そして少女は……

 第五回ゴロゴロ文庫新人賞の締め切りから一ヶ月の時が流れた。


 俺と華恋は現在、GL社四階の応接室のソファーに座っている。


 テーブルを挟んだ向こう側には、華恋の母と祖父もソファーに腰を下ろしていた。


 なぜ俺たち四人がこんなところにいるのかというと、今日は新人賞の結果を聞くためだ。一般に公開されるのはもう少し先だが、俺たちは事情が事情だけに特別に通常より早く教えてもらえることになっている。


「師匠、新人賞の結果ってこんなに早く決まるものなんですか?」


 隣に座る華恋が俺だけに聞こえるくらいの小さな声で訊ねる。


「いや、普通はもっとかかるんだが……」


 華恋の質問は少し答えるのを躊躇ってしまうものだった。


 ウチの新人賞の審査方法は他所のレーベルと大した違いのあるものではない。一次審査、二次審査を経て最終審査を行い受賞作を決定する。


 大手レーベルは三次までやってから最終審査を行うらしいが、それは応募数が多いからだ。


 第五回という言葉からも分かる通り、まだレーベルとしての歴史が浅いウチのレーベルに応募する人間の数などたかが知れてる。


 まあ、いくら吹けば飛ぶような弱小レーベルとはいえ、応募数がギリギリ二百なのはどうかと思うが……。


「ええとだな……ウチの編集者はみんな有能なんだよ。だから結果が出るのも早いんだ」


「流石は師匠が所属するレーベル! 編集者の方も皆さん優秀なんですね!」


 ウチのレーベルの編集者が優秀か……作家に嬉々として鞭を振るったり、恐ろしい顔面で幾度となく補導されるような奴らなのに、それでも華恋は優秀と言ってくれるのか。


「…………」


 おかしいな……華恋の純粋な瞳が見てられない。疲れているのだろうか?


 そんなやり取りをしていると、応接室のドアが開かれ中から指名手配犯顔負けの凶悪な顔面の男――ヤーさんが入ってきた。


「お待たせしてしまい申し訳ない」


 入室と同時に頭を下げるヤーさん。相変わらず律儀なヤクザだ。


「いえ、お気になさらず。そんなことよりも、早く新人賞の結果を教えていただいても?」


 華恋の母親に結果を急かされ、ヤーさんはすぐにテーブルの近くまで移動する。席が四つしかないのでヤーさんは立ったままだ。


「結果はこちらになります」


 ヤーさんは右手に握っていた半分に折られた紙を広げる。


「…………ッ!」


 華恋がテーブルに身を乗りだし、鬼気迫る表情でテーブル上の紙を凝視する。


 俺もそんな華恋の横から紙を見る。


「あ……」


 そして結果はすぐに見つかった。


・佳作 菊水華恋(14)


 一ヶ月という短い時間で仕上げた作品としては、受賞できただけでも充分なものだろう。しかし、華恋の母親が出した条件は大賞を取ること。佳作ではダメなのだ。


「そんな……」


 弱々しい声が聞こえたのでそちらに振り向くと、ポタポタと両の頬に涙を伝わせる華恋が目に入った。


 何か言葉をかけるべきなのだろうが、言葉が出ない。


「どうやら結果は決まったようですね」


 どこか勝ち誇ったような声が響く。華恋の母親のものだ。


「やはりあなたは旅館の跡を継ぐ運命なのですよ、華恋」


「…………ッ!」


 華恋の鋭い視線が母親を射抜く。瞳には明らかな怒りが込められていた。


 だが華恋のそれはただの八つ当たりでしかない。それを知ってか、華恋の母親は気にした素振りもなく口を開く。


「さあ行きますよ、華恋。菱川さんたちにも最後に挨拶をしなさい」


「…………」


 母親が促すが、華恋は立ち上がろうとしない。それどころか、俺に縋るような瞳を向けてくる。


 だが俺はそれを無視する。俺だって助けてやりたいが、これは約束に則った結果だ。確かにルールは華恋に不利なものだったが、了承したのもまた華恋。


 今更それをとやかく言ったところで事態は好転しない。


「華恋」


 再度促される。声には、往生際の悪い華恋に対する多少のイラ立ちが混じっていた。


「待ってください」


 そこで華恋の母親に制止の声をかけたのは、意外なことにヤーさんだった。


「もう一度娘さんの作家活動について、考え直していただけませんか? 今回娘さん大賞は逃してしまいましたが、私が読ませていただいた限り、彼女には才能があります」


 弱小とはいえ、流石は一レーベルの編集長を務めるだけのことはある。しっかりとヤーさんの才能を見抜いていた。


「才能の有無に関しては、取った賞によって出るものではありません」


 ヤーさんの言う通りだ。大賞だからといって必ずヒットするのかというと、そういうわけではない。


 逆に大賞を逃した作品がメディア展開して、大賞作品があまり売上が伸びずに打ち切りになるというのも珍しい話ではない。ラノベの売れ行きというのは、意外と読み辛いものなのだ。


