山逢の里キャンプ場→星音の湯

第七話「お風呂はある。でも、温泉に行きたい」

(ほむ。ヤバい。超進んだ……。なにこれ、わたし天才か?)


 折り畳み椅子に座って、PCで小説を執筆していた泊は、その進み具合に恐怖さえ覚えた。

 通常の三倍の速度で書けたかもしれない。


 とにかく集中できた。

 周囲から聞こえる適度なノイズ、鳥の声、そして自然の空気感が、不思議と煩悩を遮断してくれたおかげかもしれない。


 ネット環境も常時接続ではないのがいい。

 図書館のフリーWiFiを使っていた時は、使い放題と言うこともありつなぎっぱなしだった。

 しかし、今はパケット制限があるモバイルルーター経由で、PCをネット接続している。

 だから、モバイルルーターを不要なときは切っておくわけだが、そのおかけで「ブラウジングで時間が消費されちゃった、てへ♥」という大事故も起きにくくなっていた。


 さらにいいのは、この椅子だった。

 机がないので少しだけ打ちにくいが、「ヘリノックスタイプ」と呼ばれる折りたたみ椅子は非常にすわり心地がよい。

 関節をゴム紐でつないで折りたためるようにしたフレームは、組み立てることで脚部、座面と背もたれの左右の骨組みとなる。

 その骨組みの先端に、布地をひっかけてテンションをかける。

 するとピンと張った布地が、座面と背もたれになるのだ。

 結果、座面や背もたれで体が触れるところに、金属フレームが当たらない。

 そのためまるでハンモックのような包まれ感と、ソフトな座り心地が味わえるのだ。

 もちろん、オフィスチェアの方が姿勢的には楽なのだが、何ともリラックスした気分が味わえるのがよい。


 しかもフレームも小さくまとまり、座面と背もたれになる布地もたためばいいので、非常にコンパクトに収納できる。

 小さいものならば、長さが泊の腕の半分ぐらいで、重さも五〇〇ミリペットボトル並みで片手で軽々と持てるぐらいだ。


 泊はあまり詳しく知らなかったが、かるく調べたところによると、もともとこの構造はヘリノックスというブランド(母体は韓国のDAC社)が生みだしたデザインらしい。

 だから、俗称で「ヘリノックスタイプ」などと呼ばれているようだ。


 ただ、ヘリノックス純正の椅子は本当に高い。

 これはテントポールのメーカーとして有名なDAC社の丈夫なフレームポールを使い、生地にもいい物を使っているから仕方ないのだろう。

 それに対してネット通販で売っている、よくわからないブランドの似たようなモデルならば、四分の一以下の値段で買えてしまう。

 品質を求めるならば、やはりヘリノックス製を買うのがいいのだろうが、キャンプ初心者の泊としては、とりあえず試してみないことにはすわり心地もわからない。


(安かったけど……十分だな。まあ、そのうちにヘリノックスを買ってみたいもの……だけど……そ、それより……それより……)


 泊は顔をしかめながら、PCを目の前のアルミテーブルに置いた。

 そして自分の脚を見る。

 ネイビーブルーのジーンズに包まれた中の脚。


「か……」


 我慢していた。

 ずっと我慢していた。

 しかし、もう我慢できない。


「かっ……痒~~~い!!」


 思わずボリボリと左足のふくらはぎを掻いてしまう。


「ううっ……いつのまに……」


 少し前からムズムズとしていたのだが、これのせいで完全に集中力が途切れてしまったのだ。


「痒い……痒すぎる! ……我が血をすする狼藉、何者の仕業だ」


「蚊だろう……」


「そんなことはわかって――うおっ!」


 横から聞こえた声に、思わず泊は椅子ごと横に転びそうになる。

 体勢を慌てて立て直し、横を向く。

 するとそこには、同じように椅子に座ってPCを操作していた、お隣さんがいた。

 金のペグを貸してくれたソロキャンパーである。


「お……乙女の独り言に入りこまないでください、えっち」


「とても『乙女の独り言』というレベルのボリュームではなかったのだが」


「マ……マジですか?」


「少なくとも、俺が驚くぐらいには」


「――はうっ! 恥ずかしいこと、この上マックス……」


「本日二度目のマックスだな……。それより、ほら」


 彼から何かが放り投げられ、泊は慌てて両手でそれを受け取る。

 手の中を覗けば、それは小さな液体の塗り薬。


「その様子だと痒み止めを持ってきてないのだろう。それを塗ったら、虫よけもここに置いておくから使え」


「……あ、ありがとうございます」


「まだ九月だからな、虫も多い。痒み止め、虫よけ、それだけではなく常備薬などはキャンプの必需品だ。今度から自分で用意しろ」


「は、はい……」


「終わったら、このテーブルの上においておいてくれ」


「……え? どこか行かれるので?」


「もう、一六時過ぎだからな。今のうちに近くの温泉に車で行ってくるつもりだ」


「おお、温泉……。近くにあるんですか?」


「秩父は温泉が多いからな」


 そう言えばと、泊は来る途中にいくつも看板があったことを思い出す。


(ほむ。温泉……温泉かぁ……)


