4 夜間外出

「不要不急な夜間の外出は控えるよう、先生から言われなかったかい?」

「その台詞、そっくりそのままのぼりにも返ると思うよ」


 時刻は午後八時を回った頃。

 契一郎けいいちろうと同級生の鴇田ときたかえでが、駅通りのコンビニ前でバッタリと遭遇した。

 契一郎は制服姿のままだが、楓は一度自宅で私服に着替えたらしく、グレーのプルパーカーにデニム地のショートパンツ、黒のレギンスにハイカットのスニーカーというラフな出で立ちをしている。


「そう言われると反論に困る。図書館で調べものをしていたら、ついつい閉館時間まで居座ってしまってね。そういう鴇田は?」


 契一郎の調べものとは、現在発生している連続殺人事件についてだ。

 夕方の夜行警察署の会見により、十年前の事件と現在の事件との関連性が公に示された。それに伴い契一郎も、独自に過去の事件の新聞記事などを調べ直していた。

 

「今日がブルーレイの返却期限なのを忘れててさ。延滞したくないから、返すのに出てきた感じ。うちもそろそろサブスクの始め時かな」

「お父さんは?」

「昨日から出張中で不在なの。今は家に私一人」

「相変わらず忙しいお父さんだ」


 楓の家は父と娘の二人暮らし。早くに母親を亡くして以来、父子家庭だ。親子関係は良好だが、楓の父親はやり手故に多忙であり、出張で家を空ける機会が多かった。楓とは付き合いが長いので、契一郎もその辺りの事情は把握している。

 親が不在である以上、保護者同伴の外出はそもそも不可能だ。物騒な時期とはいえ、事件など所詮は他人事。安全と天秤てんびんにかけた結果、レンタルの返却を優先させてしまうのも仕方がない。


「どうせ同じ方向だし、家まで送るよ。そうそう事件に巻き込まれやしないだろうけど、物騒な時期であることに変わりはないからね」

「流石は幟、紳士だね」

「まあ、人並みにはね」


 愉快そうに小突いてくる楓の肘を、契一郎は苦笑を浮かべながらやんわりと掌で押し返した。


「帰る前にコンビニ寄ってもいい? 夜食にスイーツ買っていく」

「太るよ?」

「普通、女子に面と向かってそういうこと言う?」

「小学生からの付き合いだし、いまさら遠慮するような仲でもないかなと思って」

「小学生からの付き合いなら、私が太りにくいことも知ってるでしょう。今更心配されるまでもありませんよーだ」


 などと軽口を叩き合いながら、二人で肩を並べて駅通りのコンビニへと入店した。

 それぞれの親友である尋や世里花も一緒だとまた雰囲気は変わるが、二人きりだといつもだいたいこんな調子だ。

 

 ※※※


「幟はさ、もう部活とかはやらないの?」


 駅通りを抜けた二人は、マンションの立ち並ぶ一画を訪れていた。楓が父と暮らすマンションもその内の一棟で、歩いて残り5分といったところだ。

 楓の手には、寄り道してきたコンビニの袋が握られている。中身は大きなプリンが一つとシュークリームが二つ。シュークリームの一つは送ってもらうお礼に、別れ際に契一郎に渡してあげるつもりだ。


「放課後はなるべく時間を空けておきたいし、在学中はもう部活はやらないかな」

「もしかして、よりレベルの高い大学に行くための塾通い?」

「勉強もそれなりに頑張ってはいるけど、塾には通っていない。時間が惜しいのはもっと、プライベートな理由だよ」


 契一郎が時間を惜しむ理由は、放課後に何時でも尋と一緒にファントム絡みの事件を捜査出来るようにするためだ。事情を楓に打ち明けるわけにもいかないので便宜上、趣味という表現を使ったが、正義感故に自ら進んでファントムの脅威に立ち向かっている契一郎にとって、その表現は決して間違いではないだろう。趣味を生き方として置き換えるなら、契一郎の趣味は間違いなく正義を貫くことだ。


