったとおりの武士であった」
「藤房様というと、
「おお、そうじゃ。
「左様でございましたか……
すると、親王の顔が曇る。
「ううむ……それが、病に伏せておってな。顔に死相が出ておった。長くはないであろう。元弘の折のことを知る者がまた一人居なくなってしまう。残念な事じゃ」
若き日の
「それがしも、先日、伯父(
正顕が語った出会いとは、御親政を批判する落書の前で、当時、中納言の
正儀も軽く目を閉じ、昔のことを
数日後、正儀は病に伏せる
「正儀殿、遠いところをよう来られた」
「
「宮様(
かつて、赤坂城(下赤坂城)に向かったという親王が、わざわざ河内に
「
伏し目がちに正儀は言った。
「はい、拙僧も聞きおよんでおります」
「それがしは、朝廷(南朝)が和睦を欲せず強硬な態度を示しても、幕府の側から力を持って朝廷を迎え入れ、南北合一を進めようとしました。されど、新たな
「それは、南北合一を実現するためには、このまま幕府に留まるのがよいか、
「さすがに
「思うようにいかない時は誰しもあります。そういう時は成りゆきに身を任せてみるのも一考かと存じます」
「成りゆき……ですか」
「左様。仏は必要なところに必要な人を導きます。今、朝廷(南朝)に戻ろうと思うても、朝廷は正儀殿を受け入れることはありますまい。無理を押して戻っても、結果は望まれないものとなるでしょう。いずれ時は移ろい状況は変わるものです。必要とされる時まで、お待ちになるがよろしいかと存じます」
「
「そうですか。老僧の説法が役に立ちましたか。それはよかった。本当によかった。死ぬる前に正儀殿に会えてよかった」
二人は目を潤ませて、互いに微笑んだ。
そして、翌月の五月三日、
七月の京の都。夏の盛りにもかかわらず、花の御所では、睡蓮の浮かぶ小池が、御殿の中にまで涼しさを運んでいた。
幕府では、新たな
その
「大方様、上の句の読み手は、下の句の読み手に、期待の返しを託しております。これを読み解くには、上の句の中にある隠れた
「
「左様。下の句の読み手は、まずは、それを見つけること。されど、見つけただけでは勝てませぬ。読み解いた上で、それを超える返しを見つけねばなりませぬ」
連歌とは、十人程で行う和歌を繋げたような歌である。五・七・五の上の句と、七・七の下の句を交互に、次々に人を代えて、五十
そこに、役人が現れ、縁側に座って手を着く。
「申し上げます。摂津国の
「今は、大方様と大事な話をしておる。いちいち、つまらぬことを伝えるでない」
指導に熱が入っていた
「は、申し訳ございませぬ。されど、
「照禅殿が言うのなら、何かあるのでしょう。申してみられよ」
大方禅尼が
「はっ。それが賊というのが、赤松
「赤松か……」
そう言って、
「……照禅殿は、これを使って、赤松を追い込めと言うのじゃな。ふうむ」
「いいえ。これは、赤松を引き込む良い機会です。今、播磨守は、細川(頼之)殿がおらんようになり、顔が蒼うなっておられましょう。手を差し伸べてやれば、管領殿とてやり易くなられる」
考え込む義将に、禅尼が涼しい顔で言い放った。
「なるほど、確かに……大方様、では、そのように……」
そう言うと、
「赤松(義則)には一応、訴えが来ておることだけ知らせよ。
「あの……
遠慮がちにたずねる役人に、
「その方、話を小出しにするでない」
役人に向け、
「寺社に侵入しての乱暴狼藉は大罪です。楠木の
満頼とは五年前に亡くなった禅尼の甥、渋川義行の子である。まだ十にも満たぬ子どもだが、禅尼の後ろ盾で摂津守護に任じられていた。昨年の政変で、細川頼之とともに弟の頼元も追われ、摂津守護が空いたためである。
「はっ。ではそのように。その方は、渋川屋敷に伝え、楠木の狼藉者を捕えるよう、伝えよ」
あまりにも露骨な
新たな
しかし、正儀は
