6‐2.好奇心の餌

 入館してしばらくは、四人のテンションは低いままだった。特に深海魚が展示されているエリアでは、薄暗いことも相まってその低さに拍車がかかっていた。

 梨乃の視線はちらちらと水槽の方を何度か向いているが、申し訳なさが続いているのか近寄って見ることはしなかった。


「もっと見ていいんだぞ」


「うん……」


 一ノ瀬たちが話しかけても俯いたままで、返ってくる反応は弱い。

 せっかく来たのに、当の本人がこの気分では計画も台無しだ。何か梨乃を喜ばせるものはないかと水族館のガイドを手に取って眺めてみると、


「お、これいいな。今からだと……あと一時間くらいか」


 イルカのショーが巨大なドームで行われるらしい。ドームは水族館の一番奥にあり、コースを一通り進めばちょうどいい時間になりそうだ。


「梨乃ちゃん、次行こう、つーぎ」


「あ、うん……」


 双葉が梨乃の手を引いて、ショーまでに上手くテンションを上げていく。

 深海エリアを抜けると、次は大水槽だ。目の前に立つとその大きさはより際立ち、見るものを圧倒する。縦は見上げるほど高く、横の端は見えないほどだ。


 いろんな魚たちやカメ、それにおとなしい性格の小さいサメなどが、その水槽の中を優雅に泳いでいた。


「大きい……。たくさん……」


 梨乃の口からはまさに圧倒されている声がこぼれ出た。水槽にぴったり張り付き、自由気ままな生き物たちの虜になっているようだ。


「これだけじゃないぞ、梨乃。すごいのはまだたくさんあるんだ。ほら、先進むぞ」


 急がなくてもイルカショーには十分間に合うが、梨乃にはもっといろんなものを見て感じてほしい。一ノ瀬はそう思って研究所の外に連れ出した。


 好奇心の塊である梨乃にとって、外の世界は宝の山だ。それはもちろんこの水族館も例外ではない。ラストにイルカショーを持ってきたのは、満たされた状態で帰ってもらいたいからだ。

 そんな思いを知ってか知らずか、梨乃はむしろ双葉のことを引っ張ってずんずんと奥へと進んでいく。その目は、ネット環境を与えたときの輝きを取り戻しつつあった。


「ここは?」


「ここは川のエリアだな。上流から下流まで順番になってるらしい」


「へぇー……」


 コースは長く緩やかな下り坂になっていて、それに沿うようにして小さい水槽や木々が並ぶ。実際の自然を忠実に再現して、より野性的な生き物たちの姿を見てもらうのが、この水族館のテーマでもあった。


「これが上流か。たしかに岩がでかいし、水の流れも速いな」


「こっちが中流? あ、見て。小さいのが頑張ってる」


 梨乃が指さしたのは、流れに逆らって泳ぐ川魚たちだ。他にも河原があったり中州があったりと、たしかに自然に忠実だ。


 下流のエリアは水の流れも遅く、水槽の周りにはコンクリートの部分もある。


「川ってすごいね。私、今度は川に行ってみたい」


「いいね、川! 次の休みに行こう!」


 双葉の提案に梨乃は大きく頷いた。



 川のエリアの隣にはふれあいコーナーがあり、ヒトデやナマコなどの小さい生き物に触ることができるようになっていた。

 梨乃も初めは恐る恐る水に手を入れ、探りながらヒトデに触れたが、一度手に取ってしまえばあとは嬉しそうにヒトデを撫で続けた。


「ザラザラ。変な感じ。気持ち悪い」


 そういって嫌がっているような感想を口にするが、好奇心を満たされてどこかふわふわしているような、研究所にいたときには見せることのなかった顔だ。


 そのあとも、外でペンギンを見たり海外の生みの生き物を見たり、さらにはまた巨大水槽に戻ってきたりと、梨乃のテンションは望み通り最高潮まで達しようとしていた。


「さて、そろそろ時間だぞ」


「時間?」


 一ノ瀬の何かを企んでいるその笑顔に、梨乃は首を傾げる。双葉と小松の表情も一ノ瀬と同様、これから何かしでかすんじゃないかという顔で梨乃を見ていた。

 再び双葉に手を引かれ、巨大水槽からコースの奥へ奥へと速足で進んでいく。


 一度見た生き物たちの前を素通りしてたどり着いたのは、白い屋根が眩しい大きなドームだ。それはまるで野球場のように、外からでは中の様子は見ることができない。

 ドームのそのつくりは、梨乃の好奇心をよりかき立てるにはちょうどいい格好の餌になったようで、


「これ何? 何してるの? 早く中に入ろ」


 と、一ノ瀬たちを急かすのだ。


 もし尻尾があったらブンブンと振り続けていただろう。まるで飼い主を引っ張る散歩中の犬のようだ。


 梨乃の勢いに気圧されて半ば呆れながら、一ノ瀬たちはイルカショーが行われるそのドームへと入っていった。

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