 キャンプ場に風呂はあるから、それで済ますつもりだった。

 しかし、そう聞くとやはり温泉にゆっくりとつかりたい気分になってくる。

 今日は長距離ツーリングをしてきたこともあり、自分の体をいたわってあげたい。

 甘やかしてあげたい。


「ちなみに旦那は、どこの温泉に行かれるので?」


「旦那ってなんだよ。……車で一五分ぐらいのところにある【星音せいねの湯】というところだ」


「ほむ……」


 泊はスマートフォンを取りだすと、言われた温泉を検索する。



星音せいねの湯】

http://www.beyer.jp/seine/



 出てきたのはおしゃれな建物に、雰囲気のある露天風呂の写真。

 旅館もやっているところらしく、設備がすごく充実してそうだった。


「こ、これは……おしゃれじゃありませんか、旦那」


「だから、誰が旦那だよ」


「……あ、そういえば、ご家族は一緒に行かれないんですか?」


「家族? 俺はソロで来ているが……」


「……へ? ソロ? ……ソロなんですか!?」


 泊は彼の後ろのテントを見る。

 それはベージュ色をした、八角形の巨大なテント。

 たぶん、大人五人ぐらいが手足を伸ばして寝転がっても、余裕があるぐらいの広さがあるはずだ。


「こ、このサーカステントに一人で?」


「サーカステントにしては小さいだろうが。これはDODというメーカーの【タケノコテント】という、巨大なワンルームテントだ」


「えーっと……わたしは、タケノコよりキノコ派なんですが? もしかして宣戦布告ですか?」


「なんでだよ。山里戦争をするつもりはないぞ。ちなみにキノコテントという商品はない」


「な、なんと……なんでないんですか? そのDODとやらは、タケノコ派ですか?」


「メーカーのサポート窓口で聞いてくれ」


「ほむ。では後日、問いつめることにします。……いや、それはともかくですね、一人でこんなでかいテントを使うなんて、バカなんですか?」


「きみは……俺がいろいろ助けてくれた相手であることを少しは考えてしゃべるべきじゃないか?」


「…………」


「…………」


「……訂正します。頭おかしいんじゃないですか?」


「考えて訂正した結果が、それか」


 どう考えてもおかしいとしか思えない。

 タケノコテントという大きなテントは、詰めれば七、八人は寝られそうなサイズである。

 それを一人で使うなど考えにくい。

 立てるのだって、それなりに大変そうだ。

 八角のそれぞれに短いポールを立て、中央に大きなポールが立っている構造である。

 その短いポールを立てるため、少なくとも八本の張り紐が必要になっている。

 それだけで普通のテントの2倍の作業量となる。

 さらにサイトがそれほど広いわけでもないのに、タケノコテントの前にはタープまで立てている。

 泊からしたら、設営に大変苦労しそうに見えた。


「だって、一人でこんな大きいテントいらないではないですか、ソロキャンパーの旦那」


「なんだ、その呼び名は。……グランピングってのを経験しようと思っただけだよ」


「グランピング? それはどの仮面○イダーの技ですか? ウルト○マン? 特撮ネタはちょっと……」


「なんで技の話になるんだよ……。明確な定義があるわけではないが、要するに豪勢なキャンプのことをいうんだ」


「ほむ。豪勢……なんかキャンプのイメージとは真逆の方向性ですね。豪勢にするなら、キャンプする必要がない気がします」


「確かにそういう意見もある。が、俺は固定観念に囚われる必要はないと思っている。ワイルドに楽しもうが、ゴージャスに楽しもうが、キャンプの本質はそこじゃないと思っているからな」


「キャンプの本質……ですか?」


「ああ。その本質を楽しむために、頑ななこだわりはもたず、俺はいろいろなスタイルに挑戦している。このタケノコテントも、その一環なんだが……ただ、ちょっとこのテントを張るには、ここは狭すぎた。ぎりぎりに予定が空いたから、予約を入れられるのがここしかなかったんだ」