そんな正儀を、さらなる苦境に追いやる出来事が起きようとしていた。橋本
橋本軍は、紀伊から東に敗走して、幼き日々を過ごした紀伊橋本の橋本館に腰を落ち着けていた。館の広間で和泉国の絵地図に目を落としていた
「殿(
「では、四百といったところか……」
「諸将たちも、先の戦の傷が
「皆、負け戦とみているようようじゃな」
ふふっと苦笑いで
前年、幕府軍に雨山土丸城を落とされ、多くの将兵を失った
出陣に先だって、橋本
玉座の前に垂れた
その手前に座る大納言、
「
「ははっ」
御尊顔を直視しないよう、
「
「ははっ、恐悦でございます」
「そちの祖父、楠木正成は、元弘の折の戦では、赤坂落城の後に少人数で再起をかけ、赤坂の城を取り戻した。後はそちも知っての通りじゃ。そなたも少人数と嘆くことなかれ。雨山奪還の
帝は
「もったいなきお言葉でございます。必ずや雨山を奪還して御覧に入れまする」
「うむ、頼もしき限りじゃ。じゃが、命は粗末にするでないぞ」
「はっ」
神妙な表情で、深々と頭を下げた。
一旦、出陣を決意した
紀伊橋本に入った橋本
橋本
広間で篠崎正久から知らせを受けた正儀は、驚いて立ち上がる。
「たかが五百足らず攻め入っただと……何と無謀な事をするのじゃ」
再度、
「父上、いかがされますか」
「悔しいが、我らは何もできぬ」
「されど、このままでは、太郎兄者(
「わかっておる。じゃが、今はまだその時ではないのじゃ」
「されど……それがしは、太郎兄者を見殺しにはできませぬ。それがしだけでも、戦の様子を見て参ります」
「待つのじゃ二郎(正久)、お前一人が行っても太郎(
背中を向けて出て行こうとする正久を、正儀は押し留める。
「では、父上……」
正久の
七月十七日、正儀は、
幕府より出陣の
馬を急かし、雨山土丸城を囲う山名軍の本陣に駆け込んだ。
一行は陣幕を張った本陣の近くで馬を降りる。そこには、兜を脱いで
ともに馬を降りた正久が正儀に駆け寄り、
「ち、父上(正儀)、これは兵たちが引き上げようとしているのではありませぬか」
津熊義行がそこに居た山名の郎党を捉まえる。
「あちらは楠木河内守様(正儀)じゃ。
山名の兵は、
「戦は御味方の大勝利じゃ。はじめはなかなかに手強かったが、南軍は何せ兵の数が少ない上に、途中で
山名の郎党から戦の結果を聞いて、正儀らの顔が曇った。こんなに早く雨山土丸城が落ちるとは、思ってもいなかったからである。
「それで、南軍の大将はどうなった。
そう言って義行は、その郎党の肩を揺さぶった。
一行の背後から男が近づく。
「そこの者、何をしておる」
背中越しに怒号が飛んだ。山名の郎党は首をすくめて青ざめる。
「これは御大将、わしは何もしておりませぬ。
山名の郎党は深く頭を下げて、気まずそうにその場を去った。
後ろには和泉守護の山名氏清が、威圧感を
「ん、その
正久と義行に目配せして、正儀が答えようと口を開く。が、それを氏清自身が遮る。
「そうか、橋本
氏清は勝手に早とちりして歩き出した。
首検分と聞いて表情を曇らせた正儀は、ふと、氏清の腰のものに目を留める。
「
すると氏清が
「これは敵の大将が持っていた刀よ。作りからして名のある刀と見た」
「そ、それは
平尾城に
呆然と立ち尽くす正儀らに、氏清が薄ら笑いを浮かべる。
「
そう言って、氏清は先へと歩いた。
駆け寄った正久が、手前の首級の布を
「こ、これは弥四郎殿ではないか」
橋本本家の者であった。
正久と義行は、一門衆の憐れな姿に、思わず目を伏せた。
「そのような雑魚はどうでもよい。あの上座に据えた首級が大将首かどうか検分してくれ」
氏清は、一番奥を指差した。
その首級を義行が正儀の前に持ってくる。それは、討ち取った者として
鼓動が早まる。正儀は瞬きするのも忘れ、義行の手元を見つめる。震える手で義行が恐る恐る白布を
