疫病神part2

 少女は、とある家の玄関先に俯いて座っていた。痩せていて、くすんだ灰色のワンピースに、ボロボロのサンダルという貧しい格好をしている。





アキラが足を止めると、クルミも足を止めてその少女を見て、





「おそらく、あの孤児院の子供でしょう」


「孤児院……?」


「はい。様々な病が流行って親を亡くす子供が増えたので、ビショップが作ったのです」





 『プリキン』の中の世界、つまり女の子たちの夢や希望からできたこの世界に、孤児院という施設が存在するなんて……。その悲しさに言葉を失いながら、アキラは気づくと少女のほうへと歩き出していた。





 鞄の中から、コインが入っているらしい布袋と、アヤネから貰ったりんごジュースの瓶を取り出して、少女の前に膝を下ろす。





「ちょっといいかな? 大人を呼んできてもらえる?」





 少女は暗い目を上げてこちらを見るが、それ以外、何も反応はない。





「大丈夫? 具合が悪い?」


「おそらく、この方は暗霧病あんむびようでしょう」





 背後でクルミが言った。





「暗霧病?」


「プリンセスが眠られてから流行りだした病の一つのようです。かかった者は激しい倦怠感と微熱を覚え、やがてボンヤリとしてこちらの問いかけにほとんど反応しなくなります。病が進行するにつれ、視界が黒い霧に覆われていくようになることから、『暗霧病』と呼ばれています」


「そんな……こんな小さい子が……」





少女はアキラなど既に見えていないように、再び地面を遠い目で眺めている。





食べ物もあまり口にできていないのだろう。頬がこけ、唇も荒れたその少女に胸を衝かれて動けなくなっていると、クルミが言った。





「まさか、そのお金をこの方に渡す気ですか?」


「だって、見過ごせないよ。このお金で、少しでも何か食べてもらえれば……」


「しかし、それはあなたの宿代や食事代などのために使うものです」


「それは……大丈夫、なんとかなるよ。困ったら、アヤネさんの教会かクルミの家まで戻ればいい。安心して、クルミにまで辛い思いをさせる気はないから」


「……あなたは、どうして」





ぼそりと呟いたクルミを振り返ると、その顔には嫌悪感のような表情が浮かんでいる。睨むようにこちらを見て、





「あなたは、あまりにも楽観的すぎます。『なんとかなる』という、あなたのよく言う考え方には、どうしても馴染めません。私は苦手です」


「で、でも、実際なんとかなるし……それに、悲観的でいるよりは楽しいと思わない?」


「私は希望のない世界のことしか記憶にありません。ですから、私にとってはこれが普通です。この国にあるのは、餓えと、寒さと、悲しみです。未来に光はなく、あったとしてもそれはまやかしです」


「じゃあ……クルミは、いま私がしてること――プリンセスを復活させようとしてることも、無意味だと思ってるの?」


「はい、無意味です」





 クルミは平然と言う。





「あなたが何をしても、結局この国が救われることはないでしょう。第一、あなたでは役職者たちには勝てません。ビショップに対しては偶然、上手く行きましたが、ナイトとクイーンには間違いなく殺されるでしょう」





 ですが、安心してください、とクルミは続ける。





「私はあなたの奴隷としての役割を放棄するつもりはありません。あなたが殺される前に、私が殺されます。あなたはその隙にでも逃げて、諦めて元の世界に帰るとよいでしょう」


「そんなことはしない! 私はクルミを見捨てて逃げたりなんか――」


「なんだい、騒がしいね」





 ふと孤児院の玄関から、腰にエプロンを巻いた中年女性が出て来た。





「ん? あんた……」





 どこか驚いたような顔でクルミを見て、それから警戒するような目つきをアキラへ向け、





「何か用? その子が何かしたのかい?」





 いいえ、とアキラは立ち上がり、





「私はこの子ではなく、この施設に用が。これを、この施設に寄付します」





 持っていたジュースの瓶と、コインの入った布袋を女性に渡す。





 クルミの纏う空気の温度がスッと冷えるのを感じるが、これはアキラにとって譲れないことだった。間抜けと言われようが構わない。このお金で少女の食べ物や毛布が買えるなら、それで本望だ。





「えっ、こんなお金……!? あんた……何者だい?」





 袋の中を確認した女性が、驚いた顔でこちらを見てくる。チナツは『少しの金』と言っていた気がするが、そんなに驚かれるほどの額が入っていたのだろうか。





「この方は神人です」





 クルミが女性の問いに答える。女性はさらに驚きの色を顔に広げて、





「神人……!? 本当かい、それ!?」


「これが証拠……なんですよね?」





 アキラはカードホルダーから、マイキャラクターのカードを出して女性に見せる。





 女性は、鋭かった瞳に輝きを浮かべながら、





「これは驚いた……! じゃ、じゃあ、まさか、プリンセスがお目覚めになったのかい?」





いいえ、とアキラは首を横に振る。





「しかし、いま私たちはそのために活動をしています。――じゃあ、どうぞそのお金は子供たちのために使ってあげてください。行こう、クルミ」


「しかし、お金がなければ、宿など探せませんが」


「しょうがない。一回、アヤネさんの教会まで戻ろう」


「……解りました」





 無表情、しかしその目は怒りを帯びている……ような気がする。





確かに、クルミには申し訳ないことをした。そう思いつつも、クルミが自分の感情を伝え始めてくれたことが嬉しくもある。それに、クルミは怒った顔もリスのようで可愛い。





――こんなこと言ったら、余計に怒らせちゃうだろうけど……。





「何がおかしいのですか?」





 ニヤけてしまっていたのだろうか、クルミがムッとしたように言う。





「いや、別に。――でも、ごめん、クルミ。こんなに歩かせることになって。疲れたらすぐに言って。私がおんぶするから。なんなら今から――」


「結構です」





 と、二人、来た道を引き返そうとしたが、





「二人とも、宿を探してるのかい」





 孤児院の中年女性が、そう呼び止めてきた。アキラが頷くと、





「なら、私についてきな」


「でも、お金が……」


「神人様からお金を取るような不信心なマネはしないさ。ちょっと待ってな。この子を寝かせて戻ってくるから」





そう言って、女性は少女の手を引いて孤児院の中へと戻っていった。





ポカンとしながら、アキラはクルミを見る。





「なんとか……なっちゃった?」


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