誓いは命を懸けて

誓いは命を懸けて

　「何？　これ。」

　私が突き出しているのは、スマホ。その画面には、男が若い女性と仲良く並び歩く写真と、反射した、その男の青ざめた表情が写っている。

　彼は言う。

　「いや、そ、それは仕事の…」

　男というのはどこまでも惨（みじ）めで、滑稽（こっけい）だ。焦ると本当に何も浮かばなくなるのだろう。

　自分の浮気が、妻に暴かれた。その事実が彼の思考能力を蝕（むしば）む。その事実だけで、彼は言葉の紡（つむ）ぎ方を忘れる。

　「そう。」

　暴いておいて、それを彼に突き付けておいて今更かもしれないが、私は彼と別れるつもりはない。浮気をされたところで私の愛が潰（つい）える訳ではないし、結婚式でのあの誓いを自ら破ることなどはしたくない。

　…まあ、既に彼は破ったみたいだけれど。

　「ご飯にしましょうか。」

　彼は一瞬どこか腑（ふ）抜けた表情を浮かべると、黙ったままダイニングのテーブルに向かった。

　私はキッチンに向かい、昨日の残りの煮物と味噌汁を火に掛け、その間、トマトやレタスといった野菜を切って簡単なサラダを作った。

　しばらくして煮物や味噌汁が温まってきたのを確認した私は、それらと白ご飯をそれぞれ二人分 器によそって、それをテーブルに運んだ。

　彼はまだ、黙ったまま顔を俯（うつむ）かせている。

　「食べないの。」

　「いや、頂くよ。」

　「そう。」

　「いただきます。」

　「…いただきます。」

　彼が今抱いているのはどんな感情なのだろうか。私に対する謝意か、未来への絶望か、それとも、浮気相手への名残惜しさだろうか。

　別にどれだったとしても私は構わない。

　あの結婚式で神父さんは私たちに言った。

　『その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか？』

　私は「はい」と答えた。命を懸けて。

　彼も「はい」と答えた。命を懸けて。

　…命を懸けて。

　私たちは無言のまま食事を終えた。

　私は彼に一つ言った。

　「林檎（りんご）でも切ってあげようか。」

　林檎は、彼の好物だ。私の問いに彼は無言で頷いた。

　それを確認し、再度キッチンに向かう。冷蔵庫から林檎を一つ取り出すと、包丁でその皮を剥（む）いて六等分に切り分けた。

　その後、彼がこちらを向いていないことを確認した私は、自室に向かった。ある物を取りに行くために。ある物というのは、所謂、毒。浮気が発覚した祭に衝動的に購入してしまった青酸（せいさん）系の毒物。本当に使うつもりは無かったのだけれど。私はその瓶を手に取ると、一つため息を吐（つ）いてキッチンに戻った。

　林檎に毒をかけることに、抵抗は無かった。というか、このときの私は殆（ほとん）ど感情を持っていなかったのかもしれない。私はそれを簡単に皿に盛り、ダイニングに運んだ。

　「どうぞ。」

　といった私は、彼の目を見つめながら椅子に腰を下ろした。

　先程も述べたように、私は彼と別れたいとは思っていない。命を懸けた誓いを破った彼に、懸けたものを流してもらおうとしているだけだ。

　さっきまでは本当に殺すつもりなんて無かったのに。何故だろう、思い出せば思い出すほど、あの結婚式を一生に一度の大切なものだと認識していた私は、彼を許せなくなった。

　「食べてていいよ。私はもう寝る。」

　「そう。」

　私はダイニングを後にし、寝室に向かった。

　彼の呻（うめ）き声と何かが倒れたような音が聞こえたのは、私が眠りにつく直前だったと思う。

　「おやすみなさい。」

　今思えば、彼の最期に林檎を選んだ私は、やはり彼に対する愛を捨てきれていなかったのかもしれない。