「編集長である矢沢さんにそこまで言っていただけるとは、ウチの娘も喜ばしい限りでしょう」


「なら――」


「しかし、約束は約束。この子には作家になることを諦めてもらいます。申し訳ございませんが、娘の受賞は取り消しておいてください」


 華恋の母親はヤーさんの申し出を丁重に断って席を立つと、華恋の側まで近づいてくる。そして華恋の手を掴み強引に立たせようとするが、華恋が立ち上がることはない。


「いい加減にしなさい、華恋。往生際が悪いですよ」


「う……」


 母親のその言葉が余程効いたのか、緩慢な動きではあるが立ち上がる。俯いてしまっているため今の表情は読み取れないが、床に断続的に落ちる雫から大体察せられた。


 華恋がどれだけ新人賞に、作家になることに本気だったのか嫌でも分かってしまう。


 華恋は締め切りまでの一ヶ月間、本当に頑張っていた。そのことは、協力した俺が一番理解していた。しかしそれを華恋の母親に説明したところで、理解を得るのは難しいだろう。


 だから、これは仕方のないことなんだ。俺は自分にそう言い聞かせることで納得しようとするが、


「まったく、ここまで他人に迷惑をかけて。


 ――だがその言葉だけは容認できなかった。


「……待てよ」


 気が付くと俺は、母親が握ってる方とは反対の華恋の手を掴んでいた。これでは、華恋を連れて行くことなどできないだろう。


「……まだ何か? 私も暇ではないのですが」


 刺々しい言葉を浴びせられる。不快感を隠そうともしていないが今はどうでもいい。


「なあ、あんたは華恋が新人賞に出した作品を一度でも読んだのか?」


「読んでいませんが……それが何か?」


 華恋の母親の訝しむような視線がこちらに向けられる。


 どうやらこの女、俺の質問の意図を理解できてないようだ。


「ならどうして、こいつの作品が大したことないなんて言えるんだ?」


「それは……」


 華恋の母親が口ごもる。


 別に俺は、華恋の努力を知らないくせに勝手なことを言うな、などと言うつもりはない。プロの作家になれば、求められるのは作品の面白さのみ。作家が陰でどれだけ努力しようが、読者には関係ないのだから。


 俺が許せないのは、読んでもいない作品を批判したこと。そんな屈辱的な仕打ちを、一作家として許すわけにはいかない。


「……ヤーさん、華恋の応募した作品、今すぐ持ってきてくれ」


「分かった」


 それだけ言って、ヤーさんは応接室を出た。理由も聞かず即座に動いた辺り、ヤーさんも俺と同じ考えなのかもしれない。


「せっかく京都からこんなところまで来たんだ。もう少しくらいここにいても問題はないよな?」


「何をするつもりかは知りませんが……いいでしょう。ここまで来たら、最後まで付き合ってあげましょう」


 華恋の母親は俺の半ば挑発するような口振りに応じると、華恋の手を離して元の席に戻る。


 俺は握っていた華恋の手に力を込める。


「見てろよ華恋。お前の作品を貶したこと、あの女に後悔させてやる」


「師匠……ありがとうございます」


 事の成り行きを呆然と見守っていた華恋だが、俺の言葉を受けて未だに泣きそうな顔で、しかし確かな笑みを浮かべた。







 ヤーさんが戻ったのは、応接室を出てから十分後のことだった。出た時と違い、片手にはB4サイズの紙が入りそうなくらいの封筒を持っている。恐らく、あの封筒の中身が華恋の作品なのだろう。


「菱川君」


「サンキュー、ヤーさん」


 俺は礼を言いながら、ヤーさんから封筒を受け取る。何度も改稿を重ねたことによって五百ページもあった頃に比べると軽いが、それでも確かな質量を感じる。


 俺はヤーさんから受け取った封筒をテーブルの向こう座る華恋の母親に差し出す。


「何ですか、これは?」


「あんたの娘が書いたものだよ。大したものじゃないかどうか、その目でしっかりと確認してみろ」


「……いいでしょう」


 いくら初期に比べるとページ数が減ったとはいえそれでもかなりのページがあるはずだが、華恋の母親は躊躇することなく答えてから封筒を手に取る。


 華恋の母親は受け取った封筒から原稿を取り出すと、そのまま読み始めた。


「ワ、ワシにも読ませてくれ!」


 話の流れを黙って見ていた華恋の祖父が、ここにきて初めて声を発した。


 原稿は一つしかないため、華恋の母親が読んでいるのを横から覗き込むような形で読むことになった。


 パラパラとページのめくれる音だけが室内に響く。原稿が読み進められると共に、時間が静かに流れていく。


 俺たちは黙ってそれを見守っていたが、三時間もすると二人共読み終えた。


 華恋の母親が封筒に原稿をしまう動きを固唾を飲んで見守る。別に俺の作品というわけではないが、それでもどんな感想が飛び出してくるのか緊張する。


 しかし最初に口を開いたのは、華恋の母親ではなく祖父の方だった。


「華恋、これは本当にお前が書いたのか?」


「うん。そうだよ、おじいちゃん」


 華恋は祖父の瞳を見据えて、はっきりと答える。


「そうか。まだまだ小さい子供だと思っていたが、中々どうして……」


 感慨深げに語るその口元は確かに笑っていた。


「華恋、お前は作家になりなさい。旅館の方はワシが何とかしてみせる」


「え……」


 祖父の言葉を受けて華恋は呆気に取られたかのような表情になる。しかしそんな華恋の変化を気にした様子もなく、祖父は続ける。


「昔達郎も言っておった。もし旅館の跡を継ぐ以外にやりたいことができたら、旅館のことは気にせず好きに生きてほしいと」


「お父さんがそんなことを……」


「そして今日お前の小説を読んで確信した。旅館で淡々と日々の業務をこなすより、お前は作家として小説を書いてる時の方が楽しそうじゃ。現に、お前の書いた小説はあんなにも輝いていたじゃないか」


 そこで華恋の祖父は深い笑みを顔に刻みながら、華恋の母親がテーブルに置いた封筒を指差す。


「だからお前お前の道を行きなさい。じいちゃんは、好きなことをしている華恋が一番好きじゃ」


「おじいちゃん……!」


 大賞を逃したと知った時とは、別の意味で華恋瞳から涙が溢れた。


 これが物語の中ならこのままハッピーエンドの流れだろうが、残念ながら現実はそう簡単にはいかない。


 まだ乗り越えなければならない華恋の母親しょうがいが残っている。


「華恋……」


「お母さん……」


 厳かな声音で名を呼ばれ、華恋が応じる。


「あなたはどうして、そうまでして作家になろうとするのですか?」


「……私ね、初めてだったんだ。本気で何かをやりたいと思ったのは。ずっとお母さんに言われた通りのことしかしてこなかった私にとって、師匠の存在はそれぐらい大きかったの」


「達郎さん――あなたのお父様が遺した旅館よりも?」


「うん……ごめんなさい」


「…………」


 華恋の言葉を受けて、母親が瞳を閉ざす。目を閉じてる間は身動ぎ一つ起こすこともなかったが、五分もしないうちに再び目を開けた。


「……好きにしなさい」


「え……?」


 華恋の母親は聞こえるか聞こえないかギリギリの声量で呟いた後、席を立ち、俺の方を見る。


「菱川さん、色々と至らぬ娘ではありますがよろしくお願いします」


 そう言って華恋の母親が深々と頭を下げた。


「ワシからもお願いします」


 次いで華恋の祖父が立ち上がり、華恋の母親に続いた。突然頭を下げた二人の意図が分からず混乱していると、二人は頭を上げて部屋のドアの方へ歩き出した。


「待って!」


 しかしそんな二人を呼び止める者がいた。華恋だ。


 華恋に呼びかけられ、二人は振り返る。


「本当に……いいの?」


「それはどういった意味の質問ですか?」


「私、作家になってもいいの?」


「好きにしなさいと言ったはずですが?」


 さも当然のことのように言う母親に、華恋は軽く目を見開きながらも、


「ありがとう、お母さん」


 感謝の念を伝えた。


「…………」


 華恋の感謝の言葉に応じることなく母親は部屋を出る。しかし部屋を出る直前、その口元に笑みが浮かんでいるように見えたのは、俺の気のせいじゃないはずだ。




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