ⅵ.ぬいぐるみのお姫さま


 世界の色は、もともとは、何いろだっただろう。


 乾いた風に前髪を揺らしながら、天使の青年は黙って蒼天に瞳を向けた。

 どこまでも広がる青に、今は嵐の名残などない。


「レイチェルにも言ったけど」


 視線を引き戻し、レスターをまっすぐ見て口を開いたリレイの表情は、もう笑ってはいなかった。


「僕はだよ。本当の僕はもう、ずっと昔に死んでいて……この身体は偽物で、つくりものに過ぎない。これで満足した?」

「つまり、屍人の念がの肉体を持ち、活動していると?」


 レスターの遠慮ないもの言いに、レイチェルは息をのむ。

 けれどリレイは機嫌を損ねた様子なく、ほんのわずか口角をあげて表情をつくった。


「解釈はなんとでも。僕がそうだとして、でもフィーは間違いなく人間だよ。神職にある者なら、あの災厄で両親をなくした哀れな人間の少女を助ける義務があるんじゃないの?」


 レスターはしばし沈黙し、言葉を探しているようだった。

 ややあって、口を開く。


「では、彼女は我々が引き取りましょう。……彼女が人であると仰られるのであれば、貴方様もそれで納得してくださるのでしょうな?」


 レスターの確かめるような問いかけに、リレイは蒼天の両眼を一度瞬かせ、それからゆっくりと首を振った。


「それは許さない。彼女は渡さない」


 濃青の両眼に、一瞬だけくらほのおを宿し、リレイはつくりものめいた笑いを顔に貼りつかせて、彼を見ていた。


「僕が見つけたんだ。だから、誰にもあげない」

「……彼女は人間だと、貴方ご自身が仰られたでしょう」


 苦味を噛み潰したような表情でレスターが言う。リレイは目を細め、ゆるく首を傾けた。


「そうだよ? フィーは僕の、大切なひとだよ」


 その言葉はおそらく、偽りではないだろう。

 けれど、その身を獣に変容できるだけでなく、数日飲まず食わずでもけろりとしている正体不明なおばけの〝大切〟が、果たして人と同じ意味を持つものなのか。


 少しばかり変わってはいるが、フィーは人間だ。

 幽霊でも、獣でも、人形でもない。

 きっとレスターも、同じことを思ったのだろう。


「であれば尚のこと。安全な場所で、人の輪に囲まれ、平穏な生活を送ることが、彼女にとっての最善ではありませぬか」


 やり取りを見ていたレイチェルの全身が、ぞく、とあわだった。

 いた笑顔はそのままに、青く光る両眼が挑むようにレスターを見る。口の奥に覗くのは、白く鋭い猛獣の牙。


「保証された平穏なんて何処どこにもないよ。それに、彼女あのこにはどうせ、見えてないんだからさ」


 耳触りの良い柔らかなテノールが、歌うようにささやく。

 ——そうして。

 天使の姿をしたの口から紡がれたのは、彼女との出逢いの話だった。




 ♫




 世界が終わった日、僕は、彼女あのこを見つけた。


 あの日に何が起きたかを僕は知らないし、真実を知ってるモノなんてどこにもいないだろうと思う。

 とにかく、神様の気紛きまぐれみたいな終わり方で、そこに在ったはずの国家も機構も組織もすべてが滅びうせたんだ。

 たくさんの生命が失われ、世界は骨と瓦礫と砂に覆われてしまったけど。僕は死ななかった——そもそも生きていないモノに死なんて概念は通用しないというか。




 僕は、何ができるでもなく崩壊を見届けて、どこへ行くでもなく彷徨さまよった。

 そして、瓦礫とガラクタに埋もれた大きなお屋敷に辿りついたんだ。


 砂礫と瓦礫を押しのけて、入ってみたのはほんの思いつきだった。

 運命なんて、僕は信じない。

 だから、彼女あのこを見つけたのも、ただの偶然にすぎない。



 封印、あるいは冷凍保存コールドスリープ……表す言葉スペルはどうだっていいよね。

 まるでひつぎに納められるように、彼女あのこは機械のカプセルで眠っていた。


 広い部屋だった。きっと元は可愛らしく飾られた子供部屋だったんじゃないかな。

 眠る彼女あのこの周りには、機械仕掛けのぬいぐるみがたくさん散らばっていた。千切れ、焼け焦げ、部品もバラバラに弾けて、どれもひどい有様だったよ。

 みな、すがりつくように彼女あのこを納めた棺を囲んでいた。

 お姫さまを守る、騎士ナイトみたいにさ。



 どうして僕に、棺の開け方がわかったのかって?