「幟ほどの逸材が帰宅部なのは少し勿体ないけど、そこまで本気になれる趣味があるというのは凄く素敵なことだと思うよ。それで、趣味って何?」

「内緒」

「そういう可愛い台詞は乙女の特権だよ」

「男の子にだって秘密くらいあるさ」

「長い付き合いなんだし教えてよ」

「気が向いたらね」


 わざとらしく肩をぶつけてきた楓を、契一郎は苦笑顔で体で受け止める。

 長い付き合い故に、これ以上訪ねても無駄だと分かっているのだろう。楓もそれ以上は契一郎の趣味云々については触れず、学校生活や流行りの音楽といった雑談へと話題はシフトしていった。

 

「もうすぐだね」


 雑談を交わしている間に、楓のマンションが見えてきた。


「少し寄っていく?」

「遠慮しておくよ」

「遠慮しなくてもいいのに。お父さんも出張中だし」

「だからこそだよ。夜分に、親御さんが不在の女の子の家に上がり込むのは紳士的じゃない」

「えー、意気地なし。何なら泊まっていけよー」

「おいおい。僕達はそういう仲ではないだろう」

「冗談だよ冗談。一度でいいから、年頃の男女のいけないお泊り、みたいな雰囲気を出してみたかっただけ」

「まったく、僕がノリノリで上がり込もうとしたらどうするつもりだったんだい?」

「それならそれでも別にいいけど、幟って紳士だからそういうことはしないでしょう」

「よく分かっていらっしゃる。まったく、鴇田と話していると退屈しないな。もちろん悪い意味で」

「言ったな、辛辣委員長」

「変な仇名をつけないでくれ。最後まで送ってあげないぞ」

「とかいって、優しい幟のことだから最後まで送ってくれるでしょう」

「まあね。その代わり、しばらく口を閉じていてくれ」

「どうしようかな~」


 このまま楓を契一郎が送り届け、和やかなムードのまま解散となると思われたが、穏やかな時間は唐突に終わりを迎えることとなった。


「いやああああああああ――」


 突如として静寂を裂いた女性の悲鳴。

 楓は驚きのあまりビクリと体を震わせ、非日常へとスイッチの切りかわった契一郎は悲鳴の方向へと鋭い眼光を向けている。

 悲鳴は現在地から目と鼻の先の、建て替えのために取り壊しの決まった古いマンションの方から聞こえてきた。

 すでに全棟で立ち退きが完了しており、工事関係者以外の立ち入りは禁止されているはず。そんな場所から女性の絶叫が聞こえてきた。どう考えてもただ事ではない。


「……な、なに? まさか、例の殺人鬼じゃないよね?」


 時期が時期だけに、その思考に行きつくのは当然の流れだ。

 もちろん、それ以外の犯罪という可能性もあるが、いずれにせよ穏やかな状況ではない。


「鴇田、君は警察と救急に連絡をして、直ぐに家に入るんだ」

「の、幟は?」

「悲鳴の主が心配だ。様子を見てくる」

「あ、危ないよ。とりあえず私の家で、警察の到着を待とう」


 契一郎の正義感が強いことは昔から知っているが、だからといって連続殺人犯がいるかもしれない場所に単身乗り込むなんて、幾らなんでも度が過ぎている。

 本気としか思えぬ契一郎の鋭い眼光を前に、楓は声を震わせながら、必死にブレザーの袖を握って引き留めることしか出来ない。


「救えたかもしれない命を見過ごしたら、僕は絶対に後悔する。だから鴇田、その手を離せ」

「の、幟……」


 契一郎の眼光に気圧され、楓は不意に袖を握る手を離してしまう。

 次の瞬間には契一郎は駆け出し、古いマンションの方へと向かってしまった。


「……何よ、今の表情」

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