「おお。わたしも同じです。この辺りでは人気キャンプ場なのに、なぜかここだけ空いていたんですよね」


「ああ。まあ、一度は来てみたいキャンプ場だったからいいのだが、ただ――」


「「――ソロに優しくない」」


 なんとなくそう言うだろう、そう思って口にした泊の言葉が見事に重なった。

 驚いたのか、目の前の彼は目をまん丸にする。

 そして、そろってかるく笑いをこぼしてしまう。


「えへへ……。でも、ソロにはアレですが、設備が整っていていいキャンプ場ですよね。シャワーやお風呂も……あっ!」


 泊は話題がそれていたことを思いだす。


「すいません、これから温泉に行かれるんでしたね」


「……ああ、そうだったな」


「ほむ。あの~、図々しいお願いですが、わたしも車に乗せていってもらえませんか?」


「……え?」


 相手も驚いているが、そんなことを言いだした自分に泊も内心で驚く。

 でも、泊はとびっきり笑顔で言葉を続ける。


「わたしも行きたいんですが、バイクだと湯冷めしそうですし、雨が降るかもしれないって言うし。ほら、ソロキャンパーの旦那もこんなカワイイ女子高生と温泉に行けるなんてお得でしょう? 帰りに湯上がりの女子高生なんてご褒美でしょう?」


「お得もご褒美もどーでもいいが、きみは不用心すぎるぞ。見ず知らずの男の車に一人で乗らせろなんて」


「そういう注意をしてくれる人なら大丈夫です」


「あのな……どんな人間にでも魔がさすことがある。特にきみもソロで行動しているんだ。何でもかんでも疑えとは言わないが、そんなに簡単に信用せず、もっと慎重になっ――」


「――大丈夫です」


 泊は笑顔のまま、力強い意志をこめた口調で割りこむ。

 相手の目から視線をそらさずに。


「わたし、人を見る目には自信があるんです。旦那は……あなたは信用できます」


「はぁ~……きみは……」


 呆れるように、顔を押さえる彼を前に、泊は妙に楽しくなる。

 いい大人の男が自分の言葉に振りまわされているのがおかしいのか、それともまじめな彼の対応が嬉しいのか。

 どちらにしても、泊の中に不安はなかった。

 なんとなくピンと来たのだ。

 この人はと。


「申し遅れました。わたし、【新宿あらやど とまり】と言います。泊と呼び捨てでいいですよ。……ぐへへ。ソロキャンパーの旦那も、お名前をお聞かせくだせーよ」


「なんで時代劇にでてくる小悪党みたいな口調なんだよ。……俺は営野えいのだ」


「ほむ。フルネームは?」


「……フルネームなんて聞いても仕方ないだろう。キャンプ場で隣になっただけだ」


「えー。それじゃ、警察に通報する時に困るじゃないですか」


「おい。まったく信用してないじゃないか。通報する気満々だろう、それ……」


「そんなことありませんよ。だから、教えてくれてもいいじゃないですか。『袖触れ合うも多数の冤罪』と言いますし」


「それを言うなら『袖触れ合うも多生たしょうの縁』な。現代社会の痴漢冤罪を象徴するようなことわざにするな。怖くて、よけい名前を教えたくなくなったよ……」


「ほむ。なら、わたしが呼び名を考えてさしあげます」


「なんで、営野と呼ばん」


「カワイイ呼び名があった方がいいじゃないですか。ちゃんと考えますから」


「いや、必要ないのだが……」


「ん~……『ソロキャンパーの旦那』だから、ソロさんでいいですかね」


「ちゃんと考えてないだろ、それ。だいたい、かわいいか?」


「え? カワイイじゃないですか」


「……どうも女子高生の感覚はわからんが、まあ……だが、当たらずとも遠からずというか……」


「ほむ? なにがです?」


「いや、なんでもない……」


「では、ソロさん。これでわたしたちは、ソロキャンパー仲間です。というわけで、温泉に行きましょう」


「どこまでマイペースなんだ、きみは?」


「きみじゃありません。泊ですよ。とまりんでも、とまとまでもいいですよ」


「それは勘弁してくれ、泊ちゃん」


「ちゃんはやめてください。気持ち悪いです。呼び捨てのがいいです」


「……最近の女子高生は、本当に難しいな」


 泊は悪戯っぽく、くすりと笑って見せた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――

※参考資料:

http://blog.guym.jp/2018/12/scd001-07.html

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