6‐3.水族館のアイドルたち

 ショーが始まるまであと五分というギリギリの時間のせいか、客席はすでにほとんど埋まっていて大賑わいだった。ガイドによれば、このイルカショーは水族館が一番の売りにしている目玉らしく、毎回席は満席になるそうだ。


 前の三列ほどはいくつか空いていたが、それより後ろと席の色が違っている。イルカショーではお決まりの、明らかにずぶ濡れになるやつだ。


「あそこ空いてるよ」


「え、あ、おう」


 そんなことは知りもしない梨乃は、また一ノ瀬の手を引いてはドヤ顔で席を確保し、一ノ瀬も渋々それに従うしかなかった。


 座ったのはなんと一番前の中央。アナウンスでは最も濡れる場所と言っていたが、目の前で待機しているイルカたちにくぎ付けになっている梨乃は、アナウンスなど耳に入っていないようだ。


「あ、それ三枚ください」


 開演前にドーム内を徘徊していたスタッフから雨具を買う。

 予想外の出費となってしまったが、着替える羽目になるのは避けたかった。この際やむを得ないだろう。


 梨乃に雨具を着させてからすぐに、会場に軽快な音楽と女性の声が響いた。


『皆さん、お待たせしました! この水族館のアイドルたちの登場です!』


 梨乃がさっきまでじっと見ていたイルカたちが、曲に合わせて水槽の中を猛スピードで泳ぎ回る。何周かしたあとにドルフィントレーナーのもとへと向かっていき、顔だけを水の上に覗かせた。


 餌と指示をもらったイルカたちは水へと潜り込み、客席の目の前で体全体を宙に浮かせると、挨拶代わりと言わんばかりにそれを水面へとたたきつけた。


 イルカは全部で三匹。彼らは順番に跳ねては飛び込んでを繰り返していく。その水しぶきは前列の観客に覆いかぶさり、被った人からは歓声が上がる。

 もちろん一ノ瀬たちの席も例外ではないが、水が飛んでくるとは思っていなかったのか、梨乃は瞬きだけを残し、口をあんぐり開けたまま固まってしまっていた。


「おーい、大丈夫、梨乃ちゃん?」


「……へ?」


 双葉が文字通り目の前で手を振ると、状況を理解した梨乃の意識は水槽のイルカたちへと向けられた。


 その後もイルカたちの華麗な演技は続けられた。


 ドルフィントレーナーがイルカの口元に立つとイルカはそのまま泳ぎ始め、トレーナーは笑顔で手を振り、観客もそれに応えるように力いっぱい手を振った。

 トレーナーが背びれを掴むとイルカたちはまたそのまま泳ぎ始め、最終的にはイルカの背中に立ち上がるという、アクロバティックな技まで披露した。観客からは拍手の嵐だ。

 他にも、天井から降りてきたボールに尾びれで触ったり、大小さまざまな輪っかをくぐったり。彼らは自分の体の三倍くらいの高さまで飛んで、平気な顔でそれを難なくこなすのだ。


 彼らが飛ぶとその度に一ノ瀬たちも水を被り、それにも次第に慣れていった梨乃は、最後の方ではもっと水をちょうだいなどと、年相応の喜びを見せるのだった。


「イルカすごかった! また見たい!」


「そうだな、また来よう」


 イルカショーが終わったころ、全員のテンションは入館のときとは一変し、興奮が冷めず心が躍っているような感じだった。

 ずっと周囲を警戒していて気を張っていた小松も、会場の雰囲気に触発されて会話に混ざっていた。


「もうちょっと他のやつ見たい」


 藤原たちに申請した帰りの予定時間まで、まだ少し余裕があった。梨乃の要望ということもあり、ショーのあとも外にいる生き物たちを見て回ることにした。


 ペンギンたちは相変わらず、その危なっかしい愛くるしさで不動の人気を誇っているようで、この水族館のアイドルではイルカたちと肩を並べているらしい。

 水族館が主催する「海の生き物総選挙」なるものでは、イルカとの得票数が僅差で負けたと、ペンギンプールの脇の看板に書かれている。


「生き物たちも大変だな……」


「そうですね……」


「私はペンギンの方が好きですよ」


「私も」


 そのなんとも不憫な結果に、四人は看板を眺めながらペンギンたちに同情せざるを得なかった。


 帰り際に何か足りないと感じた梨乃は、売店で何か買いたいと言い出した。

 帰りの時間までもう残り少なかったが、売店は出口の直前にあるし流れで寄ってしまっても大丈夫だろうと、一ノ瀬はそれを仕方なく聞き入れた。


「俺、ちょっと行ってきます」


「ああ。じゃあ先に行ってるぞ」


「了解です」


 イルカショーで水を浴びて寒くなったのか、小松がトイレへと入っていった。残った三人は一足先に売店へと向かう。


 しかし、ショーを見て浮ついていたとはいえこの行動をしてしまったのが、一ノ瀬たちの最大の失態になったのは間違いなかった。

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