そこで正儀の時が止まる。後ろから覗き込んでいた正久が首級を見るなりその場に崩れ落ちた。
「どうじゃ、大将首で間違いないか」
氏清が、正儀の表情を
崩れるように正儀もひざを付く。首級を抱き、三十四年前、まだ赤子だった
「太郎……どうしてこのようなことに……わしは兄者(楠木
大粒の涙をこぼした正儀は、絞るように声を出した。正久と義行も、肩を震わせて嗚咽した。
「その様子、確かに橋本
氏清は郎党に命じて首級を運ばせた。
正儀と正久は、その場に呆然と座り込んだまま、しばらく動けなかった。かつて、
七月二十日、氏清が京の将軍、足利義満の元に送った橋本
平尾城に戻った正儀は、奥間で一人、手で顔を覆う。
「兄者、すまん……」
兄、楠木
昔、後見役の橋本
成り行きに身を任せよという
花の御所では将軍、足利義満が幕府
義満は上機嫌に
「あれほど手こずった橋本
「御所様(義満)、まだ、早うございます。雨山攻めにわずか四百しか出せぬとは、南軍は思った以上に衰微しているようです。この機を逃さず、山名兄弟(
前任の細川頼之との違いを鮮明に打ち出したい
義満の
「御所様、
「ううむ……よし、紀伊の南軍討伐を山名兄弟(
「はっ、承知つかまつりました」
南の帝が和睦を求めてくるしかないような状況を作るためには、やむを得ないと、義満は腹を
八月に入ると、幕府
一方、正儀は幕府の討伐軍に加わることなく河内の平尾城にいた。正儀にとって南軍の諸将と戦わなくて済むのは幸いであった。しかし、辛い役目も待っていた。
『
幕府方の河内
自分の甥をこの世から葬った者たちにも、褒美を与えなければならない運命に、正儀は耐えなければならなかった。
赤坂の楠木館でも、南朝側に残った楠木正勝・正元の兄弟が、義兄、橋本
次男の正元は口を真一文字に引き締めて、母である徳子の元に現れる。
「母上、太郎兄者(
十九歳となった楠木正元は、意を決して訴えた。
正儀が居なくなって南朝に残った楠木家は、一門の当主としては嫡男、楠木正勝が家督を継いだが、この時、南朝より河内・和泉両国の守護に任じられていたのは叔父の楠木正顕であった。
「小次郎(正元)、よく聞くのです。太郎(
「わかっております。されど、父上の君臣和睦のせいで太郎兄者は死んだようなものです」
「何を言われるのです。父上とて、これまで、手をこまねいていたわけではありますまい。君臣和睦はあと一歩のところだったではありませぬか」
徳子は厳しく
「あと一歩のところ……父上がよく言っていた言葉じゃ。されど、そのあと一歩が進んだ試しはない。我らはずっと一歩を進めることができぬのではありませんか」
徳子は何とか正元を
「それがしだけでも、雨山攻略に参じるつもりです。もしかすると、これが今生の別れとなるやも知れませぬ。これにてごめん」
「小次郎、待つのです。小次郎……」
引き留める徳子を振り払い、正元は部屋から出ていった。
ただならぬ正元の様子に、兄の正勝が徳子の元へ現れた。正元の決心を徳子から聞くと大きく息を吐く。
「わかりました、母上。小次郎の出陣はそれがしが阻止します。ただ……」
「ただ……とは」
「ただそれがしも、小次郎の気持ちはわかります。小次郎も今までよく我慢したのです。どうしても出陣を阻止できない場合は、あやつだけを雨山に行かすようなことはできませぬ」
「小太郎(正勝)まで何を言うのです。母はそのようなことは聞きとうありませぬ。何事も、四郎殿(正顕)に
「無論、もしもの場合のことです。すぐに兵を挙げたくとも、今の我らでは多くの兵を集めることはできませぬ。御安心くだされ」
そう言って正勝は下がって行った。
結局、正元は兄、正勝の説得に応じて出陣を見送り、和田党も兵が集まらずに取りやめることになった。しかし、徳子の不安が消えることはなかった。
