3 逃げないで

世里花せりかの料理はやっぱり美味しいな」

「そう言ってもらえると、作った方としても嬉しいな」


 時刻は午後六時を少しを回ったところ。じんと世里花は志藤しどう家で食卓を囲んでいた。

 お互いに普段よりも早い時間帯の夕食だが、市内が物騒な時期にあまり尋をあまり遅くまで留めてはおけないと世里花が配慮し、早目に食事をすることになった。

 

 夕食のメインは焼き魚。焼き上げた味醂みりん漬けのホッケから立ち昇る香ばしい匂いは、それだけで食欲を刺激する。塩味と程よい甘さが交わったホクホクの身は白米とも相性抜群。尋も二杯目をお代わりする勢いだ。

 汁物は世里花が手早く作ったワカメと豆腐の味噌汁。本人曰く手抜きとのことだが、料理慣れしているだけあり、味噌の分量や豆腐の茹で加減は絶妙だ。手抜きとは決して雑に作るという意味ではない。効率の良い作り方を覚えているということなのだろう。

 付け合わせは尋の大好物でもあり、二人でジャガイモの皮を向いたポテトサラダ。具材はジャガイモに胡瓜きゅうりとシンプルだが、マヨネーズ等の他に志藤家特製の万能調味料が加えられておりその味は絶品。懐かしさも手伝って尋の食指もどんどん進み、早くもポテトサラダは三皿目へと突入している。


「可愛い」

「何か言ったか?」

「ううん。何でもない」


 思わず言葉に出してしまったことに驚き、世里花は慌てて首を横に振る。

 子供のように無邪気に食事に没頭する尋の姿を目の当たりにし、つい母性本能をくすぐられてしまった。

 母性云々は抜きにしても、これだけ美味しそうに食べてもらえたら、作った側としても素直に嬉しい。

 

「ご馳走様でした」

「お粗末様でした」


 尋は米粒一つ残さず完食し、両手を合わせて食事を終了する。

 世里花も程なく食べ終わり、二人分の食器をシンクへと運ぶ。粘り気のある汚れもあるので、早目に洗っておくに越したことはない。


「俺も手伝うよ」

「ありがとう」


 調理は皮むきくらいしか手伝えなかったのでせめてこれくらいはと、尋は率先して食器を洗っていく。自然と、尋が食器を洗剤とスポンジで洗い、洗い終わった食器を世里花が拭いていくという流れが出来上がる。


「やっぱり家で食べる手料理っていいよな。外食もそれはそれで美味いけど、世里花の料理には劣る」

「もう、流石に褒めすぎだよ」

「褒めすぎじゃないって、毎日でも食べたいくらいだ」

「毎日でも?」


 鼓動が高まり、食器を拭く世里花の手が一瞬止まる。

 尋は時々、思わずドキドキしてしまうような台詞は素で口にすることがある。

 色っぽい意味合いでないことはもちろん理解しているが、こうして二人でゆっくり過ごすこと自体が久しぶりなので、何だかいつも以上にドキドキしてしまう。


「毎日は無理だけど、たまにだったら尋の家に作りに行ってあげてもいいよ。もちろん材料費は頂くけど」

「いいのか?」

「尋の栄養状態も少し心配だしね。健康的な生活のお手伝いをしてあげる」

「ありがたい」


 すまし顔の世里花だが、心の中で思わずガッツポーズを取っていた。ここ数年、尋との間に以前よりも距離を感じていたが、それが一気に縮まったような気さえしていた。

 一人暮らしを始めて以降、まだ一度も尋の家を訪れたことがなかったので、その理由が出来上がったことも嬉しい。


「一回目はいつにしようか?」

「とりあえず、今起こっている事件が落ち着いてからだろうな。物騒な時期に迷惑はかけれられない」

「そっか。少し残念だけど、時期的に仕方がないよね」


 世里花は穏やかに微笑む。世里花を思っての発言だ。残念さよりも、心遣いに対する嬉しさの方が勝っていた。

 

 そうこうしているうちに、使い終わった食器の片づけも終了した。


「デザート食べる? もらい物のゼリーがあるんだけど、家族三人じゃちょっと多くて」

「ありがたくご馳走になります」

「オレンジ、グレープ、グレープフルーツ、ピーチの中ならどれがいい?」

「グレープフルーツ」

「だと思った。昔から好みは変わってないね」

「よく分かっていらっしゃる」

「ちなみに私は何を選ぶと思う?」

「グレープだろ? 昔から世里花はブドウ好きだ」

「残念。正解はこれ」


 そう言って世里花は、冷蔵庫の中からグレープフルーツ味のゼリーを二個持ってきた。


「昔は酸味が苦手だとか言ってなかったか?」

「成長したら逆に癖になっちゃった。今ではグレープフルーツが大好物」


 再び向かい合う形で席につき、デザートタイムが開始される。

 