 これでも僕は魔法の心得があってね。僕の使えた解放オープンの魔法が、偶然、カプセルの仕掛けに効いただけ。


 どうして僕が、彼女あのこを連れ出そうと思ったのかって?

 それは、彼女あのこを見つけたのが僕だから。


 壊れた世界で、崩れた屋敷で、機械仕掛けのぬいぐるみたちに守られて。

 彼女あのこどこにそれだけの価値があるのか、僕は知りたかったんだと思う。

 なにより、僕も、ひとりぼっちだったから。

 手をとり、寄り添いあえる誰かが欲しかったんだよ——きっとね。




 予想外のことがひとつあって。

 ぬいぐるみの騎士ナイトたちは、彼女を守って全員いさぎよく散ったと思っていたんだけど、一匹だけ生き残りがいたんだ。

 機械の翼を持った、黒猫のぬいぐるみ。

 眠る彼女あのこの腕に収まっていたソイツは、あろうことか僕の顔に飛びかかって、思いっきり爪を立てやがったんだよ。

 フシャー、とか生意気にも猫っぽい唸り声でさ。

 僕は彼女あのこを助けようとしただけなのにさ、失礼しちゃうよね。


 せっかく壊れず生き残ったんだから、大人しくしておけばいいと思わない?

 え、口調が攻撃的だって?

 仕方ないよ、僕、狼なんだからさ。



 世界が終わっても終われなかった僕が、ぬいぐるみ相手に遅れを取るはずもないから、それは別に問題じゃなかった。

 本当に困ったのは、その先のこと。


 封印コールドスリープを解いて起こした彼女は、無傷で、身体機能にも損傷はなかった。

 これでも元医者だからさ、間違いないよ。身体的な問題トラブルは何もなかった——いや、多少おなかは空いていたかもだけど。

 壊れていたのは、心。そう、精神メンタルがね。




 世界が終わる前からそうだったのか、あの崩壊が彼女あのこの心を壊したのか、僕は知らない。

 わかったのは、彼女あのこの瞳に僕が映らないってこと。

 話しかけても、触れても、無反応だったんだ。黙ったまま、一緒に眠っていたクマのぬいぐるみを抱きしめながら、虚ろにどこかを見ているだけ。


 黒猫が生意気にも猫らしくニャアニャア鳴いてすり寄ると、彼女あのこの瞳は動いた。

 それに調子づいた黒猫が、彼女あのこ騎士ナイトよろしく僕にフシャーと威嚇したから、温厚な僕もつい、キレちゃって。

 思わず——あの姿に。

 そうそう、青い翼つきの狼になって、グワァって威嚇し返してやったんだよ。

 だって僕は狼だからさ、猫に負けてられないと思わない?



 結果的に、それはラッキーだった。

 彼女あのこが、彼女あのこの瞳が、僕に焦点を結んだから。




 彼女あのこの心は、人の姿をしたモノを映さない。

 あの時も、今でも、……これから先は、知らないけど。


 彼女あのこが心を向けるのは、ぬいぐるみだけ。

 体温も、心音も、生体が持つであろう反応を何ひとつ持たないこの身体は、都合がいいんだ。

 彼女あのこが僕を大きなぬいぐるみだと思って、僕を頼ってくれるから。



 運命なんて、信じちゃいないけど。

 僕は彼女あのこを手放す気はないよ。

 彼女あのこは僕が見つけた、僕にとってのただひとりだからね。


 ぬいぐるみの黒猫になんか負けない。

 もちろん、僕から彼女あのこを奪おうとする、ほかの一切にも。




 ぬいぐるみしか心に映さない彼女あのこが、貴方の言葉に耳を向けることはまず、ないだろうと思うけど。

 もし貴方が、虚構いつわり生活しあわせ彼女あのこを誘い、彼女あのこが、それを望むようになったら。


 僕は彼女あのこを、食べちゃうかもしれないよ。





 to be...

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終わる世界に降る歌は 羽鳥(眞城白歌) @Hatori

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