翌年の弘和元年(一三八一)三月、京の室町にある花の御所である。ついに、残りの部分が完成し、竣工を迎えた。お披露目は、後円融天皇までも招いての、たいそう盛大なものであった。
そして、これに合わせて
大方禅尼は、義満の最大の庇護者であるとともに、今や最大の障害でもあった。
この年の九月、正儀と
「
義兄弟として育った正久は、本堂で午後の務めを終えたばかりの
「二郎(正久)。父上(正儀)までも……ご無沙汰しております」
「
正儀の問いかけに、
「父上、話とは何でございましょう」
「うむ、赤松
「いえ、ここで赤松の殿の病気
「まだ、誓いを立てたこと、気にしておるのか」
義兄弟として育った正久は、
無言で視線を下げる
「
「いえ、赤松の殿への義理ではございませぬ」
首を横に振る
「では、わしへの不義理に対する思いか……そなたの思いが強ければ強いほど、わしにとっては重荷なのじゃ。今は人を裏切り、裏切られる世の中。されど、その時の思いは致し方なかったのであろうと思う。いつまでも過去を気にしておれば、人は前に進むことはできぬ。生きておるうちにできることを考えよ」
そう言うと正儀は立ち上がり、別院を出て行った。
あとに残った正久が、
「なあ、
「父上が苦しむと……」
「そうじゃ」
兄弟として育った正久の言葉は重かった。
それから
十月十三日、
帝(長慶天皇)の前に進み出た
「
親王が
長親が
帝は歌集を今は遅しと待ちわびていた。歌詠みだけでなく、文芸全般に
「なるほど、いずれも素晴らしき歌である。
目を細め、満足そうに微笑んだ。
当時、
「もったいなきことにございます。
「うむ。それで、この歌集の名前は何とするのか」
「はい、
帝は大きく頷く。
「よい名じゃ。
「何と、思いも
親王はそう言って頭を下げた。その
「さすがは歌詠みの宮よ。礼さえも、
帝は笑い、釣られて親王と長親も微笑んだ。
十二月三日、親王はこの新葉和歌集を
すると
一方、歌集に全精力を注いだ長親も、この後、目標を失ったかのごとく、
十二月、橋本
雨山土丸城は、もともと幕府方の
この日、雨山土丸城は山名の兵五百人に守られていた。
「今日は冷えるな。
山名の兵たちは見張りもそこそこに焚き火で暖をとった。
「おい、何か感じないか」
「何じゃ」
「ほら、馬の
兵たちが息を殺し聞き耳を立てた。すると、一人の兵が、はっと何かに気づいたように、慌てて
「た、大変じゃ。な、南軍じゃ。南軍がこちらに向かっておる。およそ三百」
南軍の将は和田正武の跡継ぎ、和田孫次郎正頼。その嫡男で初陣となる
急に城の中が騒然となる。
「敵は北からじゃ。兵を土丸山の方に回せ」
「すぐに殿(氏清)に使いを送るのじゃ」
山名の守備隊は、土丸山の北の出丸に兵を配置し、和田軍が登って来られないように守備を固めた。
しかし、山名の守備隊の裏をかくように、南軍はすで夜陰に紛れて、雨山の南に兵を送り、
守備が手薄となった雨山の南に、いっせいに旗が上がる。
「敵じゃ、城の南から敵襲じゃ、菊水の旗じゃ、菊水じゃ」
それは赤坂城から出撃した楠木正勝・正元の兄弟が率いる楠木軍であった。
平尾城に、聞世(服部
「殿(正儀)、大変でございます。昨日、赤坂の小太郎殿(正勝)と小次郎殿(正元)の御兄弟が、和田党とともに雨山城を襲いました。そして、山名の守備兵を追い払い、
「何と……早まった事をしでかしてくれた。四郎(楠木正顕)は止められなかったのか……」
正儀は
どたどたと慌ただしく
正友は話を聞いて表情を固くする。
「太郎殿(橋本
「されど、これで赤坂は、完全に幕府を敵に回してしもうた」
そう呟いて、正久は唇を噛み締めた。
これまで、楠木正顕によって南朝側の楠木一族は、過激な動きが押さえられていた。結果、幕府からその仕置きは身内の正儀に任せておけばよい、という暗黙の了解があった。しかし、菊水の旗を掲げて雨山土丸城を攻略した以上、幕府から討伐の対象と認識されざるを得ない。
