17 深海 尋

「そんな技を隠し持っているなんて君も人が悪い。最初から使ってくれていれば、私だって退屈しなかったものを」

「生憎と、この力に目覚めたのは今し方でな」

「命のやり取りの中で新たな力に目覚めたわけですか。君も大概怪物だ」

「あんたと一緒にするなよ」

「一緒ですよ」


 不敵な笑みを口元に浮かべると、東端ひがしばたは身に着けていた白い仮面を剥ぎ取り、投げ捨てた。

 両目は激しく血走り、顔中に太い血管が浮き出た凶悪な面構え。

 見慣れたオールバックは大きく乱れ、焼き切れた傷の痛みで、額や頬には脂汗が滲んでいた。


「見てください、この凶悪な顔を。壊れたマスクから覗く君の顔も、私と大差ありませんよ。私達は同族。人知を越えた怪物同士です」

「……確かに、力を振るっている時の俺の面構えは凶悪の一言だ。そんな顔を見られたくないから、マスクだって被ってる……だけど俺は怪物じゃない。もう一度言う。あんたと一緒にするなよ」

「怪物でなければ何だと言うんですか?」

「俺は深海ふかみじんさ。例え人間でなくなったとしても、俺が深海尋であることに変わりはない。自分が何者かの答えなんて、四年も前に出している」

「その答えは〇点ですね。とんだ屁理屈だ」

「俺の成績が振るわないことなんて、教師のあんたなら承知してるだろう。それに、人間を辞めたのは俺の方が先輩だ。あんたにとやかく言われる筋合いはないと思うが」

「いいえ、やはり私の方が先輩ですよ。この姿になる前、私は十年も前から殺人鬼ですよ? 普通の人間なんて、とうの昔に辞めています」

「一理ある。やっぱり、教師相手に舌戦じゃ勝てそうにない」


 無理が祟り、尋の腹部の出血が再開した。

 限界は確実に近づいてきているが、それは相手とて同じだろう。

 迦楼羅かるらえんのもたらす熱傷は、絶えず東端の体をさいなみ続けている。


「無駄話が過ぎたな。これ以上の無理は辛い。そろそろ終わりにさせてもらう」


 尋は姿勢をやや低くし、右手の薄緑を上段で構えた。

 

「せっかく盛り上がって来たのです。私としては、もっと殺し合いを楽しみたいのですが……」

「強がるなよ。迦楼羅焔で負った傷はファントムにとって呪いにも等しいもの。あんただって相当辛いはずだぜ」

「……まあ、いいでしょう。教師らしく、生徒の自主性を重んじることにしておきましょうか」


 尋の意に沿った以上、図星だったのかもしれない。

 東端は右腕を、自身が最も好む肉切包丁の形へと変化させた。

 肉を断つに最も相応しい装備だ。


 何を合図としたわけでも、事前に打ち合わせていたわけでもない。

 双方ほぼ同時に相手に向かって駈け出し、一撃で決めるべくそれぞれの得物を振るう。


 先手は僅差で東端が取った。


 ギロチンの如く振り下ろされた肉切り包丁が尋の左肩へと食い込む。このままでは付け根からの両断は必至だが、


「……わざと受けましたね」


 してやられたと、東端は皮肉気な笑みを浮かべていた。

 尋に接触した肉切り包丁は切断には至らず、肉に数センチ食い込んだところで静止。

 東端の胸部は、迦楼羅焔をまとった刀身によって真一文字の裂傷と熱傷が同時に刻み込まれていた。直接体内に撃ち込まれた迦楼羅焔の威力は、これまでの比ではない。


 肉を切らせて骨を断つ。


 刃を自らの体に受けることで相手の隙を作り、重症を負わされる前に刹那の剣速で相手に致命傷を与えたのだ。

 片腕くらい差し出す覚悟だったが、結果的に両断される前に東端に限界を迎えさせることが出来た。


「……強者は、君の方でしたか」


 せめてもの悪あがきと、東端は尋の左肩から肉切り包丁を引き抜き、尋から短い悲鳴が上がる。東端はもはや立っていることもままならず、衝撃で後退し、尻餅をつくようにして床面へと倒れ込んだ。

 

「……君を恨みはしませんよ。殺し合いを望んだのは他ならぬ私なのですから」


 東端の目元の血管が引いていく。ファントムとしての力が弱まっていることを示しているのだろう。これ以上の戦闘は不可能だ。


「俺は、先生との殺し合いなんて望んでいなかったけどな」

「まだ、私を先生と呼ぶのですか?」

「教師には違いないだろう。反面教師だけどな。同じ人間を辞めた者同士とはいえ、俺は絶対にあんたのようにはならない。この力はあくまでも、人々をファントムの脅威から守るために使う」

