13 薄緑 -ウスミドリ-

「……頼むから無事でいてくれ」


 じんは逸る気持ちを抑え、深呼吸をしてから世里花せりかの番号へと電話をかける。

 世里花の身に危険が迫っているというのは、あくまでも最悪の想定だ。

 自身の犯行発覚を知らない東端ひがしばたは、普段通りの良い教師を演じ続け、無事に世里花を家まで送り届けてくれている可能性だってある。


 五コール目で相手方が電話を取った。

 いつもの調子で「どうしたの尋?」と言う、電話口の世里花の声を期待するが、


『やあ、深海ふかみくん。こちらから連絡する手間が省けましたよ』


 最悪の想像の方が当たってしまった。

 世里花の携帯にかけたはずなのに、どうして柄にもない、楽し気な声色の東端が電話口に出る? 


「世里花はどうした?」

『静かな怒りの込められた口調。どうやら私が殺人鬼であることを知っているようですね。もしかして、のぼりくんの意識が戻りましたか? だとすれば朗報だ。教え子が無事で私もとても嬉しいです』


 普段の生真面目さが嘘のような、悪びれる様子もない飄々とした態度。

 発言の異常さも相まって、これまでの良い教師というイメージが音を立てて崩れ去っていく。


「斬り付けたのは他ならぬあんただろうが! いいから答えろ、世里花はどうした?」

「大丈夫。今はまだ、危害は加えていませんよ。彼女はあくまでも餌。今回の標的は君ですから」

「どういう意味だ?」

「君がレイブンなんでしょう?」

「……そうだ」


 殺人鬼がレイブンとの遭遇を願っていたという予測は当たっていたが、まさか正体にまで勘づいているとは思わなかった。レイブンが狙いだったというのなら、世里花は完全に巻き添えだ。


「これから、私と志藤しどうさんのいる場所をお知らせします。詳しいお話しは顔を合わせてとしましょう。疑問があればその時に幾らでもお答えします。生徒の疑問を解消してあげることも、教師としての大事なお仕事ですから」

「いいだろう。場所を教えろ」

「廃校となっている、かがやき小学校でお待ちしています。ですが、なるべく急いだほうがいいですよ。今はまだ志藤さんに危害は加えていませんが、退屈しのぎに傷つける可能性は否定しきれません。理性とのせめぎあいです」

「世里花に危害を加えてみろ。殺すぞ」

「いいですね。相手も乗り気でないと、殺し合いは盛り上がらない」


 不敵な笑い声を残し、通話は一方的に断ち切られた。

 直ぐに指定の場所に駆け付けなくては世里花の身が危険だ。

 ファントムの力をその身に宿した殺人鬼。

 奴は何を仕出かすか分からない。


 今はとにかく時間がない。

 タクシーを捕まえようかと尋が病院の正面入り口から外へと飛び出すと、


「尋、乗りなさい」

咲苗さなえちゃん」


 咲苗の車が病院前へと乗りつけた。緊張感溢れる表情から察するに、事態はすでに把握しているようだ。檜葉ひばを通じて、契一郎けいいちろうから世里花が巻き込まれた可能性を聞かされたのだろう。


「事情は聞いてる。契一郎くんの意識が戻ったと聞いて、こっちへ向かっていたのが幸いしたわ」

「世里花の携帯にかけたら東端が出て、廃校になっている輝小学校へ呼び出された。早く行かないと世里花が危ない」

「輝小学校ね。分かったわ」


 目的地を把握し、咲苗が車を発進させる。


「契一郎くんの証言についても連絡を受けたわ。宿主である東端自身がファントムでもある可能性があると」

「どういうことだと思う?」


「初めてのケースだから推測も含まれるけど、今回のファントムの元となった都市伝説が本家の切り裂きジャックではなく、東端の起こした現代の切り裂きジャック事件の方だったとしたら一応の説明がつく。センセーショナル故に、十年前の事件は半ば都市伝説化していた。本人の悪意も相まって、夜光市でのファントム発生の条件は十分に満たしているわ。自身が元になった都市伝説だったとしたら、それはとても肉体との親和性が高いことになる。ファントムという別の存在を生み出すのではなく、東端自身に怪奇の力が発現し、ファントム化した可能性は否定できない」


「今回の事件は、そもそも前提が間違っていたんだな」

「そうね。私達の見立てでは、十年前の殺人鬼の心の闇に反応し、十九世紀の切り裂きジャックの姿をしたファントムが出現したのだと考えていたけど、それは違った。今回のファントムは現代の切り裂きジャックと呼ばれた殺人鬼、東端ひがしばた倫敦ともあつ本人だったんだわ」


 初めてのケース故に全てが異常だ。

 事態を把握しきれなかったことを悔いる咲苗の表情は苦々しい。


「東端の奴、俺がレイブンだと気づいていた。その上で、俺を挑発するために世里花を捕らえたんだ」

「尋がレイブンであると知った上で呼び出す。やはり、東端の狙いはレイブンとの殺し合い?」

「口振りから察するにその可能性が高そうだ」

「……覚悟は出来ているの?」

「そのつもりだ」


 ファントムと戦う覚悟など今更問うまでもない。

 今問われているのは、別種の覚悟だ。


「相手はファントムであり、殺人鬼でもある。すでに人の域を越えつつあるけど、それでもやはり東端は人間でもある。あなたは人間と戦うことになるのよ?」

「奴はファントムだよ。仮に人間だとしても、すでに一線を越えた外道だ。世里花のためなら、俺はあいつを殺す」

「……出来れば、尋の口からそういう言葉は聞きたくないな」


 生半可な気持ちでは返り討ちにある危険性がある。

 殺すとまで口にする尋の姿勢は本来重要なはずなのだが、優しさ故にその気持ちを肯定してあげることが出来ない。


「とにかく、武器を持った相手とやり合う以上、こちらも装備が必要ね。後部座席にケースが見える?」

「もしかしてこれが?」

「完成したばかりの新装備よ。開けてみて」


 ボックスティッシュ程度の小さなケースの中には、金属光沢を放つ、握りやすいサイズ感のペンライトが収められていた。

 一見すると武装のようには見えないが、日常的に携帯していても武器だと怪しまれない事を前提に開発されているので、それも当然のことだ。

 

「対策室特製の携帯型オリハルコンブレード。通称『薄緑うすみどり』よ。普段はペンライトに偽装してあるけど、戦闘時にスイッチを入れると生体認証で尋を把握。可変して底側からブレードが飛び出す仕組みよ。強度と切れ味は確保してあるし、耐熱性能も申し分ないわ」

「試しに振ってみたいところだが、流石に車内は不味いか」

「申し訳ないけど、使用はぶっつけ本番で頼むわ」

「分かった。しっかりと使いこなしてみせるよ」


 薄緑をズボンのポケットに収納すると、尋は愛用のショルダーバックからペストマスクを取り出した。

 世里花に正体が露見することは最早免れないだろう。

 これから相まみえる東端もレイブン=尋だと把握している以上、変声機能を使うつもりはないが、それでもマスクだけは着用しなくてはならない。


 世里花にだけは、血走った凶悪な顔を見せたくはないから。

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