いずれにせよ、雨山土丸城を奪還した正勝・正元は、今度は山名氏清ら幕府軍の攻撃を凌がなければならなかった。
汚名返上に燃える氏清は、家臣に檄を飛ばす。
「ここは、早々に片を付けるのじゃ。たかが五百の小勢に奪われたままとあっては、山名の名折れぞ」
氏清は
山名の郎党が、軍議を遮って氏清に報告する。
「殿(氏清)、楠木河内守殿(正儀)がお越しです」
「何、楠木が」
氏清は一瞬考えてから、本陣に正儀を招き入れた。
正儀は軽装な
氏清は眉間に
「河内守殿、
「
「何をたわけた事を。そなたが
もっともな意見である。しかし、正儀にはこうするしかなかった。
「戦をすれば死者も出る。和睦で撤退させることができれば、山名殿においても得ではございますまいか」
「そのような事を言いに参っただけか。ならばさっさと帰るがよい。これ以上、
凄みのある声で、氏清は正儀らを脅した。
「待て、氏清……」
制したのは氏清の兄、
「……大して時を要するわけではなかろう。どうせ駄目かも知れぬが、楠木殿の気が済むようにさせてやってはどうじゃ」
兄の言葉に、氏清は信じられないといった表情を浮かべる。
「何を言うのじゃ。気でも狂うたか」
「親というものは無駄とはわかっておっても、子のために尽くしたいものじゃ。危険を省みず、このような姿でここへ来たのじゃ」
「兄者、ここの大将はわしじゃぞ。兄者とてわしに指図はできぬ」
「わかっておる。されど、あえて言うておる」
「……ふん、勝手になさるがよろしかろう」
氏清は、ぞんざいに
「方々、かたじけない」
正儀と正信は、深々と頭を下げてから陣を出て行った。
兄の横やりに、山名氏清は不満だった。山名の諸将を前にしてふてくされる氏清に、山名
「怒っておるのか、氏清」
「当たり前であろう。いったい何を考えておるのじゃ」
怒る舎弟に、
「氏清よ、本当にわしが情に
氏清が
「兄者、それはいったいどういうことじゃ」
「河内守が雨山の城に入ったところで、河内守(正儀)もろとも南軍を討つまでのこと。楠木親子を同時に討ち果たせる絶好の機会じゃぞ。さすれば自ずと河内国は山名のものとなる」
「されど兄者、河内守も一応は幕臣。我らが討ったとなると責めを受けるぞ」
「頭を使え、氏清。楠木正儀は自らの
「ううむ……」
そのような
「六郎(正信)、和睦の使者とわかるように、白旗を掲げよ」
菊水の旗とともに、白旗を掲げて山頂の雨山土丸城を目指した。城の
「何者じゃ」
見張りの兵の問いかけに、正信が白旗を高く掲げる。
「我らは、和睦の使者じゃ。わしは津田六郎正信。そなたらも楠木・和田の兵ならば、この名を存じておろう。そしてこちらは楠木の大殿じゃ。河内守様自らが使者として参ったのじゃ。楠木小太郎正勝殿に通されよ」
正信の声に、南軍の兵たちは顔を見合わせた。
騒ぎを聞き付け、南軍に加わっていた一門の
「あ、本当に大殿じゃ。大殿、お久しぶりでございます。必ずお迎えしますので、しばらくお待ちを」
正儀が一同を見渡し、正勝に視線を合わす。
「小太郎(正勝)、久しいのう。達者であったか」
「父上もお元気そうで」
久方ぶりの父子の第一声は、ともに戦の最中とは思えぬものであった。ただ正元の態度は固い。正儀と目を合わせようとはしなかった。
「小次郎か……立派な武者振りじゃ……」
正元との元服後初めての対面に、正儀は言葉を詰まらせた。
「父上、何しに参られたのじゃ。六郎兄者(正信)まで連れて」
「まあ、そう厳しい事を言うな。久方ぶりなのじゃから」
正信はその場を和ますように務めた。
感慨に浸る間もなく、正儀は本題に入る。
「挙兵の是非はさておき、お前たちはこの先、どうするつもりなのじゃ。このままでは、必ずこの城は山名に落とされるぞ」