「……進路相談は夏休みの予定でしたが、まあ、いいでしょう。目標を持つのは良いことですよ」


 教師として本気で言っているか、殺人者として皮肉を言っているのか。

 口元に浮かべる笑みからその真意を読み取ることは難しい。


「……それでは、教師として最後に君に餞別せんべつを送ることとしましょう」

「何を……」


 東端は未だ健在の右腕をメスのような形状へと変化させた。

 まだ交戦の意志があるのかと、尋は薄緑を中段で構え、攻撃に備えるが。


「えっ?」


 次の瞬間、東端はメスの刃を自身の首筋へと当てて勢いよく引いた。

 即座に血飛沫が吹きあがり、屋上に赤いシャワーを降らせていく。


「何の真似だ」

「……君は私を殺してはいない。私に止めを刺したのは、あくまでも私自身です」


 死の淵にあっても東端は口元へ愉悦の笑みを浮かべている。

 決して教え子を思い、自死という形で幕を引こうとしているわけではない。 

 これは非常に性質の悪い嫌がらせだ。

 自死。即ち尋は、東端を殺せなかったことになる。

 そうすれば、また東端のような存在が現れた際、尋は再び思い悩むことになるだろう。自分は人間だった者を殺せるのかと。


 元人間と戦うことへの憂いを決して絶たせない。

 そういった禍根を残すことが、東端の最後の攻撃であった。


「……しかと見届けなさい。これは君の未来でもある――」


 事切れる瞬間、どこからともなく黒い影のようなものが出現し、東端の体へと食らいついていく。闇に還ると呼ばれる現象。元は人間といえども、ファントムとなってしまった以上、その末路は決まっている。


 己の最期の瞬間をその目に焼き付けさせることで、尋の中に死の恐怖を植え付ける。


 腕、両足、脇腹と徐々に闇に喰われゆく。

 闇の蝕は瞬く間に東端の存在を消失させていき、残すは胴体の一部と頭部のみ。

 顔面を完全に飲み込まれるその瞬間まで、東端は笑みを浮かべ続けた。


 意地の悪い置き土産を残し、東端は逝った。


「……どうかな。最後は大往生するつもりだぜ、俺は」


 決して目は逸らさず、恩師であり、希代の殺人鬼であった男の最期を尋はしかと見届けた。

 その死に対して、今は何の感慨もわかない。

 これが君の未来であると言われても、それもいまいちピンと来ない。


 闇に還るファントムの最期。

 そんなもの、とうの昔に見慣れている。

 ただ今回は、それが見知った人の姿をしていた。ただそれだけのことだ。


 ※※※


 重い足取りながらも、尋は何とか世里花せりかたちの待つ校庭まで降りてくることが出来た。

 あれだけの重症を負いながらもまだ動けているのは、戦闘時の緊張感が継続しているからであった。戦闘モードでなければ、屋上で血塗れで倒れているところだ。


「尋!」

「まだ、こっちに来るな世里花……」


 尋が不意に顔を背け、迎えようと駆け出した世里花の足取りが鈍る。

 今にも泣き出しそうな、あんな弱々しい尋の声を聞いたのはこれが初めてだった。


「今の俺の顔を、お前にだけは見られたくない」

「どうして?」


 戦闘時の緊張感が継続しているということは、凶悪化した顔が治まってないということでもある。マスクが破損し、顔の半分が露出していることもあり、世里花の方を直視することが出来ない。


「……今の俺、とんでもなく怖い顔してる。お前を怯えさせたくない。直ぐに落ち着くと思うから、少しだけ待っ――」

「顔を背けないで。私なら大丈夫だから」


 言い終えるのを待たずして、世里花は尋へと駆け寄り、背けたままの尋の顔を真っ直ぐ見据える。


「どんな顔をしていようと、尋は尋だもの。幼馴染の尋を私が怖がる理由がどこにあるの?」

「……世里花」

「マスクを外して、私の方を見て。今の、有りのままの尋が見たいの」


 離れた位置から二人を見守る咲苗さなえとマスク越しに視線が合う。

 世里花の思いを肯定し、尋の背中を押すように、咲苗は何も言わずに静かに頷いている。


「……くどいようだけど、今の俺の顔、怖いぞ」


 一呼吸置く意味も込めて念押しすると、尋は顔を背けたまま、左耳付近に付けられたマスク着脱のスイッチを押した。固定が外され、烏の嘴にも似た漆黒のペストマスクは、自重で地面へと落下。


 素顔を晒した尋は、血走った目と太い血管に支配された素顔を世里花の方へと向けた。


「かっこいいじゃん」


 まったく怯える素振りは見せず、世里花を微笑みを浮かべて尋に優しく抱き付いた。

 その言葉に嘘偽りはない。ペストマスクを被っていようとも、顔が凶暴化していようとも、尋が尋であることに変わりなどない。大好きな幼馴染を怖がる理由など、世里花には何もない。


「かっこいいか?」

「かっこいいよ。女の子を全力で守ってくれた男の子の表情が、カッコ悪いわけないじゃん」


 肩を裂かれた影響で左腕が上がらず、尋は右腕だけで世里花の体を優しく抱き留めた。

 張りつめていた緊張から解放され、尋の表情から充血と血管が徐々に引いていく。普段通りの穏やかな印象となった瞳からは、自分を受け入れてくれた世里花への思いから、感涙が伝い落ちていた。


「……流石に、今日は疲れたな」

「尋?」


 不意に尋の右腕が脱力し、足元も覚束ない様子で世里花へと体重がかかる。

 腹部と肩口からの出血が再開し、鮮血が、密着する世里花の体へも染みわたってていく。


「尋、ちょっと尋!」

「しっかりしなさい尋! 直ぐに救急車が来るから」


 世里花と、駆け寄って来た咲苗の二人で尋の体を支える。

 意識を失わせない必死に呼びかけながら、世里花は血塗れの尋の右手をしっかりと握る。


「尋……前にも言ったでしょう。あの時みたいにいなくなったら嫌だって」


 意識を保てるよう必死に呼びかけながら、世里花は血塗れの尋の右手を祈るようにして両手で握った。


「……もう、どこにも行かないさ……あの時だって……ちゃんと……帰って――」


 言い終えぬまま、尋の意識は消失した。



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