9-5.接触

 小松に連れられてやってきた部屋は、一ノ瀬と双葉が依頼に派遣される前まで、一回も使われることのなかった場所だった。

 住み込みで働く研究員のために用意された、各自の部屋。居住区の一室だ。


「小松です。すいません、まだ起きてますか」


 小松がネームプレートもないドアをノックし、返事を待つ。一ノ瀬には、言う小松の声に少し棘があるように感じた。


「ええ、起きてます。少々待っていただけますか」


 少しして返ってきたのは、滑らかで雑音のない、丁寧な男性の声。

 その情報だけで、一ノ瀬と双葉の警戒心は若干削がれていた。ああ、落ち着いた人なんだな、という、声だけの先入観。


 数秒後ドアが横に開き、眼鏡をかけた男性に手で誘導され、一ノ瀬たちは部屋の中へと入る。

 中を見回しても、備え付けの家具と持ち込んだアタッシュケースとノートパソコンくらいしか目に留まらず、さっきまで何をしていたのかは判断できない。


「こちら、滝沢さんです」


 小松はそう言って、自分でも挨拶しろ、と言わんばかりの目で滝沢と呼ばれた男を睨んだ。その目線に気がついた滝沢は肩をすくめ、


「初めまして、滝沢と申します。お二人が留守の間に政府から派遣されたセキュリティエンジニアです。業務内容については、監視室に保管されているデータを見ていただくのと、藤原さんに伺った方が分かりやすいかと」


 長々と自己紹介をし、握手を求めてきた。何も知らない一ノ瀬と双葉は、それに一瞬躊躇ってから応じる。


「俺は一——」


 倣って自己紹介をしようした一ノ瀬の言葉を、滝沢は被せて遮った。


「一ノ瀬さんに双葉さん。株式会社テクノからの依頼で、二週間の業務のため研究所を留守にしていた」


 ここまで、ワーカロイドオフィスの設計が終わったこと、梨乃たちや研究所が何事もなく無事だったことで浮かれてしまっていた二人は、滝沢のことなどあまり不信に思っていなかった。


 しかし、一変した滝沢の口調は、二人の警戒心を蘇らせるには十分すぎた。


「……その言い方、所長から聞いた情報、ってわけじゃなさそうですね。どうして私たちのことを知ってるんですか」


 双葉も、今まで伊達に国家機密のプロジェクトをやっていたわけではない。加えて顔やスタイルの良さも人並み以上で、学生時代には告白された経験が数回あった。

 それゆえに人の悪意や下心などには敏感で、滝沢という初対面の男でもそういう感情は何となく察した。


 敵視という相手の意思をそのまま静かに返して淡々と問う。

 双葉の警戒心もあからさまだったが、滝沢は意に介さず、さも当然のように答えた。


「政府から直接派遣されてきて、かつ、この研究所でしばらくの間寝食をともにさせていただくのですから、みなさんの基本的なデータはもちろん、現状まで把握しておくことは何ら不思議なことではないでしょう」


 たしかにその通りではある。正論だ。

 双葉は、んぐっ、と唸ってから、さらに反論する。


「先輩の言葉を遮ってきたってことは、それなりの敵意があるってことですよね!?」


「それはあなたの勝手な思い込みです。私は知っている情報を知っていると主張するために、相手よりも先に言ったまでです」


「だからって被せてくる必要はなかったはずです! その言い方が敵意だって言ってるんですよ!」


 滝沢は自分が正しいと決めきっているのか、目を瞑った。双葉の眼光は依然滝沢を鋭く刺す。


「二人ともちょっといいか。滝沢さん、夜に部屋まで来てすまなかった」


 振り向くと、藤原が苦笑して覗いていた。


「いえ、とんでもないです。お招きしたのは私ですので」


「そう言ってくれると助かるよ」


 普段の男らしさや勇ましさといったものが、今の藤原からは見えない。ペコペコと何度も小さく頭を下げ、滝沢に対してとことんへりくだっている。


「藤原さん……、どうして……」


 その様子に戸惑いを隠せない一ノ瀬だったが、藤原は気づいていない。


「前を通ったら、ちょっとした言い合いになってたのが聞こえてきてな。気になったから邪魔させてもらったよ」


「言い合いにはなっていません。双葉さんからの一方的な言いがかり……のようなものです」


「なっ!? 先に吹っ掛けてきたのはそっちでしょう!?」


 滝沢は、あくまでも自分に悪気はなく、被害者だと主張する。一ノ瀬と小松は、もはや会話に入ることも諦め、額に手を当てた。


「いいから、もう戻るぞ。お疲れ様、滝沢さん」


 藤原は荒れる双葉の手を引き、一ノ瀬と小松もそれについていく。


「どうしたんだ、双葉。情緒不安定だぞ。テクノから帰ってきたばかりで疲れてるんだ、早く寝た方がいい。小松、双葉を部屋に連れてってくれ」


「あ、はい。ほら、双葉先輩、行きますよ」


 双葉を連行した小松と別れると、藤原は急に小声になり、一ノ瀬を監視室まで連れ出した。



「双葉はお気に召さないって感じだったな」


 一ノ瀬としては何か藤原から直接話があるだろうとは思っていたし、あの男にも藤原が抵抗しない、あるいは抵抗できない理由があるのだろうと推測していた。何かないのかと思考を巡らせていた結果、反論をすべて双葉に任せたのだ。


「何者なんですか、あの人……」


「隠すつもりはなかったんだが、滝沢は石田さん……総理直々に派遣された奴だ。この前の報告のときに直接、派遣すると言われてな」


 それだけでは、藤原が抵抗しない理由にするには弱い。だが一ノ瀬には、何となく察しがついていた。


「…………派遣されてくるタイミングがちょうど良すぎた……ですよね」


 藤原は腕を組み、長いため息を吐いて肯定した。


「俺としては、この研究所を内側からこねくり回そうとしてるんじゃないかと考えてるんだが、そんな確証はないし証拠すらない。もちろん滝沢もそんなこと言うわけないしな」


「抵抗したらどうなるか分からない、だから抵抗できないってことですか」


 一ノ瀬の解答に、いや、と待ったをかける。


「正確には、抵抗の意を示さなかったらどうなるか、確認したいってところだ。だから今後は、表向きは普通に、裏では警戒って感じで、俺らの意見は一致している。梨乃も含めてな。あとはお前ら二人だけだ」


 藤原は双葉にも伝えるようにと指示すると、一ノ瀬の肩に手を置き、


「他の話はまた明日だ。今日はゆっくり寝ろ」


 普段の男気を元に戻して監視室を出ていった。


 残された一ノ瀬は、自分たちの計画がどうなるのか、その不安だけが募った。

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