「そんなものはやってみないとわかりませぬ。我が祖父、正成は五百の兵で千早に籠り、十万の敵を寄せ付けなかったではありませぬか」
若く勇ましい正元に、正儀は頭を
「小太郎、お前はどうじゃ」
「確かに、このままでは早かれ遅かれ、山名に落とされるでしょう。されど、それがしの狙いはこの城を守ることにあらず。山名の面目を
「山名が居なくなっても、新たな守護が任じられるだけじゃぞ。延々と繰り返すのか」
指摘に正勝は黙り込んだ。正勝も、その策に無理があることは承知していた。しかし、義兄、橋本
「展望のない戦ほど無益なものはない。ここは、いったん兵を引いて策を考え直すのじゃ。撤退は恥ではない。これも策じゃ。わしは和睦の使者として参った。お前たちが大人しく撤退するなら、山名との間で話を付けよう」
提案に、正勝は正頼ら南軍の諸将の顔を見回した。そして、口を開こうとしたその時である。
「敵襲じゃ」
「山名が仕掛けてきたぞ。北からじゃ」
「いや、西からもじゃ」
陣屋の外で兵たちが騒いだ。
正勝らとともに正儀も慌てて外に飛び出すと、一人の兵が駆け寄ってくる。
「北と西から、合わせて五千の敵兵が、気勢を上げてこの城に迫って来ています」
兵の話に、正儀は呆然とした。
「父上、山名に謀られましたな。父上もろとも楠木を葬るつもりでしょう」
「どうもそのようじゃな……すまぬ、小太郎」
山名
「とにかく今はこの場をいかに凌ぐか。さ、早く」
正信が皆を急かした。
南軍の楠木と和田の兵は、塀に取り付こうとする山名の兵に、石を落とし、矢を放った。まるで、元弘の折さながらである。しかし、南軍が
正儀が正勝に目をやる。
「小太郎・小次郎、ここはひとまず撤退するのじゃ」
「承知。者ども、撤退じゃ。撤退して再起を期そうぞ」
正勝は叫んだ。
守備では和田正頼の指揮のもと和田勢が奮戦し、山名の兵をよせつけない。しかし、次第に旗色が悪くなっていく。
神宮寺
「ここは我らにお任せを。若殿(楠木正勝)、大殿(正儀)、さ、早う、土丸の東からお逃げください」
「すまぬ、彦太郎(
「ここで大殿(正儀)にお会いすることができてよかった。さ、お急ぎください」
正儀は頷いて走った。
しかし、若い正元は、敵を前に逃げる事を
「いや、わしは逃げることはできぬ。一緒に戦おうぞ」
すると、正信が戻って、正元の胸倉を
「小次郎、彦太郎殿(
正信は、逃げることを
城に残った
しかし、雨山土丸城に残って山名軍を防いでいた神宮寺
こうして、雨山土丸城は再び和泉守護の山名氏清の支配するところとなった。そして、大野城は紀伊守護の山名
大和五條、栄山寺の
この日、朝から頭痛に悩まされていた右大臣の北畠
帝(長慶天皇)が苦悶の表情を浮かべる。
「では、雨山城に続き、大野城も奪われたというのか……」
帝は声を失った。
「
内大臣の吉田
「……
帝は
「
「朝議で決した事なれば、反対などとは申せませぬ。されど、いささか性急なお考えに、
すると、
「
この事態にも、
「策なく戦っても……」
「誰じゃ」
―― どさっ ――
「右府(右大臣)様っ」
隣に座っていた大納言の
「北畠卿、お気を確かに」
意識を失った
北畠
帝(長慶天皇)は仕方なく、
一月三十日、雨山の戦から数日後のことである。平尾城に、美木多助氏が嫡男の
雨山攻めでは息子の助朝が、山名氏清の求めに応じて出陣し、幕府方として戦っていた。その恩賞として河内国にある所領の安堵を、河内守である正儀に願い出るためである。
館の広間で、正儀は助朝の求めに応じて、軍忠状の
「それでは、三郎殿(正儀)は使者として、戦の
唖然とした表情を助氏は浮かべた。
「山名兄弟(
「河内守殿、知らぬ事とはいえ、攻め手に加わっていたこと、申し訳なく存ずる」
