16 迦楼羅焔 -カルラエン-

「……霧崎きりさきさん。じんは大丈夫なんですか?」


 咲苗に肩を抱かれてグラウンドまで脱出した世里花せりかが、尋がいるであろう屋上を不安気に見上げた。

 体に震えは残っているが、己の感じた恐怖よりも、今は尋のことが何よりも心配であった。


「尋ならきっと大丈夫よ。あの子は何度も修羅場をくぐってきているから。それと、こんな時に混乱させることを言って申し訳ないのだけど、霧崎は偽名なの。私の本当の名前は美岡みおか咲苗さなえといいます」

「美岡……咲苗さん?」


 都市伝説に語れるレイブンは幼馴染の尋だった。

 担任教師である東端ひがしばたは殺人鬼であり、おまけに異形の腕を振り回して来た。

 ずっと霧崎さんだと思ってきた目の前の女性が、それは偽名だったと語る。

 咲苗の危惧した通り、世里花の混乱は増す一方であった。

 

「何が起こっているんですか?」

「重大な事実は尋本人の口から明かされるべきものだと思うから、私の口から核心までは語れない。今言えることは、ファントムと呼ばれる異形の怪物と戦える術を尋は持っていて、今この瞬間、彼はその脅威に立ち向かっているということだけ。事が済んだら、尋自身が世里花ちゃんと向き合い、真実を告げると言っていた。その気持ちは尊重してあげたいの」

「尋が私と向き合う?」

「その覚悟を決めたと言っていたわ。直ぐに疑問に答えてあげられなくて申し訳ないけど、今は尋の帰りを待ってあげて」

「尋は、ちゃんと無事に帰って来てくれますか?」

「こうして待っていてくれる人がいる。強くて優しい尋のことだもの。絶対にあなたのところへと帰って来るわ。4年前だって、尋はちゃんと帰って来たでしょう?」

「……はい」

「今は静かに、尋が戻って来るのを待っていてあげて。不安だと思う、怖いと思う。だけど、尋と一緒に戦うつもりで今は耐えて。私も側にいるから、一緒に尋の帰りを待ちましょう」

「……えと、美岡さん?」


 直前まで世里花にとって咲苗は霧崎さんだった。美岡の響きには直ぐには慣れない。


「咲苗でいいわ。尋もそう呼ぶから」

「では、咲苗さん。手を握っていてもらってもいいですか? 咲苗さんの言うように、今は全ての疑問を飲み込んで尋が戻るのを待ちます。だけど、やっぱり怖いから……誰かに手を握って支えていてほしい」

「もちろんよ。安心して、私が側にいるから」


 快く世里花の右手を取り、咲苗は温もりを分け与えるかのように、優しくその手を握ってあげた。


 ――尋、待ってるからね。


 ※※※


「期待外れではありましたが、私の指を飛ばし、久しぶりに痛みを感じさせてくれたことにはお礼を言っておきますよ」


 もはや興味はないと言わんばかりに、血だまりに沈む尋に東端ひがしばたは背を向けた。

 異形の刃物と化した腕を破壊したのは見事。

 久しぶりに感じた出血を伴う痛覚に、性的倒錯に近い興奮さえ覚えた。


 しかし、心の底から臨んだ命のやり取りを思う存分行えると思っていたのに、肝心の命を奪う覚悟をレイブンは有していなかった。


 どんなに強靭な肉体や戦闘能力を有していようとも、相手を殺す気概のない者と、満足いく殺し合いが出来るはずもない。


志藤しどうさんが惨たらしく死んでいくのは、君のせいですよ?」


 屋上のフェンス越しに、グラウンドへ退避していた世里花の姿を見下ろす。

 レイブンは退屈を満たしてはくれなかった。

 なればこれまで同様、憧れの殺人鬼を模倣し、女どもを殺すことに快楽を見出すほかない。


 最近は抑えが効かない。一人では不十分だ。

 世里花だけではなく、隣にいる見ず知らずの女性もついでに壊してしまおうと東端は考えた。

 二人でもまだ満足に足りないかもしれない。目撃者の始末という名目で、鴇田ときたかえでも殺そう。居場所は不明だが、善良な担任教師を演ずれば、関係者から情報を聞き出すことも可能だろう。


「……世里花に手を出したら、殺すと言ったはずだぞ」

「まだ息があるのですか。耐久力だけは一人前ですね」


 背後からの声に、東端は面倒くさそうに振り返る。

 血で全身を濡らした尋が片膝ついて立ち上がり、マスクが割れて露わになった右目で東端を睨み付けている。戦闘モードで目は血走り、目の周辺には血管が浮き出ていた。出血を伴い顔全体が赤く染まっており、その表情はまさに鬼気迫っていた。


「そんなボロボロの体で何が出来るというんですか?」


 怪奇の力を宿すだけあり、尋の回復力は常人よりも早いが、だからといって瞬間的に傷口が再生するわけはなく、失った血液だって直ぐには戻らない。今すぐ死ぬようなことはないにしても、満身創痍まんしんそういでパフォーマンスは最悪だった。


「もう君に興味はありませんよ」


 人の形へと戻った右手で、東端はローブからナイフを抜き放った。

 凶刃は尋の眉間目掛けて正確に飛来するが、


「俺もだ。あんたに対する興味は、甘さと一緒に捨てる」


 瞬時に薄緑うすみどりを振るい、尋は投げナイフを目にも止まらぬ早さで叩き落とした。


「世里花は俺が守る」

「どこにそんな力が……」


 傷の痛みを脳内から排除した尋は、手負いとは思えぬ速度で迫り、東端目掛けて切り上げる。刃は東端の右腕を捉え、軽々と斬り飛ばした。


「効きませんよ」

 

 腕は切断面から一瞬で再生。メスのような形状の異形の凶器と化した。

 左腕のハンマーもナイフの形状へと変化。

 二刀流で尋へと襲い掛かる。


「無駄な足搔きを。手数、回復力共に私の方が上。勝敗は目に見えていますよ」


 尋が東端の武器化した腕を斬り飛ばさそうとも、その腕は即座に再生し、また異なる凶器の形を取る。隙と呼べるような時間は東端に生まれない。それどころか、東端の片腕を破壊すること自体が尋の隙となってしまっている。健在な東端のもう片方の腕に隙を突かれ、目に見えて傷が増えていく。


 重症も相まって、尋は圧倒的に不利だった。


 しかし、尋はどんな攻撃を受けても呻き声一つ上げず、感覚を確かめるかのように、一太刀一太刀を振るうことに集中している。


 一度完全に意識を失い、意識は闇の泥へと沈んだ。

 底なしの闇と落ちていく最中、帰りを待つ大切な人の声が聞こえたような気がした。

 幻聴かもしれないが、世里花の声が闇から這い上がる力を与えてくれたのだと尋は解釈している。

 

 意識の覚醒は、これまでにない感覚を伴ってきた。

 体が熱を持ち、それが体外へまで溢れ出るような感覚。

 その熱感は傷の痛みとは異なる。

 文字通りの炎熱によるものだ。


 悪を滅す炎火の目覚めを、尋はその身に感じ取っていた。


 自覚したのはこれが初めてだが、これもまたレイブンとしての尋に備わっていた能力の一つなのだろう。


 誰に教わることもなく、炎のめいを尋を始めから理解していた。


迦楼羅かるらえん


 尋が銘を発した瞬間、尋の振るった薄緑が突如として発火。

 炎刀となり、東端の左腕のメスと接触。鋭い刀身ではなく、刀身を走る炎熱によって異形の腕を焼き切った。


「ぐあっあああああ――」


 これまでにない絶叫を東端は上げる。

 メスの形状となった左手は手首の位置で落とされ、人の形へと戻った切断面は焼け焦げて筋組織が炭化していた。

 これまでは切断されても瞬時に再生、形状変化を成してた手が、今回ばかりは一行に再生する気配を見せない。


「何故だ、何故腕が再生しない」


 切断面を抑えながら、東端は即座にバックステップを踏んで後退した。

 それまで攻勢だった東端が初めて見せた弱気な姿勢。

 再生という前提があるから傷みさえも楽しむ余裕があった。しかしそれが再生しないとなると話は別だ。

 再生不能な負傷は取り返しがつかない。怪奇の力を身に宿したが故に、そんな当たり前の感覚を東端は忘れかけていた。


「ファントムだけを焼く退魔の炎だ。こいつに焼き切られたということは、やはりあんたは怪物ってことらしいな」


 今剣イマノツルギ同様、この能力が焼くのは怪奇の存在であるファントムだけであり人体には無害。

 初めて使用した能力にも関わらず、それがどういった性質のものなのかを尋は瞬時に理解していた。己の体からは発せられた炎熱。自身の一部について理解が及ぶのは当然のことだ。

 

 一説にはからす天狗てんぐとは、八部衆はちぶしゅうの一角たる迦楼羅かるらてんが変化したものであるともいわれている。迦楼羅かるらえんとは迦楼羅天の吐き出す炎の名だ。

 

 人の姿をした尋では炎を吐き出すことは叶わぬが、迦楼羅焔を宿すその体は炎熱を帯び、手にする武器へも伝わっていく。

 並の武器なら炎熱に耐え切れず自壊する可能性があるが、高い耐熱性能を誇るオリハルコン性ブレード「薄緑」にその心配は不要。退魔の炎熱を帯びた刀身は対象を焼き切る炎刀と化し、その攻撃力をさらに高める。新たに目覚めた能力は図らずも、新装備との親和性が高かった。

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