「……ねえ、尋」


 お互いに半分程ゼリーを食べ進めた頃合いで、世里花は唐突にゼリーをテーブルに置き、緊張気味に声を上ずらせた。

 下校以降、ずっと和やかな時間が続いていた。二人だけの時間に今更緊張を抱くわけもない。緊張の理由はむしろ、その和やかな時間にひびを入れてしまうかもしれないという不安から来るものだった。

 久しぶりに尋と二人きりでゆっくりと会話が出来る。腹を割って話し合うには今しかないと、世里花は下校時から心を決めていた。


「どうした?」

「私、ずっと尋に聞きたいことがあったの」


 尋も食事の手を止め、ゼリーをテーブルの上に静かに置いた。

 緊張感を宿した世里花の表情から、この先の展開はだいたい想像がつく。

 平時の和やかな雰囲気にかまけてずっと先送りにしてきたが、何時かこういう時がやってくることは覚悟していた。


「私にも、そろそろ話してくれてもいいんじゃない?」

「何を?」

とぼけないで。四年前の神隠し事件についてだよ」

「もう、昔のことだ。今更話すことなんて……」


 尋は世里花から目を背けそうになるが、


「逃げないでよ」


 静かだが、真っすぐで純粋で、それでいて厳しい一言だった。正面を見据えた世里花の瞳は、逸らしかけた尋の視線を捉えて離さない。


「私から逃げないで。もう昔みたいな泣き虫世里花じゃない。私だってあの頃よりは大人になったつもりだよ。どんな内容であれ、尋の口から語られる真実を受け止める覚悟はある」

「世里花……」

「何があったか分からないけど、あの日、私だって巻き込まれていた可能性がある。私にも知る権利はあるよね?」

「確かにお前には知る権利があると思う。けど、どうして今になって?」


 この数年間で、世里花がここまでの積極性を見せることは初めてだ。決してはぐらかすつもりはない。幼馴染に対する純粋な興味でそう尋ねる。


「一番大きな理由は先月の真由まゆの件。私が誘拐犯たちに襲われそうになった時、尋と契一郎けいいちろうくん、まったく臆することなく誘拐犯たちに立ち向かったよね。場慣れしているというか、恐怖心が薄いというか。普通の高校生の行動じゃないよ。尋と契一郎くんが二人で何か活動していることには薄々気づいてた。二人が何をしているのか、それは今でも分からないけど、先月の件を受けて何だか納得しちゃったんだ。この程度の出来事じゃ動じないくらいの場数を、二人は踏んできたんだなって」

「契一郎の言う通りだったのかもしれないな」


 連続誘拐事件の時に契一郎が言っていた、「世里花ちゃんくらいには真実を話してもいいんじゃないか」という意見を尋は思い出していた。聡明な契一郎のことだ。あの時点で世里花の心境に気付いていたのかもしれない。


「契一郎くんのことまでは分からないけど、尋にとっての何かきっかけがあったとすれば、それは四年前の神隠し事件以外に考えられないと思う。上手く言い表せないけど、あの事件を境に尋の雰囲気は変わった。友達がたくさん行方不明になった事件だし、変化が起こるのも当然だとは思うけど、精神的なことだけじゃなくて、もっと根本的な、とても大きな変化が起こったような気がしてならないの」

「世里花に隠し事は出来ないな。対する俺は臆病者だ」

「臆病者なのは私も同じだよ。さっきは逃げないでなんて言ったけど、逃げていたのはきっと私も同じ。違和感を覚えながらも、尋に真実を尋ねる勇気を出せないでいた。だけど、もう逃げない」


 力強い意志の宿った瞳で世里花は再び尋を真っ直ぐと見据える。世里花の思いを受け、今度は尋も決して視線を逸らそうとはしない。


「世里花の思いは伝わったよ。だけど、少しだけ時間をくれないか? 俺自身、4年前の事件については一度頭の中を整理しないと上手く話せそうにないんだ。それだけ衝撃的な事件だったから。それ以外の、今日に至るまでの活動についてもそうだ。今この場で語るには情報量が多すぎる。ちゃんと話すから、一度仕切り直させてほしい」


 世里花にここまで言わせた以上、もう逃げようなんて思わない。

 それでも、内容が内容だけに流れに身を任せて打ち明ける気にはなれなかった。

 友人達の身に起こった惨劇は元より。大切な幼馴染を前に、自分はもう普通の人間ではないのだという事実を語る覚悟は、この一瞬で決められるものではない。

 

「分かった。タイミングは尋に任せるよ」

「ごめんな。だけど、絶対に話すから」

「例えどんな秘密があろうとも、尋は私の大切な人だよ。それだけは忘れないで」

「ありがとう、世里花」


 いつも調子で微笑むと、尋は再び食べかけのゼリーへ手を伸ばし、食事を再開した。


「デザートを食べたら、今日は帰るよ」

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