第2話 渦の世界

水のさざめく音が聞こえる。川の流れではないし、海の波の音でもない。水の奏でる音ではあるがあまり聴き馴染みのない、それが耳の奥で離れない。取り去ることはできないと認めた瞬間、えぬは目覚めた。


瞼は思いのほか軽く上がった。何度も反復した動きだからだろう。眼球を右から左に、左から右に、心地よいBPMで動くメトロノームのように動かす。灰色の雲が立ち込めている。霧が深い。そして、海か湖かは定かではないが、一面水に囲まれている。手を動かしてみると、土の感触が僅かに暖かかった。


えぬは視線を更に自分の周りのに移してみた。ごく普通の一軒家の庭ほどの面積の孤島にえぬはいた。周りは水、霧、灰色。


この世界はまさかこの孤島だけかと僅かに焦ったが、背後に小さな橋があることに気づいた。人一人分がギリギリ倒れるくらいの橋もうすでに腹をくくっているえぬは、2ミリほどの怯えをすぐに忘れて橋の上を歩き始めた。一歩。手すりのない橋は軋む。二歩。一歩目は何かすぐ出るんだけど、二歩目って難しいんだよな。そんなことをえぬはふと思い出した。


唄をうたう人になりたいとカラオケで練習をした。録音機能が付いている機種を選び、自分の声を聞いて練習しようと考えた。気持ちよく歌い終えた後に、間延びさせる採点演出を我慢してから聴いた自分の声は、毎日聴いていた自分の声とは全く違うものだった。もう少し高いかなと思っていた声は体に響く低い声で、抜群のリズム感だと自負していた感覚は、妙なためのある自己満足の歌い方でしかなかった。自分はこの世界にいる人間ではないとえぬは感じて、カラオケはもうやめにした。


三歩。四歩。五歩。どうだ。見たか。こんなに進めるようになったんだぞ。もう自分で進めるんだぞ。えぬは言った。誰に言ったのかは自分でもよくわからなかったが、とりあえず言った。


橋を渡り終え、ススキがなびく陸地に降り立った。庭ほどの孤島は10mほど先にある。今まではあまり気にしていなかったためか、それとも、あえて目に入れないようにしていたのかはわからないが、ある特異なものが目に入った。海か湖だと思われるそれの、ところどころにある、渦である。

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