若い助朝が、気まずそうに頭を下げた。
「いや、山名の
「されど、三郎殿と小太郎殿(楠木正勝)を同時に討たんとしたということは、河内国を狙ってのことか。このことは早く
助氏は
「いや、無駄であろう。藪蛇になるやもしれぬ。そもそも
「要は山名兄弟と思惑は同じということか」
憂慮する助氏に正儀は頷き、話を続ける。
「いずれにせよ、小太郎と小次郎(楠木正元)が雨山の南軍に加わったことで、次は東条が危ない。孫次郎(和田正頼)も新九郎(正武)殿を連れて、本城(上赤坂城)に籠城したようじゃからな」
すると、助朝が
「で、どうなされるのです」
「何としても東条攻めは阻止する。何としてもな」
正儀は強い決意を口にした。
かつて、正儀の与力であった助氏は同情の表情を浮かべ、息子の助朝は困惑の表情を浮かべた。
時を同じくして、摂津国
この時、
「爺様(秀則)、お帰りなさいませ」
「うむ、今、帰ったぞ。これは平尾城の父上(正儀)から
秀則は、
「どうも雲ゆきが怪しくなった」
「父上(秀則)、いかがされましたか」
「殿(正儀)は、山名兄弟(
秀則は苦渋の表情で
「それは殿様の一大事」
しかし、
「もしかすると、殿は幕府を裏切り、
「え……では、
心配そうにたずねる
「もし、殿が
「そ、それでは、殿様を見限るのでございますか。そんな、薄情なことがあってよいものでしょうか。それに、
「我ら小豪族は、義のためには戦わぬ。義で弱い方に着けば、御家は存続できぬのじゃ。殿が
秀則は非情になって、すがる
河内の平尾城、微妙な状況に置かれた正儀の元に、一人の男が少年を連れて訪れる。男は広間に通されると、まだあどけなさが残る
「
「大殿(正儀)、生き恥を
男は橋本
「太郎(
「山名軍の囲みを破って逃げる途中、殿(
良宗が言葉を詰まらせる。
「……すでに 殿の姿はなく……討死されたことは翌日知りました」
正儀は聞きたいことがたくさんあったが、まずは目の前の疑問から問わざるを得ない。
「それで、その子は……」
正儀の言葉で、良宗は隣の少年に目を配る。少年は、いかにも緊張した様子で
「殿(
「では、この子は太郎(
「左様、多聞丸殿にございます」
良宗の口から出た少年の名に、正儀ははっとする。多聞丸の名は、楠木正成から楠木
「そうか、兄者(
熱いものが正儀の胸に込み上げた。
良宗が多聞丸の背中に手を添える。
「多聞丸殿を大殿にお預けしたく存じます」
「預けるとな……しかも、四郎(楠木正顕)ではなく、敵方のわしにか」
「もとより、それがしは敵などとは思っておりませぬ。それがしにとっては同じ楠木です。正成公と
「それに……」
正儀は、口籠る良宗に、次の言葉を促した。
「それに……
「なるほど、
橋本
「姉(高子)とも相談して決めたことでございます。昔、殿は楠木館を飛び出した事を、後悔されておられた。姉(高子)も、殿の思いを多聞丸殿に託しておるのでございます。多聞丸殿とて覚悟を決めて、今日、ここに参りました」
「楠木の大殿、
良宗の言葉に多聞丸も頷き、頭を下げた。
腕を組んだ正儀が、
「よかろう。多聞丸はわしの末子としよう。されど、条件がある。
「何とそれがしに……」
良宗は深々と頭を下げる。
「……申し訳ござらぬ。謹んでお引き受け致します」
正儀が多聞丸に目をやる。
「多聞丸、歳は幾つじゃ」
「十一にございます」
側室の
「母と別れて暮らすのは寂しくないのか」
「寂しくなぞありませぬ。父上のような立派な武将に成るために、
多聞丸が顔を引き締めた。正儀は立ち上がり、多聞丸の前で片ひざ付いて、肩に手を添える。
「うむ、よい面構えじゃ。きっと立派な武将に成るであろう」
正儀は、この子のためにも、楠木を
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます