14 狩人現る

 廃校となったかがやき小学校の教室内に、東端ひがしばた世里花せりかの姿があった。

 腐っても教師のつもりなのだろうか? 教卓に手を置いて、椅子に掛ける世里花の姿を見降ろしている。

 

「……本当に先生が殺人鬼なんですか?」

「本当ですよ。少なくとも良い人間でないことは君もよく分かっているでしょう。善人なら女子生徒を廃校舎に連れ込み、拘束するような真似はしない」


 世里花は手足は拘束された上に、椅子に体ごと縛り付けられている。

 両足は椅子の足に縛り付けられ、足を少し開いた姿勢となっていた。服装は制服姿のままだが、縛る際に邪魔だったのかブレザーは脱がされており、ブラウスとスカートだけ。

 教卓の上には刃物や鈍器が並べられており、穏やかな雰囲気でないことは火を見るよりも明らかだ。


「……私を殺すんですか?」

「君はあくまでも餌です。全ては深海ふかみくん次第ですかね。彼が私を倒すことが出来れば、君は彼と一緒に帰ることが出来ます」

「……どうしてじんを?」

「おや、知らないのですか? 彼が、唯一私を殺せそうな人材だからですよ」

「……尋が、先生を殺せる人材?」


 狂人の戯言と切り捨てるのは容易いが、尋が秘密裏に何かをしていたことは世里花も気づいている。東端が尋を求める理由も、それと無関係とは思えない。


「なるほど、本当に何も知らないのですね。君と深海くんは幼馴染ですから、てっきり事情に精通しているものと思っていました。いや、近しい人間だからこそ隠していたのですかね?」

「……さっきから何なんですか? 尋は私に何を隠しているの?」

「生徒の疑問に答えるのは教室の務めですね。都市伝説に登場する謎めいた存在レイブン。その正体は深海くんですよ」

「尋が、レイブン?」


 レイブンの名前は世里花も噂程度には承知しているが、あくまでもただの都市伝説という認識。尋の正体がレイブンだと言われても、しっくりこないというのが率直な感想だ。


「一般人である君が直ぐにその事実を理解することは難しいでしょう――それよりも」

「きゃっ!」


 世里花へと近寄ってきた東端が、不意に世里花を縛り付けた椅子の足を蹴り飛ばし、椅子後と世里花を転倒させた。左肩を床面へとぶつけ、世里花は鈍い痛みに顔をしかめた。


「殺しはしないが、かといって何もせずに深海くんを待つのも退屈だ。少しばかり私の娯楽に付き合ってもらいましょうか」


 不敵な笑みを浮かべた東端が白い仮面で目元を覆い、椅子に掛けていた黒いローブをまとった。殺人鬼として活動する際の彼の正装だ。

 

「……何を、するんですか?」


 殺人鬼の浮かべる狂気の笑みに対する恐怖。

 拘束された体は、恐怖に抗い、体をよじる権利さえ与えてはくれない。


「再現の続きですよ。本家の被害者も直ぐには死ななかったようですしし、深海くんが来るまでの間、少し遊ぼうかと思いまして」


 東端の右手には、硬質なネイルハンマーが握られている。


「や、止めてください……」


 強引に椅子の背を床へと付け、世里花の体を椅子ごと仰向けにする。

 

「仮に切り裂きジャックによるものだとすれば、九件目にあたる事件の被害者が何をされたか君は知っていますか?」


 仰向けのまま世里花は首を横に振る。

 恐怖で体中から汗が噴き出している。

 恐ろしいのに、自身を見下ろす殺人鬼の淀んだ瞳から目を逸らすことが出来ない。

 狂気が宿す引力は殺人鬼特有のものか、あるいはファントムとしての力に目覚めたが故のものか。


「今から実践してみせますが、被害女性は鈍器でとても残酷な目に遭わされたようですよ。何とも惨い。私では、真似しようとは思っても、自分で思いつけるかどうかわからない」

「いやああああああああああああ――」


 東端の魔手が、世里花へと伸ばされる。


「思ったより早かったですね。車を使いましたか」


 伸ばしかけた東端の手がピタリと止まる。

 恐怖に震える世里花は息が上がり、汗と涙とで全身を濡らしていた。

 

「世里花に危害を加えたら殺すと言ったはずだぞ!」

「……尋?」


 聞き慣れた大切な人の声に、恐怖に閉ざされかけていた世里花の瞳に光が戻る。

 荒々しく教室の扉を蹴破り、黒いペストマスクと黒いパーカーを身に着けたレイブンがこの場へと参上した。

 今更正体を隠す必要はないと、声は変えていない。

 加工の施されていない、尋本人の、激しい怒りの念が込められた怒声が教室中に木霊する。

 

「殺すですか。良い響きですね。君のやる気も十分のようで、とても嬉しいですよ。間に合ったご褒美です。志藤さんは解放しても構いません」


 東端はその場でネイルハンマーを手放し、邪魔はしないという意志表示で、両手を上げて世里花の側から一歩ずつ後退する。


 口ではそう言っているが、まだ何を仕出かすかは分からない。

 尋は東端を注視しつつ少しずつ教室内へと歩みを進めていき、世里花と東端の間に割って入った。


「怖かったよな、世里花。俺が来たからにはもう安心だ」

「本当に、尋なの?」

「わけあってマスクは外せないが、深海尋本人だよ」


 血走った目と浮き出た血管に支配された今の素顔は晒せないが、少しでも世里花を安心させたい一心で、可能な限り優しい声色を作る。

 東端に背を向けるリスクは承知の上で、世里花の拘束を解く。

 幸いなことに東端からの妨害はない。褒美と言っていたし、世里花を開放する行為を咎めるつもりはないのだろう。


 殺し合いを望む以上、背後からの強襲による早期決着など、東端とて望んでいない。

 

「怖かった……怖かったよ、尋」

「ごめんな。もっと早く気づいていれば、こんな怖いを思いをさせることはなかったのに」

「……尋」

「汗びっしょりだ。これを着てろ」


 拘束を解き、自由の身となった世里花に尋は自身の着ていた黒いパーカーを手渡した。このまま優しく抱きしめてあげたいが、流石にそこまで悠長な状況ではない。


 殺人鬼と同じ空間にいるという、異常な状況には変わりないのだから。


「ここでは手狭ですし、場所を移しましょう。先に屋上で待っています」


 尋が世里花を伴ってこの場から立ち去るとは思わない。

 深海尋が東端の想像通りの人物だとしたら、怪奇の力を宿した殺人鬼を放置する真似など絶対に出来ないからだ。

 丁寧な口調で行き先を告げると、東端は驚くべき方法で教室を後にした。

 突然右腕の筋肉が盛り上がったかと思うと、次の瞬間には腕の先が金属製の杭のような形状に変化。そのまま窓の外へと飛び出し、壁面に杭を打ち込みながら屋上まで登っていったのだ。


「今の何? 先生、腕が」

「化け物め」


 契一郎けいいちろうの証言が裏付けされた瞬間であった。

 東端は人の身にファントムとしての力を宿している。

 今回の事件において宿主とファントムとは、完全に同一の存在だったのだ。

 

「尋、世里花ちゃんは!」


 尋の後を追って来た咲苗さなえが、東端と入れ違う形で教室へと駆け込んできた。


「最悪の事態は免れた。咲苗ちゃん、世里花のことを頼んだ」

「分かったわ」


 肩を抱いて立たせた世里花の身柄を咲苗へと預けるが、


「尋どこに行くの? 私を置いて行かないで」

「あいつと決着をつけてくる。ここで止めないとあいつはまた人を殺す。このままでにはしておけない」

「……東端先生を殺すの?」

「レイブンが狩るのは都市伝説の怪物だけだ」


 背中でそう言い残し、尋は東端の後を追って廊下を駈けて行った。


「待って、尋!」

「世里花ちゃん、危険よ」


 覚束ない足取りで尋を追いかけようとする世里花を咲苗が必死に制する。

 事情を知らされていない世里花の心情を思えば、尋を追いたい気持ちは理解出来るが、世里花がいれば本人だけではなく、それを守ろうとする尋の身をも危険に晒すことになる。


 尋のためにも、今は世里花の安全を確保しなくてはいけない。


霧崎きりさきさん……一体何が起こっているの?」

「今はとにかく、この校舎を出ましょう」


 混乱に苛まれる世里花を優しく抱きしめ、咲苗は諭すようにそう言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る